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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第58話 血の繋がりし変人とは、

「ジュゼ!!」


 再会できた喜びが奥の方から込み上げる。実母と会った時には感じなかった懐かしさだ。ヴォルフの他にそう思える者がいることが嬉しくて、そういう相手がいっぱいいたら幸せってことなんだろうなとユーリィはふと思った。

 小柄な彼女はその長い髪を綺麗に結い上げて、小屋の前にある小さな畑の中で(くわ)を片手に、ユーリィが近づいてくるのを待っている。暖かな笑みを浮かべ、再会を喜んでくれている。だからまだヴォルフに会えなくても大丈夫な気がした。


「ジュゼ!」


 もう一度その名を呼ぶと、ユーリィは森の細道を全速力で駆け出した。木漏れ日が眩しくて眼を細めたが、ジュゼからは目を離さなかった。


「リュットから……聞いたよ。火山が……ヤバいって……フェンリルになんとかさせるから……だからもうちょっと……」


 切れ切れの息でそう言うと、暖かな笑みが楽しげな笑顔に代わり、「ユーリィ、落ち着いて」となだめられた。


「だ、だって早く……」

「まずは再会の挨拶をしよう」

「うん、久しぶり。でさ、ジュゼ……」


 するとジュゼは声も高らかに笑い出した。


「な、なに!?」

「君はいい子だなって思ったのさ」


 なぜ急に褒められたのか分からない。

 もしかして、からかわれているのだろうか?


「ほら、そんな顔をしない。頭を撫でるぐらいの時間はあるから、慌てなくても大丈夫さ」


 ジュゼは鍬の柄を脇に抱え、両手を払ってから頭をグリグリと撫でてきた。そして満足そうに頷いて、右手で木製の柄を持ち直す。照れくさくて下を向くと、土のついた鍬の刃は錆色をしているのが気になった。


「リュット様からフェンリルのことを聞いて、君がどんな気持ちでいるのか気になってたんだ。心配してたほど暗くなくて良かった」

「あいつは絶対戻ってくるさ。それに僕なんかの心配より、島の心配をした方がいいのに」

「島のことと同じくらい君が心配なのさ」


 ジュゼは鍬を持っていない左手で、もう一度頭を撫でてきた。土の香りがプーンとして、なんだかこそばゆい。それに、自分はもう戻れなくなった世界が彼女の爪についていると思うと、少し羨ましかった。


「で、そのフェンリルはどうした? それと君の後ろにいる彼は?」


“え?”と思って振り返り、背後の男の爽やかな笑顔に絶句した。すっかりその存在を忘れていた。というより忘れたかったのかもしれない。


「はじめまして、お嬢さん」

「お嬢さんねぇ」


 さも面白そうにジュゼがヘラヘラ笑う。ユーリィ以上に浮ついた雰囲気が嫌いな彼女らしい反応だった。


「私は侯爵の親族で、アシュト・エジルバークという者です」

「エジルバークだって!?」

「エジルバークは私が放浪中に使っている通称ですよ、侯爵。といっても偽名ではなく正式な名字ですが」

「なるほど……」


 メチャレフとは領地の名前で、つまり“メチャレフの地を治める”伯爵という意味でしかない。もっと言えば、領主以外はその爵位名は使えないのだが、妻子に限っては許されていた。ちなみにイワノフ公爵家の姓はクリストフだ。だからライネスク領を治めているという意味で、ユリアーナ・セルゲーニャ・ルイーザ・クリストフ・ライネスクとなるわけだが、家名などユーリィにしてみればどうでもいい話だった。


「本当に可愛らしいお嬢さんだ」

「まだ続けるのか……。ってか、ジュゼはお嬢さんに見えるけど、あんたと同じぐらいの歳だぞ」

「せっかく“お嬢さん”って言ってくれたんだから、すぐにバラさなくてもいいんだよ、ユーリィ」


 ジュゼはこのやり取りが案外気に入ったのか、楽しそうにウィンクをした。けれど言った本人は場の雰囲気がまったく分かっていないようで、大真面目な顔になると、


「いやいや、長寿のエルフにとってはお嬢さんというご年齢ですよ。ああ、貴女のようなお美しいお嬢さんが、このような辺鄙な場所に……」

「もう止めろ、背中が痒くなってきた。それにジュゼはハゲ……じゃなくて決まった相手がいるから、そんなに頑張っても無駄だ」

「それは残念。しかしエルフはいつまでも若々しいですなぁ。そうか、エルフか……」


 その言い方にイヤな感じがして、ユーリィは慌ててジュゼに向き直った。


「あ、えっと、フェンリルは今ブルーとワーニングと一緒にいる、あとリュットも。ブルーがどうしても火山にいる奴を見たいって言うから、護衛としてついて行かせたんだ。絶対に手は出さないって約束したし、もうすぐ来るんじゃないかな」

「見に行って、なにをするつもりなんだろうねぇ」

「さあ……」


 それはユーリィも気になっていた。けれどブルーは“ちょっと”と言うばかりで教えてようとはしないし、ユーリィももしかしたら魔物を追い払う良い考えがあるのかもと思い、詳しくは尋ねなかった。


「ま、いいさ。それより君は最後にいつ食事をしたんだい?」

「うーん、昨日の昼かな、朝かな、それぐらい」

「やっぱりね、そう思った。ホントに君は放っておくと絶食し始める」

「絶食って……。でもブルーだって食べてないと思うよ」

「あいつが食べてないわけがない。ちゃっかり干し葡萄か干し肉をポリポリかじってるはずさ。でなかったら、あんなにデカくならないよ」


 そう言えばと、ユーリィはワーニングの上で口元を動かしていたブルーの姿を思い出した。しかし別に欲しくもなかったので気にもとめなかった。


「ったく、あいつも気が利かないね。ちょっと待ってな、なにか食物を持ってくるから」

「大丈夫だって」

「大丈夫じゃない」


 きっぱりと言い切ってジュゼは鍬を地面に倒し、背後に建つ掘っ立て小屋の中へ消えていった。


「とても勇ましい女性ですな!」


 ユーリィのすぐ横まで来たアシュトが、ジュゼの消えた扉を見つめて感嘆符つきでそう言った。


「うん、ジュゼはスゴく男らしい」

「そうか、エルフか……」

「なんで何度も言う」

「聞きたいですか?」

「聞きたくない」

「いえ、聞いてください」

「聞きたくないってば」


 それなのに、アシュトは強引に自分の残念な嗜好を語り始めた。


「私は若い女性、それも若ければ若いほど、むしろ幼いぐらいが好きなんですよ」

「へ、へぇ……」

「エルフ族の若い見た目は前々から気になっていたのですが、さすがに貴方のお父上ほど熱情的ではないのでね。ですが、もうメチャレフ家もなくなりそうですし、もっと大胆に生きても……」

「止めろ、死ぬから、エルフが」


 身を以て知っているだけに、ユーリィは急いでこの性的倒錯者の()れ言を停止させた。

 それと同時に、なぜメチャレフ伯爵がこの息子に継がせようと思わなかったのかも理解する。弟も酷いが、兄も相当なものだ。息子ふたりについて語った時、あの老人が怒りを露わにしたのも無理もないとつくづく思った。


「やっぱりそうですか。前にもだれかに言われたんですよ、幼いエルフに手を出すと死に至らしめてしまうと。それを聞いて強い自制心が働き、今まで思い留まっていました、私は理性ある大人ですから。ですが先ほどの彼女か、もう少し下の年齢なら大丈夫ですよね?」

「不思議だ。なぜか理性的な大人の言葉にはちっとも聞こえない」

「侯爵にはちょっと難しすぎましたね、まだお若いですから。ああ、それにつけてもエルフはいいですなぁ……」


 恍惚とした表情を浮かべ家の扉を眺める男にゾクリとして、ユーリィは数歩後ろに下がった。


「そうだ、侯爵。どなたか若いエルフ女性をご紹介していただけませんか?」

「なんで僕に頼む?」

「侯爵はお母上がエルフ族ですから、どなたかご存じかと思いまして」

「親がエルフだからって、エルフを知ってるとは限らない。それに僕はエルフじゃないし」


 どうせこいつも弟と同じように軽蔑しているのだろうと思った。爽やかな笑顔の下にあるのは汚らしいモノを見る白い目だと。

 しかし__


「エルフではないですと!? エルフではないですと!? ああ、なんということだ! 私は先ほど貴方のお姿を見て、“なぜ胸がないのだ”と落胆し、それでもエルフ族の美しさに感嘆し、だからこそ先ほどの女性にも感銘を受けたのです。それなのに今さらエルフではないなどとおっしゃるとは信じられませんな! 私の感嘆と感銘をどうしてくれます!?」

「な、なんで逆ギレ……」

「エルフでもいいではないですか、エルフでもいいではないですか! 長生きですし、魔法を使えますし、しかもいつまでも幼く美しい。ああ、私がもしエルフだったらどんなに良かったか」


 大げさな身振り手振りがどこか演技じみていて、アシュトの胡散臭さは増すばかりだ。けれど、なぜかこの変な男は憎めないとユーリィは思った。


(それに、さっき自分のことを“親族”って言ってたしな……)


 本当はそれを聞いてちょっと嬉しかった。

 だれかに認められるということは、それがだれであろうと明るい気持ちになる。特に自分のように、血縁者すべてに疎まれ生まれてしまった者にとっては。

 ユーリィは改めて、まだ嘆き悲しんでいる男を見た。

 歳は四十近いと思ったが、そこまでではなさそうだ。ヴォルフより四、五歳上ぐらいか。ウェーブのかかった髪は明るめの茶色で、襟足は首筋まである。獅子鼻は伯爵に似ていると思ったが、老人が薄い緑の瞳をしていたのかはどうしても思い出せなかった。

 太い眉が印象的だったからだろう。

 だから瞳の色まで注意が払えなかった。

 それにあの老人はいつも鋭い視線で見るから、まともに見返すこともなかった。

 だから覚えてないんだ。

 そう思ったけれど……。


「そんなどうでもいいことで悲しむくらいなら、伯爵が死んだことを嘆けよ」


 気がつけば言ってしまっていた。

 瞳の色さえ覚えていない自分ですら寂しいと思うのに、なぜ実の息子がこんなに明るくいられるのか。それが信じられない。

 すると額に手を当てて、哀しみのポーズを取っていた男は、その手を額から放して、ユーリィへと向き直った。


「貴方が悲しんでいるのでしたら、父は満足していますよ。ろくでもない息子の嘆きを聞くよりもずっと」

「あんたは悲しくないの?」

「私は大人ですが、父親の優しさを理解するほどには大人ではないのですよ」

「そう……」


 なんだか自分自身のことを言われたようで、ユーリィは心が痛くなった。

 たぶん自分も、両親が死んだとしても悲しまないだろうし、一生ふたりの優しさを理解できるほどには大人になれそうもなかった。

 なんだか居たたまれないような雰囲気になりかけたその時、タイミング良くジュゼが出てきてくれた。片手には木皿があり、上にはパンが乗っている。反対の手に握ったカップの中身が温かい牛乳だということは、匂いが教えてくれた。


「こんな物しかないけど」

「ありがとう」

「薄いけどチーズは挟んでおいたよ。あと干し肉を煮たのも入ってるけど、ほとんど食べきってて破片しかないんだ」

「二つあるってことは、つまり片方が私の為になのですね。ありがとうございます」

「いえ、これは侯爵……」


 図々しいアシュトに反論しかけたジュゼを、ユーリィは「そうだよ」と遮り、パンを掴むと男へと差し出した。


 その後、家の前にあるベンチに座り、ユーリィは久しぶりの食事を堪能した。こうして食べる直前にならないと空腹を思い出せないけれど、ジュゼの作った物は宮殿で食べていた物より美味しく感じられた。

 ほぼ完食した頃、“ブルーは遅いなぁ”と思いつつ、顔を上げた。冬空は透き通るような青で、切れ切れの雲がのんびりと低い位置で漂っている。渡り鳥の群れが北に向かっていくのを見て、もう冬も終わるんだと思っていたその時、凄まじい音が辺りに鳴り響いた。

 鳥たちの隊列が大きく乱れる。ユーリィも驚いて立ち上がった。


「なに!?」

「あれだよ」


 ジュゼが指した方向に、黒々とした煙を吐き出す火山があった。


「まさか噴火した!?」

「あれくらいのなら年に二、三回はあるよ」

「ブルーたちは平気かな?」

「火口の真上にいなければね。そこまで馬鹿じゃないだろうさ。でも灰は降るね。洗濯物をしまわないと」


 少し安心して、ユーリィは裏へ行こうとするジュゼの後ろ姿を眼で追いかけた。ところが彼女は家の角まで来ると急に立ち止まり、火山の方へとふたたび目を向けた。


「来たよ」

「なにが?」

「ほら」


 ふたたびジュゼの指が火山を示す。その先を見やると、黒い煙を掻き分けるようにして、青き巨体がこちらに向かって飛んでくる。

 見間違うことなどあり得ない、それは愛しき狼魔。


「フェンリル!!」


 まだ届かないだろうと分かりながらも声を張り上げる。

 ブルーも心配だけれど、本当はヴォルフのことがずっと心配だった。

 やっと帰ってきたかと胸を撫で下ろしつつ眺めていると、フェンリルの横を飛ぶなにかが眼に入る。

 たぶんリュットだ。

 脅すことなどすっかり忘れているフクロウのそんな姿に、ユーリィは事態の急変をはっきりと感じ取っていた。

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