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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第63話 火の精獣

 時間はいつだって、心をえぐるような出来事を用意している。同じところを刺してくることもあれば、新しい場所を切り裂くこともある。そうやって傷が増えていくと、自分がどこにいるのか忘れそうになって、それを思い出すために探し求めるのだ。

 畑の向こう側でフェンリルは身を伏せ、前肢に顔を乗せ、ジッと見ている。

 ただ静かに、息をひそめて。

 あの中にヴォルフがいる。

 そう思うと居ても立っても居られず、ユーリィは腰掛けていたベンチから立ち上がり、彼の元へと歩み始めた。


「どこへいらっしゃるのです?」


 なにも知らないアシュトが暢気な声で尋ねてきた。


「ん、ちょっと。アシュトは中で休んでていいよ」


 振り返らずに答え、ジュゼの耕していた場所を避けて、ひたすらにヴォルフを求める。

 狼魔の近くまで到達した時、背後で扉の閉まる音がして、アシュトが素直に中に入ったのだと耳で知った。

 フェンリルはおもむろに顔を上げた。左の茶色い瞳はヴォルフのものだ。その左目に手を伸ばし、藍鼠色の毛に覆われた瞼を指先でなぞった。


「慰めの言葉なんていらないよ、ヴォルフ。だって僕はそんなに辛いわけじゃない。あいつが、アシュトが“結果を予想して行動するのは難しい“って、お前と同じことを言った時、“そうだな”って納得しちゃったんだから」


 昔よりも傷が塞がるのが速くなっていて、それを成長と呼ぶのならそうなのかもしれないけれど、自分がどんどん変わっていくのが少し恐い。

 もしも彼が戻ってきた時に、自分ではない自分だったら?

 それでも同じ気持ちでいてくれるのだろうか?


「誕生日も終わっちゃったんだぞ? 十七になったんだからな、わかってんのか?」


 分かっているとでも言うように、フェンリルは鼻先で胸元をまさぐった。

 ゾクゾクとするものを背中に感じてしまう。久しぶりに彼が欲しいと強く思った。

 左目の他にヴォルフがいないかと、指が、目が、耳が、鼻が欲しがっている。

 だから歯で毛を食み、舌で確かめると、知っているヴォルフの汗とは違って、草と土の味がした。


『魔物は喰っても美味くないぞ?』

「うわぁぁぁ!!」


 今回は完全に油断していた。

 驚きすぎてその場に尻餅をつき、声のした方を見上げる。少し離れた上空にリュットのフクロウが、わさわさと翼を動かし滞空していた。


「お前、また……い、いつからそこにいる!?」

『ずいぶん前、そなたがゲオニクスに抱きついた頃じゃな』

「抱きついてないだろ。てか、ジュゼとブルーは? まだあの蜥蜴は操れないの?」

『いや……』


 珍しく言い淀んだリュットは、フェンリルの背中に降りる。二度三度翼を動かし、首を回し、会話の続けることにためらいを見せた。

 そんな精霊から目を離さずに、ユーリィは立ち上がって、尻についた土を払った。


「“いや”なんだよ? ふたりは?」

『男はまだ上だが、女はすぐそこで待機しておる』

「待機? なんで?」

『ああ、まあな……』


 どうも煮え切らない態度だ。


「はっきり言えよ。ブルーになんかあったのか?」

『そうではなく。つまりワシが間違えたのじゃ』

「間違い?」

『あれは火蜥蜴ではなかったのでな』

「え? どういうこと?」


 それからリュットは諦めたように、淡々と語り始めた。

 火蜥蜴と言っていたモノは、実は火竜の子供だったのだそうだ。ユーリィが山を下りた直後それがはっきり判明したのだという。だからブルーが使い魔にするのは初めから無理だったらしい。それに気づかなかった自分に一番非があるのだと精霊は申し訳なさそうに言った。


「無理ってなんで? でもブルーはちゃんと契約の魔法を使ってたよ? っていうか、まだ噴火の危機は免れてないってこと?」

『そう一時に尋ねるな。つまりだな、竜は精獣と呼ばれるモノじゃ。エルフが使うあの魔法は魔物にしか効かぬ』

「なら失敗?」

『いや、契約魔法を使えたのは確かじゃよ。ただし相手は火竜ではなく、別のモノじゃ』


 別のモノと聞いて、あの場になにかいただろうかとユーリィは記憶をたぐり寄せた。

 白い煙を吐く火口、身動きが出来なくなっていた赤い魔物、そのそばにいたブルー。ジュゼの姿が見えなかったのは、煙に隠れていたせいだろうか。そういえばワーニングが飛んでくるのも気づかなかった。

 とにかく山頂に上がった瞬間は、魔物とブルーしか見てなくて、他のことは意識すら行かなかった。だから気づかなかったのだろうか。けれど二本の短剣を持つブルーのそばには、少なくてもそれらしい姿は見当たらなかったはず……。


『もう一体は、火竜の中にいたのじゃよ』


 ユーリィの疑問に答えるようにリュットが言った。


「それ、どういう意味!?」

『寄生獣じゃ。寄生獣は他の魔物や精霊に寄生して生きる珍しい魔物でのぉ。あの子竜にはそれが取り憑いておった。火山の底を行ったり来たりしていたのは、それを剥がそうとしていたのじゃろう。ワシが火蜥蜴と思い込んだのも、寄生獣が発していた気配に欺されてしまったからじゃ』

「ちょっと待て。ってことはつまり、ブルーが切り取った魂はその寄生獣のもので、体液もそいつのものだったってこと?」

『そういうことじゃな。火竜が結界を破れたのは、寄生獣が内から剥がれたからだろう』

「ブルーはそいつと一緒にいるの? 火竜も火口に?」

『いや……』


 フクロウの顔が一八〇度動き、鬱蒼とした森の方を向いた。その向こうになにかがいるのだと、無言で伝えているのだとユーリィは悟る。しかし木々の間に見えるも木立だけで、なにかが隠れているようには思えなかった。


『奥の方でワシの仲間が引き留め、エルフの女が見張ってくれている』

「ってことは火口からは離れたのか。でもなんで引き留めてるの?」

『火竜はそなたを追ってきたのじゃよ』

「僕を!?」


 素っ頓狂な声が出た。それぐらいユーリィには予想外の話だったのだ。

 火竜になにか狙われることをしたのだろうか。自分はただ見ていただけで、なにもしなかったというのに。ワーニングも助けることはできなかったというのに。


『以前ワシが言ったことがあろう、そなたの中には特別な光があり、ワシら精霊には心地良い音楽のように感じられるモノだと。あの火竜は寄生獣に怯え、そなたに助けを求めて追ってきただけじゃ』


 竜は卵を生む半獣半精という珍しい生き物だそうだ。その卵は千年の間大地が守り、そしてふ化する。あの竜はふ化したばかりの時に寄生されたのではないかと、リュットは想像を語った。


「で、どうするつもり?」

『ワシが先に来たのは、そなたの様子を見る為じゃ。あの魔物のことで、そなたが凹んでいるのではないかと思ってのぉ。しかし先ほどの様子では大丈夫そうじゃ』


 そう言われて、ユーリィは自分の行動を思い出し、顔が赤くなっていくのを感じていた。

 フェンリルにキスをしてしまうほどヴォルフを求めている心を、たとえ精霊であっても見られてしまったのはかなり恥ずかしかった。


『すぐに火竜まで行くのじゃ。ワシが案内する』

「いいけど、でもフェンリルが……」


 傍らでまだ身を伏せていた狼魔を見る。

 すると、すべてが分かっていたかのように、のっそりとした動きでフェンリルは立ち上がる。“行きなさい”とヴォルフの声が聞こえたような気がした。



 森の中を数分歩いたところで、急に開けた場所に出た。

 その中央にあの赤い竜がいて、離れた場所にはジュゼとデブ鳥の姿があった。すべての目がユーリィに向かった時、精獣がキュルキュルと鳴く。まるで母親に甘える子どものようなそんな声だ。

 一度立ち止まり、どうしようかとフェンリルを一瞥する。しかし狼魔は威嚇の唸りもあげずに、ただ凪いだ瞳で見返すばかり。きっと許してくれたのだとユーリィは理解した。

 ゆっくりとした足取りで竜の方へと歩んでいく。先ほどまで敵だと思っていた相手に近づくのは、さすがのユーリィも戸惑いを感じていた。

 ようやくそばまで来て、その姿を眺める。たしかに竜と言えばその通りで、背中にある翼だと思ったものも、本当に翼だ。ただし飛べるだけの大きさはない。生まれたばかりとリュットが言ったことが本当である証拠だろう。

 竜は首を伸ばし、鼻先でユーリィの方に少し触れ、もう一度キュルキュル鳴いた。


『どうやら落ち着いたようじゃの。これならワシの言うことも聞くじゃろう』

「よっぽど怖かったんだね」


 そう言ってユーリィは竜の顔を撫でてやった。


「ごめんよ、ユーリィ。囮になるという君の提案を最初から飲んでおけば、もっと早くにこれが竜だって気づけたのに」


 申し訳なさそうに言ったのは、背後まで近づいてきたジュゼだった。


「僕にもブルーにもリュットにもアシュトにも、みんなに責任があるんだよ」

「まあ、そうだね」

「ブルーはその寄生獣と一緒に上にいるんだろ? 大丈夫なの?」

「あーうん、大丈夫だって言えば大丈夫だけど……」


 ジュゼの苦笑いを見て、ユーリィは彼になにかあったのかと心配になった。ワーニングを失って落ち込んでいるのは確かだ。そんな彼をひとりで放置して本当に大丈夫なのだろうか?


「なにかあるの?」

「アタシの口からは言えないよ。あとで迎えに行くから、その時に確認してもらえれば分かることだし」

「う、うん……」


 いったいブルーになにがあったのかと、ユーリィは心から心配になった。




 なにがあったのか分かったのは、夕方遅くになった頃だ。ジュゼが連れてきた彼の姿を見て、ユーリィは皮肉さえ思いつかなかった。

 そして翌日の夜、ユーリィ、アシュト、ブルー、そしてジュゼの四人は波止場にいた。すぐ横に着いたばかりの船が停留している。

 しばらくして長い(はしけ)から降りてきたハンターは相変わらずの豪快さで、ユーリィの頭をワシャワシャと撫でた。


『あの竜はしばらくワシが預かるぞ』


 ユーリィの頭に乗っかっているリュットがそう言った。

 そのフクロウを上目遣いに眺めて、


「昨日も聞いたけど、でもなんで僕に聞くの?」

『子竜は人間にも魔物にも狙われやすいのじゃよ。大昔から竜の子は不老長寿の薬だと言われておるし、魔物にとってもなによりのご馳走じゃ。今しばらくすれば、翼も伸び、飛ぶこともできるようになろう。その時、天に飛び立つか、そなたのところに行くのかはわからぬがのぉ』

「僕のところに!? なんで?」

『そなたの光を相当気に入った様子じゃった。もしかするとそなたを主とするかもしれぬ』

「いや、でも僕にはもうフェンリルもガーゴイルもレネもいるし」


 これ以上は自分の手に余ってしまうと言いたかったが、求められれば悪い気はしなかったので、それ以上は続けなかった。


「侯爵、俺も絶対に行きますから、二日後に港で待っててくださいよ」


 切々と訴えるその声に、ユーリィは今まで見ることを避けていたブルーを、怖々と横目で眺めた。

 彼の頭から背中まで張りついている、白色のベトッとした変なモノ。それが寄生獣だ。だが目も口も鼻もあるのかすら分からなく、ただの気持ち悪い液体に見え、それに(まみ)れているブルーが、とてつもなく哀れに見えた。


「言うことを聞くように頑張りますから」

「うん、さすがにそれじゃ船には乗れないしね」

「っていうか、本当に船で行くおつもりですか?」

「だってフェンリルにフォーエンベルガー城に行けって命令して、素直に行くと思うか?」

「確かに……」


 リカルド・フォーエンベルガーのところに行くのは三つの理由があった。まず一つはアシュトの格好だ。彼の服に染み込んだ灰は結局取れず、あの男に服を借りようということになった。二つ目はソフィニアの現状を彼がどう思っているのか知りたかったからだ。三つ目はセシャールの動向を彼から探り出そうと思ったからだ

 それに久しぶりに彼に会うのも悪くない。

 その時、ベトっとしたそれがブルーの首筋まで伸びてきた。

 ウワッとブルーが叫び声を上げる。見ているだけでも気色悪いのが伝わってきた。

 ユーリィたちの周りにはだれも近づいてこない。それもそのはずだ。背後には巨大な狼の魔物がいるし、変なモノを貼り付けているエルフがいるしでは、逃げるように波止場を走るのも致し方がない。村人だって怖くて家の中に閉じこもってしまっているだろう。ただし子どもだけは別で、怖々とした様子で、声の届くところまで眺めに来る。きっと彼らに人気があるハイヤーがいるせいだ。


「おーい、こっちに来いよー。この人たちはオイラの仲間だから大丈夫だぞー」


 そんなふうに禿男が大きな声で呼び寄せても、子どもたちは一歩も足を前に踏み出さなかった。


「くそ、ホントはこいつ、俺に寄生しようとしてるんじゃないだろうなぁ」

「あー、うん、すごく懐かれているって感じがするから、きっと大丈夫だよ」

「大丈夫ってなにが大丈夫なんっすか。いや、言いたいことは分かりますけど! ええ、ええ、懐かれてますとも!」


 やけくそ気味にブルーが叫ぶと、ジュゼとハイヤーが腹を抱えて笑い出した。

 ユーリィは何気なく足下を見た。

 小さなムカデが自分の方へと這ってきている。

 間違えて踏みつぶさないように、ユーリィはだれにも気づかれないようにそっと横に避けてやった。


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