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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第35話 小さな冒険

 伯爵との朝食会のあとは、珍しくこれといって予定は入ってなかった。一日のんびりと過ごそうかと思ったユーリィだったが、急に気が変わりベレーネクの遺児たちに会いに行くことにした。

 ベレーネクの城から連れ出した子供たちは、ずっと宮殿内に住まわせている。けれど彼らは部屋からは出られない幽閉状態だった。

 三人の処遇はまだ決まっていない。もちろん親の罪を子どもが被る理由はないし、もしあるのなら自分だって同じだ。

 だけど同情はしない。運命は受け入れなければ先には進めないのは、大人も子どもも違いはないし、そもそも同情などされたくはないだろう。子どもには子どもなりのプライドがあるのだと、ユーリィは知っていた。

 そのプライドを捨て去るか、運命を受け入れるのか見てやろう。

 彼らの部屋を訪れたのは、そんな気まぐれだった。

 ユーリィの姿を見てすぐに困惑の表情を浮かべたのは、四歳になるアラムだ。積み木をひとつ握りしめたまま幼子がうつむいたのは、自分が作った城を眺める為ではないはずだ。

 九歳になるジークリットは、もっと分かりやすく恐怖を表した。両親の死を思い出したのか、それとも泣き叫ぶ彼女を乱暴な言葉で黙らせたのを根に持っているのか。いずれにしても怖がっていることは間違いない。ソファにちょこんと座った彼女は、自分と同じドレスを着せた人形を力一杯抱きしめていた。

 そんな下のふたりとは違い、長男のカミルは出会った時と同じように、怒りに満ちた表情でユーリィを睨みつけた。たった十二歳の少年だが、プライドを絶対に手放すつもりはないらしい。


「化け物、なにしに来た? 僕たちを笑いに来たのか!」


 弟アラムが死にかけた一時期は気弱になっていた彼は、以前にも増して毒気が強くなっている。座っていた椅子をわざわざ倒し、少年はその憎しみを表現した。


「うん、まあ、そんなところかな」

「笑いたければ笑えばいいぞ。化け物に笑われても、僕たちはなんにも気にしない」

「僕はやっぱり化け物か」

「いつか僕がお前を殺す。絶対に殺す」

「あ、そっ」


 カミルがユーリィに恨みを抱くのは、父であるベレーネク伯爵もしくはその妻が、幼い息子に教え諭したからに違いない。

『イワノフ公爵家には化け物が住んでいる。早く退治しないとイワノフ一族が不幸になる』

 想像にすぎないが、そんなことを言っていたのだろう。

 それに父親を正当化するためには、どうしても敵が必要なのだ。


「嘘だと思ってるのか!?」

「うーん、どうかな」

「馬鹿にするな!」


 カミルの持っていた本が、一直線にユーリィへと飛んできた。もちろん避けるに決まっている。耳の横を通り過ぎた本は、派手な音を立て後方の扉にぶつかると、床へと落ちたようだった。


「避けるな!」

「その命令は無理」

「死ね!!」


 茶色に近い金髪を振り乱し、顔を真っ赤にし、カミルはユーリィへと突進してきた。激怒のあまり、警護兵が二人もいることなど忘れているらしい。その体を羽交い締めにされてもなお、彼は兵士の腕の中で暴れ続けた。


「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!!」


 そんなカミルの様子を見ながら、ユーリィは医者から受けた報告を思い出していた。

 ベレーネクの三兄弟は健康面では問題がないが、長男カミルは気が狂う一歩手前とのこと。こうした発作は定期的に起きているらしい。両親の死を目の当たりにしたことが狂気を生んだようだが、残念ながら救う手立てはない。早いうちに下のふたりと引き離し、どこかに隔離すべきだ。

 それが医者の見解だった。


 カミル・ハルティンが残忍なる殺人鬼となるのは、まだ先のこと。首枷に繋がれた彼はやがてこの世で一番憎む者に、狂気に満ちた愛を抱くようになるわけだが、それは別の機会に……。


 兄の発作に、姉弟は恐怖とも悲しみともつかぬ表情を浮かべていた。特にアラムは本当に泣きそうな表情になり、顔を真っ青にして震えている。それがユーリィにとって一番心を痛めたことだった。


「盛り上がっているところ悪いけど、ちょっとアラムを借りるね」

「借りるってどういうことだよ! どっかに連れて行くのか! アラムを殺す気か!」

「それは秘密」

「絶対許さない。お前が死ね、お前が死ね、お前が……」

「行くよ、アラム」


 半べその幼子の腕をつかんで、立ち上がらせる。彼は首を何度も横に振り、嫌だと意思表示をし、腕を引っ張り返され抵抗されたが、さすがのユーリィも四歳児には負けなかった。


「ジークリットは寝室に連れて行くように」


 そう命令した相手は遺児たちの世話係ふたりだ。こういうことが慣れっこになっているのか、彼女らは驚くこともなく部屋の片隅で、事態を見守っていた。

 廊下に出てもカミルの叫び声は絶えなかった。その声から早く遠ざけたくて、四歳児の歩調に合わせることなく、ユーリィは自分よりも細い腕を引っ張り続けた。しばらく行ったところで痛いという子どもの声に気づき、ようやく手を離す。兄のように大声を出すことなく、アラムはしくしくと泣いていた。


「ごめん、痛かった?」

「あの……ボク……殺されるの?」

「そんなことしないよ。知ってるだろ?」


 少しうつむいていた幼子は、小さな声で“うん”と返事をした。

 三ヶ月前に助けられたことはどうやら覚えているらしい。それだけで十分だから、ユーリィはアラムの頭を軽く撫でてやった。


「さて、どこ行こうか? 庭に……」


 言いかけたところで、コホンという咳払いが聞こえてきた。

 自分たちの後ろに警護兵と世話係のコレットが付いていることを忘れていた。不自由な生活を改めて実感し、庭に行くことを仕方なく諦める。


「庭は寒いから今度にしよう。もっと面白いところに行こう」

「面白いところ……?」


 思いつきではあったが、当てがなかったわけではない。幽閉されていた幼い頃にこっそり忍び込んだあそこなら……。

 とは言っても、場所がよく分からない。

 背後に控えているコレットに耳打ちをすると、彼女は複雑な表情を浮かべ、返事に労していた。


「視察だよ、視察」

「でも……」

「それとも僕に見せられないことでもある?」

「わ、分かりました。ご案内します」


 一瞬コレットの瞳が揺れたが、気にしなかった。

 猫背の女を先頭にしばらく歩いていると、やがてアラムが鼻をひくつかせ始めた。どうやら昼食の準備が始まっているらしい。

 コレットの案内で最初に入ったのは、周りをぐるりと食器棚に囲まれた部屋だった。棚には王宮時代に使っていたと思われる大小様々な皿やコップが、綺麗に並べられている。特別高価なものはガラス戸付きの棚に収まっていた。


「ここは配膳室です」


 言葉の意味が分からないアラムが、不思議そうな顔できょろきょろしている。


「ここは作った料理を皿に盛る場所だって」

「お料理を作るところ?」

「作るのは奥。そうだよね、コレット?」

「ええ、調理室はあの扉の……、もしかして入られるんですか?」

「その為に来たんだから」


 この世界がなんなのかまだ知らなかった頃、食べ物は表情がないメイドたちが魔法で作っているのだと思っていた。

 それが違うと分かったのは、ユーリィが連れてこられて以来、初めてあの城で晩餐会が開かれた夜だった。

 と言っても出席を許されていたわけではない。義母にとって自分は汚らわしい家畜と同じ。芸術家や医者気取りの連中に裸を晒させ、これが出来損ないの人間だとあざ笑い、鞭を打って鳴かせることはできても、貴族のような服など身に纏わせるなど、もってのほかだった。

 けれど表情がないメイドも人間だったようで、久しぶりの晩餐会に浮かれ、家畜の小屋に鍵をかけ忘れた。おかげで閉じ込められていた塔から抜け出し、人目に付かないように城をさまよい、匂いに誘われ厨房と呼ばれる場所にたどり着いた。

 あの夜は本当にだれもユーリィのことなど気にしなかった。料理人の近くで眺めていても、邪魔だという顔はしたが継母に言いつけに行く者はいなかった。芋は皮を剥いて食べるのだと知ったのも、あの夜だった。

 もっとも次の日には全てがバレて、二日ほど縛り付けられた。


「どうしましょう……? 行かれるのですか?」


 その声にハッと我に返る。コレットとアラムが怪訝な表情を浮かべていた。


「あ、ごめん。うん、入るよ。ちょっと見るだけだから」

「そうですか」


 自分が叱られると思っているのか、コレットはやむを得ずといった様子で厨房の扉に手をかけた。

 扉が開かれると、芋が煮える匂いが流れ出てきた。薪が焼けている匂いも混じっている。かなり広い厨房には五つほど竈があり、すべて大きな鉄鍋が乗っていた。全部芋を煮ているとは思わないが、大量にゆでられていることは間違いなさそうだ。

 竈の前にいた女と、スプーンを握っている男が同時に顔を上げ、ユーリィたちを認めるとすぐに目を丸くする。奥で女中と話していたシュウェルトはすぐに気づいて、パタパタと走り寄ってきた。


「侯爵、なにごとですか!?」

「厨房見学」

「まだ奉公人用の芋しか煮てませんので、なにも見るものは……」

「らしいね。でも特別なにか見ようと思ってたわけじゃないから大丈夫。アラムが暇そうだったんで、見せに来ただけ」


 すると自分の名前を呼ばれたアラムは、叱られた子どものように小さくなった。


「心配しなくていいよ、アラム」

「でしたら私がご案内させていただきましょうか?」

「ホント? それは助かる」


 シュウェルトは嬉々としてアラムを引っ張り回し、竈や鍋の説明などをし始めた。自分はそういうことが苦手だから、チョビ髭がいてくれて助かったとユーリィは胸をなで下ろし、改めて厨房の中を見回した。

 スプーンを握っていた男の前には数枚の皿が並んでいる。男は陶器の壺から、なにかをすくって皿に乗せていた。

 なんだろうかと近づいてみると、甘く煮た青豆だった。それを見て、あまり好きではないユーリィは“うへっ”となった。


「それ、もしかして僕の昼食?」

「そうでござます」


 中年とまではいかない男は無愛想に返事をした。

 壺の横にはガラス製の小瓶がある。その中に乾燥した葉っぱが入っていた。それを見とがめ、ユーリィはさりげなく指をさす。


「これはなに?」

「これは……」


 男の視線が泳ぎ、ユーリィの背後にいるだれかを見てからふたたび戻る。


「肉の臭みを取る香草です」

「へぇ」


 瓶を手に取り何度かためつすがめつしてみたが、それ以上問いただすことなく、ユーリィは男から離れた。

 そんなこんなでシュウェルトの説明会が終わり、アラムはユーリィの元へと戻ってきた。幼子の顔色は先ほどとは明らかに違う。気まぐれの冒険も悪くなかったのだと思いつつ手を差し出すと、あっさりと握り返され内心嬉しかった。



 昼食はありがたいことに、朝と同じく変な匂いのする香草 ――きっとあの瓶に入っていたものだろう―― は使われていなかった。芋の匂いに胃が刺激されたことも手伝って、いつもよりたくさん食べられた。

 そして夕方、警備兵となったラウロがやってきた。


「あの、俺、今夜から室内で警備をしろと命令されたので……」


 居間の入り口で、彼はしどろもどろにそう説明した。


「この部屋ならいいよ。でも寝室は止めろ。寝ているところを見られているなんて、考えただけでぞっとするから」

「あ……はぁ……」


 返事に覇気がない。それが気になって、ユーリィは暇つぶしに読んでいた本を机に置き、少し様子のおかしいラウロへと近づいた。


「居間だと怒られる?」

「いえ、怒られはしないと思います……」

「なら具合が悪い?」

「俺はただ……侯爵を……」

「僕を?」


 首を傾げて続きを待ったが、彼は顔を赤くしてうつむいてしまった。


「あれ? また発作?」

「あの、お願いがあります。妙なことだとお思いになるかもしれませんが……」

「なに?」

「あの……ほんの少しでいいので、髪に触ってもいいでしょうか」

「髪? なんで?」

「発作が治まるんです」

「別にいいけど。変な病気」


 ラウロの指先が、ほんのわずかだけ前髪に触れる。その儀式になんの意味があるのか尋ねようとした矢先、ノック音が聞こえてきた。

 素早く手を引っ込め、慌てて応対に向かうラウロの後ろ姿を眺め、ユーリィはふと妙なことを考えてしまった。


(まさかと思うけど、あいつ、僕に……)


 そういう見た目をしていることは認める。

 けれどそういう見た目をしているからといって、そういう感情になるものなのか。そもそもラウロは教会で育ったという、敬虔なマルハンヌス教信者だ。他の者以上に、そういう感情に囚われるとは思えなかった。


(気のせいかな?)


 しかしラウロのことよりもっと驚くことがあり、意識はすぐに行ってしまった。

 扉の向こうに立っていたのは、なんとラシアール族のブルー。彼がわざわざ部屋を訪ねてくるのが珍しく、ユーリィはラウロを軽く押し退け、エルフの前に立った。


「ブルー、なにかあった?」

「ちょっと侯爵にお願いがありまして」

「お願い?」


 また髪に触れたいとか、妙なことを言われるのかと身構えると、


「ワーニングの様子が少しおかしいんですよ。それで侯爵に見に来ていただきたいんです」

「僕が!?」


 すぐさま、はしばみ色の右目を軽く瞑って、ブルーは合図を送ってきた。なんのことやら分からず口を閉ざすと、代わりにラウロが険しい声でブルーに尋ねた。


「それはいったいどういうことでしょうか?」

「侯爵は魔物の心が読めるので、俺の使い魔がどうなってるのか、ぜひ見ていただきたいんです」

「許可は下りているのですか?」

「ディンケルさんには了解を得ていますよ。だから、いいですよね?」

「分かりました。ですが自分も一緒に行きます」

「ええ、どうぞ。でっかいムカデが好きなら、ぜひ来て下さい」


 ブルーの言葉にラウロがひるんだらしいことは、息を飲むような音でユーリィも理解した。


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