第32話 転機を求めて 前編
「ベルベ島に行きたい?」
ヴォルフの言葉をオウム返しに言ったのは、ラシアールのブルー。場所は宮殿のラシアールに宛がわれた業務室だ。彼の他にもうひとりエルフがいたが、部屋の片隅にあるテーブルでなにか書き物をして注目はしていない。むろん聞き耳を立てているかもしれないが。
本当はアルベルトと話をしたかったのだが、残念ながら彼はオーライン伯爵領へと行ってしまっていた。
仕方がなく他の方法を考える。自分はユーリィやアルベルトのように機転が利くタイプではないと自覚しているヴォルフだが、ブルーに相談するのが一番という結論に至り、この部屋にやってきたわけだった。
前に立つ男は黒い短髪に、黄色味がかった薄茶の瞳を持つエルフだ。そもそもエルフの見た目は、どの種族もそれほど変わりがない。白眼がない大きな瞳と尖った耳、色の白い肌と華奢な体をしている。十歳ぐらいまでは幼児のようで、四十近くになっても若者にしか見えない。寿命は人間の二倍ほどあるが、体力は人間の子ども程度だろう。赤ん坊が死亡する確率は人間の十倍とのこと。繁殖力も弱く、五千年前まではこの地を支配していた彼らも、今はかなり減っていた。
エルフは魔法を使えるという特徴がある。というよりも、基本的に魔法はエルフしか使えない。人間の中にも使える者がいるが、それは大昔エルフと混血した一族のみ。ユーリィが風魔法の力を持っているのも、ジーマ族というエルフの血が入っているからだ。
そしてブルーもエルフの特徴を持っている。ただし背だけは高く、人間の成人男性なら平均的身長もエルフの中にいると、頭一つ分抜けていた。
視線でもうひとりのエルフの様子を気にして、ヴォルフは自分より若干背の低いエルフに、「そうだ」とだけ小声で返事をした。
だれがジョルバンニと繋がっているのか分かったもんじゃない。ヘルマンのことがあったから、ヴォルフの中の警戒心はいっそう強くなっていた。
「でもどうして?」
「フェンリルの件だと言えば分かってもらえるか?」
「あ、ジュゼの姉貴に会いに?」
ジュゼとはブルーの従姉妹で、狼魔の元飼い主であり、一時期ユーリィの世話をしたこともある女だ。
「いや、彼女ではなく……」
「まさか、あのハゲ?」
「んなわけないだろ!」
ハゲと言えばひとりしかいない。ハイヤーという名の偉丈夫で、ユーリィが妙に懐いている元大道芸人のことである。ヴォルフが苦手な粗忽なタイプだった。ベルベ島の生まれで、ジュゼと出来ているらしいと以前にユーリィから仄めかされたことがあった。
「もうひとり、というか、もう一体いるだろ」
「あー、アレか」
ブルーはようやく分かってくれたようだ。けれど理由までは分からないようで、彼は考えるような素振りで顎に手を当てた。
「……理由を聞いていい?」
「フェンリルについて、ちょっとな」
「ちょっとって?」
「あの魔物がどこにいるか、知ってるだろ?」
「ええ、まぁ」
「その件で、アレにちょっと尋ねたいことがあってね」
適当にごまかしたつもりだったのに、ブルーはなにかを悟ったかのようににやりと笑ってみせた。
「いいっすよ。ちょうど姉貴にどうしても島に来てくれって頼まれてたところだから」
「島に? なぜ?」
今度はヴォルフが尋ねる番だった。なんでも独りで解決できそうな彼女が、従兄弟とはいえ、だれかになにかを頼むのがあまり想像できなかった。
「島でちょっとした騒動が起こってるらしいっすよ。詳しいことは行ってみなければわからないけど。姉貴がわざわざ俺に頼んでくるぐらいだから、少し厄介かも」
「うーむ」
あまり関わりたくはないと、正直ヴォルフは思った。
しかしその厄介事がアレに関わるのなら、好むと好まざると首を突っ込まされるだろう。
「出発は明日の午後でいいかな?」
「ああ、そっちの都合に任せる。ただし……」
「だれにも言うなってか? 大丈夫、俺、そんなに口軽くないし。ベルベの調査とでも説明しておくさ」
軽口で言ったエルフの言葉をどこまで信用すべきなのか。
むしろ信用という言葉を使うことすら間違っているのかもしれないと、値踏みするようにブルーを見る。人間を含めてヴォルフの知っている者の中で一番明るくて、裏表のないようには感じられるが、果たして……。
「ぶっちゃけ、俺もあの眼鏡男があんまり好きじゃなくてね。長老はラシアールの地位向上だとか息巻いてるけど、俺にしてみればどっちでもいいし。って、そういう意味だよな?」
見かけによらず勘が鋭い男に、ヴォルフは肯定とも否定とも取れる曖昧な返事をし、礼を言って部屋を出た。
ユーリィに伝えておくべきか迷ったが、止めておいた。今は警戒するに越したことはない。彼は心配するかもしれないが……。
魔物との同化を完璧にしなければならない。その為にどうすべきなのか、なにか手段がないのかとアレに尋ねる必要がある。
アレ ――地の精霊リュットが必ず答えを知っていると、ヴォルフは確信していた。




