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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第一章 地吹雪
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第4話 おお、豆よ!

 豆、豆、豆、豆、そして豆。

 見事なまでの豆景色。皿の上には豆しか乗っていない。

 幼い頃、育ての親である牧師様に“豆は健康に良いのですよ”と諭されたことがあるが、健康な餓死者になれるとは思えない。

 とにかく連日の煮豆に、心底ラウロは嫌気が差して、近衛兵を辞めたくなる。しかしアーリング士爵やライネスク侯爵への憧れを、豆ごときに打ち負かされるはずはない!

 という信念だけで、ただ一心不乱に口へと運ぶのみ。味わうなんてとんでもない。それは少し祈祷(きとう)にも似て、豆にひたすら祈りを捧げているようでもあった。


「お前、豆が好きなんだな」


 隣に座っていた男が、自分の豆を勝手に移す。祈祷はさらに七回も増えてしまった。

 数十人の兵士たちが豆を食べているは、ガーゼ宮殿正門に隣接した建物の中。屋根と床と壁があるのを有りがたがらないと、心が折れてしまう場所だ。床に散乱している毛布はどれもこれも薄汚い。皆、その毛布をよけて座り、膝の上の皿と向き合っていた。


「いったい、いつまで続くんだ……」


 豆を押しつけた男が嘆く。この場にいる者はだれも同じことを思っているに違いない。

 その答えを知っている者がいるとしたら、アーリングか、金の天子か、もしくは……。


(あの人なら知っているかもしれない)


 ラウロは五回の祈祷を諦め、立ち上がった。



 建物の外に出ると、陽は十分に高かった。明日の朝まではまだまだ長いから、空腹と戦う時間はたっぷりありそうだ。


(敵は外にいるのではない、腹にいる!)


 我ながら名言だったと意味のない優越感に浸りつつ、ラウロは辺りを見回した。

 兵士たちの詰所はふたつ。正門を真ん中にして、外壁沿いの左右一番端にある。どちらも箱型で、高さもあった。ただし大勢が寝起きするようには作られていないので階層は一つ。高い天井に続くはしごで登ると、そこには見張り用の小さな足場があるだけ。食事もさることながら、床で寝起きする生活は苦行を余儀なくされる。


(偶然に会うのはやっぱり難しいか)


 手入れを忘れた広大な庭と、その向こうにある巨大な宮殿を見て、ラウロは急に最初の意気込みが消えていくのを感じていた。

 心から神に祈れば、願いは叶うと牧師様はおっしゃった。

 確かにアーリングの元で働きたいと願ったら叶ったし、死にたくないと戦場で願ったら生き残れた。

 だが、今日祈った相手は……豆。


(なんてこった!!)


 牧師様が聞いたら、きっとお嘆きになるだろう。

 俺は神マルハンヌスではなく、豆へ祈りを捧げました。どうかお許し下さい。豆は健康にはいいですが、祈りを捧げるにも、腹を満たすにも小さすぎました。

 いつか教会に戻ったら懺悔(ざんげ)をしなければ。

 そう思った矢先、一人の男が遠くから歩いてくるのが見えた。

 ブルーグレーの髪と均整のとれた体格に、濃紺の軍服が良く映えるのはあの日と同じ。間違いなくヴォルフ・グラハンスだ。


(豆、すげぇ……)


 一瞬、改宗しそうになりつつ、彼が近付いてくるのをラウロはひたすら待った。

 きっと彼は言うだろう。

“お、君はあの時の!?”

 そして元気になったこの姿を見て喜んでくれるはず、そう信じていた。

 だが……。

 彼は普通に通り過ぎていった、もちろん何の反応もなく。


「えっ、えっ、えー!?」


 驚きと悲嘆の混じった悲鳴が、口から飛び出す。それを聞いた相手はようやく立ち止まり、怪訝(けげん)な顔で振り返った。


「どうかしたか?」

「どうもこうも、まさか俺を覚えていないなんて……」

「君を?」


 グラハンスは数歩前に出る。日の光が彼の黄色い右眼に反射した。


「だれだっけ?」

「そんな……」


 確かに平々凡々な容姿だが、忘れられるほど薄くはないと思いたかった。

 さらに数歩近付いた彼は、しばらくラウロの顔を凝視する。


「あっ!」


 やっと記憶が(よみがえ)ってくれたらしい。


「君か。ええと、なんだっけか、名前?」

「ヘルマンです。ラウロ・ヘルマン」

「あーそういやそうだった。悪い、あの時はちょっと切羽詰まってたから」

「ええ、まあ、大変な状況でしたから」


 それは認めなければならない。あの日を境にして、地獄のような日々が訪れたのだから。


「そもそも一緒に馬に乗ってだろ!? 顔を突き合わせたのは夜だけだったよな!? その時も俺は君の怪我ばかり見てただろ!?」


 矢継ぎ早の質問は“俺は悪くない”という主張である。その勢いに気圧されて、ラウロは小さく“はい”と答えていた。


「肩の怪我、治ったみたいだな。良かった良かった。じゃ、俺はこれで」


 そう言って、グラハンスは(きびす)を返す。あっさりと立ち去るつもりらしいが、逃してなるものかとラウロは半分やけくそ気味に大声を張り上げた


「グラハンスさん!! ちょっとお伺いしたいことがあるんです!!」

「え、俺に?」


 振り返った男に、ウンウンと何度も首を縦に振る。相手の困惑は手に取るように見えていた。


「いつまでこんな状況が続くんだろうって、兵士はみんな嘆いています。だから教えてください。いつまで続くのでしょう?」

「あー」

「それに食事。こうも毎日豆ばかりだと、力が出ないんですよ」

「豆かぁ。俺もあれはうんざりだ。うんざりしてないのは、ユー……侯爵ぐらいじゃないか? もっとも彼の場合、どんな食事にも執着がないから」

「そうですよ! みんな、うんざ……え……?」


 侯爵という言葉に思考が停止。言われたセリフを頭の中で何度か反すうし、やっと頭が働き始めた。


「侯爵も豆を!?」

「そりゃ食べるさ、十分な備蓄は豆しかないんだから」


 ラウロはハァーと深くて長いため息で、自己嫌悪を吐き出した。

 牧師様にも言われていたではないか。自分の悲劇を嘆く前に、相手の苦悩を考えよと。

 豆を黙々と食べている金の天子はなんとお(いたわ)しい。それなのに、ただの兵士に過ぎない自分が文句を言うなんて、本当に罰当たりだ。


(そうか、だから豆がグラハンスさんに会わせてくれたんだな)


 豆心を知って、改めて己を悔いた。


「そう落ち込むな。食料に関しては侯爵も何とかしようと思っているから。今も話し合いの最中だが、いろんな問題があってそう簡単にはいかないんだ。だけど、もうしばらくの辛抱だよ」

「いえ、もう豆の件はいいんです。豆は偉大だって今知りましたから」

「豆が偉大……」


 変な奴だと思われただろう。これもまた、豆への……じゃなくて天子への贖罪(しょくざい)だと甘んじて受け入れた。


「お願いついでにもう一ついいですか。できればでいいんですし、遠くからでもいいですから、あの方の美しいご尊顔を拝謁(はいえつ)させていただけないでしょうか?」

「あの方? ご尊顔? 拝謁? ユーリィの……侯爵の顔が見たいって意味か?」


 あまりにも大胆不敵な願いだったからだろうか。グラハンスは驚愕(きょうがく)した表情を隠しもしなかった。


「できればって話ですよ。豆に負けた俺なんかが、マルハンヌス神の生まれ変わりと言われている金の天子にお会いするのは、おこがましいでしょうが……」

「君の信仰心には若干の狂いを感じる。ちなみに言うが、彼は男だぞ?」

「分かってますよ、それぐらい」


 グラハンスは「ふぅむ」と(うな)って考え込む。その表情に違和感を覚えて何だろうと観察すると、すぐに答えが見つかった。

 右の瞳が黄色い。黄混じりの茶ではなく、本当の黄。非常に珍しい色だ。

 以前もそんなだっただろうかと考えたが、はっきりとは思い出せなかった。こんな珍しい色をしていたら、忘れるはずがないと思うのだが……。

 おもむろにグラハンスは顔を上げた。


「そういえば君は、侯爵の恩人でもあったな、忘れてたよ」

「俺が? 恩人?」

「彼にかけられていた疑いが、君の証言で晴れただろ?」


 侯爵が魔物を使って人々を襲っていると噂されていたことだろう。実はそれは真実ではなくて、エルフ族のひとつであるククリの仕業だった。


「そうでした、俺も忘れてましたけど」

「そうかぁ会いたいのか。それも悪くないかもな。最近ちょっと苛ついてるし、歳の近い者と話せば、少しは気張らしになるかもしれない。それにあいつの代わりにもなるなら……」

「あいつ?」


 グラハンスは少々ためらいを見せてから、「侯爵の、唯一の友人だよ」と口早に呟いた。


「つまり、会わせていただけるってことですか?」

「今は会議中だから、陽が落ちてからここにまた来てくれ。一応警告しておくが、あの顔に(だま)されるな。それと“綺麗”や“美しい”といった言葉は厳禁。事と場合によってはキレる。さりげなく、ごく普通の、日常的な会話をしてくれると有りがたい」


 素晴らしい名誉とともに、難しい問題を突きつけられて、ラウロは(ひど)く戸惑った。

 身分の違う相手と交わす日常会話とはいったい何がいいのか。互いに知っていることといえば、ソフィニアの現状ぐらいだ。けれどその話題を持ち出して楽しい会話ができるとはちっとも思えない。


(あとは……豆か……)


 金の天子と豆について話すことが日常的なのか、ラウロには分からなかった。



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