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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第29話 黒き心に犯されて

「だれかに頼まれたのか?」


 グラハンス氏はまるで魔物のような目で睨んでそう言った。いや、“ような”じゃなくて、彼は本当に魔物だ。まさに青天の霹靂。ラウロは自分の見たことがまだ信じられなかった。


「お、俺……」

「だれに頼まれた!?」


 同じ質問を繰り返される。最初よりずっと強い語尾で。


「だ、だれにも頼まれてないです」

「ではなぜこの森に?」

「それは……」


 本当のことを言ってしまおうか。

 ジョルバンニ氏に頼まれたと告げたら、彼はどんな反応を示すだろうか。


(いや、言ったらダメだ、絶対に)


 侯爵はあの男が好きではないと、ラウロはとっくの昔に感じ取っている。その相手から頼まれたと侯爵に知られたら、もう二度と口をきいてもらえないような気がした。


「本当にだれにも頼まれてないです」


 そう言った途端、力が抜けたグラハンスの手にまたぞろ首を押さえ込まれた。


「このことはだれにも言うな」

「だれにもって……侯爵にも……?」

「あいつは知っている。けど君が知ったことが分かればきっと不安がる。今は不安定になってるから、これ以上、あいつに不安がらせるわけにはいかないんだ」

「分かり……ました。絶対にだれにも……本当ですから……」


 早く手を離して欲しくて、ラウロは必死に訴えた。絞殺されるという恐怖が拭えないのは、黄色い右目が放つ光があまりにも異様だからだった。


「本当だな?」


 何度も小さくうなずくと、ようやく手が離された。


「もしも裏切ったら、君を殺す」

「殺すって……」

「裏切られるあいつの顔を二度と見たくない。いいか、俺はあいつを守るためだけに生きているんだ、覚えておけ」


 あいつ……。

 なんでだろう、凄く苦しくなった。

 ふたりがどんなに親しいのか悟ったからかもしれない。

 そんな心を隠して、ラウロは真剣に誓いを立てる。


「絶対に言いません、本当です」

「守れよ」


 唸るような声で捨て台詞を残してグラハンスは立ち去り、残されたラウロはしばしその場に立ち尽くした。

 侯爵と出会って以来、こうして驚くことばかりだ。

 もしかして神に試されているんだろうか。教えに背かない者でいられるのかと。


(考えるのは止めよう、特に今は……)


 軽く頭を振り、押さえられた首元を摩り、ラウロはのそのそと歩き出した。もうすぐ夕暮れ。本当に長い一日だった。

 今日は早く帰って寝てしまおう。

 そうすれば、明日にはきっと新しい目覚めが来る。新しい日は新しい喜びが生まれる日だと神もおっしゃっている。

 だからきっと……。

 けれど森から抜けた時、それが叶わないのだとラウロは知った。

 森の出口に立っていたのは、あの男。眼鏡だけを光らせて、薄暗くなっていく周囲に溶け込むように彼は待っていた。


「どうだ、なにか分かったか?」

「いえ、なにも」


 もちろん言うわけにはいかない。

 グラハンスに殺されたくないし、侯爵の悲しむ顔は自分だって見たくはないと嘘を吐く。


「そうか。では狼魔はどうした?」

「街の方に消えていきました」

「ほぉ、街に」


 嘘が上手とは言えないから、バレたかもしれないと思った焦りさえ必死に隠す。


「残念です。すみません」

「いや、結構。十分だよ」


 男の口角はわずかに上がったが、彼はそれ以上追求しなかった。




 そして数時間後、ラウロは薄暗い廊下にひとり立っていた。

 約束通りジョルバンニ氏は、アーリング士爵に侯爵の警備兵として推薦してくれて、早速ラウロは任務に就くこととなった。

 どうやら嘘はバレなかったようだ。

 警備の担当は真夜中。だけど交代制なのでそれほど辛くない。それどころか扉の向こうには侯爵がいるのだと思うと、もっと長くてもかまわなかった。

 こうして独りになってみると、“運命の出会い”と言った侯爵の声を思い出す。すると胸を締めつけられるあの感覚が蘇り、堪らないほど苦しくなった。

 初恋の時に経験したから、この苦しさは知っている。だけどあの時よりもずっと苦しいのは、神に背いていると分かっているから。

“汝、同性に懸想を抱いてはならぬ”

 幼い頃、読んだ聖典にあるその一節。意味が分からなかったので神父様に尋ねると、困り顔で『そういう人もいる』と教えてくれた。さらに付け加え、『種族を越えるのも、神マルハンヌスの教えに背く』ともおっしゃった。侯爵が、悪し様に“卑しきの子”“呪われた血”などと一部の者たちに言われるのもそのせいだ。

 ラウロ自身、侯爵のことをそう思った時期がある。まだあの眉目を見る前に。

 けれど、侯爵を初めて見たあの瞬間、畏敬の念を抱くほどの衝撃を受けた。

“美しき黄金神よ、海原の瞳を持つ神よ、どうか我らを導きたまえ”

 毎朝祈祷を捧げて口にしていた聖典の一句が脳裏に浮かび、マルハンヌス神がいよいよ降臨されて、理想世界が実現するのだと、そんなことすら思ってしまった。

 でも今は、彼が人知を越えた存在なんて思っていない。

 怖がったり、悲しんだり、怒ったり、そして笑ったり。自分と同じ感情を持つ方だってことは分かってる。

 分かっているからこそ、お守りしたいしお仕えしたいと思っている。

 恋だと思っていることも、きっと崇拝の裏返し。君主に仕える者の感情。

 きっとそう。

 絶対にそう。

 だけど……。


『俺はあいつを守るためだけに生きているんだ』


 そんなふうに思っている者が彼のそばにいることに、心の奥からドクドクとなにかが沸き出てくる。『おまえ、捨て子なんだろ』と言われた時に似た、どうしようもなく濁った黒くておぞましいなにか。


(やめよう。濁った感情には濁った心が宿ると、神父様もおっしゃってたじゃないか)


 信仰心に一握りの淀みもない。

 絶対にない。

 だけど感情が抑える方法が見つからない。

 扉の向こうにいらっしゃる。そう思っただけで、今すぐノブを回したいと思っている自分がいた。


(神父様に知られたら、きっと懺悔部屋に入りなさいって言われるだろうなぁ)


 室内からの気配はなかった。

 侯爵はメチャレフ伯爵との夕食会も早々に切り上げて部屋に戻られたと、コレットという名の世話係が教えてくれた。

 あんな怖い目に遭ったんだから当たり前だ。

 だから慰めたいし、謝りたいし、話もしたい。

 できることなら、あの細い体を抱きしめて……。


(なんでだよ。そんなこと思ったって仕方ないじゃないか!)


 頭を抱えて座り込んでしまおうか。でないと本当に衝動に駆られ、扉を開けてしまいそうだ。そう思って兵帽に手を伸ばしかけた時、薄闇を踏みしめるような、足音が聞こえてきた。薄暗い廊下の向こうから近づいてくる。

 ラウロは咄嗟に腰の剣に指をかけて身構えた。

 もちろん、腕に自信があるわけじゃない。訓練を積んでも腕前は半人前。強さを身につけるまでにはあと数年かかるだろう。


「だ、だれだ」


 上擦った声で、その相手に声をかける。

 宮殿内なんだから、くせ者なはずはない。きっと従者のだれか。あのチョビ髭男かもしれないし、交代の兵士が来てくれたかもしれないし。

 しかしそんな甘い予想に反し、浮かんできたシルエットは長髪の男。

 そう、あの魔物だった。


「……なるほど、そういうことか」


 森で別れた時と同じ、唸るような低い声が廊下の床を這うようにして伝わってきた。


「グラハンスさん?」

「君があの眼鏡と話すところを見たぜ。つまり君はあいつの手下ってことか」

「俺は、あの、」

「純朴そうな顔にすっかり騙されたな」


 違う、そうじゃない。

 俺はひと言だって、貴方のことは言わなかった。

 ひと言だって。

 侯爵と親しいことへの羨ましさだって我慢してる。

 そう訴えたくて、ラウロは口を開きかけた。


「いや、言わなくてもいい。バレた嘘に上塗りしたところで、みっともないだけだ」

「嘘なんて言ってない! 俺は本当にだれにも!」

「口ではなんとでも言える」

「だったら、どうやって証明したらいいんですか!?」

「証明? する必要はないな。君がそこに立ってることが証拠だ」

「だからこれは……」


 その時、背後で扉が開かれる気配がした。

 心臓が跳ね上がる。

 息を殺して振り返れば、果たして、眠そうな目をした侯爵が立っていた。

 白いシャツと藍色の薄いズボンというラフな姿。就寝用の部屋着なのだろう。ボタンをいくつか外した胸元には、銀の鎖らしきものがキラリと光った。


「なんの騒ぎ?」


 訝しげにそう言った人をかばうため、ラウロはグラハンスの前に立ちはだかった。

 俺はこの方を守る役目にある。

 こんな魔物もどきが近づいていいはずはない。


「ふたりでなにを語らってるんだよ、夜中だぞ?」

「語らってないから」


 ムッとした様子でグラハンスが答えた。

 ラウロも負けじと付け加える。


「侯爵、危ないから不用意に部屋から出ないでください、お願いします。もしものことがあったら……」

「もしもって?」

「つまり、くせ者が来たら危ないってことです」

「俺はくせ者じゃないぜ」

「だれも近づけるなと命令されてます」


 グラハンスは鼻でせせら笑った。


「命令ね」

「ええ、そうです。アーリング士爵に指令を受けました。俺の上官はあの人ですから」

「形的にはそうだろうな」

「嘘なんてついてないですから!!」


 荒げた声が廊下に響いた。

 壁際に据え付けられたランプの炎が揺らいでいる。その炎のように、ラウロの心は怒りと悲しみと焦りで揺れていた。


「大声出すなよ、ラウロ。みんな、起きちゃうだろ」

「すみません、でも……」

「いつからここで警備してるの?」

「今夜から……」

「そりゃまた、もの凄い偶然だ」

「だから俺はっ!」

「ラウロ、声」


 どうしたら分かってもらえるんだろう。

 俺はただ偶然に、ではなくもしかしたら初めからあの男に嵌められたのか。だとしたら、そのことを伝えたいのにグラハンスは疑いを解こうとはしてくれなかった。


「とにかくヴォルフは中に」

「ダメです」

「僕はだれの命令も受けない」


 伸ばされた細い手は、まっすぐにグラハンスを求めていた。その手首をごく自然に魔物がつかむ。その瞬間、ラウロの胸が深く深くえぐられた。


「ラウロ、このことは秘密だよ」


 そうしてふたりは扉の向こうへと消えていった。


 ああ、神よ。

 我が父、マルハンヌスよ。

 どうかお助けください。

 俺は黒くて汚いものに犯されそうです。

 あの男が憎くてしかたがないのです。

 どうしたらいいのでしょう?

 どうしたらいいのでしょう?


 廊下の薄闇を(まと)い、ラウロは施錠された扉のノブを見つめ、必死に祈っていた。


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