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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第67話 酩酊

 その夜、フォーエンベルガー城ではちょっとした晩餐会が開かれた。場所は城の中二階にある大きな食堂。そこに二十人ほどが着席できるように、クロスを敷いたテーブルを並べてあった。

 ホスト役を務めたのは当主のリカルドで、ホステス役は彼の妹ナディーヌだ。彼女は近々セシャールの第二王子との結婚を控えた少女である。顔立ちは兄リカルドとよく似ていたが、控えめで従順な印象は兄とは全く違っていた。

 それから兄妹の母親であるエリナ夫人も出席した。夫人はナディーヌ以上に控えめな貴婦人といった雰囲気があり、ユーリィと挨拶を交わした時も、長旅の労をねぎらっただけで余計なことは一切言わなかった。晩餐会の最中も、隣に座ったアシュトが夫人に何度も話しかけていたが、話が弾んでいるという様子はない。それを見たリカルドが、「母は、舅である祖父に長年こき使われたからね」と意味深にユーリィへと耳打ちをした。

 宴には側近だという八人とその妻も同席をした。といっても彼らはみな平民ではない。フォーエンベルガー家とは血縁関係にあり、爵位こそないが本人たちは貴族側の人間だと思っている。貴族の側近はだいたいそんな者たちばかりだった。


(そういえば、あの連中はどうしようかなぁ……)


 ソフィニアを出発する数日前、父親に仕えていた数人側近が宮殿に現れて、ユーリィにぜひ使って欲しいと訴えてきた。どれも見知った顔である。ただし名前なんて覚えていない。彼らはずっと妾腹が跡継ぎとなることに反対していたし、半数が義母と結託していたのだから。

 それが手のひら返しのように現れて、媚びるような笑みを浮かべて擦り寄ってきた時は、正直反吐が出た。

 しかし切り捨てて良い駒かどうか判断する時間がなかったので、返事を保留にしている。新体制を創るには、少しでも多くの人材が必要だ。


(せめてジョルバンニがなにを考えているのか分かればいいんだけど)


 あの男が本気で、自分を皇帝などにしようと思っているとはユーリィには信じられなかった。かといって裏切るような陰謀を企んでいるわけでもなく、終始一貫して“ライネスク侯爵をソフィニア帝国初代皇帝に”と、そればかりだ。


(今頃あいつ、ソフィニアでなにしてるんだろう)


 前に出された前菜の皿をフォークで突っつきつつ、ユーリィはそんなことを考えていた。


「ライネスク侯爵は、お花が苦手ですの?」


 話しかけてきたのは、左手にいるフリュなんとかという男の夫人だった。歳は四十前後か。化粧の濃さと体格の良さが特徴という、赤いドレスの女性である。


「え、花……?」


 意識の中に入れてなかった前菜の皿をまじまじと見る。そこには赤と黄色の花弁が盛られていた。


「これは?」

「フォアルという食用花ですよ。ほんのり甘くて美味しいですわ」


 恐る恐る黄色の花弁を一枚、フォークに刺して口にしてみると確かに甘い。美味しいとは言いがたかったが、不味くもなった。


「子猫ちゃんが食べると、なかなか絵になるね」


 反対側にいるリカルドが戯けて言う。相変わらずの“子猫ちゃん”にイラッとした。


「お前、これもセシャールに輸出しているだろ?」


 その苛つきを込めてリカルドに囁くと、彼は鼻白んだ顔で肩をすくめた。


「生花じゃなくて、花茶用に乾燥させてね。もともとセシャール北部原産なんだ」

「ルクル茶のことか?」

「セシャールではそう呼んでいるみたいだね。もしかしてグラハンスさんに聞いた?」

「そんな話はしたことない。図鑑に載っていたのを覚えていただけ」

「そういえば、彼はどうしたんだい? いつも一緒にいるものだと思っていたけど」


 窓を見ないようにして、ユーリィは「ソフィニアにいるよ」と返事をした。

 幸いなことに、屋根にいる魔物の光る双眸をだれも気づいてはいないようだ。テーブルにつく者たちの注目は、すべて自分にある。ちらちらと観察されている視線には、それなりに痛みを感じていた。

 だれもがこの宴の意味を理解しているだろう、金の天子のために開かれたのだと。

 と同時に疑問にも感じているだろう、なぜ金の天子がここにいるのかということを。

 宴が始まった直後の、ホストの挨拶は、「ライネスク侯爵と、メチャレフ伯爵嫡男のアシュト氏を晩餐会にお招きをした」と、ただそれだけ。不親切もいいところだ。


(リカルドの奴、さっきの件で仕返しをしているつもりなのかな?)


 しれっとした顔で肉を口に入れているフォーエンベルガー伯爵の顔を見る。正面にいる白髪の男が何度か話しかけたようだが、曖昧な返事をするばかりだった。

 ホスト役がこうだから、ユーリィがいるテーブルの列は、葬儀のあとの宴のような雰囲気になっていた。隣の夫人もユーリィに話しかけることを諦めてしまったようで、反対側の男とコソコソと会話を交わしている。きっと気の利いた返事ができなかったせいだろう。こんな席には慣れていないんだと言い訳をして、ユーリィは肉の横に添えられている芋を口にした。

 こちら側とは違い、もう一方のテーブルはずいぶん楽しげだった。ゲストであるアシュトが、周囲にいる者たちへ気さくに話しかけているせいだろう。聞こえてくる談笑の声は、羨ましさを通り越して、妬ましさまで覚えるほど。だからと言って、隣にいる女に自分から話しかける気にはならなかった。


(こんなことなら、さっさと城を出れば良かったな)


 肉の端を切り取って、さらにそれを四等分に分け、それぞれを等間隔で置いてみる。あまり行儀が良いとは言えない現実逃避だ。それに気づいて、ユーリィは仕方なく破片の三つを口に運ぶ。かなり上質な肉だ。ただし牛ではない。なんだろうと思っていると、リカルドが「ウサギだよ」と教えてくれた。

 そんなこんなでやっと宴は終わりに近づいて、給仕係たちが食後の果実酒を運んできた。当然のごとく主賓であるユーリィの前へ置こうとする。慌てて断ろうとした寸前、隣の女から「うちの果樹園のものですの」と和やかに説明された。

 断るタイミングを完全に外した。追い打ちをかけるかのように、リカルドの前に座る白髪の男が、「どうぞ、お先に」とグラスを片手に待ち構える。酒は身分の高い者から先にというしきたりどおりだ。しかも一同の視線がすべて自分に集まっている。困り果て、助けを求めてリカルドを見ると、飄々とした表情で自分のグラスにある薄紫の液体を、テーブルランプに透かして眺めていた。


(くそっ、リカルドの奴、絶対にわざとだ)


 こうなったら自棄だと一気に飲み干そうと思ったユーリィだったが、さすがに死ぬかもしれないので、唇を濡らす程度に留めておいた。

 主賓が飲むと、冷めかけた雰囲気が少し良くなる。というよりも酒が入ったせいで口が滑らかになっただけかもしれない。少なくても、斜向かいの男はそうだった。


「今日の料理は、ライネスク侯爵のお口には合わなかったようですな?」


 ずっと言いたかったのだろう。笑みは浮かべているが、顔にそう書いてある気がした。


「もともと食が細いだけなので」

「今日の酒はフリューゲさんのところで一番の出来ですよ。つまりフォーエンベルガー領で一番という意味ですが」

「あの年は気候に恵まれましたから」


 ユーリィより先に、隣の夫人が反応した。


「それともやはり、お口には合いませんでした?」

「酒に弱いだけだ」

「それはしかたがないですなぁ。侯爵はとても幼く見えますから。私の孫は今年で十二になりますが、初めは同い年ぐらいかと思いましたよ」

「エルフの血が入っているからね」


 こいつ、喧嘩を売ってるのか?

 そう思って見返す。やはり男の目は笑っていなかった。


「エルフがよく食している、なんでしたかな、ミルーガ?」

「ミルール?」

「ああ、そうです。ミル芋を粉にして焼いたものでしたな。あれなどをお出しすれば良かったのかもしれませんね」

「ミルールは数回しか食べたことはないよ」


 イライラすると言うほどでもない、慣れているから。ただほんの少し脳天がクラクラとするだけだ。


(なんだっけ、この男の名前、スタ……スタ……)

「スタキース、もうそれくらいにしておけ」


 言ったのは、それまで素知らぬ顔をしていたリカルドだ。ようやく嫌がらせに終止符を打ってくれる。そう期待したのだが……。


「侯爵がエルフとはお暮らしになったことがないことぐらいは、お前も知っているだろう?」


 そこかよ!

 いや、そこでもいいんだけど。でももっと違う方向に話を逸らせたこともできただろうにと、ユーリィは持っていた酒のグラスに口を付けた。むろん唇を濡らしただけだ。


「ああ、そうでした。これは失礼。フォーエンベルガー家はイワノフの方々とは距離を置いていましたから、イワノフの事情には疎いのですよ」

「イワノフどころかギルドからも距離を置いてたしね」


 あろうことか、リカルドが嫌な方向に話を引き戻す。

 リカルドは先ほどの逆襲をするつもりなのだとユーリィはふと思った。

 しかし、そう易々とやられてなるものか。今度は一口だけ酒を飲み下し、彼の攻撃を待ち構える。


「ギルドと言えば、ライネスク侯爵はフォーエンベルガー家の治外法権をお認めくださるらしいよ、スタキース」

「治外法権……?」


 白髪の顔色がサッと変わった。その隣にいる細身の若い女性も、その気配を感じてか、モゾモゾと居心地悪そうに体を動かした。


「治外法権とはまた、ずいぶんと不思議なことをおっしゃる。我らフォーエンベルガーは、革命以来一度も、ギルドに従うとは申してませんぞ?」

「あの革命では、フォーエンベルガーの私軍がずいぶん活躍したはずだけど?」

「それは王族たちの悪政を正すためにしたこと」

「つまりギルド政治には元々反対だったと言いたいのか?」

「ええ、そうですね」


 フォーエンベルガーの代表のように語る男に、当主であるリカルドは全く意に介した素振りはない。それどころか給仕に合図を送り、酒をもう一杯頼んでいる始末だ。唯一の味方アシュト・エジルバークは遠くで楽しげに語っている。もっとも居たところで役に立つとは思えなかったが。

 完全に孤立無援だ。

 ユーリィは景気づけにさらに一口酒を飲み下した。


「ですから治外法権など必要はありません。我々は我々のやり方を貫く、それだけです」

「けれど、ソフィニアが帝国となった場合はそうも言っていられないだろう?」

「すると、建国の噂はまことでありましたか? そして玉座に自らがお座りになると?」

「だれが座るかではなく、国としての統制を崩す者がいることが問題なんだよ。だから今のうちに治外法権という形でその権利を認めようと言っているだけだ」

「貴方に認められる必要などありませんな、ライネスク侯爵!」


 男の声は食堂中に響き渡るほど大きくなっていた。そのせいで、同じテーブルにいる者たちだけではなく、楽しげだったアシュト側でさえ静まりかえっている。この下賤なる者がなんと答えるか、全員が固唾を飲んで見守っているといった様子であった。


「言葉が足りないぞ、スタキース……だっけ? イワノフ家の、しかもエルフとの混血の賤しいお前に、と付けるべきだ」

「それは……」

「見下されることは慣れている、気にすることはない。だが僕を見下したいがために、道を違えるなよ」


 以前なら自分自身ですら(さげす)んでいたことも、開き直ってしまえばどうということもない。たった一人、この命が尊いと思ってくれる者がいるだけで、生きている意味があると今は分かっていた。


「で、ではもう一つ申し上げよう。イワノフ公爵がリカルド様の父上であるアーゼイム様を毒殺された件です」

「アーゼイム氏の実弟である、プロムベルグ子爵が謀ったと聞いたけど?」

「証拠はありません」

「イワノフ公爵の仕業だという証拠もない」

「少なくても、先代のフォーエンベルガー伯爵はイワノフをずっと恨んでおられた。伯爵が息子の死をどれほど嘆き苦しんでいらっしゃったかご存じあるまい?」

「知っているよ、うちの城に怒鳴り込んできたから」

「ならば、リカルド様のお気持ちも、我らのお気持ちもお分かりになるでしょう」

「そうなのか、リカルド?」


 右隣の男を覗き込むと、彼は視線を外しながら「ああ」とか「いや」とか、そんな曖昧な呟きで誤魔化そうとした。

 そろそろこのリカルド脚本の茶番劇を終わらせるべきときが来たようだと、ユーリィは思った。ちょうど良い具合に眠気も襲ってきている。この冷えた空気に耐えきれず、うつむいているご婦人たちのためにも、自分が幕を下ろそう。拍手喝采をもらえそうもないが、致し方ない。


「なるほど……そういうことか……」


 絞り出すような声でいうと、ユーリィはおもむろに立ち上がった。

 体がふらつき、テーブルにあったグラスや皿をなぎ倒す。片手では支えきれないほど、意識は朦朧としていた。


「ユーリィ!?」

「いかがなされた!?」


 リカルドとスタキースが驚きの声を上げる。効果音としてはちょうど良い。焦点の定まらない目で辺りを見回すと、緊迫した空気がそこにはあった。


「こんな宴をわざわざ開かなくても……僕を始末する方法など……いくらでもあるのに」

「な、なにを言っている?」

「父親の復讐に……毒を……盛ったんだろ?」

「ば、馬鹿なことを……」

「触るな!!」


 差し伸べてきたリカルドの手を激しく振り払う。その反動で崩れ落ちそうになった体を、ユーリィはテーブルについた手で必死に支えた。


「いいだろう、この宴を僕の葬式に……したければ……すればいい。だけど……僕もただでは死なないよ」


 両手をついたまま、正面の大きな窓を見た。

 双眸はすぐそばで光っている。だから決して孤立無援なのではないのだ。

“来い!”

 心で命令を下す。すると次の瞬間__

 窓ガラスの割れる破壊音が食堂内に響き渡った。

 現れ来たブルーグレーの狼魔に、女たちが悲鳴を上げる。だれもが我先にと室内から逃げようとした。けれどユーリィは許さなかった。


「ここから出た者は、真っ先にこの魔物に食い殺させるぞ!!」


 扉に取りついた者たちの動きが止まる。それ以外の食堂にいた者たちも、ほぼ全員が壁際まで逃げていた。残っているのはアシュトただひとり。ただし逃げ遅れたという雰囲気はなくもない。リカルドの母親と妹は抱き合い、震え上がっているようだ。それを見て、多少の罪悪感を覚えつつも、ユーリィはもう少し茶番を続けることにした。


「僕が死んだら……フォーエンベルガーの地は焦土にさせる……必ずそうさせる」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、ユーリィ! 毒殺なんて、そんなことはありえない!」


 従者たちに守られて壁際まで逃げていたリカルドが、大声で訴える。強気な態度のわりには、相変わらず臆病風を吹かせる男だった。


「では……僕が嘘をついていると……?」


 もう立っていることも適わず、そばまで来たフェンリルの体に取りついた。夜風に体毛が冷えている。海の香りが鼻をくすぐって心地良かった。


「いや、そういうことじゃなくて……」

「なら、僕が死なないことを……祈るんだな、リカルド。僕が助かれば……フォーエンベルガーにも……生き残る道はある。だが僕が死ねば……この地はもう終わりだ。その前に……セシャールの属国になるか……?」


 意識は飛びかけている。このあとどうなるかなど、知ったことではないと正直思った。

 思ったが、震え上がった少女の顔を思い出し、少々やり過ぎたかなと反省もした。


「ユーリィ、頼む。その魔物を放してくれ。君のことは絶対に助ける。約束する」

「死ぬなら……ベッドの上がいい……」

「俺が運ぶ」

「いや……男はダメだ……、だれか女性に……」


 かすんだ視界で見渡すと、赤いドレスがぼんやり見えた。力なくその方向へと指を向ける。“ヒィ”という悲鳴と「フリューゲ夫人、お願いします」と言うリカルドの声がした。


「フェンリル、ヴォルフ、大丈夫……酔っ払っているだけだから……。でも明日の昼までに僕が城から出なかったら……お前の好きなように……ベルベ島だけは手を出すな」


 狼魔に耳打ちをした後半は、ろれつも回らなかった。

 目が覚めた時、いったいどうなっているのか楽しみである。

 酔っ払うというのは案外面白いなと思いつつ、ユーリィは意識を手放した。



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