第5話 責任なき責任
フィッツバーン侯爵との面談後、ユーリィはまだ謁見の間にいた。実はこれからが今日のメインディッシュだ。相手はエルフ・ラシアール族の面々。
やがて予定の時間になると、長老シュランプを筆頭にその他五人が謁見の間に姿を現す。髪色はも体格も年齢もまちまちだか、尖った耳と白目のない眼というエルフ族の特徴をみな持っていた。
適当に挨拶を交わすとすぐ、いつものごとく長老が話し始めた。
この老人の話は長い。意味不明な前口上から始まって、時系列など無視して話が前後し、しかも大事なことだからなのか各々二回。もちろん今日もいつもの通り。長期戦になりそうな予感があった。
ヴォルフには残っていて欲しかったのに、あっさり逃げられた。”自分は役に立たないから”というのが彼の言い分。
本当にそうなんだろうか?
そもそも彼が一日何をしているのか。今日のように一緒にいて欲しいと頼んでも、数時間でどこかに消えていく。以前のように、嫉妬と劣情が混じった目をしてべったり張りつかれることも少なくなった。夜遅く戻ってきたのは一度や二度ではない。
(まさか浮気か!?)
思い当たる節はある。
二ヶ月前、久しぶりに肌を重ねた。再会の喜びもあって、ついつい恥ずかしいことを口走ったら、ヴォルフのあちこちに火を点けたらしい。そのせいで次の日は夕方まで体調不良に苦しんだ。
あれが原因でヴォルフが萎縮して、その燃えさかる欲情をどっかの女に注ぎ込んでいる、ということはあるだろうか?
(あいつ、妙なことを考えて自滅するからなぁ。今夜、問い詰めてみるか。返事によっては久しぶりに……)
明日の予定はなんちゃら子爵との面談しかない。それなら具合が悪いのを理由に断るのも有りだと思った。
(あんまり変なことを口走らないように気をつけようっと)
口を噤んだままの行為に、ヴォルフは果たしてどう反応するだろうか。色々焦って必死になるかもしれない。それはそれで面白そうだ。
そんなことを考えて、ユーリィの口角は自然と上がっていった。
「侯爵?」
「えっ?」
隣に座っているブルーという名の男に肩を突かれた。エルフにしては長身で、黒い髪にハシバミ色と呼ばれる薄茶の瞳をしている。表情が常に明るいのは、その性格が表れているためだろう。
「聞いてます?」
「えっと、聞いてるよ」
「口がニヤついてますけど?」
ユーリィは慌てて両手で口を塞いだ。
「あ、やっぱり。でもご年齢がご年齢だから、あんまり頻繁だと死にますよ?」
「頻繁になんてしてない! 二ヶ月ぶ……あ……」
全ての視線が自分へと向けられてたのに気づき、必死にごまかそうと視線をオロオロさせたユーリィだったが、顔が上気するのだけは止められなかった。
隣ではブルーがニタニタしている。ヴォルフとの関係を知っている数少ないひとりだから、楽しくて仕方がないのだろう。そのにやけ顔を横目で睨み、真顔を作って続けろと命令した。
「……ということで、物資の配給については以上でございます」
不幸中の幸いで、長老はいつもの半分の長さで話を終わらせてくれた。
「分かった。ありがとう、シュランプ長老。ところでブルー、例の件はもう終わったのか?」
二ヶ月前に指示したことがまだだったら問い詰めてやる。さっきの報復だ。そう思っていると、彼はまだにやけたまま「はい」と即答した。
「ただ半数は上から見ただけですから、ざっくりとした様子しか見れませんでしたが」
ブルーは胸元から折りたたまれた一枚の紙を取り出す。便せん六枚をつなぎ合わせたもので、広げるとそれなりの大きさがあった。そこにはソフィニアおよびガサリナ地方の大まかな地図が描かれている。所々に書き込まれた数字と記号は事前に打ち合わせたとおりだった。
こう見えても仕事はきちんとこなす男だから別に驚きはしない。ただ報復ができなかったのが残念なだけだ。
ユーリィも同じものを出して、囲んだテーブルに二枚を並べて広げた。
「これは?」
長老には話をしていなかったので、その顔は訝しげだ。報告だけでいいと思っていたが、蔑ろにしてたようで気が引けて、ユーリィはきちんと説明することにした。
「こっちは僕が作ったもの。書き込まれているのは領主たちの安否だ。×は死亡もしくは不明、〇はとりあえず生きている。出した手紙の返事や、ここに来た奴らから聞き出した。並んでいる×と〇は領地の状況 ――つまり現存する領民と農地と家畜ってこと。そしてこっちが、ブルーたちが上から見た様子を書き込んだもの。彼らが真実を語っているかどうか、一応の確認は必要だからね」
なるほどと老人は小さくうなずく。真っ白な眉の下にある黒い目が真剣な色を帯び始めた。
この老人には諸問題はあるものの、こうして年下の話に真剣に耳を傾けてくれる。今まで出会った権力者の中でも一番やりやすかった。ラシアールたちに対するユーリィの指示にも、異を唱えることは滅多にない。それとも、地位を与えると以前言った鼻薬が効いているのだろうか。
「これを作られた意図はなんでしょうか?」
「もちろん被害状況の確認だよ。あとは嘘つきのあぶり出し。被害が少なかった領主たちが、どのくらい援助物資を送る気があるかのを知りたいから。それからイワノフおよびベレーネク領の状況の推移。どちらも大きいので、把握が必要だった」
老人は目を細め、「ほぉ」と合いの手を入れてから、「さすがは侯爵」と言った。
そんな歯の浮くようなお世辞を無視し、ユーリィは地図を見比べる。ソフィニア―ガサリナ地方に領を持つ貴族は約三百。二つの情報から嘘つきもちらほら見受けられた。家畜が全滅した、農地が荒らされた、領民がほとんど死んだなどと嘆きの返事を送ってきたにもかかわらず、ブルーの地図には〇が書き込まれていたりする。ギルドもしくは僕に手を貸す気などさらさらないという証だなとユーリィは判断した。そういう奴らをどう処理すべきか考えると頭が痛い。飴か鞭か、熟慮しなければならない。
地図を読み解く限りでは、やはり被害はソフィニア南部中央と、シャルファイドの森をはさんだ南北に集中していることが分かった。特に都市ソフィニア以南は酷い有様だ。領主まで失った場所は三十近くある。その中で、リマンスキー子爵家だけが無事だったことだけが心を軽くさせた。
エルネスタ・リマンスキー嬢は、ユーリィが同世代の異性として初めて会話した相手だ。明るく聡明な彼女と話すと、不思議に心が穏やかになる。そのくせ大きな野望を持っていることも、意外性があって面白かった。
「この地図を基に、侯爵はどうなされるおつもりですか?」
長老の声に、ユーリィはハニーブラウンの髪を持つ少女の記憶から、現実へと引き戻された。
「ギルドの管理地の状況は今ジョルバンニがまとめてる。それらを総括して、まずは被害が少なかったところから食料などを供給させるつもり。申し出てきた領主には、来年もしくは再来年のギルド徴収金軽減の協定を結ぶ。この地図を見れば正直者がだれか分かるし、ギルドも働きかけやすいからね。領主がいなくなった場所はひとまずギルド管理下において、継承権がどこにあるか追々調べる。近しい親族がいない場合は、そのままギルド管理地に」
「そうなるとラシアールはますます忙しくなりそうですな?」
「そうだね」
後々は荷馬車を使うつもりだが、今は使い魔を扱えるラシアールたちに素早く輸送してもらう必要がある。事態が切迫していることは、ソフィニアとその周辺を警備しているアーリングの報告で明らかだった。
「あとはこの街に押し寄せてきている難民たちをどうするか。領民が減った場所に移せれば理想的だね。ただし、ソフィニアとガサリナだけで今すぐに物資の問題を解決するのはかなり難しいと思う。もっと大規模に輸入が必要だけど、いずれにしても相当の金がいる」
イワノフとベレーネクの資産を全て使ってもとても足りないし、そもそも自分にはそれを使う権利がなかった。
ユーリィは指先で、地図のある場所をこんこんと叩いた。そこに答えが眠っている。それに気づいた長老は、「水晶ですか」と呟いた。
「ククリたちはまだ砂漠に居座ってるの?」
エルフのククリ族は、魔物襲来を企てた責任があった。彼らが暮らす砂漠には水晶鉱脈があるのだが、そこを手に入れられれば金の問題もすぐに解決できるだろう。
「説得は続けています。ですがラシアールとククリは大昔から対立しているので、我らの言葉など耳は傾けないでしょう」
「メチャレフ家の近衛兵たちは、今も包囲を?」
「そのはずです。しかし残党とはいえ、やはり百人ものエルフに人間が立ち向かうのは難しいのでしょうな。しかも相手は巣籠もりしているのですから」
大半のククリは素直に投降し、女・子供も含めてギルドが留置している。残るは抵抗勢力だけ。このふた月、消耗戦がずっと続いていた。
「しかたがない、やっぱり炙り出しをするか」
言っていることが理解できなかったようで、長老もブルーも眉をひそめた。ユーリィにしてみれば悩むほどのことではないのにと思ってしまう。
「作戦変更ってこと。砂漠の周辺にある町や村、それと川や沼もすべて警戒するよう領主たちに徹底させることにする。書簡はあとで渡すから早急に送って欲しい。それとメチャレフ伯爵にも伝えて。どうせ出しゃばって砂漠にいるんだろ、あの爺さん?」
どうしてもしゃしゃり出たくなる厄介な老人が脳裏に浮かぶ。そのくせイワノフを任せると言うと、途端に逃げ腰になるから質が悪い。
「いいですけど、でも砂漠の方はどうするんですか?」
「もう包囲する必要はないよ、穴だらけだろうし。そろそろククリの備蓄も底を尽きる頃だから、なんとか手に入れようとするはずだと思う。そこを狙う」
「それじゃ、俺らも手伝った方がいいですね?」
「手が空いている者がいれば、そうして欲しい。あ、それとククリは姿を消す魔法を使えるのを忘れるなよ」
それから細かいところを決め、ギルドに提出する書類を作る。話し合いが終了した頃、日はどっぷり暮れていた。
退室したラシアールを見送り、ユーリィはソファの背もたれに寄り掛かった。
天井から下がるシャンデリアの上で、ロウソクの炎が揺れている。ラシアールの一人が魔法で点けてくれた。大昔ならきっと数十もの炎が揺れていただろうが、今はたった三本点けるだけでもためらってしまう。ランプは油がもったいないので、とうの昔に諦めた。
本当に自分は上手くやっているのだろうかと思うと、気が滅入ってくる。吐き出した息にも疲れが混じっていた。
そもそも自分にはなんの権限もないし大人でもない。どうして皆、そんな相手を頼るのだろうと不思議だった。
明日は今日の結論をギルドの面々に話さなければならない。最近は慣れたが、会話することは苦手な分野だから、ラシアールとギルドが直接話して欲しかった。迅速に問題解決を図るなら、大人たちで考えるべきだ。
(ジョルバンニが自分でやればいいのに)
彼が切れ者であることは間違いない。しかもギルドを統括できるところまで上り詰めている。それなのに、イワノフの庶子をわざわざ祭り上げようとする魂胆がさっぱり見えない。それが苛つきの原因だった。