第42話 軽薄者
使い古されたテーブルを囲み、これまた使い古された椅子に三人が座っている。椅子は揃いというわけではなく、この家にあるすべてを集めた結果だ。
場所はハイヤーの古家。森の入口にある集落の一軒で、掘っ立て小屋に近かった。
室内は雑然としていた。床にはいくつか木箱が置かれていて、芋や豆など野菜が入っている。言い訳として「調理場が狭いから、悪いね」とジュゼが申し訳なさそうに謝った。
家主のふたりはもう寝てしまっている。老婆は年寄りだからと言い、ハイヤーは早朝に船に乗るからとそれぞれ呟いて、隣の寝室に入っていった。
ランプの炎が小さなキャビネットの上で揺れる。その光がみなの顔に陰鬱な影を作っていた。
「で、行くのか行かないのか、早く決めろ、ブルー」
「そんなに苛つかないで下さいよ、ヴォルフさん。まあ、気持ちは分かりますけど」
同情するようなブルーの視線が、ヴォルフの頭上へと移動した。
「リュット、いつまでそこに乗ってるつもりだ」
『なに、気にするな』
追い払おうとヴォルフが手を上げる。すると頭に乗っていた鳥は軽く舞い上がり、すぐに頭上へと戻ってきた。
重さに首と肩が凝り始めたし、かぎ爪が頭皮に食い込んで痛い。本音としては、捕まえて羽根をむしり取りたい気分だが、無下に扱うとリュットの機嫌を損ねそうでそれ以上はできなかった。
恨みを込めて視線を上げると、茶色の鳥も黒い瞳でヴォルフの顔を覗き込み、頭を真横に傾げてみせた。
『早く結論を出すのじゃ』
「分かってるさ」と無愛想にヴォルフが返事をする。
「だって、ガサリナ山脈のてっぺんって寒いじゃないっすか」と不満そうにブルーは口を尖らせた。
リュットの話によれば、狼魔との同化をするには、ガサリナ山脈のてっぺんに行く必要があるそうだ。当然そんな場所に行くとなるとワーニングに連れていってもらうしかない。けれどヴォルフもブルーも寒冷地に耐えられるような服装ではなく、特にブルーは生成色のシャツ、ラフな薄茶色のズボンという薄着で、上着すら羽織っていなかった。
「っていうか、その格好はないんじゃないのか、ブルー。俺も軍服だけど、お前のそれは有りか無しかと言えば、絶対に無しだ」
「俺、服装にはこだわりがないっすよ」
「いや、そういうことじゃなく。普通に空を飛ぶだけでも寒いだろうが」
「普段はそんなに高く飛ばないっすから。でもあの高さとなると、さすがに凍え死ぬし」
また堂々巡りの話になってきた。
ガサリナ山脈の上には魔界とこの世界を繋ぐ力を持つモノが住んでいて、そのモノに同化の手助けをしてもらうというリュットの話を聞き、ブルーが寒いから服が欲しいと言い始め、ならばハイヤーから服を借りようという話になり、結局ここまで戻ってきた。しかしベルベ島は常夏に近い場所なので、防寒に役立ちそうな服はだれも持っていないらしい。
『ならば、服を早く手に入るのじゃ』
「だから島にはないって話で……。じゃあ、いっそソフィニアに戻って持ってきますか?」
「そんな暇はない」『そんな時間はないぞ』
ブルーの提案に、リュットとヴォルフは同時に答えた。
「そこ、意見一致かよ……。じゃ、どうするっすか?」
ならばセシャールに行こうかとヴォルフは考えた。ソフィニアと違い、セシャールはかなり寒い国なので、厚手のコートはだれでも持っているし、売っている店もある。問題はソフィニアギルドの軍服を自分が着ているということだけだから、脱げばなんら問題はないだろう。
そのことを告げると、ブルーは渋い顔をした。
「なんか文句あるのか?」
「文句っていうか……。セシャールから物資を運ぶ時はいつもビクビクですからね、俺ら。魔物に乗っているってだけで警戒されて、どっから矢が飛んでくるか分からなくて。だからまず城に行って、国王にギルドからの親書を届けないと……」
「そんなに警戒してるのか?」
「そりゃしますって。例の魔物襲来の時、セシャールも少なからず被害に遭ったらしいですからね」
「なるほど……」
となると、どうしたらいいか。
答えが見つからず、ヴォルフもブルーも黙り込むと、それまで静かに聞いていたジュゼが急に口を開いた。
「知り合いで服を沢山持ってそうで、ここから近い場所に住んでいる人に頼めばいいじゃないの?」
「そんな奴……あ……」
嫌な男の顔が急に脳裏に浮かんだ。緑がかったアッシュブラウンの髪をした若い男だ。にやけたあの顔は、思い出すだけで虫酸が走る。むろんユーリィにキスをした野郎だという怒りがそこには含まれていた。
「なるほど、それは良い考えっすね」
「ブルー、だれか分かるのかよ?」
「もちろん。この島の領主リカルド・フォーエンベルガー伯爵ですよね?」
「あのクソ野郎に頼むのか……」
「事情はユーリィからなんとなく聞いてるけど、ま、それはそれで耐えるしかないねぇ」
嫉妬心をむき出しにした男を見るのがよほど楽しいのか、ジュゼはニヤニヤと笑いながらそう言った。
その後、ブルーがどんな事情があるのかとしつこくしつこく尋ねてきたが、むろんヴォルフは無視を決め込んだ。
そして翌日ヴォルフはブルーとともにワーニングに乗り、大陸の西海岸にあるフォーエンベルガーの城を訪れた。フクロウのリュットもちゃっかり一緒に乗っかっている。せっかく羽根があるのだから飛べばいいのに。そう文句を言うと、『フクロウは夜行性じゃ、しかも飛行力はそれほどない』と早々に却下された。
朝焼けに空が赤く染まっている時間を選んだのは、早く山に行きたいためではあるが、半分は嫌がらせだった。
魔物出現にやや逃げ腰だった門兵らに名前を告げ、伯爵に目通りを願うと、散々待たされ、空が青くなる頃にやっと中へと通された。
案内されたのは、以前にも来たことがある大広間だ。窓からは冬の波を立てる荒海が望める。季節もあの時とほとんど同じだ。
やがて若き城主が現れた。以前と比べて貴族然としているのは、伯爵業が板についてきた証拠だろう。翻える薄紫のマントは、ユーリィのそれよりもずっと華麗に舞っていた。
「まさか再会できるとは思いませんでしたよ、グラハンス先生。そうお呼びしていいですよね?」
すっきりとした目鼻立ちは確かに好青年に見える。しかし上がった口角や、光る薄青の瞳に、ヴォルフはなにか企みを感じて嫌な気分になった。たぶん過去の因縁がそう感じさせるのだろう。そう思うことにして、愛想良くとは言いがたい声で挨拶をした。
「それで、今日はどのようなご用件で?」
「実はガサリナ山脈まで行かなければならない緊急の用件ができたのですが、見ての通り、我々はこの軽装です。できれば、伯爵になにか上着をお借りできないかと参った次第です」
「なるほど」
そう言いながら、リカルド・フォーエンベルガー伯はヘラッと笑った。
「なにか?」
「グラハンス先生が、そんな馬鹿丁寧な言葉を使うのを初めて聞いたなと」
「頼みごとに来たのだから当然です。それに身分も違いますから」
「そのわりには眉間に皺が寄ってますよ」
ヴォルフが慌てて手で額を押さえると、リカルドがもう一度ヘラヘラ笑う。けれど急に真顔に戻り、以前は紫だった瞳をわずかに揺らした。
瞳の変色は、きっと許されない罪の証だ。自分もしかり、リカルドもしかり。そう思うとこれ以上は彼を責められないと、ヴォルフは肩の力を抜いた。
「もう忘れますよ」
「自分の罪は認識しているつもりです、グラハンス先生。ユーリィ、いえ、ライネスク侯爵にも、そしてローズ先生にも……」
「侯爵はともかく、ブリジットに関しては俺自身にも責任がある」
「僕もこの春シンディと結婚する予定です。罪滅ぼしというか、年貢の納め時というか、そんなところですが」
「噂には聞いています。おめでとうございます」
「めでたいのかな……? たぶん、めでたいのでしょう。ああ、それと妹もセシャール国の第二王子に嫁ぐことが決まりました」
「ほぉ……」
罪滅ぼしと言いながら、やはり抜け目のない男だ。フォーエンベルガー領はセシャール国と接しているため、領地安堵に妹を使ったのだろうと、ヴォルフの脳裏にうがった考えが浮かんでは消えた。
「今、あなたがなにを考えたか分かりましたよ。妹を道具として使ったとおっしゃりたいのでしょう? ええ、その通り、使いました。もっとも妹にとっても悪い話ではないとは思ってますが。いずれにしても政略結婚には間違いない。けれど、これは自領地を守るためだけではなく、ソフィニア全体、さらに言えば侯爵をお守りするためなので」
「侯爵を? なぜ?」
「ご存じかどうかは知りませんが、我がフォーエンベルガーは、イワノフよりもずっと古い家系。ソフィニア貴族にも分家が数多くある。その本家である僕が、侯爵支持を表明し、あまつさえセシャールとの繋がりを持ったとしたら?」
「なるほど。侯爵に対する貴族たちの風当たりを弱めようというお計らいですか」
「そういうことです」
「まさかと思うが、伯爵はまだ侯爵を?」
するとリカルドはまた、口角の一方を歪めてヘラッと笑った。
本心はともかく、この笑い方はムカつくと、ヴォルフは冷淡な表情をあえて作って相手を見返した。
「男の嫉妬ぐらい醜いものはないですよ、グラハンス先生。僕が言えた義理じゃないですけどね」
「そんなことは思っていませんよ」
「もう彼にそういう感情は抱いていませんので。ただ魔法にかかっていたとはいえ、六年も想い続けたということでお察しください」
「つまり?」
「彼のために一肌脱ぎたいという意味です」
ヴォルフは返事をしなかった。
相手の意図が読めない以上、なにも反応しないのが得策だということはユーリィが身を以て教えてくれた。案の定、リカルドは言い訳をするように、
「またそういう顔を。嫉妬心など抱かなくても大丈夫ですから」
「そういうことではなく。貴方自身がソフィニアを制しようとなぜ思わないのか、少し考えていただけです」
「今のところ、僕の興味は叔父をどうやって陥れようか、その一点だけです。父の仇には十分苦しんでもらいたいので」
「フォーエンベルガー家も、イワノフ家の二の舞にならなければいいですが」
一瞬、リカルドの瞳が紫色に戻ったようにヴォルフは錯覚した。
なんにしても、油断のならない男ということは揺るぎない。
「そうだ、結婚式にはぜひ、侯爵と一緒にいらしてください」
「侯爵は易々と来られるご身分ではないので、どうでしょう」
「第二王子の結婚式が同じ時期にありますから、そのついでということでもかまいませんよ。セシャールからきっと侯爵宛に招待状が届くでしょう」
「妹さんも同じ時期にご結婚を?」
「王子の結婚式には各国から要人がいらっしゃいますし、我々の式にはソフィニアから多くの貴族が来るはずです。侯爵のお披露目として、素晴らしい機会ではありませんか?」
「俺には政治のことはよく分かりません」
「こういう平和的式典でこそ、友好関係が芽生えるものですよ。ほら、“セルギアの婚姻”のように。ここだけの話、結婚式はセルギア城を使おうと思っているのです」
「ほぉ……」
どうにも隠しようがない胡散臭さが、リカルドからにじみ出ている。
問題は、彼がいったいなにを企んでいるかだが……。
その内面が見られないものかと、ヴォルフはひたすら黙って相手を眺めていると、慌てたように彼は話題を変えた。
「あ、そうそう、服ですね。もちろんお貸ししますよ。というよりお譲りします。ただしどうして山に行く必要があるのか、それだけはお伺いしたい」
「詳しい事情は言えませんけどね、ひとつは侯爵のため、そしてもうひとつは貴方のためですよ、フォーエンベルガー伯爵」
「どれはどういう……?」
「ベルベ島の火山になにやら魔物が住み着いているらしく、そいつを追い払わないと噴火するかもしれません」
その言葉にリカルドは目を丸くして、驚きを表現した。それが彼の見せた唯一の本心だろうと、ヴォルフは心の中で思っていた。
別れの挨拶もそこそこに、ヴォルフとブルーが城をあとにしたのはそれから間もなくだった。城から少し離れた場所に、ワーニングとフクロウが待っている。今はそこを目指し、潮風が荒ぶ丘を歩いていた。
「なかなかハラハラする面談でしたよ、ヴォルフさん」
リカルドからもらった茶色のコートの襟を気にしつつ、ブルーがにやけ顔でそう言った。
空気のように存在感を消していた彼の処世術は見事なものだ。嫌みも込めてヴォルフがそう言うと、
「エルフが出しゃばっても良いことないっすからね」
「フォーエンベルガーの血筋にもエルフの血は混じっているはずだよ。あの男も、その昔は魔力を持っていたから。ま、それはともかく、あいつがなにを企んでいるのか気になるな。ユーリィをまた苦しめなければいいんだが……」
「俺はあの人、結構好きですよ。なんか愉快な感じがするし」
ブルーがヘラッと笑う。
それを見て、ヴォルフは似たもの同士と言おうとしたが、止めておいた。今は目の前の難題を解決するのが先だ。
遙か遠くの空に浮かぶガサリナ山脈に目をやる。まるで白い要塞のようだ。あそこで待ち受けているのは人か、エルフか、精霊か。
(人間ってことはないだろうな……)
そう確信して、ヴォルフは黒いコートのポケットに手を突っ込んだ。




