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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第56話 懸念

「虫……ですか」


 アシュトがその言葉を発したのは、これで三度目だった。ユーリィの右前方、ワーニングから数十歩離れた場所で、彼はランタンを握ったままずっと動こうとはしない。しかも物言いたげな表情を浮かべては、チラチラとユーリィとフェンリルを見る有様だ。


「悪いけど、僕の使い魔に乗せられないから」


 そんなことをすれば焼き殺されるか、噛み殺されることは目に見えていた。


「うーん」

「僕だって虫が嫌いだけど、ワーニングには何度も乗ったぞ」

「でも虫より狼の方が、格好いいと思いませんか?」

「凄くムカつく言い方っすね」


 すでにワーニングに乗り込んでいるブルーが、珍しくぷりぷりとした口調で言った。



 アシュト・メチャレフの話を聞いていから半時ほど過ぎていた。

 あのあとすぐにユーリィは一度城内に戻り、ラシアール数人とメチャレフ兵の指揮官ふたりに指示を出した。さほど時間がかからずに済んだのは、ブルーとアシュトも同席させたからだ。

 数日後にイワノフ軍が到着するまでは、現状維持だけを続けること。特にククリの反撃には注意して、城と町の周辺の警戒は怠らぬこと。メチャレフ兵は早急に町の被害状況を調べ、うろつく市民をすべて家に帰すこと。出した指示は大まかにその三つだ。ラシアールたちには、メチャレフ兵の動向にも注意するようにと言っておいた。

 ククリとミーシャの口車に乗せられたとはいえ、一度は刃向かってきた連中だ。ふたたび刃を向けないという保証はどこにもなかった。一応アシュトが上手く執り成して、メチャレフ領の今後についてはライネスク侯爵と自分が話し合う予定だと適当なことを言ったおかげで、司令官らもそれなりに納得はした様子ではあったが。


 ミーシャ・メチャレフは大量の失血でかなり弱っているが、どうやら死は免れたようだ。そのことを知ったアシュトは、酷く残念そうに舌打ちをした。

 北側の塔に閉じ込められていたメチャレフ伯爵夫人は、解放されるすぐ伯爵の遺体と対面した。年老いた女性の憔悴しきった姿は、見ている方も心が痛む。母から愛情を受けたことがないユーリィだが、それでも母をあのように哀しませたいとは思わない。だからこそ、アシュトにもミーシャにも酷く腹が立った。

 それに正直、もうどうでも良いという気分だ。ジョルバンニのやり口には、メチャレフ兄弟以上にはらわたが煮えくりかえっている。メチャレフ伯爵を見殺しにしたという一点だけでも許せるものではないし、今ソフィニアに戻れば、激情にまかせてあの眼鏡男の首を切り落としてしまうかもしれない。それが一番怖かった。



 そしてつい先ほど、ユーリィ、アシュト、ブルーの三人はフェンリルとワーニングが待つ庭の片隅に戻ってきた。

 メチャレフ城の庭はガーゼ宮殿の三分の一の広さもない。植えられているのがほとんど針葉樹なのは、寒い地方だからという理由の他に、メチャレフ伯爵自身が庭になど興味がないからだと思われた。


「でも侯爵、本当に行かれるつもりなんですか?」


 ワーリングを馬鹿にされたせいで、すっかり機嫌を損ねたブルーが口を尖らせて言った。


「別に嫌なら来なくてもいいさ」

「嫌ってわけじゃないですよ。それに侯爵になにかあったら、俺の責任になっちゃいますから。だけどその人の言ったことを丸っと信用するのはどうかなって。それにまだククリたちも狙っているかもしれないし」

「ククリはもう来ないよ、たぶんだけど。ラシアール五十人を打ち破れるだけの戦力はないと思う。あと、彼の胡散臭い話を信用したってわけじゃない。ディンケルたちが来るまでまだ時間があるから、気晴らしがてらに行ってみるだけ」

「信用されないのは仕方がないにしても、胡散臭いというのは少々傷つきますなぁ」


 悪びれもせずそう言った男を、ユーリィは横目で睨みつけた。


「さっきも聞いたけど、その孤児院がある町って、メチャレフ領内なんだよな?」

「ええ、山脈の裾のあたりですね」


 アシュトが言っていた“首謀者”がだれかという答えは、あまりにも簡単に想像できてしまった。

 先の戦いの原因を作ったエルフの父親だ。彼はユーリィの護衛を務めながら、息子可愛さの余りに裏切った男である。息子の方は最後に魔物に身をやつし醜悪な姿となってしまったから、とても生きているとは思えなかったが、父親も死んだかどうかは不明のままである。

 けれど建物ごと彼らを吹っ飛ばしたのだから、生きているはずはないとユーリィは思っていた。思いたかっただけかもしれない。息子の為とは言え、裏切られた相手の顔などもう二度と見たくなかった。


 アシュトの言ったことをもう一度考えてみる。ククリたちの首謀者が赤目のエルフだった。孤児院のある町に怪しげなエルフが住んでいる。この二つのいずれかが嘘か、もしくは両方とも嘘という可能性は高い。たとえすべて真実であったとしても、そのふたつを結びつける根拠はどこにも見当たらなかった。

 それでも行く気になったのは、気がかりが二つあるからだ。まずは、なぜアシュトが赤目のエルフについて知っていたかということ。もうひとつは孤児院という言葉だ。


 ラウロ・ヘルマンは姿を消してしまった。人伝に聞いた話では、どうやら故郷に戻ったとのこと。だとすれば、メチャレフ領にあるその町にラウロは居るかもしれない。

 だったらやっぱり……。

 あんなふうに追い返したのは本当に良かったのかと何度も思う。

 もちろん彼の気持ちには絶対に応えられないし、仕方がなかったのだけれど。

 でもあんなふうに思い詰めたのは、例の薬を飲ませる為に自分が変な態度を取ったせいでもある。およそ男らしくない――というよりも……。


(いっそ女に生まれた方が、みんなの為だったのかな? そうだとしたら無理に僕をさらう必要がなくなるから、今頃はキャラバンであの人たちと一緒に暮らして、ソフィニアもこんなことにならなくて済んだのか)


 生まれてくる性別を間違えたらしい。生まれてこなければ良かったと思うよりもずっと嫌な感じだ。

 今まで男であることに不満を抱いたことは一度もない。むしろ男らしく華々しく散るという英雄的な死も悪くはないと思っていた。なのにそこから全否定となると、本気で顔に勇ましい傷を作って……。


「……侯爵?」


 いきなり耳に入ってきたブルーの呼びかけに、ユーリィはふと顔を上げた。


「おや、起きていらした」


 そう言ったのは、いつの間にやらワーニングの上にいるアシュトだ。


「立ったまま目を開けて寝られる珍しい方なのかと思ったのに、残念だ」

「侯爵は時々、今みたいに無反応になるけど、でも寝てるのとは違いますよ、アシュトさん」


 後ろにいる男に言ったブルーは確かに真顔だったが、横目でチラリと見た瞳には意味深な光が浮かんでいる。


(くそっ、どいつもこいつも……)


 二人の言葉に反応するのも癪なので、ユーリィは無言のままフェンリルの首に手を掛けた。それと同時に、もしも女に生まれていたらヴォルフに会えなかったんだと思い直した。


(それはそれでやっぱり嫌だな)


 気分を新たにフェンリルに乗り、さて出発と思ったその瞬間だった。

 脳天にズサッという感じの衝撃を食らった。


「うわぁぁっ!!」


 思わず叫んで頭へと手を上げる。

 するとパサバサという羽音がして、聞き覚えのある腑抜けた笑い声が聞こえてきた。


『ふぉふぉふぉ』

「リュット!!」

『やはりそなたを脅かすのが一番面白い』

「面白くないし! 痛いし! どっから沸いてきた!?」

『沸いてきたのではない、飛んで落ちてきたのじゃ』

「くそっ、どいつもこいつも!!」


 同じ言葉を今度は声に出して、頭上で滞空しているフクロウの光る瞳を睨みつけた。


『なにやら、どこぞに行く様子だじゃが』

「そうだよ」

『だったらちょこっと、島まで来てくれぬかのぉ』

「なんで!?」

『そこの狼と約束があるのじゃよ』

「あっ、忘れてた!!」


 叫んだのはブルーだ。二度の叫声に、少し離れた場所で警護をしていたラシアールの二人が走ってくる。すぐさまブルーはなんでもないと言って追い払った。

 ブルーとリュットの話によれば、島の火山に魔物が住み着いてしまい、その影響で噴火の兆候があるのだという。それを聞いたヴォルフは、フェンリルと同化ができた暁には、魔物退治をすると約束したのだそうだ。


「それって、ジュゼたちが危ないってことだよね?」

「まあ、そっすね」

「ったく、忘れるなよ」


 自分にとって母親と呼べる存在はジュゼとユーリィは思っている。彼女が存在することを許してくれた日に、僕はこの世界に生まれたのだと。

 今日は奇しくも誕生日。そんな日に母親を助けに行くのは、なんだか男らしい感じがした。


「よし、目的地変更。まずはベルベ島に行くぞ!」

「了解っす」


 アシュトからの反応がない。ユーリィは首を巡らせて虫の胴体にいる男を見た。

 すると倍以上歳の離れた彼は、呆けたようにフクロウを眺めている。

 どうしたのだろうかと思っていると、


「おおっ、フクロウが喋っている!!」

「反応、遅っ!」


 アシュトとブルーの会話に、なにやら珍道中になりそうな予感がして、ユーリィは小さなため息を吐き出した。


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