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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第44話 “狭間に住むモノ”

 濁りのない青空、雪をまとう四方の山巓、散った雲が混じる気流。草ひとつ生えてなく、空と雪と岩だけがある雄大な景色は、別の世界に来たようだ。ヴォルフは息苦しさと寒さを忘れ、しばしそれを眺めていた。

 ワーニングが下ろしてくれた場所はなだらかな斜面。すぐ後ろは崖になっていて、下には深くて暗い谷底がある。吹き上がってくる風はかなり強く、何度か前にのめりそうになった。足元は雪というより白い氷だ。突風に舞い上がることもなく、踏みしめるたびにザクリとした感触が足裏に伝わってきた。

 前方の遙か先に鋭く尖った岩山が見える。この周辺では一番高い場所だろう。表面はほとんど白に染まっているが、ところどころ茶色い岩肌が見えていた。その岩山の下、陽光を反射させた小さな湖がある。川もないこんな高い場所に存在しているのは、まるで奇跡だ。たぶん魚も住んではいないだろう。それほど深くはないようで、透明に近い水を通して底が薄らと見えていた。


「ヴォ、ヴォルフさん……寒いんだけど……」


 斜め後ろにいるブルーの震え声に、ヴォルフはようやく我に返る。


「あ、悪い。ちょっと見とれてた」

「らしいっすね。でも俺は寒すぎて、感動も凍りついてます」

「コートを着てるじゃないか」

「知ってました? ラシアールって元々暖かい地域に住んでたんですよ」

「だから?」

「セシャール生まれのヴォルフさんと違って、寒さに耐久性が……。ああ、なんで手袋とブーツと帽子も借りてくれなかったんっすか。今さら言ってもしかたないけど、俺、長時間は保ちませんよ、わりとマジで」


 ベラベラとしゃべっているが、確かに歯の根は合ってなさそうだ。


『うむ、ワシも寒いのぉ』


 首の下からリュットの声が聞こえてきた。精霊フクロウはちゃっかりとヴォルフのコートの中に入って、頭だけ胸の間から出している。少々鬱陶しかったが、おかげでコートだけよりも暖かい。


「こんな場所に湖があるなんて思わなくて驚いたんだよ。悪かった」

『よく見るのじゃ。これはただの湖ではないぞ』


 そう言われてもう一度見直すと、確かに湖とはなにかが違う。

 なんだろうと首を傾げると、さらに震えた声でブルーが答えを先に言ってしまった。


「この風なのに、波がないっすね」

「あっ、まさか氷……?」

『そうじゃ。表面が急速に凍りついたせいで、まるで水のように透明なのじゃよ』

「つまりこの湖を歩いて渡れと?」


 目指すはあの岩山なのだろうか。

 だとしたら、もう一度ワーニングを呼んで、上から行った方が良いだろう。ブルーほどではないが、ヴォルフ自身もかなり寒いと感じていたし、それよりなにより息苦しいのが厄介だった。


「それにしても、なんか息苦しいな」

「あ、それ、高いところで時々感じるやつですよ」

『空気が薄いせいじゃな』

「なんで?」

『寒いので説明は省略させてもらう。それより目的地はこの湖じゃよ』

「まさかこの氷の下になにかいるって言うんじゃないだろうな?」

『そのまさかじゃ』


 ヴォルフは湖に目を転じた。清んだ氷の下にいる得体の知れないもの。対峙する相手としては最悪な分類かもしれないと思うと、冷たいものを感じてゾクリとした。


「……相手は魔物か?」

『人間が“魔物”と呼ぶモノとは少々違うな』

「では精霊?」

『ワシらとも違う』


 フクロウは胸元を蹴ってコートから抜け出し舞い上がる。鼻を片羽根に打たれて痛かった。


『強いて言えば“狭間に住むモノ”じゃよ』

「っていうか、痛かったんだけど、謝罪は……」

『名前を訊くのではないぞ。名前などワシらにはない。“リュット”という名も、かつてエルフが付けたものじゃ』

「無視かよ、まあいいけど」


 右手で鼻を押さえ、左手はかぎ爪に蹴られた胸を押さえ、頭上のフクロウを睨んでから、ふたたび湖を眺めた。


「“狭間に住むモノ”か……。それだけを聞けば、なんか魔物っぽいけどな」

「俺はどっちかって言うと、人間が信仰してる神様みたいなのを想像したっすよ。えっと、マルハンヌス? 確かこの世界が二つに分かれた時、もうひとつの世界から来る魔物を退治して、今も門番をしているとかそんな伝説があるんですよね?」

「若干違うが、ま、似たようなもんだ」


 まだ人間が動物のような暮らしをしていた遙か昔、空の彼方から強い瘴気を帯びたモノが落ちてきたという。それによりこの世界に住む生き物が次々と魔物に変化した。神マルハンヌスは壊れかけたそんな世界を二つに分け、凶暴な魔物となったモノを向こう側に押し込めた。聖典ではエルフも元人間で、その瘴気にあてられた者たちだそうだ。そしてこの世界に魔物がいるのも、人間が狂気に陥るのも、まだ残っている瘴気のせいだという。

 マルハンヌスについてヴォルフ自身は半信半疑といったところだが、“向こう側”と呼ばれる世界があるのは間違いない。それが存在しているということは、先の戦いで証明されていた。


「侯爵が“神の再来”とか“天子”と呼ばれるのは、そのせいだって聞きましたよ」

「あいつはそんなモノじゃないさ。純真で、優しくて、素直じゃないただの少年」

「こんなクソ寒いところでも惚気られるんだ。へぇ……」

『惚気られても、ワシらは暖かくならん。それよりも準備は良いか? そっちのエルフは虫の魔物で少し離れるのじゃ。ワシもあとで行くからあまり遠くには行くのではないぞ』

「だから惚気じゃなくて、あいつの本当の姿を……」

『ごちゃごちゃうるさい人間じゃのぉ。行くぞ』

「お、おい、ちょっと待て!」


 ヴォルフの制止も聞かず、頭上で滞空していたフクロウは、体を横に倒した。両羽根を大きく広げると、背後から吹く風がそれを捉えたようだ。数回の羽ばたきをしただけで、茶色い体は湖に向かって滑空し始める。すると羽根がすぐに閉じられて、投石された岩のような姿で湖の上を一直線に飛んでいってしまった。


「あいつ、なんの説明もしないで……」

「別にいいじゃないっすか。今から出てくるだろうから、百聞は一見にしかず。俺はもう耐えられないんで、ワーニングで下の方に降りてますよ。フクロウ爺さんにもそう伝えておいてください」


 言うだけ言ったブルーは、やや後方に移動して崖の方を見やる。すぐさま崖下からワーニングが姿を現し、風に押されて体をくねらせつつも(ぬし)へと近いた。巨大ムカデは片側の足を数本真っ直ぐ伸ばす。するとブルーはそのうち二本を掴んで、腕と足の反動を利用し、器用に魔物の背中へとよじ登った。


「じゃ、そういうことで!!」


 荒む風に負けない声を出し、ブルーは使い魔虫とともに、湖のある峰から離れていった。


「なにが“そういうことで”だ……」


 でも本当は、なんだかんだ言いながらもこんな場所に付き合ってくれているブルーに、ヴォルフは心で感謝した。

 気を取り直して湖の方を見ると、茶色い鳥は凄まじい速度で氷の上を四方八方に飛び回っていた。


「行ってみるか」


 ここ数日でなんどもした決意を新たに、ヴォルフは歩き出した。

 鋭い風音に、氷となった根雪を踏みしめる自分の足音が混じる。髪が舞い上がり、そのたびに耳がちぎれそうに痛かった。ポケットに両手を突っ込みたいのを右手だけで我慢する。寒さのせいで、左の感覚を少し失っていた。

 登りの斜面だった大地は、湖が近くなると前へと傾斜する。追い風に急かされて、自然と足が速くなり、あっという間に湖岸へと到着していた。

 近くに来ると、湖を覆う氷はいっそう清んで見える。どれくらいの厚さなのかは分からないが、氷の下の水も色がないのだろう。

 湖底へと落ちる不安を拭いながら、ヴォルフは一歩前に踏み出した。


「うっ……」


 靴底が滑って転びそうになる。尋常じゃない滑りやすさだ。苔の生えた岩場を歩くよりもっと酷い。二歩目からは歩き方を変え、靴底を水平に下ろすことにした。

 まさに薄氷を踏むがごとく、慎重に慎重に数十歩ほど行ったその時__


『待つのじゃ』


 湖上を飛び回っていたフクロウが、知らぬ間に頭上で飛んでいた。


「行けと言ったり、待てと言ったり……」


 一度上げた足をゆっくり下ろし、ヴォルフはとりあえずの文句を言った。


『もうすぐ、あのモノが現れるぞ』

「どんな奴だ?」

『ワシと一緒で人の目に映る姿などない存在であり、あらゆるモノの姿をしておる』

「ちょっと言ってる意味がわからん」

『要するに、あのモノはこちら側ではどのような姿にもなれるという意味じゃ』

「人間っぽい感じでよろしくと、言っておいてくれたか?」


 フクロウは小馬鹿にするようにホーホーと鳴くと、ヴォルフの頭にドスンと乗っかった。


『そこまで親しき仲ではないわ。あのモノは門番、ワシは大地を司る。相まみえぬ存在じゃ』

「大地を司るのに飛んでるとか……」

『おぬしはワシの言葉にいちいち文句を言わねば気が済まぬのか!?』

「文句じゃなくて、素朴な疑問だ」

『力が枯れた一時、たまたまこのフクロウがワシの上を飛んできたのじゃ。という説明はどうでもいいのじゃ! もう来るぞ!』

「来ると言われても、なにをすればいいんだ、俺は!?」


 視線を上げ、鋭い爪が付いた二本の足を見る。一応は気を使っているのか、二つの爪の先端は前髪よりも前へと出ていた。


『なにをするかあのモノが決める。話すのか戦うのか、ワシにも分からぬ』

「戦うって……」


 言いかけた時、小刻みに大地が揺れた。

 その兆候が終わる頃、はっきりとした振動が足へと伝わる。耳は低く唸るような音を捉えていて、間違いなくなにかが来るという気配を感じ取っていた。


「なんか……ヤバそうなのが来る気が……」


 またもやすべて言わせてはもらえなかった。なぜならすぐ先の氷の下を黒いモノが通り過ぎたのを見たからだ。


「ご登場か」


 その言葉と、氷が下から突き破られたのはほぼ同時。凄まじい破壊音が轟く。砕かれた大小様々な破片は煌めきながら止めどなく降り注ぎ、さらなる爆音を辺りにまき散らした。

 そして現れたのは__


「まさか、あれと戦えと?」


 馬車二台分ほどの大きさのあるそれは、まさしく竜。空と同じ青い鱗が陽光に輝く。太い四肢の先にはフクロウとは比べものにならないかぎ爪が付いている。長く細い尾はゆらゆらと揺れているが、広げられた二枚の翼は羽ばたいてはいなかった。


『想像してたよりも、少々強そうな姿を選んだものじゃ』

「想像以上だ」

『戦いになるとは限らぬぞ』

「あれはどう見ても戦闘態勢だから!!」


 ヴォルフの叫び声に反応したかのように、竜は一気に頭から突っ込んできた。

 口からはみ出た二本の牙と、頭部にある二本の角に脅威を感じ、ヴォルフはなんとか体をひねって後退した。

 しかし足下はあまりにも滑りやすく、走ることなど叶わない。リュットはすでに高く舞い上がっていた。


「自分だけ逃げるのかよ!」

『せいぜい頑張るのじゃ、ホーホー』

「クソ精霊!!」


 もう一か八かに賭けるしかなさそうだ。

 近づいてくる竜を左目で睨みつつ、ヴォルフは右手で己の目に触れた。


 狼魔よ、我が愛しき者の守護神よ。

 すべてお前に託す。


 心でそう呟きながら……。


推敲はしましたが、誤字が残っているかも……。

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