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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第40話 友として

 ラウロが目を覚ましたのは、昼をとうに過ぎ、夕方と言ってもいい時間となっていた。同室の者は昼間の勤務なのでいなかった。

 まだ頭がふらついていて、思考力が低下したままだ。それを言い訳にして、ラウロは考えることを止めた。

 軍服を身につけ、荷物にあった干し肉をナイフで切って、テーブルにあった固いパンと一緒に水で流し込む。解きかけていた靴紐を結び直し、部屋をあとにした。

 寮から宮殿までは徒歩でもそれほどかからない。周辺は馬車屋と水屋とガラスだけで、わりと閑散とした地域だ。そのせいで道は人気も少なく、通る者は日勤から帰ってきた同胞ばかりだった。

 すれ違った顔見知り数人に挨拶をしたが、目を逸らして返事をしてくれなかった。

 自分の立場が悪くなっているのは気づいている。寒空の下での警備や見回りをしている者たちにしてみれば、宮殿勤務になった新兵などさぞや面白くないことだろう。しかも天子付きの警護兵だ。

 けれどラウロには、もうそんなことはどうでも良かった。

 宮殿に到着して、日勤の警備兵から引き継ぎを受ける。侯爵は現在、アーリング士爵と執務室で会談中とのこと。警備兵はもちろん、指揮官たちすら入室を禁止されている密談らしい。

 引き継ぎが終わる頃、ジョルバンニがラウロの前に現れた。男はいつも通り冷ややかであるが、声はどことなく厳しさが混じっていた。その理由は彼の第一声ですぐに分かった。


「昨夜は侯爵からなにか飲まされたらしいな、ヘルマン」

「あ、はい……」

「おかげで余計な仕事が増えたが、まあ、しかたがない。それよりも例の話は覚えているだろうな?」

「でも、俺、いや自分は侯爵を裏切るようなことは……」

「裏切る? 言ったはずだ、あの男がいれば侯爵のお立場が悪くなると。もしもあの方が失脚してしまうようなら、ソフィニアは終わりだ」

「そんな可能性、あるんですか?」

「明日には貴族たちが大勢訪れ、明後日は貴族とギルドとラシアールによる大きな会議が開かれる。しかし残念なことに、その中で侯爵を支持する者はかなり少ない」

「どうして!?」


 まさか天子を嫌う連中がいるとは考えもしなかった。しかしその理由を聞き、自分が捨て子だと知った時と同じほどのショックを受けた。


「侯爵は庶子の上に、エルフの血を引いていらっしゃる。ソフィニアギルドはエルフも魔法も忌み嫌っているからな。しかも今回来る貴族はイワノフ側になかったものばかり。今が正念場なのだよ。早いうちに侯爵が不利になる者は排除すべきだ。分かるな?」


 ラウロが物心つく頃に、心ない者が“お前は捨て子だ”と教えてくれた。死に別れたのではなく、いらないと親に思われたのだと知った悲しみは今も残っている。

 自分のなにが悪かったのだろう。生まれてきて良かったのかと幾晩も思い悩んだ。

 侯爵もそんなふうに考えたことがあるのだろうか?

 きっとあるに違いないとラウロは思った。

 ジョルバンニはどこか怪しいが、侯爵を貶めようとしているわけではない。

 従うべきだともうひとりの自分が訴えた。それは未だにさめやらぬ恋心。


「……分かりました」

「良かろう。幸いあの男は現在ソフィニアにはいない。彼が戻ってくる前に必ず実行しろ」

「はい」


 あの男がいなくなれば、侯爵は自分を見てくれるかもしれない。

 ささやかな希望とわずかな期待が胸でうずく。

 あの夢が現実になるのなら、なんでもできる。

 そう、なんでも……。



 アーリング士爵との会合後、侯爵はラシアールの長老、メチャレフ伯爵、そしてジョルバンニ以外のギルドのメンバーと会談を行った。むろん警護兵すら入れてもらえず、完全に密談状態だ。

 天子が動き始めたのだ。他の警護兵らも“いよいよ皇帝誕生か”と小声で話していた。

 しかしジョルバンニの話が本当なら、事はそう簡単にいかないだろう。それでも庶子だと見下され、混血だと忌み嫌われる彼が覇王になるという想像は、胸を熱くさせる。貶まされた者の怒りや憎しみを、彼ならきっと分かるはずだとラウロは思った。 

 その思いをさらに実感したのは、侯爵の部屋にふたたび訪れた時だった。

 今朝のこともあり、まともに顔も上げられない状態のラウロに、侯爵は優しく声をかけてくれた。


「昨夜は悪かった。僕もちょっとやり過ぎたというか、言い過ぎたというか……」


 美しい顔がほんのりと赤くなる。自分の寝言がそうとう酷かったのだと分かり、ラウロもまた赤面した。


「いえ、俺も色々すみませんでした。あと寝言……」

「悪いけど、なんの話だかよく分からない。僕が言っているのはラウロに飲んだ薬のこと。妙な企みを感じたから、試しに飲んでもらった。もちろん猛毒じゃない。でもそのせいで体調不良を起こしていたら悪かったなと思って」

「たっぷり寝たので体は大丈夫です。でも、変な薬って……?」

「昔ある理由で植物に興味を持って、特に薬草や香草などは詳しく調べたことがある。あの葉を見てすぐにピンときたけど、確証が欲しかったんだ」

「いったいそんなもの、だれに飲まされているんですか!?」


 暗殺という言葉が脳裏に浮かんだ。


「んー、想像では……」

「では?」

「いや、いい。もしもどこかで証言してくれと頼んだら、僕が飲むはずだった薬を飲んで倒れたという事実を話してくれれば。それ以外のことは悪い夢だと思えばいい」


 知られてしまった秘密を今さらなかったことなどできやしない。

 むしろ知って欲しかった。


「悪い夢なんかじゃありません! 俺は侯爵を……」

「言うな! それ以上は言うなよ。言葉にしてしまえば後悔することなんていっぱいあるんだ」

「後悔なんてしません。俺は侯爵がす……」


 その瞬間、手が伸びてきて、口を押さえつけられた。息はできるのに、息の根を止められたように苦しくなる。だから言葉が続かなくて、ラウロはただ冷たい手のひらを感じていた。


「ごめん。僕にはずっと一緒にいると決めた者がいる。だから言っても無駄なんだ」


 伏せられた瞳を覆う金色の睫は、目を奪われるほど美しかった。

 そんな表情をさせる者が許せない、どうしても許せないと心が泣いている。だからこの腕をつかんで、強引に奪えるのではないかと悪魔が囁く。

 それができなかったのは、彼の方が先に手を離したからだった。


「それ以外のことだったらなんでも力になるし、領主と家来という関係ではなく、友達として話したいと思う。僕はお前を信じるし、裏切らないと約束するから」


 恥ずかしげにうつむいた可憐な顔が、真っ直ぐ自分に向けられた時、そこには微塵の艶やかさも残っていなかった。

 あるのはただ揺るぎのない意志を秘めた瞳だけ。

 今日の侯爵は、真っ白なシャツの上に薄藍の上品な上着を羽織っている。珍しくクラヴァットを巻いていないせいで、細くて白い首筋がよく見えた。その首元に見え隠れする銀の鎖。

 あれを奪えば……。

 そう考えた途端、指先がぴくりと動く。

 だが最後の決断が下せず迷っているラウロに、侯爵は寂しげに微笑んだ。


「僕は友達として、お前を信じるから、ラウロ」



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