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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第30話 怯臆

 腕が背中をまさぐり、指が髪の毛をもてあそぶ。昔は嫌だったこと全部、ヴォルフが今している。だけど拒絶なんてする気はない。彼の胸に頬を当てて、ユーリィは心臓の音を聞いていた。


「こういうの、久しぶりだよな」


 片耳が塞がれているせいで、自分の声が頭の内側から聞こえてきた。


「ん?」

「おまえがベタベタするの」

「だな。十日ぶり? いや、もっとか」


 ヴォルフの声も胸の奥から内側に流れ込んできて、なんだか不思議な感じがした。


「あ、君も寂しかったのか?」

「“も”じゃなくて、おまえだけ」


 ニヤついた声色にムッとして顔を上げると、真剣な眼差しとぶつかった。声とは裏腹の、曇った表情がユーリィを驚かせる。

 また自爆気味にひとり落ち込んでいるのだろうか。

 ヴォルフは前々からそういうところがあるから困りものだ。心配性な性格が災いし、余計なことを考えてひとりで傷つく。

 今回もそれじゃなければいいなと思いながら、ユーリィは彼のオッドアイを見返した。


「怒ってる?」

「いや、」

「じゃあ、なんかあった?」

「別になにも。君が心配なだけ」

「やっぱり心配してるし」


 心配してくれなくったって、僕は僕で何とかするからと口を尖らせる。もちろんそんなつもりではなかったのに、ゆっくりヴォルフの顔が近づいてきた。

 ただ触れるだけの優しい口づけ。

 いつもみたいに貪られることもなく、温もりだけを残してヴォルフは顔を離した。


「ずいぶん大人しいじゃん」

「今日は君のそばにいたいだけだからね」

「ふぅん」


 背中にある腕を無理やり解いて、ユーリィは部屋の中央にあるソファへと歩み寄った。

 腰を下ろすと、急に眠気が蘇る。眠りかけたところを起こされたせいか、酷くだるかった。それともメチャレフ伯からもらった、変な味の薬草のせいかもしれない。あれを飲んだ途端、急に眠気が襲ってきたのだから。

 追いかけてきたヴォルフが隣に座る。その体に身をもたせたのはだるいから。そう、だるいからだと意味もなく自分に言い訳をした。


「で、さっきの騒ぎはなんなんだ?」

「ユーリィ、あいつをあんまり信用するなよ」

「あいつって?」

「ラウロ・ヘルマン」


 わけの分からない妄想で、ヴォルフはまた誤解しているらしい。ユーリィは体を離して、もう一度その顔を見上げてみる。本当にメンドクサイ男だ。

 黄色の瞳が悲しげに光っていた。


「言っておくけど、ラウロと僕はただの……」と言葉を切って、ためらいを振り払い、「友達だから」と無理して続けた。

 きっとラウロはそんなこと思っていないだろう。彼にしてみれば、主従関係しかないのだから。

 すると、ヴォルフはチッと舌打ちをして、「君に彼を会わせたのは失敗だったよ」と苦しげに呟いた。


「なに、それ、嫉妬?」

「いや、そうじゃなくて」


 メンドクサイから、片腕でヴォルフの頭を少し引き寄せ、形の良い唇にキスをする。いい加減分かれよと、ユーリィは内心毒づいていた。

 今度は軽くなんて終わらせやしない。覚えてしまった快楽を求めるため、舌で強引に口をこじ開けた。

 自分が未熟な存在だって知っている。それでも彼の心を癒すにはこれしかないから……。

 最初は嫌がっていた男は、途中からやっとその気になったようだ。外も内もベタベタになるほどに貪られる。


「ん……んんーっ」


 こっちから仕掛けたとはいえ、あまりにしつこいし、息苦しくなったので、ユーリィは顔を背けてヴォルフの劣情から逃げ出した。


「おま……いい加減に……」


 濡れた口元を手の甲で拭き取った。

 すると、その手をサッとつかまれる。思わせ振りに持ち上げて、まるで貴婦人にするかのように、慇懃な口づけ。そんなヴォルフの行動に、ユーリィはギョッとなった。


「なっ!?」

「この命はすべて貴方の物、我が(ぬし)よ」

「おまえ、ふざけてんの?」

「ふざけてなんてないさ」


 そう言ってヴォルフは手を伸ばし、ペンダントの鎖を指先で触れた。


「この中に、俺とあの魔物がいるんだろ?」

「うん」

「君は独りじゃない、いつだって。もしも俺がいなくなっても……」

「止めろ」


 たとえ冗談でも、そんなことを言うのは許さない。未熟かもしれないけど、守るべきもの、欲しいものは分かってる。今の自分にはヴォルフしか残されてないんだから。

 そんな思いで睨みつけたユーリィを、鎖から手を離したヴォルフはつかの間、意味深に見つめ返した。


「な、なんだよ!?」

「久しぶりに見たなぁと思ってね、その目」

「目?」

「威嚇の目。以前はしょっちゅうそんな目をしていたのに、ここ最近、酷く辛そうだったから。君がどんどん弱くなっている気がして、見てる方も辛くてね」


 僕が弱くなってきている?

 そんなはずは……。

 でも……。

 最近、なんにも考えたくないと思うことが多くて。

 前みたいに感情を殺せたらいいのにと思うこともあって。

 いったいなにが原因か分からないけど。

 緊張しているみたいに首や肩が硬くなってきて、苦しくなる。

 食欲も湧かなくて。


「ユーリィ?」


 考え込んでいると、心配したらしいヴォルフに覗き込まれていた。


「そうかなって考えただけ。言われてみれば、なんだかちょっと変かも」

「みんな、君に期待しすぎてるのかもしれないな。特にジョルバンニは」


 その名を聞いた瞬間、少し息苦しくなり、ユーリィは無意識に胸に手を当てていた。


「ジョルバンニは……」

「君はあいつの命令になんて従う理由はないんだぞ?」

「でもさ、あいつ、言うことがいちいち尤もなんだよ。言い返すこともできないし、あいつの方がずっとソフィニアを大事に思ってるし、僕が逃げ出したいだけっていうのも本当のことだし……」

「どうして逃げ出したいんだ?」

「だって、僕は……」


 未熟なんだ。

 体だけじゃなく、きっと心も。

 それなのにみんな、妙な期待をかけてくる。

 僕は子どもの目なんて治せない。

 神の加護なんて与えられない。

 僕は人間でもなく、エルフでもなく。

 ずっと暗いところにいただけの存在。

 逃げたいんじゃない、自分が分からないんだ。

 でもこんなこと考えてたら、また兄さんに罵られる。せっかく俺が命をかけて守った世界からおまえは逃げるのかって、眼鏡の奥にある目で睨んで……。


「ユーリィ? 大丈夫か?」

「僕は……」


 また目眩がした。

 ヴォルフの声が遠くに感じる。

 世界と自分が切り離されるような、まるで箱に閉じ込められたような……。

 目も耳も心も蓋をされしまうこの感覚は、一年前まで何度も経験した。もう僕は昔とは違うはずなのにと、ユーリィはもう一度ヴォルフの肩にもたれかかった。


「なんか目眩がする」

「今日はもう寝なさい」

「うん」


 ふわっと体が軽くなって、宙に浮く。

 一瞬で、ヴォルフに抱え上げられていた。

 こういうのだけは素早いというか、なんというか。文句を言おうと下から覗き見ると、その顔は本当に悲しげだった。

 口にしかけた文句が引っ込み、代わりに心配させていることが申し訳なくなる。

 大人にならなくちゃって、分かっているのに……。


「ごめん……」

「軽いから平気だよ」

「そういうことではなく」

「なにが?」

 

 そういう顔、凄く嫌だからって言いたかったのに言葉が出てこなかった。

 ヴォルフは言葉通りに軽々とした動きで居間を横切って、薄暗い寝室に移動した。優しく下ろされたそこがベッドであることを、背中の感触で感じ取る。すぐ横に加重がかかったのは、彼が座ったためだろう。

 暖炉の炎が消えかかっていたので、ほとんどなにも見えない。薄ぼんやりと、ヴォルフの輪郭が闇との境界線を作っていた。


「ユーリィ、寝る前に少しだけいいか?」

「なに?」

「ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「いいよ」

「俺は時々、君の夢を見るんだ。炎に包まれたあの町で立ち上がった君の夢を。強く雄々しく気高いあの姿は一生忘れないと思う」


 乗っ取られた意識を取り戻した時のことだ。

 そんな大げさに言うほどのことだったろうか。

 あの時はただ必死なだけだった。


「それで?」

「あの時、君はなにを考えてた? どういう気持ちだった?」

「どういうって……」


 闇の中で記憶を辿った。

 自分がなにを考えてたか、なにを感じてたのか、ぼんやりとも思い出せなかった。


「あんまり覚えてない」

「じゃあ、今はいったいなにに怯えてるんだ?」

「怯えてる? 僕が?」

「そう、君が」


 怯えてる?

 なにに?

 どうして?

 自問してみたが、やっぱり答えが出てこない。


「ジョルバンニが怖いのか?」

「あんな奴、全然怖くないから」

「あの男、だれかに似てると思わないか?」

「思わない、ちっと思わない」


 あんな奴が二人といるわけがない。眼鏡の奥にある冷たい瞳に睨まれると、思考が停止してしまう。あの男こそが正義のような気さえした。


「俺は、ある人物を思い出すんだが……」

「だれ?」

「いや、君が思わないのなら、別にいいさ」

「そうだ、ちょっと兄さんに似てるかも」


 刹那、唾を飲むような音が微かに聞こえてきた。ヴォルフは兄さんが嫌いだったからなにか言われるんだろう。そう思っていたが、少し間があってからようやく反応があった。


「なぜそう思うんだ?」

「なんとなく。ほら、正論吐くとことか、眼鏡をかけてるところとか」

「エディク・イワノフが正論だって!? その前に彼は眼鏡なんてかけてたか?」

「あれ……? いや、でも、だって……」


 なにか変だ。

 それは分かったが、考える前に息苦しさだけが増してきた。喉を絞められてるようで、気づかないうちに呼吸が荒くなる。胸に空気が入ってない気がした。


「なんか苦しい……」

「大丈夫か!?」


 ヴォルフの手が優しく腕を撫でてくれたので、少しだけ落ち着きを取り戻せた。


「悪かった、変な質問をして。忘れてくれ。今はなにも考えずに寝たほうがいい。朝までこうしてるから」


“うん”と返事をしたものの、先ほどの質問がどうしても気になって、「僕は怯えてなんてないよ」とユーリィは小声で言った。


「分かってる、分かってるさ」


 その言葉とともに、頬にキスをされた。


「そういうの、幼児扱いだぞ」

「恋人扱いだよ」

「なんだ、それ」

「いいから寝なさい」


 どうしてそんなに辛そうな声なのか聞いてみたかったが、彼の言う通り、今は大人しく寝てしまおう。だけど瞳の中からヴォルフが消えてしまうのが寂しくて、手を伸ばす。握り返してくれた手のひらが温かくて、“ああ、久しぶりにヴォルフと一緒にいるんだなぁ”と実感し、冷たくなった心まで暖まった。

 朝になったらもう一度話をしよう。

 兄さんのこと、ちょっと考えた方がいいのかもしれない。

 そう思っていたユーリィだったが……。

 遠くで扉が叩かれる音がした気がした。激しくはないが執拗に何度も繰り返すから、うるさいと夢うつつに文句を言った。

 しばらくしてようやく収まったので、安心して眠りに落ちて、なにかの夢を見た気がしたがあまり覚えてなくて、やがて日の光に起こされた。

 眠ってから何分も経っていない感じだったが、実際はずいぶん寝たのだろう。

 隣にヴォルフが寝てるのかと手を伸ばしたが、冷たいシーツの感覚だけが手のひらに触れた。


(まさか、寝なかったのかな)


 少し心配になって、瞼を開ける。

 横を向くと、やはりベッドにはだれもいなかった。


「ヴォルフ……?」


 それでも近くにいるのだろうと思っていた。

 変な自制心で床にでも寝ているのか。

 馬鹿だなぁと思いつつ、体を起こす。ベッドの下を覗き込んだが、薄茶の絨毯が毛羽立っているだけだった。

 ところが__


「侯爵、お目覚めですか?」


 意外な人物の声に、ユーリィは跳ね上がった。


「なっ!?」


 あろう事か、寝室の扉のすぐ横にはラウロ・ヘルマンが立っていた。


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