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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第47話 戯曲『ビシュレット』

 晩餐会が終わり、ユーリィが部屋に戻ってみると、暖炉にはすでに火が焚かれていた。大量の薪がくべられ、室内は暑いほどに暖かい。それを主人への配慮だと考えれば確かにそうかもしれないが、ユーリィはそうは思わなかった。

 今後は無断で部屋に入ることを禁じよう。

 ユーリィのあとからコレットが遠慮なく入ってきた。他にも世話係はいるはずなのに、ここ数日は彼女ばかりだ。

 猫背の女は、手にした緋色のマントを丁寧に折りたたみ、衣装部屋へと持っていった。

 その間に廊下側の扉がノックをされた。それはいつものノックとは全く違う。“侯爵の部屋の扉をノックする時は、必ず小刻みに三回”とジョルバンニが勝手に決めて、伝令の兵士や召使いはもちろんのこと、ディンケル、シュウェルト、そしてジョルバンニ自身もそれを徹底し、慌ただしいそのリズムで扉を叩いた。

 しかし今はゆっくりと五回。まるでなにかの合図のようだ。

 コレットはまだ衣装部屋から戻って来ない。


(でも暴漢だとしても、彼女が立ち向かえるとは思えないよなぁ)


 どうやら自分で対処するしかないらしいと覚悟を決め、ユーリィは腰にある短剣を確かめつつ、座ったばかりのソファから腰を浮かせた。

 すると、「お待ちください!」と叫ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、ちょうどコレットが衣装部屋から飛ぶような足取りで室内を横切っている。その手には薄紫のマントが、ぐちゃぐちゃに握られていた。


「僕が出るよ」

「いけません。万が一のことがあったら私が侯爵をお守りするように、ジョルバンニ様から言われています。特に今日は注意しなさいと念を押されました」

「でもコレットが……」

「大丈夫です」


 女は自分が猫背であることをすっかり忘れ、素早い身のこなしで扉の前へと移動した。


「どなたです?」


 いつもと違う鋭い声色で、彼女は扉の向こうへ問い(ただ)した。


「あ、自分です」


 戻ってきたのはユーリィにとって聞き慣れた声だ。だがコレットは分からなかったのか、「だれです!?」とさらに厳しい声を発した。


「ラウロ・ヘルマンです」


 コレットが眉をひそめる。ユーリィはすかさず、「最近、この部屋で警護するようになった兵士だよ」と教えてやった。


「侯爵様は警備兵だとおっしゃっていますが、そうなんですか?」

「ええ、そうです」


「ほらね」と言ってノブに掛けたユーリィの手を、コレットが上から押さえ込んだ。


「警護兵なら、どうして規則通りのノックをしなかったんですか?」

「ノック……? あっ! 忘れていました、すみません。ちょっと寝不足で……」

「そんな言い訳は」

「本当に本当です」


 扉の向こうでラウロがどういう表情をしているのか想像できて、ユーリィは可笑しくなった。きっと今まで幾度も見たあの情けない表情でオロオロしているだろう。そういえば彼はちょっとロバに似ている。重い荷物を背負わされ、うつむいて歩く使役の動物だ。

 ユーリィは友の背中から荷物を早く取り除いてあげたくなって、コレットの手を払い退けた。


「コレット、友達の声が本人かどうか、僕にだって分かるから」


 きっぱりと宣言し、まだ制止しようとするコレットを無視して、白い扉を開ける。案の定、ロバに似た青年は、困り果てた顔で立ち尽くしていた。


「あの、えっと、侯爵、す、すみません……」

「いいさ。でも次からは間違えるなよ」

「はい」


 神妙な面持ちで入ってきたラウロとは対照的に、いかにも面白くないという表情をしてコレットはマントを抱えて衣装部屋へと消えていった。その後ろ姿をラウロは目で追いつつ、ぽつりと呟く。


「なんかあの人、ビシュレットとは雰囲気が違う気が……」

「ビシュレット?」


 聞かれているとは思っていなかったのか、例によってラウロは顔を赤らめて、しどろもどろに説明した。


「む、昔、教会にいた頃に演劇をやって、ビシュレットっていう女の……」

「もしかして、シュナーレの戯曲“天と地と海と”の中にある召使いの話か?」

「ええと、たぶん」

「コレットはそのビュシュレットに似ていると?」

「寄付金集めの為に子供がやった劇なので、本物とは違うかもしれませんけど。幼なじみは、あの人みたいに猫背で、ちょっと気弱な感じの演技をして……」

「鈍くさい女を演じたってことか」

「ええ、まあ」


 ふぅんと言って、ユーリィはしばし考えた。

 二度と同じことが起こらないという保証はないのだし、本人を攻めるよりも外堀から埋めていく方が効果的かもしれない。

 やがてコレットが紺色の布を片手に現れた。


「あの、侯爵様、明日はこのマントで、よろしいでしょうか」


 衣装部屋の中で変身でもしているかと思うほど、ラウロを責め立てた女とは明らかに違う、猫背の鈍くさい女になっている。それを見たラウロはなにか言いたげな目をしたが、その気持ちを口にせず、所定の位置である扉の横で警護兵らしく直立不動の姿勢になった。


「ああ、うん、それでいいよ」

「では、そういたします」


 衣装部屋へ戻ろうとする女を、「ちょっと待って」とユーリィは引き留めた。そうして自分はソファへ座り、戸惑って立ち尽くしているコレットににっこり微笑みかける。


「あ、あの、なんでございましょう?」

「今日はさ、色々あってスゴく大変だったんだ」

「え、ええ」

「で、その話をしたいから、少し付き合ってくれる?」

「私がですか?」


 驚きの表情を作ってコレットが言った。しかしマントを持つ指に力が入るのを、ユーリィは見逃さなかった。警戒していると、そう直感した。


「本会議の方も大変だったけど、そのあともね」

「はぁ……」

「僕と、メチャレフ伯爵と、アーリング士爵と、シュランプ長老と、それからジョルバンニで話し合ったんだ。ああ、コレットは外にいたから知っているか」

「いえ、中にどなたがいらしたのかは存じません」

「へぇ、そう? まあ、いいや」


 ユーリィは腰を浮かせて、コレットが立っている方へ少し向くと、足を組んで座り直した。


「でね、初めはジョルバンニの独擅場だったんだよ。とは言っても、怒り心頭って感じだったんだけどさ」

「は、はぁ……」

「僕が動き出したのが気に入らなかったんだろうね。ギルド内部が不安定な状況なのに時期尚早だとか、アーリングの態度はギルドに対する反目と受け取られるとか、メチャレフ伯爵が貴族連中を焚きつけようとしたとか、その他色々だよ」

「あ、あの、申し訳ありません。私にはなんのことなのかさっぱり」

「まあ、そう言わずに黙って聞いて。で、そんな感じでジョルバンニが怒っているから、僕はもう一度あの質問をしたのさ」


 まだなにを言われるか分かっていないコレットは、明白な警戒心は見せていない。そんな彼女がどういう態度に出るのか、期待と不安に高鳴る胸を押さえつつ、ユーリィは和やかな声で先を続けた。


「ギルドが落ち着くまで僕に眠ってもらいたいから、あの薬を飲ませいたのか? ってね」


 喉仏がない女の喉であっても、ゴクリと唾を飲み下す様子がはっきり見て取れた。


「あの薬とは……」

「メチャレフ伯爵からもらったというあの薬だよ。でも伯爵はそんなものは渡していないって言っていたけどね。煎じ薬はお前が用意したとして、料理の方はあのコックだね。他にもいるんだろう、お前の仲間が?」

「私は……」


 動揺で言葉が繋がらない女を尻目に、ユーリィは腰から剣を抜き、それを握ったまま腕を組んだ。


「薬の件を話したら、伯爵とアーリングが怒り出したんだ。さすがにあれには僕もびっくりしたよ。アーリングに至っては、“侯爵暗殺を企てた反逆者め”と言って、ジョルバンニの胸ぐらを掴んだ始末さ」


 暗殺という言葉を聞いたからか、ラウロが動き出そうとする気配がした。


「ラウロ、心配しなくていい」

「ですが」

「暗殺なんて、そんなことをジョルバンニ様は企んではおりません! あの方は本当に侯爵をお守りしようとしているだけです。私もそのつもりでここにいるのですから」

「うん、僕もそう思う。僕を殺してもあの男になんの得にもならないからね。だからあの時もそう言ってアーリングを沈めたよ。彼の野望がどこにあるかは知らないけど、今は僕が必要なはずさ」


 肩の荷を下ろしたように、コレットはゆっくりと息を吐いた。しかし彼女はもう猫背で鈍くさい女ではない。背中を伸ばした姿からは、瞳を鋭く光らせる諜者の気配がにじみ出ていた。


「それで、どうなされるおつもりでしょうか? 私を捕まえますか?」

「僕は服のセンスがないからね。紺のマントにはなにが合うかなんてさっぱり分からない」

「そうですか、ありがとうございます」

「でも苦い薬は二度とごめんだ」


 軽く会釈をして、コレットは部屋から立ち去った。


 それからしばらくして、ユーリィはラウロと話していた。ソファに座れと言っても彼は扉のそばから離れることを拒絶した。


「まさかあの女が諜者だったなんて驚きました。あ、でもなにかの時にあれ?って思った気もしますが」

「しばらくは彼女やその仲間に殺される心配はないはず」


 それにしても、アーリングに掴まれたあとのジョルバンニの様子は面白かったと、ユーリィは思い出し笑いに口角をやや上げた。いつもイライラさせられた冷徹な眼鏡顔が、恐怖に強ばるのを見た時は、胸のすく思いだった。

 上擦った声で彼が「侯爵が密約のお得意な方だとは思いませんでした」と言った時は、本当に吹き出しそうになってしまった。

 密約とはなにかと伯爵が尋ねると、ここにいる三人と侯爵はどんな契約を結ばれたのか、さぞや良い条件なのだろうと、皮肉混じりの悪態をついた。

 そんな約束はしていないとアーリングが答えたが、たぶん信じてないだろう。

 あとでアーリングからこっそり聞いた話では、ジョルバンニと彼は密かに契約をしていたそうだ。それはジョルバンニの指示に従うのなら、ギルド管轄地の一部を領地として授与するというものだ。士爵は名誉だけの爵位なので、アーリングが飛びつくと思ったのかもしれない。

「私は妻も子もいませんので、そんなものをもらっても邪魔なだけです」とアーリングはにやりと笑ってせた。

 それからギルドの動きに注意しようという話になった。今ギルドが崩壊すれば、困るのは民なのだから。当面はアーリングとジョルバンニが監視体制を執ることにした。英雄アーリングが目を光らせれば、底辺まで造反者は広がらないだろう。あとは貴族たちをどう黙らせるか。特にメチャレフ伯爵の次男は厄介だ。そのことを父親に言うと、老人は「わしの目の黒いうちは好き勝手にはさせない」と断言した。


「あの、侯爵……?」


 蚊の鳴くような声が聞こえてきて、ユーリィは我に返った。いつの間にか悪い癖が出て、思考の中に沈み込んでいたらしい。体をねじって、友の立つ方へ顔を向ける。相変わらず彼は、ロバみたいに哀しげな顔をしていた。


「お伺いしてもいいですか?」

「なに?」

「侯爵とグラハンスさんは、その……」


 言い難そうに彼は一度口を閉ざし、ためらいを見せつつ先を続けた。


「体のご関係があるんですか?」


 ずいぶん大胆なことを聞くと驚き、ユーリィはラウロの顔をじっくり眺める。顔を赤らめるのかと思ったのに、冴えない顔つきになっていった。

 なんと答えよう? いくらなんでも、己の交接を語れるはずもなく。

 少々考えた末、それらしい返答を見つけることに成功した。ただし、かなり気恥ずかしい言葉である。ヴォルフみたいに愛だ恋だと平気で言えるほど大人ではないので、顔を見られないように、ねじった体を元に戻した。


「僕たちはね、運命の鎖で繋がれているんだ」

「運命の鎖……」

「別な言い方をするなら、ヴォルフは僕の一部、僕はヴォルフの一部ってこと」


 もしも彼がまだ妙な感情を抱いているのなら、これで諦めてくれるだろうか?

 自分のものではない者を好きになるのは、本当に辛いことだ。どうか一時的な感情でありますように心から願うのは、胸を締めつけられる痛みをユーリィも知っていたからだった。


「そうですか」


 分かってくれたのだと思った。

 そう思いたかっただけかもしれない。

 彼の声があまりにも暗く、あまりにも悲しげだったと気づいていたのに。


 友達はもう二度と失いたくなかったのに……。


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