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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第60話 最期の忠誠

 酷い悪臭がしていた。なにかが腐ったような匂いだ。

 フェンリルは煙の中に入らないように風上へ迂回をして、火山の頂へと徐々に近づいていく。山頂付近は灰色の土に覆われて、まるで泥水をかけられたような有様。ところどころ転がっている大岩は、噴火によるものだろうか。

 けれど、ひとまず一回の噴火で山は落ち着いたらしく、火口から上る煙もさほど黒くない。火山灰が混じった噴煙は風に運ばれ、島の北側へと移動していた。今頃は森や村には灰色の泥が降っていることだろう。

 フェンリルは何度か旋回を繰り返し、火口よりかなり離れた山の斜面へとゆっくり降下していった。


「あれは、ブルーだよね?」


 大岩の横で動く者を認め、ユーリィはフェンリルに尋ねてみた。むろん返事など期待していないので独り言だ。向こうもこちらに気づいたようで、大きく手を振っている。確信が持てなかったのは、全身灰色に染まっていたからだ。遠目からは岩の破片が動いているようにしか見えなかった。

 やがてフェンリルが地表へと降り立った。空気は思ったほど熱くはない。ジュゼが言ったとおり、爆発は小規模なものだったのだろう。ただし匂いは上空よりさらに酷い。鼻と口を片手で覆って悪臭を防ぎながら、ユーリィは灰色の物体がのろのろと近づいてくるまで眺めていた。


「念のために確認するけど、ブルーだよな?」

「はいはい、分かってますよ、ヒドイ姿だって」

「ワーニングが岩にぶつかったって聞いたけど」


 ブルーは背後にある岩を指さして、


「あの向こうにいます」

「酷いの?」

「胴の後ろを少し潰されてます。ちょうど噴火した瞬間、火口のそばにいて、飛んでくる岩がぶつからないようにかわしてはいたんですが、落ちてきたあれにやられました」

「そう……」


 主人を守ろうと必死だったワーニングのことを思うと、ユーリィは心が少し痛くなった。 たぶんフェンリルと重ねてしまうからだろう。


(虫が嫌いなんて言って悪かったな)


 とはいえ、潰れた虫はやっぱり見たいとは思わなかった。


「飛べないって聞いたから助けに来たんだ。でもフェンリルにワーニングが運べるかは、ちょっと微妙かも……」

「なんとか飛べると思います。ただし俺を乗せられるかは分からないですけど」

「ブルーが使い魔をもう一体作ろうとしているって、ジュゼが言ってたけど本当か?」

「ええ、まあ。倒したり追い払ったりすると戦うことになるし、だったら結界張って、捕まえた方がいいかもしれないって思って。それで、できそうな相手なのか見に来たんですが、まさかの噴火ですよ」


 言いながら、ブルーは顔に張り付いている灰を落とそうと試みている。しかし手にも付いているのであまり意味がなかった。


「で、その姉貴は?」

「さあ、分かんない、僕は先に来ちゃったから。でもあのデブ鳥じゃ、ここに来るの大変だと思うんだけど」


 それは黄色くて丸い玉に、くちばしと羽根と足が生えているような鳥だ。しかも飛んでいる姿は、羽ばたくというより落ちないように必死に藻掻いているようにしか見えない。あんなのが来て、もしもまた噴火でもしたら……。ジュゼもそれぐらい分かっているだろうとユーリィは思っていた。


「敵はどこ?」

「最後に見た時は、火口の向こう側にいましたね」

「リュットから火蜥蜴(とかげ)だって聞いた」

「そうみたいです」

「飛べない奴が、どうやってこの島に来たんだろう」

「リュット様の話によれば、火蜥蜴は臆病な性格なんだそうです。だからあの戦いで大量に現れた魔物に驚いて、地底の奥深くに逃げ、火山の穴から出てきたんだろうって言ってました」


 凶悪な奴じゃないのかと少し肩すかしを食らった気分で、ユーリィは灰色の斜面に目をやって、火口から上る白い煙をしばし眺めた。


「フェンリルだけでなんとかなりそうな相手だね」

「いや、その、使い魔に……」

「だけどあの鳥でジュゼをここまで来るのは無理だよ。今は大人しくフェンリルで下に降りて……」

「あ、来ました!」


 灰に染まった指先がユーリィの後方を示す。振り返ると、今にも落ちそうな様子で必死に羽ばたいている黄色い鳥が、こちらに向かって飛んできていた。




「いいかい、始めるよ。チャンスは一度きりだからね」


 ジュゼの言葉にブルーは大きく頷いた。しかしもうひとりは先ほどから目が虚ろ。明らかに始めたくないという態度である。

 場所は最初に降りた場所よりも山頂に近い場所だ。火口から上がる白い煙のむこうに、敵がいるらしい。


「やっぱさ、僕が行った方がよくない?」


 煙のせいで見えない敵を眺めるようにして、ユーリィはフェンリルの上でそう言った。


「ダメだよ、ユーリィは。さっきも言ったけど、君が囮になれば間違いなくフェンリルが出ていくだろ? 火蜥蜴は人間以外には臆病だからね。すぐに火口の中に逃げ込んでしまうよ」

「だけどさ……」


 ジュゼの作戦はこうだ。アシュトが歩いて近づき火蜥蜴の気を引きつけ、その隙にジュゼが後方から結界を張って中に閉じ込める。身動きができなくなったところで、ブルーが“契約魔法”を使う。

 なかなか面白そうだし、だからこそ自分が蚊帳の外にいることがユーリィは気に入らなかった。


「もしもなにかあった時のために、ユーリィとフェンリルは待機してて」


“なにかあった時”という言葉に、アシュトの肩がぴくりと震えた。


「え、えっと、もう一度確認させていただきますが、結界が張られたら、私はお役御免なのですよね?」

「ええ、そうです」

「ですが、どうやったら結界が張られたことが確認できるのでしょう?」

「ブルーが契約魔法を使い始めたら、完了した合図ですよ」

「それはどんな魔法ですか?」


 それについてはユーリィが説明した。自分もちゃんと覚えていることをアピールして、なにかやることを見つけてくれるかもしれないという子供じみた発想によるものだが。


「魔物の魂を切り取って、魔物の血液と自分の血液を混ぜたものを飲んで、“契約の名”を付けるんだ。そうだよね、ジュゼ?」

「だいたいそんな感じ」


 しかしせっかくの思惑もジュゼには軽く流されてしまった。


「“契約の剣”は持ってるね、ブルー?」

「もちろん」

「じゃ、行ってください、アシュトさん」

「あの煙は本当に大丈夫なんでしょうか? やっぱりやめた方が……」

『あれはただの湯気じゃよ』


 フェンリルの頭にいるフクロウに、“余計なことを”といった視線を投げかけてから、アシュトは軽くため息を吐いて、のそのそと歩き始めた。


 火口の縁は人がふたりほど通れる広さがある。けれど平らというわけでもなく、あちこちに岩が転がっているからかなり歩きにくそうである。

 ユーリィは火口から少し下がった斜面を、アシュトに合わせてフェンリルを歩かせ、なにかあった場合に備えて待機した。

 ジュゼとブルーはデブ鳥に乗って、反対側へと飛んでいく。ふたりも乗せた鳥の様子は、見ているだけでも痛々しかった。

 煙は火口の中心から、風上である向こう側へ少し流れている。けれどいつ風向きが変わるか分からないし、生身の人間がこの場所に長期間いていい気がしない。なのにアシュトの歩みはまるで牛歩の如く。


「って、走れよ」

『そう焦りなさんな』

「でもさ、あのデブ鳥だって、きっといつまでもふたり乗せて飛べないし」

『捕まえるというのは、悪い案ではないと思うぞ』


 精霊の意見として意外な気がして、ユーリィは遠目に見えるアシュトから、近くのフクロウへと視線を移した。


「なんで?」

『あの魔物は臆病だと言ったろう? もしも強引に近づいて倒そうとしても、火口の中へと入ってしまうだろう』

「火口の中ってどうなってるの?」

『熱い湯の沸き立つ湖がある。その湖の下には、鉄をも溶かすほど高温のドロドロとした物が流れておる。あの火蜥蜴はその間を行ったり来たりして湖の底にあちこち穴が開け、これ以上増やせば、大噴火が起きてもおかしくないのじゃ』


 そうして語っている間に、アシュトはノロノロとした歩みながらも、山頂の五分の一ほど周り、ふとその足を止めた。視線は前方。きっと魔物がその先にいるのだろう。表情が見る間に強ばっていくのが、離れていてもはっきり分かった。


「いるのかな?」


 ユーリィは腰を浮かせ首を伸ばし、アシュトの向こうにいるだろう相手を見ようとしたが、むろん見えるはずがない。あまりに気になって、今すぐフェンリルでそばまで行かせたくてウズウズが止まらなかった。


「ったく、なんだよ、もう……」


 自分だったらアシュトよりずっと上手くやれるのに。フェンリルには来るなと命令すればいい。魔物の注意を引くなど、ドキドキしてワクワクする経験は滅多にないことだ。


『ふぉふぉふぉふぉ』

「なんだよ、その笑いは」

『そなたが冠を被り、大人しく玉座に座っている姿など、想像できぬのぉ』

「僕は王になんて……あれ!?」


 アシュトは少し後退りを始めたかと思うと、すぐに回れ右をして今来た場所を一目散に逃げ始めた。


「なんかあったみたいだ。助けに行くべきだよな?」

『まあ、待て。今少し様子を見るのじゃ』


 アシュトまではそれほど距離はない。人間の背にして五人分ぐらいだろう。だからフェンリルに命令すれば、程なく彼をあの灰地獄から救出できるはずだ。


「もしかして失敗したのかも? やっぱさ、僕が行った方が……」

『そう焦るのではない。まだ殺気は感じられぬから、大丈夫じゃよ』

「別に焦っているわけじゃないから」


 僕も何かしたいだけだ。

 自分にできることがないのがつまんないだけだ。


『ほれ、ふくれっ面をするのでない』


 いつの間にか気持ちが表情に出てしまっていて、唇を尖らせていた。慌てて真顔に戻し、「してないし」と呟くと、フクロウはまたあの変な声で小さく笑った。

 そうしている間にも、アシュトは真上からやや後方へと移動していた。ユーリィがすぐ近くにいることすら気付いていない。しかし道とも呼べない場所だから、何度も転び、手も服も灰色に染め、藻掻き歩んでいるだけだ。それでも敵が追って来ないということは、つまり作戦は成功しつつあるということかもしれない。


(ちぇっ……つまんないの……)


 むろん噴火なんて大惨事になって欲しいと思ってないし、ブルーたちが危険の去らされて欲しいわけでもない。ほんのちょっとだけでも、自分が活躍できる場面が欲しいだけ。メチャレフの城下町でも、自分はただ逃げていただけで、ラシアールとフェンリルがほぼ解決してしまったようなものだ。

 それがどうにも気に食わなかった。


 その時、ユーリィの気持ちに応えたわけではないだろうが、少し大きな岩を乗り越えようとしていたアシュトが足を滑らせた。

 ごろごろと大の大人が灰色の斜面を転がる姿は少々滑稽だが、見物してはいられない。


「助けに行くぞ、フェンリル」


 ユーリィの命令に従い、フェンリルは即座に体を反転させた。リュットが宙に舞い上がる。それと同時に、狼魔は走るように飛ぶようにして駆け始めた。

 風が唸る。

 やっとワクワクとした気分になれる。

 そう思ったのだが……。

 アシュトが縦と横と斜めにそれぞれ三回転ずつした頃、フェンリルは彼の真下に到達した。その横腹にぶつかるようにして男は止まり、あっけなく終点は来てしまった。


「うぐ……あぐ……ぐぅ……」


 アシュトの口から漏れたのは、うめき声なのか悲鳴なのか断末魔なのか。


「大丈夫か?」


 全身灰まみれになった男に手を差し伸べる勇気が持てぬまま、ユーリィがフェンリルの上から声をかけると、横倒しのまま彼は「なんとか……」と理解できる言葉で返事をした。


「どこかぶつけてない?」

「全身に痛みは感じますが、奇跡的に死ぬほどではないようです」


 見上げた斜面には、大小さまざまな岩がある。その中を転がって無事でいるのは、確かに奇跡に近かった。


「運が良いな」

「昔から強運には自信があります」

「どんな自信……」


 その時__

 火口の方から、鋭い雄叫びが聞こえてきた。

 今まで聞いたことがない声ではあるが、それが火蜥蜴のものであろうことを、ユーリィは一瞬で理解した。


「行くぞ、フェンリル!」

『今はダメじゃ』

「もう待てない!」


 その時はまさか自分の行動が、取り返しのつかないことになるとはユーリィも思ってもいなかった。

 フェンリルが急上昇をして、山頂からさらに上まで行くと徐々に様子が見えてきた。

 まず目に飛び込んできたのは、赤茶色の魔物だ。火蜥蜴という名前のとおり、確かにその姿はトカゲに似て、胴体の横から四肢が付いている。しかしトカゲと違うのは、前肢がかなり長いことと、頭に長い角があること。それと顔はどちらかというと竜のように尖っていた。背中に小さな突起がいくつかある。その中の二つは、見ようによっては羽根のような感じがした。


「なんか、思ったより小さいな」


 たぶんフェンリルよりも小さいだろう。尻尾はトカゲらしく太くて長い。尻尾の先にブルーが仁王立ちになっていた。

 よく見ると、両手に一本ずつ短剣を持っている。たぶん片方が“契約の剣”で、もう片方が普通の剣だろう。“契約の剣”は相手を傷つけることができない特殊の剣だ。だから火蜥蜴の体液を抜き取るために、もうひとつ必要だったのだと想像した。その証拠に、ブルーの口元はほんのり赤く染まっている。足下に落ちているのは皮製の水筒だろう。


「ちぇ、もう終わりじゃん」


 あとはブルーが“契約の名”を火蜥蜴に付けるだけ。そうすればあの魔物はブルーの使い魔となるはずだ。


 しかし__


 それまで大人しかった火蜥蜴が、突如身もだえるように動き出した。まだ結界が効いているせいか、大暴れとまでいかないまでも、尻尾の先は小刻みに動く。

 それはフェンリルの姿を見たせいだったと、ユーリィはのちに知った。

 尻尾は何度か震えるように動いた時、どこからともなくジュゼの大声が聞こえてきた。


「ダメ! 解ける!」


 その瞬間、尻尾が大きくうねった。

 ブルーがはじき飛ばされる。

 彼の体は一瞬にして、火口の方へ飛んでいった。


「ブルー!!」


 その声が自分のものだったのか、それともジュゼのものだったのかすら分からなかった。フェンリルに命令を下すことすら忘れていた。

 ブルーの体が火口の上空まで飛ばされて、やがて落下し始める頃になって、ユーリィはようやく我に返った。


「フェンリル! 行け!!」


 たぶん間に合う。

 間に合ってくれ!!

 心で叫ぶ。


 ところが、フェンリルよりもさらに早く、ブルーへと近づくモノが目に入った。

 それは灰色に染まった長い個体。後部がちぎれかけ、だらりとぶら下がる。


「ワーニング!?」


 そう、それは巨大なムカデだった。

 体がちぎれかけてもなお、(ぬし)を救おうとしているモノだ。

 ワーニングは落ちていくブルーの体を受け止めた。

 その時、地の底から沸き出すような叫びをユーリィは聞いた。まるで木で作られた太い笛のような、悲しく強く優しい鳴き声。初めて聞くそれはワーニングから発せられたものだった。

 フェンリルが近づき、不安定に乗っていただけのブルーの腕を咥える。

 同時に、ワーニングの体が徐々に落下していく。

 そう、力尽きたように……。


「ダメだ、ワーニング!!」


 意識を取り戻したブルーが、悲痛な声で使い魔を呼び止める。

 しかし優しき巨大虫の体は、ちぎれた後部を下に煙の中へと消え、やがて大きな水の音が、火口の底から聞こえてきたのだった。



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