第59話 自叙伝『さして面白くもない人生』第三章 その2
――アシュト・エジルバーク自叙伝『さして面白くもない人生』第三章より抜粋
『魔物が自分に向かって降りてくるという光景は、あまり気持ちの良いものではない。それが侯爵の使い魔だと分かっていても、なにやら襲われるのではないかという恐怖に私の背中は凍りついた。
「フェンリル! リュット!」
侯爵の声に呼び寄せられるようにして、狼魔とフクロウは彼の前に舞い降りた。
奇妙なことと思うかもしれないが、私にはその様子がとても幻想的に見えた。
青き狼と鴟梟を従える黄金の天子。そのお姿は未だに目の奥にあり、もし私に絵心があったのなら、素晴らしい作品をこの世に残せるだろう。
しかし私にできることといえば、こうして文章にするより他になく、いくら言葉を連ねても私の見た光景を描くことは叶わない。
色々考えあぐねた末、結局は“たいそう美しかった”というのが一番適切で、想像をかき立てるのではないかと思うことにした。
侯爵はたいそうお美しかった。
そして願わくは、その姿どおりのご性格であって欲しかった。
フクロウが、“エルフの乗った巨大な虫に巨大な岩がぶつかった”というような趣旨の説明をすると、侯爵は肩を怒らせ、「まさかあいつ、火口近くにいたんじゃないだろうな!?」と声を荒げた。
途端、私の見ていた幻想世界が儚く砕け散り、破片の中から若き王者が現れる。
『そのまさかじゃよ』
「ってか、なにやってたんだ、あいつ?」
『感じでは、あの魔物をよく見たかったか、もしくは近づきたかったようじゃの』
「近づく? なんのために?」
『ワシに言われても分からぬぞ』
その時、私の背後にいた美しきエルフが、呟くような声を発した。
「もしかしたら……」
侯爵は私たちの方へと顔を向けたのだが、その表情は見えなかった。空は黒い雲に覆われ始め、陽光が遮られている。残念なことに、私の見ていた幻想世界は完全に破片すら残らぬほど消滅してしまっていた。
「もしかしたら、なんだよ、ジュゼ?」
「これはだだの勘で、なんの根拠もないんだけども、ブルーはもしかしたら火山にいる奴を使い魔にするつもりだったんじゃないのかな」
「使い魔? だってワーニングがいるじゃん」
「別に二体持ってはいけないという決まりはないよ。もちろん強い力が必要だけどね」
「そうか、僕になにかあったら自分の責任だって言ってたし、だから自分でなんとかしようって思ったのかな、ブルーは」
わりと軽口を叩く男だと思っていたのだが、その心はなんと高尚だったのかと私はいたく感心した。
「ワーニングは大丈夫なのか?」
『少し弱っておる。飛ぶのも今は厳しい』
「助けに行かなくちゃ」
『あのエルフは、そこの女に来て欲しいと頼んでおるぞ』
「なんでジュゼを?!」
「まだ使い魔にするのを諦めてないのさ、たぶん」
エルフの中でも特にラシアール族が、魔物を僕として使っていることは有名な話だ。当時も、そして現在も郵送にはラシアール便が一番早いのは、彼らが使い魔を操れるおかげである。
しかしどのようにして、魔物を操れるようになるのかはあまり知られていない。この時の私もむろん知らなかったし、だからこそ彼らの会話に興味を持った。
「とにかく僕は先に行ってみるよ」
「気をつけるんだよ」
「分かってる!」
侯爵は颯爽と狼魔の背に乗り、灰色に染まった天を見上げる。
「行け、フェンリル!」
言うや否や、彼と青き狼魔は駆けるようにして天空へと昇っていった。
残された我々はというと、降り始めた灰を避けるために木立の下に隠れ、しばらく狼魔の姿を目で追っていたが、やがて見えなくなる。すると美女がなにごとか小声で呟いた。
「なにかおっしゃいましたかな?」
「やっぱりアタシも行かなきゃダメだろうねって言ったのさ」
『まさかあのデブ鳥でいくのか?』
我々よりも先に隠れていた茶色のフクロウが、丸い目を見開き、高い枝から見下ろしていた。
「なんとかなるでしょう。ところで火山にいるのがどんな奴かご存じです?」
『あれは火蜥蜴じゃのぉ』
「飛べる?」
『いいや、飛行はできなさそうじゃ』
「ならちょうど良いか」
思案するそんな彼女に、私はどうしても言いたくてうずうずしていた。
それまで私は数々の冒険をしていたが、ラシアールが使い魔の契約する場面にむろん一度も立ち会ったことがない。もしもそれを目の当たりにできるのなら、四方山話としてだれかに語るには素晴らしい話題だ。実際にこうして自叙伝にも書き残せている。
私は急いで彼女に強く進言した。(※1後記参照)
「どうかぜひ、私も連れて行ってくださらないか」
「あなたを?」
「ええ、ぜひお願いします」
「ではそうしましょう。ちょっと人手が足りないと思っていたのでちょうど良かった」
こうして我々は、彼女の使い魔である黄色くて丸い鳥に乗り、先に行った侯爵を追いかけたのであった』
※1 このやり取りに関しては別見解がある。『黄金の天子』(ラシアール族による編集刊行)によれば、ジュゼが渋るアシュト・エジルバークを連れて行ったとされている。




