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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
52/208

第52話 臨戦 前編

 眼下には黄色に変色した草原が広がっていた。時折民家が見えて、人影もちらほら窺える。そんな景色を見ることもなく、ユーリィは魔物の体毛を指先でまさぐった。

 風にほんの少しだけ春の香りがする。もうすぐ暖かな季節がやってくるらしい。だけどまだ心は凍えるほど寒いのは、フェンリルの中にヴォルフがいるのだという確かな答えがないからだろう。


「なぁ、ヴォルフ、聞こえてる?」


 だからこうして何度も話しかけてしまう。けれど残念ながらフェンリルの姿をしている彼は返事などしてはくれない。その代わりに固い毛に覆われた長い尾を返して、頭を触る。以前のフェンリルはそんなことをしなかったので、ヴォルフらしい反応だと思えば僅かばかりの安心は手に入った。


「それにしてもアレだよな、お前って見た目は良いし強いのに、泣き虫だし、エロいし、心配性だし、説教臭いし、すぐ怒るし、色々残念だよなぁ。だからヴォルフと同化してくれたフェンリルって心が広いと思うんだ。っていうか、お前、今日はなんの日か……」


 言いかけてから慌てて口を閉じたけれど、時既に遅し。必死に押し殺していた不安が暴れ始めた。

 大切な日だって言ってくれたのに。

 呪われた日じゃないんだって教えてくれたのに。

 今年はちゃんとプレゼントをくれるって言ったのに。

 次から次へと文句が沸き出し、胸の奥が痛くなる。何度も経験した別れよりずっと寂しいのは、本当は彼がもうこの世にいないからじゃないかって思うから。こんなに近くにいるのに、ヴォルフの声が、匂いが、温もりが感じられない。

 なにも感じられない。


「ヴォルフ……」


 萎えかけた心を叱咤するように、背後からブルーの大きな声が聞こえてきた。


「侯爵! ライネスク侯爵!」


 バタバタと大騒ぎをするマントの音に負けない為だと分かっているのに、無性に腹が立つ。大人げないと知りつつも、ユーリィはあえて小声で返事をした。


「なに……?」


 少しだけ首を動かし、ワーニングの頭だけを目の端に捉える。たぶんそれで気づいたのだろう。相変わらずの脳天気な声で彼は先を続けた。


「俺は事情を知っているから良いんですけどね。ただ他の奴らはご気分が悪いんじゃないかって心配してるんですよ。だってほら、フェンリルに抱きついているみたいじゃないですか」

「なっ!」


 咄嗟に体を起こして振り返ろうとしたら、体ごと持っていかれそうになり、慌ててフェンリルにしがみついた。


「風圧で辛いんだ!」

「そりゃそうですよ。なんでまたマントなんてしてるんですか?」

「ジョルバンニの奴が……」


 それ以上は風に邪魔され説明はできなかった。できたとしてもするつもりもなかった。“マント姿は王者のようで効果的とかなんとか言われて、自分でもそうかなって思ったもんだから油断して、気がつけば世話係に無理やり付けられていた”なんていう理由を言ったところで意味がない。けれどその態度になにかを感じ取ったのか、それとも風音に諦めたのか、ブルーは解決方法を教えてくれた。


「だったらそれ、縦に巻いて、肩に掛けておけばいいんじゃないっすか?」

「でも今は無理」

「あ、無理ですね。いいですよ、俺がやりますから。片手でマントを押さえてもらえます?」


 渋々とユーリィは背中に手を回し、風に煽られているマントの端をなんとか押さえる。すぐにブルーは使い魔をフェンリルへ近づけて、サッと飛び移ってきた。


「この高さで飛び移るとか……」

「落ちたらワーニングが拾いますよ。それよりしっぽ痛い。フェンリルの奴、侯爵に近づいただけで怒り出したし。やっぱヴォルフさんなんですね」

「ホントにそう思う?」

「思います思います。ってマジでしっぽが……落とす気満々だし……」

「ヴォルフ、やめろ」


 体を起こして振り返ると、フェンリルの尾は風に流されるがままとなっていた。

 少しだけ気分が晴れる。同時に自分がどこに向かっているのかもようやく思い出した。


「そろそろメチャレフ城だね」

「ですね。そういえば良かったんですか、侯爵?」

「なにが?」

「イワノフ軍を残して、俺らだけで来てしまって。ディンケルさんも不満そうな顔をしてましたよね」


 ソフィニアのことはアーリングとジョルバンニに任せ、メチャレフ領地へ向けて出陣したのは今朝のことだ。

 イワノフ軍が二千、ラシアールの魔物部隊が五十、総計二千五十の軍勢を前にして、人々は恐怖に戦いた顔を浮かべていた。また戦争が始まるのかと、さぞや驚愕していたことだろう。

 しかしディンケルが率いているイワノフ軍とは、ソフィニアを出てすぐに別れた。


「彼らには別の任務があるからいいんだよ」


 ジョルバンニが言っていた“圧倒的な力を見せつける”という状況を作ろうとユーリィは考えていた。あの男の言葉を真に受けるのも癪に障るが、一理ある。だから危険分子になりそうな貴族の領地を通って、牽制しようという算段だ。それに二千の軍隊を連れて行くには時間が掛かりすぎるし、食料を持っていくのも大変なので、途中で調達させようとも思っていた。


「大丈夫、ディンケルにはちゃんと言ってある。彼なら上手いことしてくれるさ。それより僕たちはメチャレフ伯爵がご無事かどうかの確認を最優先する」

「了解です」


 ミーシャ・メチャレフと繋がっているというギルドの連中は、昨日のうちに拘束した。けれど彼らがなにか重罪を犯したわけではないし、場合によっては釈放してもいいとユーリィは思っていた。全員とは言わないまでも、一人や二人は分かり合える者もいるかもしれないと。


(甘いかもしれないけど……)


 それからしばらく薄曇りの冬空を飛び続けた。すでにガサリナ地方に入っていて、ソフィニアでは降らない雪が大地を覆っている。 “雪の下の新芽”という諺どおり、麦が眠っていて、去年はその新芽をヴォルフと眺めたものだ。“堪え忍べば幸せが来る”という意味の諺だが、堪え忍んでもあれから災いは次から次へと押し寄せる。我ながら数奇な運命を辿っていると感心しつつ、見えてきた城の輪郭に視線を馳せた。

 初めて見る城だが、あの老人の居城に相応しい無骨な造りをしている。灰色の石レンガを積み重ねたそれは、かなり古い時代のものらしい。長方形の積み木を縦に並べたかのような外壁にはなんの装飾もなく、ただの崖のようだ。正門がある建物だけは丸みを帯びているが、全体の荒々しい雰囲気を軽減するには至っていない。それどころか、赤茶けた大きな鉄扉は、肩を怒らせたメチャレフ伯そのものに見えた。

 城のある高台の周りは城下町だ。王宮時代以前、まだ小さな国がそこここにあった頃の名残だろうか。並んでいる家も角度のある片屋根のものばかりで、時代を感じさせた。


「フェンリル……じゃなくてヴォルフ、どっちで呼べばいいんだろ。まあいいや、とにかくとまれ」


 すぐさま狼魔は滞空を始めると、右下にブルーを乗せたワーニングがぴたりと止まった。

虫のくせに合わせてくると感心しつつ背後を見ると、二十ばかりの魔物たちは、編隊などとおこがましくて呼べないほど足並みが揃わずに動きを止める。呆れかえるほどの無頓着ぶりに、ユーリィは小さくため息を吐いた。


(仕方ないか。まだ部隊としての訓練なんてなにもしてないんだし)


 ラシアールたちのほとんどは輸送を生業としていたので、先の戦い以前は戦闘などしたことがないという。しかもブルーの話によれば、生来戦いは好まない部族なのだそうだ。


「それにしたってなぁ……」

「なにか言いましたか!?」


 ブルーの問いかけになんでもないと答え、ユーリィは散在する魔物たちの後方を眺めた。


「まだ陸動部隊は来てないね」

「さすがにまだでしょう」


 ラシアールが操る魔物は、すべて飛行可能というわけではない。五十のうち半数以上は地を駆けるモノだ。その別働隊は後からついて来ているはずだった。

 遙か後方には白く染まった森が僅かに見える。あれはガサリナとソフィニアを隔てているシャルファイドの森だ。たぶんあそこを抜けてくるのだろうが、今のところ影も形も見当たらない。どうやらしばらく時間が掛かりそうだ。


「どうします? 待ちます?」

「あまり被害は出したくないから、僕らだけで終わらせられるならその方がいいよ。それに戦闘になるとは限らないだろ? 案外、魔物の姿を見て敵も降参するかもしれない」

「だといいんですね」

「敵の出方も数も分からないし、ゆっくり行ってみよう」


 ひとまず半分を残して街の上空近くまで移動することにした。城に対して横二列に陣形を整え、街の上空を飛ぶ。風は冷たかったが穏やかで、今のところ降雪もなさそうだ。

 しかし見下ろす民家の屋根には雪がかなり積もっていた。ここ数日は雪下ろしもしていないらしい。道には人どころか野良犬さえその姿がなく、本当に閑散としていた。やはり異変があったと思わざるを得ない雰囲気だ。


「みんな、警戒しろ!」


 エルフたちにそう声をかけ、自分自身も背筋を伸ばして警戒態勢を整えた。

 しかし数分もしないうちに、ユーリィは自分の失態に気がついた。

 それは城まであと少しという距離に来た時だった。城壁の狭間窓の凹凸から、数百の矢が一斉に現れる。炎々と燃え上がる矢尻を目の当たりにし、ユーリィは咄嗟に叫んだ。


「避けろ!!」


 その声が合図のように、数百の火矢が放たれた。慌てた味方は形ばかりの陣形をすぐに乱し、散り散りとなって上へ下へと逃げ惑う。だが間に合わず、幾体かは矢に刺されたようだ。羽根に火が移った蝶に似た魔物が一体、町の中へと落ちていった。


「ったく!!」


 それを見て、すぐ近くにいたブルーが悪態をついた。それでもなおラシアールたちは反撃をためらっている。所詮、彼らは兵士ではない。そのためらいがさらなる混乱を招いているようだった。

 フェンリルもまた躊躇(ちゅうちょ)している。たぶん自分が背中にいるせいだとユーリィは咄嗟に悟った。


「フェンリル、応戦しろ! 僕は大丈夫、お前を信じてる」


 フェンリルは即座に火矢をかいくぐり急降下を開始した。

 馬車一台分が通れるか通れないかという城壁の回廊には、兵士たちがひしめき合っている。突進してきた魔物に驚き逃げ出すその彼らに、フェンリルは炎を浴びせ、さらに尾を使って数人をなぎ倒す。実際のところ、その速度にユーリィは捉まっているのがやっとだった。けれど音を上げてしまえば、二度とフェンリルは戦ってくれない気がして、死に物狂いでしがみついていた。

 それに、死線の縁に立つことに興奮を隠しきれない。自分は危険というものを好む性質があるのだと改めて悟った。

 少し離れた場所にワーニングがいる。ブルーの命令でフェンリルを追ってきたのだろう。針を吐き出して攻撃しているが、鎧を着けた敵兵を傷つけるまでには至らず、反撃されるのを食い止めるのがやっとのようだ。


「フェンリル、このままじゃだめだ、態勢を整えないと」


 狼魔の反応は早かった。じりじりと後退しようとする敵兵への追い打ちを即座に止めて、ワーニングの援護に切り替える。結果、一瞬の余地ができたブルーにユーリィは命令した。


「一度この場を離れるぞ」

「了解です!」


 上昇していくワーニングに向けて、数十もの矢が浴びせられる。それらすべてをフェンリルは、炎と尾で落としていった。

 背中に乗るユーリィも身を伏せて必死にしがみついた。標的にならないようにフェンリルも守ってくれているのが分かる。体中に目があるのかと思うほどに、四方から来る矢を避け、時には矢をつがえただけの兵士に炎を吹き出した。その動きは以前よりも数段早く、的確だった。

 援護と防戦を繰り返し、やがて矢の届かない場所まで上昇すると、辺りには逃げ出したラシアールたちが狼狽した面持ちで漂っていた。


「どうしますか、侯爵?」


 表情にまだ覇気が残っているブルーが聞いてきた。彼もまた、自分と同じように危険を好む質らしい。


「待機してた連中は?」

「まだあそこに残ってます」


 町の上空から少し離れた場所に、一段が滞空している。こちらと合流すべきか待機すべきなのか、さぞや迷っていることだろう。早くこちらから移動して、きちんと作戦を練り直すべきだ。


「ごめん、ブルー、僕の作戦ミス」

「なにがです?」

「お前を残しておかなかった。つまり別働隊に指令がいない」

「あそこなら大丈夫でしょう。それにしてもまさか火矢とはびっくりですよ。屋根に雪がなかったら、今頃大火災が発生してましたよ。あっ、あそこは燃えていますね」


 ブルーが指さした方向には、一部燃え始めている家畜用の小屋があった。小屋の外に積んである麦わらに火がついたようだ。


「ただの怠慢で雪をそのままにしていたんだと思ってた。この辺りの家は全部、木製の屋根みたいだから、この攻撃に備えて雪下ろしをさせなかったんだ」

「町の人間は家の中にいるんですかね?」

「たぶん、そうだと思うよ」

「だったら大変なことになっているかも。矢が屋根を貫通している家がいくつかあるようですよ。っていうか、あれは!?」


 その指の先は、立ち並ぶ民家の屋根だ。その上に数十人がいつの間にか登っていた。

 ほぼ全員が矢を構えている。その狙いは後方部隊だ。

 しかし指令者のいない彼らにも退く知恵はあるらしい。もっともその動きは部隊とは呼べない不統一なものであるが。

 ユーリィがホッと安心したのもつかの間、ふたたびブルーが声を上げた。


「まさか!?」

「ヤバい!」


 それは後方部隊のさらに後方だった。突如、雪が覆う大地に数人が現れたのだ。黒いローブを身にまとう姿には、確かに見覚えがある。


「ククリか!?」


 ユーリィの叫び声に反応するかのように、青白い光が後方部隊へと放たれた。緑色の鳥が一体直撃を食らう。屋根にばかり気を取られていたせいだ。落ちていく魔物を見て、ブルーが「くそ!!」と怒りの声を発した。


「あ、屋根の上にも……」


 言ったのは右下にいるラシアールの一人だ。


「つまり領民を盾に使おうってことか」


 メチャレフ伯爵が知ったらさぞや怒り狂っていることだろう。ユーリィ自身も、動きをすっかり読まれていた自分に怒りを覚えていた。


「どうしますか、侯爵?」

「とにかく森まで後退する!」


 そこまで戻って陸動部隊と合流しよう。軍隊としての統率が執れなくても、五十もの魔物を前にしては、いくらククリでも太刀打ちできないだろう。

 しかしだれかが空を見上げて叫んだ時、それすらも難しい状況であるとフェンリルが教えてくれた。

 雲の切れ目から五体の魔物が姿を現す。その瞬間に藍鼠色の体毛が逆立っていくのを、ユーリィは指先で感じていた。


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