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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第33話 転機を求めて 中編

 ベッドから降りた少年は、なぜここに居るのかと尋ねてきた。少し寂しげな驚きを隠しもせずに。

 上官の命令だとラウロが答えると、“あ、そう”という声とともにため息を、茶色の絨緞に吐き出した。

 けれど、彼はそれ以上の質問はしなかった。ベッドに投げた悲しげな視線を見れば、あの男が気になっているのは手に取るように分かってしまう。それでも、胸元の鎖を指先でいじりつつ、薄い微笑みをラウロへと見せてくれた。


「徹夜させてごめんね」


 気遣いなんだろうか。

 そうだと信じよう。

 イヤミだと思ってしまえば、傷ついてしまうから。

 自分にそう言い聞かせ、ラウロは「仕事ですから」と返事をした。


「もう戻って休んでいいよ」

「いえ、自分は……」


 まだここに居させて下さい。

 そう言おうと思ったのに、居間の方でノックがして、言葉が喉の奥まで戻ってしまった。


「コレットだと思うよ。そろそろ来る時間だから」


 言い訳のように呟き、彼は寝室から立ち去って、その言葉通り世話係を伴い、直に戻ってきた。

 昨夜もだが、コレットという女は侯爵の世話係だというのに華がなく地味だなとラウロは思った。猫背で、顔色も悪いし、視線もどことなくオドオドとした印象がある。まるで昨日田舎から出てきたばかりのような女だ。

 彼女を見ていると、昔、寄付集めに皆でやった『ビシュレット』という演劇を思い出してしまう。ビシュレットという名の女が、貴族の召使いになって様々な苦労をするが、最後は神の愛と貴族の慈悲で幸せになるというような話だ。コレットは、まさに幼なじみの少女が演じたビシュレットそのもの。きっと彼女も、慣れない仕事に戸惑っているんだろうなと、ラウロは内心同情した。


「お、お召し替えのあとは、メチャレフ伯爵からいただいたお薬を……」

「あれはもう飲まない」

「で、ですが、せっかく……」

「マズいし、あんまり効いてるような気がしないし。伯爵には僕から謝っておくから大丈夫だよ」

「そうですか……」


 コレットはガッカリした様子でうつむき加減に返事をした。しかし彼女はすぐに気を取り直して顔を上げ、ぎこちない笑顔を侯爵に向けた。


「あ、あの、今朝は私がお召し替えをすべてさせていただきますので」

「ヤダよ」

「それが私の仕事ですから……」

「赤ん坊じゃないんだから、ズボンを履かせて貰わなくていいし、シャツだって取り替えられる」


 侯爵にきっぱりと断られても、コレットは必死に食い下がった。


「けれど、お世話係はそういうことをする仕事だと言われました。貴族の方はそのように振る舞うのが当たり前だそうです」

「他の貴族はそうかもしれないけど、僕はそんなふうに育ってきてないし、育たなくて良かったとも思ってる。それに自分のことも自分でできない奴に仕えたいと思わないだろ?」


 その言葉にラウロはいたく感動してしまった。

 お姿だけではなく、お心も素晴らしい方なんだと。

 さすがのコレットもそれ以上言うことができなかったらしく、残念そうに小さくうなずいた。

 その心残りを晴らすためと言うわけではないだろうが、彼女はラウロを見ると、少々冷たい口調で予想外のことを知らせてくれた。


「そういえば、そちらの兵士さんに用事があるという方が外でお待ちですよ」

「え? 俺に? ディンケル副長?」

「いえ、別の方です。ええっと、名前は存じ上げませんけど……」

「ラウロ、行けよ。僕はもう大丈夫だから。それに僕の着替えなんか見る理由ないだろ?」


 もちろんある。

 しかし留まる理由を否定されてしまったから、残るわけにはいかなかった。


「分かりました」


 答えた声に、名残惜しさがにじみ出たような気がした。

 寝室を出て、居間を横切り、扉の前で振り返る。また俺はここに入れるのだろうかとそう思った。あの男のように導かれなくてもいい、仕事としてでもいい。もう一度だけ、眠っているあの方の顔が見えるのなら、俺はなんでもすると心から祈る。

 その願いが別の形で叶うとは、ラウロ自身、思いもよらないことだった。



 扉の向こうに立っていたのは、先輩兵士ひとりだけ。“おや?”と思い、自分を待っている人物が来なかったかと尋ねたが、彼は顔を横に振るだけだった。

 戻ってあの女に尋ね直すべきなのか。

 そう思っていると、おもむろに先輩兵士が廊下の先を指さしこう言った。


「まさか、あの人じゃないよな?」


 指された方を振り返り、そこに立っていた者にギョッとなる。

 だけど、その人物が自分を待っていたとは思えなかった。

 そう、次の瞬間、彼がラウロに向かって手招きをするまでは……。




 半時後、ラウロは自分の部屋にある硬いベッドに寝そべっていた。

 頭の中はグチャグチャで、考えがまとまらない。

 自分はどうすべきなのか。

 どうしたら良いのか。

 だれかにその正解を今すぐ教えて欲しかった。


『君があの森でなにを見たのか、私は分かっている』


 あの男はそう言った。

 さらに、


『侯爵とあの異国の者がどのような関係にあるかも、だ』


 正直、知りたくはなかった。

 あのキスだけで胸が張り裂けそうだったのだから、それ以上知ってしまえば悲しみに朽ち果てそうな気分になってしまう。

 しかし男は、そんなラウロの気持ちを知ってか知らずか、抑揚のない声で先を続けた。


『侯爵は将来、このソフィニアの皇帝になられるだろう。そんな高貴な方が神に背いていると知られるのは、非常に良くないことだ』


 男が卑下したことと同じ気持ちを抱いていると知られたくなくて、ラウロは必死に無表情を(つくろ)った。


『しかし侯爵がお悪いのではない。すべては愛情なくお育ちになったゆえの、一時の気の迷いだ』


 気の迷い?

 そうじゃない。

 俺はちゃんとあの方を心からお慕いしている。

 侯爵も、認めたくはないがグラハンスもきっとそうだ。

 心の中で反論したが、口にはしなかった。


『異国の者と侯爵を引き離す方法がひとつある』


 それを聞いた時、ラウロはついうっかり『どうやって?』と尋ねてしまった。

 今は後悔している。

 尋ねなければ良かった。そうすればこんなに悩む必要はなかったのに。

 いや、違う。あの男は最初から自分にそれをさせるつもりだったんだと思い直す。俺は罠にはまってしまったんだと。


『侯爵の胸に銀のペンダントがあるのは知っているか? あの中に青い狼魔と異国の者の魂が入っている。もしもそれを開けたなら、侯爵は迷いをお捨てになり、覇者としてソフィニアをお救いになる真の天子になるはずだ。私の言っている意味が分かるか?』


 うなずいたのか、唸っただけなのか、自分でも良く覚えていない。分かりたくないと思っただけかもしれない。その後、男が言った言葉すら、本当は幻聴だったのかもしれないと信じたいのも、自分に課せられた重荷から逃げ出したからだ。


『今夜から、君は侯爵の部屋で警備をするように手配をしよう。君が本当に侯爵を思っているのならできるはずだ。神に仕える君ならな』




 なんだか頭が朦朧としていた。

 だからふと浮かんだ疑問の意味すら気づかなかった。


(どうしてあの女は、彼の名前を知らなかったんだろう……)


 うとうととし始めた意識の中で、ラウロは最後にそう思って眠りに落ちたのだった。


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