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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第34話 転機を求めて 後編

 食事というものが楽しかったことは、ユーリィには数えるしかない。そう思ったのはこの一年半で、それ以前は死なないために食べていたという記憶しかなかった。しかも最近は食事そのものが美味しくない。食べ物すべてが、薬を混ぜたような味がして堪らないのだ。なにを食べても同じような味がして、うんざりした。

 そして今、ユーリィの前には美味しくないのかと尋ねる者が座っていた。

 ソフィニアでは、朝食を一緒に摂ることが一番の礼遇だという馬鹿な風習がある。その為に朝から精力的な老人と、塩漬けの肉を食べなければならない。特に今朝はヴォルフが部屋から追い出されたという一件があり、いつも以上に食欲が湧かなかった。


「今日は比較的美味しいですよ」

「そのわりには食が進んでいないな。覇気がないぞ、そなた」

「もともと僕はこんなものですよ、伯爵」


 それに、覇気なんて見せたら困るのはそっちだろうと思っていた。今までは非常事態に渋々ながら尽力してくれたのだろうが、心の中では他の貴族と同じように貶んでいるはずだ。いや、それ以上かもしれない。だれよりもイワノフの血を大切に思っている老人だからこそ、半エルフなどがイワノフを名乗るのはさぞ不愉快なことだろう。

 メチャレフ伯爵は人格者だと言われているらしいから、そのように振る舞っているだけで、数年もしないうちに仲違いをしているという息子のどちらかが席を譲れと迫ってくるのは目に見えている。そうなったらジョルバンニが黙ってはいないだろう。今度はギルド対メチャレフ家、もしくは貴族との内戦が勃発し、その渦中に自分は否応なく放り込まれる。そう考えただけで気分が重くなり、ユーリィはナイフで切り分けた肉片をフォークで突っついた。


「そなた、先ほどから肉を切ってばかりだが、いっこうに口に入れぬな」

「あまり食欲がないので」

「そんなふうに食べ物で遊ぶのは行儀が悪いと、だれかに教わらなかったのか?」

「僕に教えようと思う奇特な方はほとんどいませんね、今も昔も」


“ふむ”と唸るように反応した老人は、手にしたフォークを皿に置き、胸元のナプキンで口髭に付着した肉汁を、パン屑とともに拭き取った。


「他人が“卑しい”と思うのと、己で“卑しい”と思うのでは雲泥の差があるが、そなたはどうなのだ? 自分を卑しいと思っているか?」

「僕がどう思っていようと……」

「自分がどう思っているのか、それが一番大切だと、わしは思うが」


 確かに昔は、自分は汚らわしい存在だと思っていた。そう信じ込まされていた。しかしヴォルフがそうじゃないと教えてくれて、生きていられる。

 だから、それ以上を望む必要があるのだろうか?

 自問の答えが見出だせないまま、ユーリィは肉片の中で一番小さなものにフォークを刺した。

 すると__


「よもや、怒ったのではあるまいな? わしは小さき肉に刃を立てたのか?」

「いえ、別に怒ってなどいないですよ。考えていただけです。自分を汚らわしいと思うことは、ずっと前に止めました。意味がないことだと教わったので」

「それで良い。反骨心がある者は嫌いではないが、いじける者には虫酸が走るのでな。ああ、それと、愛想笑いを浮かべる者も嫌いじゃよ、覚えておくように」

「そうですか」


 いったいなにが言いたいのだろうと、ユーリィは皿から目を離し、前に座る老人を真っ正面から見返した。

 全身から活力にあふれているような雰囲気は、初めて会った時とほとんど同じ。顔に刻まれた皺がなければ、五十代と言われても納得してしまうかもしれない。ただし眼光だけは、以前と比べてやや鈍っているような感じがした。


「愛想笑いと言えば、そなたの父ウラジミールはよく愛想笑いを浮かべる男だったよ。死んだベネーレク伯爵もそうだったが、あの男の笑顔には皮肉が混じっていたから、その点ではウラジミールの方が若干マシだったがな」

「つまりどちらもお嫌いだったんですね」

「ああ、嫌いじゃったよ。そもそも、わしと話す大方の輩はわしのことが好きではあるまい。歳のせいか少しは気長になったが、昔は“火山”と呼ばれるほど毎日噴火していたからな」


 今でも十分、活火山です。

 口に出しては言わなかったが、ユーリィは心の中で呟いた。


「おかげでふたりの息子は、わしの前では愛想笑いを浮かべるが、陰では“早く死ね”と言っている始末。自業自得と言えばそれまでだが……なにか言いたそうだな?」

「別になにも。なぜそんなに怒るのか、不思議に思っただけですよ」

「不思議に思うことはあるまい。そなたも本来、火山のような性格をしているのは分かっておるぞ。ただし今は、凍りついているようじゃが」

「そう見えますか?」

「見える。わしの愚息どもが、涎を垂らすほど欲しがっている場所に上り詰めたというのに、いったいなにが不満なのか」

「そうですか、欲しがっておいでですか……」


 だったらくれてやるのに――。

 そう思った矢先、陰り気味だった伯爵の眼光が鋭くなり、その光がまるで射るようにユーリィを突き刺した。


「野心を持て、ユリアーナ。わしは四人兄弟の末だったが、こうして家督を継ぐことができた。それはひとえに、わしの信念が正しいと信じてきたからだ。ユリアーナ、わしはな、領主が領民のために力を持つことは悪いことと思っていないし、領民を食い物にする輩よりずっと高尚だと信じている。しかしここだけの話だが、そんなことは建前として、わしにも野心はあった。世に立ちたいという野心がな。男ならそう思うのは当たり前じゃ」

「僕はまだ、自分が正しいと思えるほど大人ではないですから」

「大人が正しいと思わぬことだな」


 きっぱりと言い切ると、老人はふたたびナイフを手にし、肉を切り始めた。

 そんな様子を見ながら、ユーリィはふと、“この人が父親だったら良かったな”と思わずにはいられなかった。


(父親と言うより、孫か)


 もちろん言わなかったが。

 それに、相手が自分にどこまで親しみを感じているのか分からない。それこそ火山のごとく噴火するような気さえした。

 その後、ふたりは黙って淡々と食事を進めた。ユーリィも完食とまではいかなかったが、いつもより倍以上は食べることができた。

 だれかと一緒に食べるというのは、わりと有意義なのかもしれない。いつもみたいに、変な味もいっさい感じなかった。

 最後にデザートの砂糖菓子が出されたところで、ユーリィは例のことを思い出し、今度はきっぱり言うことにした。噴火は覚悟の上だ。


「そういえば伯爵、あの薬はもういらないですから。すごく不味かったし」

「あの薬?」

「滋養の薬です」

「わしはなにも渡してないぞ、すっかり忘れていたからな」


 その返事に、ユーリィは妙な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。


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