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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第61話 少女は野望を胸に抱く

「男爵、どうなさるおつもりですか?」


 少女はその質問をまた繰り返した。もうこれで三回目になる。問いかけた相手は口をきつく閉ざしたまま、テーブルの上にある羊皮紙と小さなナイフをひたすら睨んでいる。

 決心がつくまでまだかかりそうだが、それは彼ばかりではなかった。同じように十数人と対面したが、即決した者はだれひとりいなかった。


「もう一度申し上げますが、これは強制ではありません」

「他の者は皆、同意したのですか?」

「お話をさせて頂いた方はすべて、署名していただきました」

「そうですか……」


 テーブルの上に乗っているのは、アーリング士爵が用意した誓約書だ。そこには、ユリアーナ・セルゲーニャ・ルイーザ・クリストフ・ライネスク侯爵に生涯忠誠を誓い、ソフィニア皇国が建国された場合、彼が皇帝の座に就くことに一切の異議を申し立てないと書かれていた。

 少女は今、その紙に署名して、血判を押すように迫っていた。迫っている相手はアルデバリ男爵という人物で、ガーゼ宮殿に軟禁されている貴族らのひとりだった。


「ひとつお伺いしてよろしいですかな?」

「なんでしょう、男爵」

「貴女はどのようなお立場にいらっしゃるのでしょうか、エルネスタ嬢」


 薄茶色の口髭に埋もれた唇は微笑みを作っているが、青い瞳には笑みなど微塵もないことをエルナは気づいていた。

 しかしあえて気づかぬふりをして、静かに微笑む。こんな挑発に乗ってはいけないことなど、すでに何人もの大人を相手にしている間に悟っていた。


「私は、ギルドの方と、それからアーリング士爵から頼まれただけですわ。彼らから話をするよりも角が立たないだろうということらしいです。なにしろ血判など、そう簡単に押せませんし、感情的になられて重大な決断を誤られてはいけませんしね」

「私が亡くなられたリマンスキー子爵とは親しくしていたことはご存じですよね?」

「ええ」

「彼はとても温厚で、人徳のある男でした」

「ありがとうございます」

「そのリマンスキー子爵が、イワノフ家の内紛により亡くなられたことを聞いて、私も心を痛めたものです。なのに、そのご息女の貴女がまさかイワノフの、それも庶子であるライネスク侯爵に肩入れなされるとは思いませんでしたな」


 これもまた何度も目にした反応である。庶子の前に“エルフの血が混ざった”という言葉を付けないだけ、この男爵はマシかもしれない。いずれにしても彼らが侯爵の生まれについて話す時は、その瞳には多かれ少なかれ(さげす)みの色が浮かんでいた。


「生前、父はイワノフ家を忌み嫌うような話をしたことはただの一度もありませんでしたわ、男爵。それにライネスク侯爵はお若いながら、とても素晴らしい方です」

「すると、貴女についてのあの噂は本当なのですかな?」

「あら、私はどのような噂をされていますの?」


 それについても、もう聞き飽きるほど耳にしたエルナだったが、もちろん素知らぬふりをした。


「リマンスキー子爵令嬢はライネスク侯爵の花嫁候補らしいと噂されていますよ」

「まあ、そのような噂が……」


 生娘らしい恥じらいを演じ、エルナは下を向いた。

 けれど、演技ではないかもしれないとエルナは心で思っていた。

 ユーリィのことを知れば知るほど、その優しさとその強さに心惹かれるものがある。もしも彼がその気があるのならばと思ったこともあるし、実際本人にも提案した。

 しかし当然の如く、ユーリィには拒絶された。

 彼はあの男以外、受け入れるつもりはないことなど、分かっていたことだった。

 それにエルナ自身も、ユーリィに対する気持ちは恋愛感情とは少し違うような気がしていた。

 以前、身も心も恋い焦がれた男性がいた。彼の為なら両親にも平気で嘘を吐けるほど、燃え上がるような激しい恋だった。

 ユーリィにはそんな感情は一切ない。自分でもよく説明できないけれど、もし喩えるならば、自分の身内か、もしくは一部であるかのような想いだ。


(私たち、似すぎているせいなのかもしれない)


 もし彼に無く、自分に有るものがあるとするならば、それは野心だ。

 自分の思うとおりに生きてみたい。だれかの力を借りるのではなく、自分の力で生きていきたい。女であるという言い訳も諦めも、絶対に欲しくはなかった。


「ところで、まだお考えになりますか、男爵?」

「正直、悩んでいます」

「あの方に(あらが)っても、良い未来はないと思いますわ。この世界は人間の支配で維持できなくなっていることは、先の戦いでお感じになりませんでしたか? その点、侯爵はエルフの血を引き、魔物や精霊すら付き従う、まさに天子とお呼びするに値する方です。ソフィニアの平和を守るのは、あの方以外にどなたがいらっしゃいますでしょう?」




 しばらくして、男爵は血に染まったハンカチを指に巻き、不承不承の態で部屋から出ていった。

 フッと息を吐き、エルナはソファの背に寄りかかる。

 百近くもの部屋があるガーゼ宮殿において、この狭い応接室が自分に宛がわれた唯一の城だ。命令を下せるのは、領地から連れてきた従者と侍女の四人だけ。

 いずれこの宮殿に働くすべての者を意のままに動かしたい。そうなった時の私は……。

 そんな憧れに想いを馳せて、数分も経たないうちに扉をノックする音が聞こえてきた。

 部屋の片隅に控える侍女を見やると、エルナの視線に従って、彼女は扉の前に立ち、どなたかと相手に尋ねた。


「オーラインです」


 振り返った侍女の尋ねるような視線に、エルナは小さく頷いた。

 開かれた扉から入ってきたのは、薄茶色の髪と空色の瞳をした男だ。彼の母親はユーリィの継母とは従姉妹で、さらにオーライン家とも繋がりがあり、その縁で最近、伯爵家を継いだらしい。

 伯爵は室内に入ってくると、貴族らしく慇懃に挨拶をした。

 彼がただご機嫌伺いや、世間話をしにきたのではないことは明確だ。なぜなら、爽やかな空色の瞳はチラチラと机の上にある羊皮紙に動いていた。


「どうぞ、おかけになってください、伯爵」


 立ち上がって出迎えていたエルナはそう促すと、先に腰を下ろして、オーラインが座るのを待っていた。

 テーブルの上には誓約書が広げたままである。しかしエルナはそれをあえて隠そうとはしなかった。案の定、伯爵はそれを見る。しかも遠慮なしだった。


「これは例の誓約書ですか」

「例の……?」

「宮殿にいる方々には貴女に頼んだのですね、アーリング士爵は。今頃、彼の部下も血判状を集めようと躍起になっていることでしょう」

「そうなんですか」


 さすがにエルナもそこまでは知らなかった。思っていた以上に、事は大きく動いている。建国の日もそう遠くではないかもしれない。

 けれど……。


「どうしました? 浮かない顔をされてますね?」

「そうですか?」

「貴女が侯爵を信頼なされていることは存じていますよ。そしてなにか野心もおありなのでしょう、違いますか?」


 空色の瞳がきらりと光る。

 爽やかな風体とは違い、抜け目のない男だとエルナは思った。


「さあ、どうでしょう」

「責めているわけではありませんよ、エルネスタさん。なぜ貴女がそのような顔をされているのか気になっただけです。互いの思惑はともかく、侯爵を中心にすべてが同じ方向へと進もうとして、今もこうして血判状を手に入れたばかりだというのに」

「だからこそなのです」


 言うべき相手か迷ったが、エルナは意を決し、心の内を素直に語ることにした。


「侯爵はあらゆることに、二の足を踏んでいるとお思いになりませんか?」

「ええ、思います」


 意外にもオーライン伯爵は即答だった。


「伯爵もそう思われていたのですね」

「彼は前々から、先に進むことを嫌がる傾向があるのは知っていますから」

「少し考えたのですが、彼は自分の足で歩まないと納得しないのではないでしょうか?」

「と言うと?」

「私たちがお膳立てをすればするほど、彼は気力を失うような気がします。侯爵は自分の力で戦うのが好きなのですよ。だからこそ悲惨な生い立ちからも逃げず、あの戦いでも勇敢に立ち向かいました。きっと強い心と高いプライドを秘めているからでしょう。ですが逆を返せば、だれかの手で敷かれた絨毯の上を歩くことが嫌なのではと……」


 それはずっと分かっていた。出会った時から、戦いの最中に再会した時から、そしてこの宮殿でふたたび会ってからも。

 ユーリィを利用して、自らの野心を成就したいと思っている。

 反面、それでは彼が納得しないこともちゃんと分かっていて迷いがあった。

 似ているからこそ、彼の気持ちが手に取るように分かる。

 彼は茨の道を歩んでこそ、光り輝く王者なんだと……。


「では、どうすれば良いとお考えですか?」


 不思議なことにオーライン伯爵は、優しい笑顔を浮かべてそう問うてきた。先ほどのような鋭い光は瞳にはない。演技だとしても、その穏やかな表情は、エルナの心を少しだけ落ち着かせてくれた。


「私は分かりません」

「きっとだれにも分からないことですよ、侯爵自身がなにかを見つけない限りは」


 今、ユーリィはどこでなにをしているのだろう?

 エルナは窓へと顔を向けると、暮れていく夕日を眺め、まだ幼さの残る少年に想いを馳せた。


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