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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
53/208

第53話 臨戦 後編

 ラシアールたちの混乱は酷いものだった。魔物五体に乗るエルフが同族だと思ったからだろう。雲間から降下してくる相手をほぼ全員が呆然と見上げていた。


「まさか俺らを襲うつもりなのか!?」

「援護かもしれないぞ」

「だってあんな使い魔を使ってる奴ら、見たことないし」


 ブルーと、もうひとりの会話がユーリィの耳にも届いた。どちらも当惑した感情が声の中に滲む。

 その間にも正体不明の連中は後方部隊へと近づきつつあった。ブルーたち同様、彼らも当惑しているのか、動きを止めている。

 しかし次の瞬間、逃げ惑わなければならない事態が発生した。

 光線が一斉に放たれる。五体の魔物が彼らに向けて攻撃をしかけてきたのだ。さらに地上にいるククリの攻撃も再開された。

 後方部隊は完全に錯乱状態に陥っていた。エルフにとって同族殺しは禁忌であり、一族から追放され、死後は“天界”という場所にも行けなくなるという。それを犯してまで反撃をすべきなのか、彼らには決断できないのだろう。


「なにやってるんだ! 逃げるか戦うかしろよ!」


 ブルーが苛立ちを露に怒鳴り散らす。

 改めて彼を後方に配置しなかったことを後悔し、ユーリィは唇を噛みしめた。

 そんな中、若いラシアールが、ユーリィとブルーの間に割って入るようにして上昇してきた。彼の乗る巨大なくちばしを持つ魔物はかなり強そうだが、茶色の髪の主人はやたら気弱な印象だ。


「どうするんだ?」


 今すぐにでも逃げ出したいという形相で、彼はブルーに話しかけた。


「助けに行くに決まってるだろ!」

「でも……」


 そうしている間にも事態は刻々と変化している。敵は味方二体に狙いを絞り始めたようだ。角と羽根が生えた馬もどきと、巨大カゲロウが、逃飛するもままならずといった様子で、町の上空を飛び回る。追いかける敵は二手に分かれ、左右上下位置を変え、距離を詰め、光線の嵐を浴びせていた。それ以外の連中はあっさり仲間を見捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。


「ピレルとアーリが……」

「見てる場合じゃない、行くぞ!」

「そうは言ってもブルー、もしも長老に知られたら……」

「味方に攻撃するような奴らは、同族でもなんでもない、敵だ!」

「だけど……」

「お前らもあいつらも、こんな時に掟なんてどうでもいいのに。クソどもが!!」


 切羽詰まった様子でブルーは、いつになく口汚く罵った。


「もういい! 俺一人で……」

「ブルー、落ち着け! 僕とフェンリルが行くから」


 こうなったら自分が行くしかないとユーリィは決意した。自分はラシアールの血はひいていないし、そもそも“天界”という場所も信じているわけじゃない。それに、こんな逃げ腰の連中が行っても、返り討ちにあるのが目に見えていた。


「侯爵単独でなんて無茶です。俺も一緒に……」

「敵五体ぐらいフェンリルだけで十分。ここには残ってるラシアールは五人だけ?」


 ブルーは周辺に飛んでいる味方にさっと目を走らせると、


「ですね。一人やられて、三人はどうやら逃げたらしいです」

「狙われてる二人以外の後方部隊は逃げたようだね。で、やられた一人は大丈夫そう?」

「なんとか退避したみたいです。目視で確認しただけですが」

「だったらお前は、味方を指揮して地上のククリたちを牽制してくれ。陸動部隊はまだ来る様子がないし。ククリ相手なら掟は関係ないだろ?」

「ですが侯爵、もしも貴方になにかあったら……」


 ブルーの言葉を無視して、ユーリィは斜め下の方角に目をやった。

 敵五体に追い回されている味方は、まさに右往左往といった様子だ。どちらの使い魔も飛行能力が弱いらしく、敵を振り切ることができない。撃墜されるのも時間の問題だろう。一方、敵はすべて同じ。翼と足が四つずつある、鷲に似た顔を持つ魔物だ。後ろ足に蹄が付いているその姿は、何かの本で見た気がして、ユーリィは必死に目で追い思い出そうと試みた。

 しかしその刹那、ブルーがその名前を口にして答えを教えてくれた。


「あいつら、ランガーの群れを狙ったのか。えげつないことしやがる」


 そうかランガーかと思い出し、他にも尋ねたいことがあったが、そんな猶予がない光景に諦めて、急いでフェンリルに命令を下した。


「フェンリルじゃなくてヴォルフ……あーもうどっちでもいい。行くぞ!!」


 待ってましたとばかりに、狼魔の反応は迅速だった。ユーリィは風圧に負けないよう身を倒し、一気に下降を開始したその背中にしがみつく。念のために短剣は抜いておいたが、役に立つとは思えない。すべてはフェンリルに、ヴォルフに任せるしかないのだ。


「僕のことは気にするなよ、ヴォルフ」


 そうは言っても、彼は身を挺して守ってくれるだろうけれど。

 それから先はなにが起こったか正確には分からなかった。視界の中に目まぐるしく入ってくる光景は、頭で理解する前に流れてしまう。しかも落ちないように必死だったから、考えている余裕はまったくなかった。

 上へ下へと揺さぶられ、頭がクラクラとし胃がムカムカとした。

 針のような黄色い光線が周りを飛び交う。見れば、敵はすべてフェンリルに標的を切り替えたようだ。先ほどまで狙われていたラシアールふたりは、もっけの幸いとばかりに一目散に逃げていく。その後ろ姿にユーリィは少し安堵した。

 これ以上、彼らに犠牲を強いられない。それに明るく大らかなラシアールがユーリィは好きだった。


「ヴォルフ、絶対に本気で行けよ」


 しかし予想通り、狼魔は攻撃よりも防衛を優先し、逃走と回避を繰り返すばかりだ。


(ダメだな、これじゃ……)


 フェンリルの力はこんなものじゃないはずなのに。この程度の魔物など、ものの数分で倒せるというのに自分が足を引っ張っていると思うとやりきれない。

 どうすれば狼魔が本気を出させられるのか。

 ふと下を見る。雪が被った屋根が並び、その上にはまだ矢を構え敵兵がこちらを狙っているが、さすがに矢では無理だと分かって攻撃してくることはなかった。


(やるしかないか)


 ヒューヒューと耳に絡む風音が心地良い。髪も心もかき乱されるこの感覚に抑えきれない興奮を覚えた。


「ヴォルフ、フェンリル、僕を信じろよ。僕は絶対に大丈夫だから、お前は敵だけに集中するんだ。これは命令だからな」


 体を起こすと、首に巻いていたマントを解き放つ。風圧で勢いよく広がったマントに引っ張られた。その力に抵抗することなく、掴んでいたブルーグレーの体毛から手を離す。

 途端、体が飛んだ。

 二、三度回転したかと思ったら、すぐに落下。見るとはなしに見えたフェンリルの姿は、もうかなり遠くに離れている。その狼魔を追っていた敵は、一瞬で攻撃を切り替えたようだ。大量の光線が放たれるのを垣間見て、ユーリィは握る短剣の柄に力を込めた。


「レネ、頼む!!」


 金色の小さな光が、短剣から飛び出した。直後、落下の風とは違う力で後ろから押し出される。体のすぐ横を幾つもの光線が落ちていき、真下の屋根が壊された。

 煙と埃と雪が、破壊音とともに飛び散っていく。


(わりと間一髪だったな)


 見上げると、狼魔が敵の集中攻撃を受けながら引き返そうとしている。だけど、もう地上まで一秒もない。しかも屋根から放たれた矢が一斉に向かってきた。

 意識を集中させて剣を振るう。体内から沸き出した力が周囲に四散し、矢を吹き飛ばした。どうやらレネの力を借りず済んだらしい。

 間近に迫る路地を見下ろす。レネのおかげで落下スピードはかなり遅いし、雪もクッションになってくれるだろうが、衝撃はあるだろう。


(たぶん大丈夫)


 根拠はない。ないけれど、スリルを味わっているという高揚感がそう思わせてくれた。

 地上に足がつく瞬間、体がふわっと軽くなる。レネだ。小さいながらフェリルと同じぐらいに頼りになる精霊に助けられ、思ったほどの衝撃もなく両足が雪を踏みしめた。それでも衝撃を軽減するため、体を縮めつつ片膝をつく。あとからついて来たマントが背中にゆっくりと絡んできた。


(よし、成功!)


 と思ったのもつかの間、目前の雪に矢が一本突き刺さった。


「わっ! ちょっとぐらい成功の余韻を味合わせろってば!」


 文句を言いつつ立ち上がると、そのまま路地を駆けだした。

 家と家の間にある細い路地はかなり入り組んでいる。古い町特有の造りだ。坂を上がり階段を下り、敵から逃れるために走り続けた。

 すぐ先の左手にあった細い路地へと入る。曲がると階段があり、建物の下をくぐり抜けるようになっていた。増設を繰り返したせいで、建物が道を覆ってしまっているこうした路地は、古い町ではよくあることだ。時には地下道のような場所まであった。

 その路地から抜け出すと、矢が何本か飛んできてヒヤリとした。けれどククリからの攻撃の方がもっと酷かった。

 民家が密集している町中であることなど関係ないらしい。左右の壁を炎が壊し、窓ガラスが何枚も風に割られていく。悪いことにフェンリルが降下してきて、屋根にいる敵兵やククリらに炎を浴びせ、そのフェンリルに敵の魔物らが攻撃をするものだから、町は見る間に破壊されていった。


(なにやってるんだ、あの馬鹿!)


 家にいることに耐えられなくなった人々が飛び出し、路地を逃げ惑う。おかげで矢が飛んでくることはなくなったが、ククリは容赦がなかった。

 ユーリィが駆け抜けた後ろで、若い男が炎に吹き飛ばされた。視線を上げると連なる屋根を使って、黒いローブの三人が見える。入り組んだ路地を上から見えれば、その行く先は一目瞭然のようで、先回りをされているようだった。


(これ以上、逃げ回るのはマズいかも……)


 そうは言っても立ち止まるわけにもいかず、今度は右手にある路地に飛び込むと、そこもまた階段となっていた。

 先ほどと違うのは下りた先に扉があり、今まさに夫婦らしき若い二人が出てこようとしているところだった。女は赤ん坊を抱えている。まだ乳飲み子らしい。


「出るな!!」


 そう叫んで、怯えて立ち止まる夫婦を押し込むようにして、家の中へと連れ込んだ。

 夫婦は悲鳴を上げて、狭い部屋の片隅まで逃げていく。


「だ、だ、だれだっ!!」


 男は棚にあった大きなハサミを手に取り、威嚇するように両手で持ち、女と赤ん坊をかばうようにしてその前に立ち塞がる。棚には皮の端切れが散乱し、中央には足の形をした木像が置いてある。きっと靴職人なのだろう。


「今出ると、マズいから」


 穏やかに言って、ユーリィは扉についている真鍮製の小さな閂(かんぬき)を下ろした。

 ふたりの視線がさまようのは、ユーリィの周りで飛んでいる光を見ているからだ。けれど“精霊だから安心しろ”などと説明するつもりは更々なかった。


 夫婦は途方に暮れた表情を浮かべている。幸い、赤ん坊は大人しく寝ているようだ。


「あ、あの……」


 意を決してといった様子で、男が声をかけてきた。


「長居はしないから安心して。ちょっと敵をやり過ごすだけだから。できれば水を一杯欲しいんだけど、無理にとは言わない」

「まさかとは思いますが、ライネスク侯爵……?」

「あ、うん、それ。メチャレフ伯爵を助けに来たんだ」

「助けに……?」


 男はオウム返しに言う。その顔は驚きに満ちていた。


「っていうか、領民は息子のミーシャだっけ? そいつの味方なのか?」

「ええと、なんのことでしょう?」

「分かった。じゃあ、いったいなにがどうなっているのか説明しろ」


 怖々とした様子で男が語ったことはこうだった。

 半月前、ライネスク侯爵がメチャレフ領地を乗っ取りに来るから、戦いの準備を始めるという御触れが出た。その日から町中には兵士が徘徊し、エルフも混じるようになった。伯爵はライネスクに人質に取られたので、次男のミーシャが全指揮を執ることになったとのことだった。


「僕が伯爵家を乗っ取るだって?!」

「お、俺たちはなにも……兵士たちが言ってただけで……」


 怯えた四つの目は、ユーリィの握った短剣をひたすら眺めていた。


「色々反論はあるけど、まあいいや。それより僕はあの老人を人質に取ったことはないぞ。それに伯爵はつい最近、ソフィニアから戻ってきただろ?」

「え、ええ。そんな噂もあって、実際に伯爵を乗せた馬車を見たという人も。だけどソフィニアから来た兵士も一緒だったので、やっぱり攻めてきたんだという話で」

「兵士と言っても何百人も付けたわけじゃないし、伯爵の護衛役だし」

「はぁ」


 曖昧な返事をした男だったが、落ち着きは取り戻したようだ。震えていたハサミの刃先も今はやや下向きになっていた。


「で、ミーシャってどんな奴?」

「ミーシャ様ですか? どんなと言われても……繊細そうな方ですよ。それ以上はよく知りません。奥様はジフラン国の方です。そういえば昔、ミーシャ様は芸術家を目指されていて、その件で伯爵様と仲違いをしたという話です」

「芸術家……」


 嫌な響きだった。

 陰鬱な過去が蘇りそうになり、ユーリィは慌てて話題を変えた。


「長男は?」

「アシュト様ですか? 明るい方ですがどうにも身持ちが悪くて……」

「城にいるの?」

「さあ……。時々戻ってこられますが、今いらっしゃるのかは知りません」

「ふぅん。ま、いずれにしても、伯爵になにかあったことは間違いないな」

「伯爵に!?」


 なにを今さらとユーリィは呆れかえった。


「だって町がこんなに破壊されているのに、あの伯爵がジッとしているわけないだろ?」


 すぐに噴火する爺さんだが、心も火山のように温かいことは知っている。領民に被害があるような状況を黙ってみていられるはずがない。剣を片手に自ら先頭切って出陣し、わめき散らしていることだろう。

 それなのに……。


「伯爵がご無事なら、僕はすぐにソフィニアに帰るから」

「まさか伯爵の身になにかあるなんて……、だって城にはミーシャ様がいらっしゃるし」


 その息子が問題なんだと、ユーリィは口にはしなかった。領民にそこまで領主の内情を知らせる必要はないのだから。伯爵も望んでいるはずもない。


 その時だった。すぐ近くで爆発音がした。黙っていた女が小さな悲鳴を上げる。ユーリィは部屋の奥を指さして、「隠れろ」と命令した。

 このままここに居座って彼らを危険に晒すわけにはいかない。まだ世界がなんなのかすら知らない小さな命も、ここにはあるのだから。


「ごめん、長居した。逃げるなら僕が出ていって、しばらくしてがいいぞ。兵士とエルフに狙われているからね。それと町を出るなら西側じゃなくて東側がいいかも。西にも戦っている連中がいる。僕もなるべく東には逃げないようにするけど、気をつけろよ」

「あ……はい……」


 喉がカラカラに乾いていた。

 けれどもう一度、水をくれとは頼みたくはなかった。

 隣の部屋に繋がる扉の横で、まだ恐怖を拭い切れていない二人を横目で見つつ、ユーリィは閂をゆっくり外した。


「レネ、準備しろ」


 飛び回る光がいっそう輝いて、頭上を飛び回る。

 飛びだした瞬間に狙われては敵わないと、扉をそっと開けると弱々しい光が差し込んできた。

 室内が暗かったことを今さら気づいて、自分自身もかなり浮き足立っていたのだと知る。危殆な事態は好きと思っていたが、やはり恐怖を抱いていたのだろうか。そういえば爪先が僅かに震えている感じがした。

 そんな複雑な感情を抑え、狭い路地に顔を出す。右手には下りてきた階段があって、そちら側に引き返そうかと思案しつつ、身を滑らせるようにして外に出た。

 すると__


 階段の上にある道に、ブルーグレーの影が舞い降りた。


「フェンリル!」


 たった今、警戒しようと思っていたことなどすっかり忘れ、階段を駆け上がった。


「敵を倒せって命令しただろ!? 早く行って……」

「侯爵、ご無事でしたか、良かった」


 その声に驚き顔を上げると、連なる屋根すれすれにワーニングに乗ったブルーがいた。他四体の味方も彼の上を飛んでいる。


「敵はあらかた片付けましたよ。いやぁ、フェンリルはやっぱり強いですね。ランガー五体を一瞬で片付けちゃいましたよ。ククリの方も俺らが。あ、でも倒したんじゃなく逃げられたんですけどね」


 すーっと力が抜けていくのを感じると同時に、結局なにもしなかった、できなかった自分にユーリィは苛立ちを覚えた。


「で、どうします?」

「城に行く。今度は容赦しないし、伯爵を絶対に助ける!」

「分かりました」


 フェンリルに乗ろうと手を伸ばしかけたその時だった。背後から蚊の鳴くような声が聞こえてきて、何ごとかと振り返る。

 果たして、そこにはコップを握った男が立っていた。


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