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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第55話 闇の中の茶話

 室内は薄暗かった。

 明かりは壁際にあるサイドテーブルのランプひとつ。それすら最小限まで炎を絞り、室内を移動するのに差し障りがないほどの光しか放っていない。

 そんな室内で、影を(まと)った男たちが息をひそめるようにして会話をしていた。


「……それで貴殿は、あの方が気づかぬと本気で思っておいでか?」

「きっとお気づきになったでしょうな」

「だとすれば、今頃は怒り狂っておいでだろう。印象では伯爵にかなり懐いていらしたようだから」

「あまり良い兆候ではありませんでしたな。できるなら、あの方からイワノフの影を消したいのでね」

「ふむ……」


 納得がいかぬという声で唸った男は、綺麗に整えた顎髭を指先で撫でつけた。


「そうまでして、貴殿があの方に執着する理由が分からぬな」

「別に執着などしておりませんよ。それよりも貴方こそ食えないお方だ。私が失脚したと感じた途端、まるで手のひら返しをしたような態度をお見せになり、そのくせこうして密会に応じていただけている」

「そもそも私は貴殿となにかを確約した覚えがないぞ。貴殿はギルドを手中に収めようと必死らしいが、私は別にギルドなどどうでもいい」


 野良犬らしき遠吠えが、窓ガラスを通して聞こえてくる。市街は現在、戒厳令が布かれている最中なので、静かな街を好き放題に徘徊しているのだろう。


「貴方は力による統治をなされたいのでしょう?」

「そこまでは思ってはいない。ただし、我々は革命と言ってもいい変革をしようとしているのは確かだ。今までのように皆がなんとなしに流されるのではなく、右を向けと言えば右、左を向けと言えば左というような統制のとれた治世にしたいだけだ」

「それを武力統治と言うのですが、まあそれは置いておくとして。次は貴方の番ですよ、アーリング士爵」


 その瞬間、揺れる炎が銀色の眼鏡をきらり光らせた。


「私の番?」

「おとぼけめされるな、士爵、あの方が近衛兵らと別れ、エルフたちと先に行かれたことぐらいご存じなはずだ。武官には、逆らう貴族は捕らえろとでもご命令なされたのですかな?」

「そのような命令は下してはいない」

「ではあの方への誓約書を書かせ、血判を押させるようにご指示なされたか?」

「そ、それは……」


 激高することはあっても動揺など見せたことのないアーリングが、珍しく慌てたような声色で言葉を濁した。


「血判状は、マヌハンヌス教においては絶対的な権威がありますからな。聖典にも、いかなる血判状であっても反故にすれば破門だと、はっきり書かれているぐらいですから」

「だからこそ、皆が簡単に応じるわけがなかろう」

「そうですかな? 先代先々代のイワノフ公が、貴族の軍事力を徐々に奪ったおかげで、高々二千の軍隊ですら立ち向かえるだけの私兵を抱える者は、ソフィニアにはいませんからね。さらに侯爵率いるエルフ軍が、メチャレフ家の反乱を抑えたとなれば、もうだれも逆らえますまい」

「武力は最終手段だよ、ジョルバンニ」

「問題はその“最終”がいつであるか、です」


 その時、扉がノックされる音がして、程なくゆっくりと開かれる。入ってきたのは老境に入ったばかりの執事であった。小さなトレイを片手に持った彼は、「失礼します」と色のない声で言うと、足音を忍ばせ室内に入る。その視線はただテーブルだけにあり、部屋にいる人物を見ようとはしなかった。

 老執事はジョルバンニとアーリングが挟むテーブルに小花柄のカップを置くと、それぞれの前へと移動させる。さらにテーブルの端にもひとつ、カップを置いた。

 軽く身を倒して一礼をして、執事は入ってきた時と同じように忍び足で部屋から出ていく。その後ろ姿を見送ってから、ジョルバンニがカップを手に取った。


「さすがに今宵は酒というわけにはいきませんので、お許し願いたい」

「良い香りだ。ルーベン産か?」

「茶葉はルーベン産に限りますよ」

「このご時世によく手に入ったな」

「手に入れたのは一年も前です。私は年老いた母とふたり暮らしですから、物持ちが良いのですよ」


 アーリングは「ほぉ」と言いつつカップに口をけた。それから改めて、目の前に座る眼鏡の男をジロジロと遠慮なく眺め回した。


「貴殿は未婚であったか?」

「別に女性に興味がないというわけではありませんよ。国が落ち着くまでは、面倒なしがらみに縛られたくはないのでね。ああ、そういえば貴方はもうすぐご結婚なされるそうで?」


 ジョルバンニは手にしていたカップをソーサーの上に置くと、右側の暗がりで息をひそめるようにして座っていた人物に顔を向けた。


「ええ、夏頃にはと考えています」

「となると、なかなか面倒なお立場となりますな」

「そんなことはありませんよ」


 涼しげな声で応えた男は、勿体ぶった様子でお茶を飲む。その瞳はあくまでもカップの中の茶色い液体にあり、他のふたりには興味がないといった表情だった。


「結婚と言えば、例の件についてアーリング士爵にもぜひご報告を」

「例の件?」


 アーリングが訝しげに言うと、暗がりの男はカップを下ろし、和やかに無骨な英雄を真正面から見返した。


「セシャール国の第二王子が近々ご結婚されるそうですよ」

「ほぉ」

「相手はフォーエンベルガー家のご息女で、現伯爵の妹君です。ちなみにですが、そのフォーエンベルガー伯も、セシャールの白魔導師一族であるベネスフォード家の娘とご結婚されるそうです」

「ずいぶんと胡散臭い縁組みだな、それは。フォーエンベルガーはソフィニアを捨て、セシャールに属す予定なのか?」

「さあ、存じません、アーリング士爵」


 本人はわざとやっているというわけではないだろうが、浮かべたその爽やかな笑顔に、場の雰囲気が妙な具合に白けていった。

 コホンと赤毛の英雄が咳払いをし、助け船を求めてジョルバンニへと視線を戻した。


「だがその縁組みをわざわざ語らせるために彼をここに呼んだのか、ジョルバンニ?」

「いえ、本題はここからです。続きをどうぞ、伯爵」

「先日、領地へ戻ったついでにフォーエンベルガー領を訪問したのです。自領地からはさほど離れていませんので。リカルド・フォーエンベルガー伯とは一度お目にかかったこともあるので、授爵の報告とご挨拶がてらですね」

「それはつまり……」

「もちろん口実です。フォーエンベルガー伯爵の動向を探るようにと頼まれましたので、そちらのジョルバンニ氏から。今のところ伯爵は、あの方に刃向かうような気持ちはなさそうでした。ですがセシャールに関して気になることをおっしゃっていましたよ」


 アーリングはなにも言わなかった。静かに相手の言葉を待つといったていで、真一文字に口を閉ざしたままだった。

 しかしそんな英雄の心遣いなど気にもとめず、男はふたたびカップを手にして、ゆったりとした様子で二口三口とお茶を味わう。

 とうとう我慢しきれなくなったのか、アーリングは指先でテーブルを叩き、「で?」と言って相手を促した。


「ああ、すみません。ちょっと言葉を選んでいたものですから。ええと、フォーエンベルガー伯爵の話によれば、セシャール国王はあの方にぜひ第二王子の結婚式にご出席して欲しいと思っているらしいのです。というのも、あの方と姫君を引き合わせたいとのご意向があるようです」

「姫君……?」


 アーリングの疑問に今度はジョルバンニが答えた。


「第三王女ですよ。セシャール国王には三男三女のお子がいらっしゃいますが、第三王女は確か今年で十七になられるはずです。つまりあの方と同い年ということです」

「……なるほど」


 返事はしたものの、アーリングの声にはどこか含みがある。それを感じ取ったのか、ジョルバンニはすかさずそれを指摘した。


「ご納得できないようですな? もしやあの狼魔のことを……」

「まさか、そのようなことでない。先ほど貴殿も言っていたであろう、結婚にはしがらみがつきまとうと。まだ国政も定かではないうちに、外国と強い繋がりを持つのは賛同しかねる」

「内政干渉があると?」

「そういうことだ」

「しかし隣国であるセシャールは、早かれ遅かれ繋がる必要がありますよ。貴方は戦争を望んでいらっしゃるのかもしれませんが」

「馬鹿なことを。言っておくが、私は戦いが好きだというわけではないぞ」

「武力統治を行いたいのに?」

「私は別に……」


 ふたりの言い争いは、暗がりの男が漏らしたフフフという笑いによって終了した。

 軽い舌打ちをしてアーリングは男の方を再度見る。


「なにか可笑しいことでもおありか?」

「仲がお宜しいなと思いまして」

「仲がいいだと!?」

「以前とても仲の良いふたりがそういう言い争いしているのを、何度か聞いたことありましたので。もしお気に障ってしまったら申し訳ありません、士爵。それよりも、少々気になるのですが、おふたりはなぜ、あの方が行くことをお止めにならなかったのですか?」


 するとアーリングは男を真似したかのようにフッと鼻で笑い、「お止めしても止められる方ではあるまい」と穏やかな口調で説明をした。


「確かにそうですが、彼はあの狼魔さえいれば、他になにも望まない方なので……」

「大丈夫ですよ、伯爵」


 言ったのは、片手にカップを持ったジョルバンニだった。赤い小花を散らした磁器からはもう茶の湯気は立ってはいなかったが、その芳醇な香りは室内に充満していた。


「必ずこのソフィニアにお戻りになるように、手は打ってありますよ」

「それはいったい……」


 しかしジョルバンニはなにも言わずに口の端を歪め、小さな笑みを浮かべたのだった。


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