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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第二章 冬霞
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第27話 目覚めよ、愛しき者

 コツコツと冷淡な靴音を響かせ男がうろつく。彼の前には大きな机があり、その向こうに金髪の少年が座っている。少年は悪びれた様子もなく机の端を睨み、男を見ようともしなかった。

 ヴォルフが執務室に入ってから、ふたりはずっとそんな感じだ。隣にいるディンケルも、扉のそばにいるシュウェルトも、困惑した表情で彼らを見つめていた。

 男はようやく立ち止まり、銀縁の眼鏡をあげ、それから少年へと向き直る。背後からではその表情は見えないが、三白眼の双眸はさぞや冷たい色をしていることだろう。


「どうあっても外に出られた方法も理由も教えていただけないのですね?」


 丁寧な口調には、彼こそが宮殿の王者であるかのように、威圧感がたっぷりあった。

 少年は真一文字に口を結んだまま返事をしない。


「では処罰すべき者はだれか、勝手に決めさせていただきます」


 少年はやっと視線を上げ、臆した目で男を見つめ返す。


「処罰……?」


 その声はわずかに震えていた。



 ライネスク侯爵がいなくなったと騒ぎになったのは、夜が明けてしばらく経った頃だ。最初に疑われたのはもちろんヴォルフで、ディンケルに叩き起こされた。

 イワノフ城から戻って以来、部屋を移されたので、ヴォルフとしては実に不愉快だった。しかもユーリィの部屋の前には昼夜問わず警備兵が立っているので、夜這いをしたくてもできるわけがなかった。

 とは言え、消えたことについては、アルベルトの話もあり心配だったのは確か。ディンケルもヴォルフが知らないと分かると焦りが増幅したようだった。さらにシュウェルトが「侯爵は方向音痴です」と言ったものだから、宮殿の隅から隅まで探す大騒動に発展した。百ある部屋はもちろんのこと、屋根裏部屋、厨房、果ては物置まで手分けして探し回り、中庭をという段階で驚くような連絡が飛び込んできた。

 天子様がいらっしゃると、人々が街で騒いでいるという。すでに大勢が集まり始め、近づくのもままならない状況らしい。

 どうやって宮殿から抜け出したかは別として、それは間違いなく侯爵だろうということになり、すぐにラシアールに伝令が行った。

 そして、民衆に囲まれていたユーリィをブルーが助け出し、今に至っているというわけだった。


「処罰って……どういう意味?」


 まだ震える声で、ユーリィはジョルバンニに尋ね返していた。


「処罰は処罰です。ライネスク侯爵の警護という任務を果たせなかった警備兵ふたりと、貴方を守れなかった新兵、それから世話係の女もですね」

「それってコレットのこと? でも彼女が来る前に僕は部屋から出たんだし関係ないよ」

「あの女はライネスク侯爵が部屋にいらっしゃらないのに気づきながら、だれにも知らせることなく、自己判断でしばらく侯爵を探していたようです。もしもすぐにだれかに知らせれば、街中が混乱することもなかったでしょう」

「でも、それは結果論だろ。警備兵はちゃんと部屋の前にいたし、ヘルマンは僕を助けようと必死だったし、コレットがすぐに知らせたって、無駄に中庭を探してた可能性があるじゃないか」


 するとジョルバンニはわざとらしいため息で、ユーリィの反論を非難した。


「なにも分かっていらっしゃらないようですね、侯爵は」

「なにが?」

「貴方は、気軽に散歩ができるようなお立場にないということですよ」

「そ、それは分かってるよ。だからこっそり……」

「ライネスク侯爵、できることならもう少々、大人になっていただきたく存じます」


 ジョルバンニは、痛烈なひと言を乾いた口調でユーリィに投げつけた。

 その言い方が気に入らなくて、ヴォルフは拳を握りしめる。反面、ジョルバンニが言っていることが間違っているわけでないと思う自分がいて、やり場のない怒りが指先に溜まる。もしもあの男がはっきりとした私欲を見せてくれたのなら、眼鏡をぶち壊す覚悟はいつでもある。

 それが本当にあいつの為なら……。

 ユーリィは狐に狙われたウサギのように、怯えた眼でジョルバンニを見返している。

 そう、あの眼だ。彼は明らかに怯えていた。

 いったいどうしたら、プライドと気品に満ちた彼に戻ってくれるのか。信念を貫き通そうという強さを見せてくれるのか、ジョルバンニなど負けないという気概を見せてくれるのか。早くそれを見つけ出さなければと、ヴォルフは切実に感じていた。


「いいでしょう、今回は不問に付しましょう。ただし次は間違いなくだれかが責任を追わせますのでご了承を。それと午後、メチャレフ伯爵がいらっしゃるそうですので」


 捨て台詞というには感情がこもっていない声で言うと、靴音を響かせジョルバンニが部屋から出ていく。それを見て、ヴォルフは咄嗟に動いてしまった。


「ちょっと待ってくれ」


 廊下に飛び出し、眼鏡男を呼び止める。もう猫を被っている場合じゃない。最後に見せたユーリィの悲痛な眼差しが、指先に留まっていた怒りを胸まで押し上げていた。


「なんでしょう?」


 その声にも、振り返った顔にも、冷酷さがにじみ出ている。この男には一切の感情がないのではないかと思えるほど、なにも読み取れなかった。

 (ひる)みそうになった心に鞭を入れて、虚勢で睨む。けれど、そんなことすら見透かされているだろう。


「あんたにちょっと言いたいことがある」

「ほお」


 口角が少し上がった気がしたから、こいつきっと大笑いしているんだなと感じ、胸まで到達していた怒りが脳みそへと駆け上ってきた。


「なにが“ほお”……」

「分かりました、お伺いしますよ。ただし私も忙しいので、歩きながらお願いします」


 言葉通りジョルバンニは足早に歩き出す。そんな相手にヴォルフは歩調を合わせ隣に食らいついた。


「あいつ……侯爵はまだ十六歳なんだ」

「ええ、存じてます」

「ああ見えてもすごく繊細で、いっぺんに背負ったら潰れるかもしれない」

「こんなことで潰れてしまうようなら、早く潰れるべきかもしれませんね」

「ちょっ……」


 想像の遙か上をいく冷たさに、ヴォルフの足は止まってしまった。それでもジョルバンニは歩を緩めることなく離れていく。

 やはりあの男は、俺が倒すべき敵なんだろうか。

 片手を黄色い瞳に当てかけ、慌てて自制した。

 感情で動けばどういう結果になるのか、何度も痛い目に遭った俺が一番知っているはずじゃないか。

 あの男に立ち向かうのなら早計は禁物だ。

 落ち着け。

 そう自分に言い聞かせつつ、ジョルバンニに追いついて、並び歩いた。


「あんたの言いたいことはよく分かった。つまり侯爵が王者となる資格があるかどうか確かめているんだな?」


 言い放った言葉に反応し、ジョルバンニが立ち止まる。振り返った視線はほぼ同じ高さにあった。今まで気づかなかったが思った以上に背が高い。常に身につけている薄いグレイの上下がそう思わせていたのか。それとも彼自身が消し去ろうとしていたためか。しかし今は、思わぬ威圧感に、ヴォルフは少しだけ片足を引いていた。


「なにか誤解をされているようですね、グラハンス殿」

「誤解……?」

「私は規律をご理解いただきたいだけです。もう十七になられるのなら、ご自身の立場は十分ご理解になれるでしょう。潰れていただきたいと申したのも、あの方の言動で大勢が人生を狂わされる前にという意味ですよ。なにか間違っていることを言っておりますか?」

「……いや」


 腹が立つほどの正論に、ヴォルフは口籠もる。

 所詮、自分には太刀打ちできない相手だったということなのだろうか。


「が、貴方の言うことにも確かに一理ある。時折お見せになる危うさに、私も不安は感じてはおります。分かりました。その点についてはなにか手を打ちましょう」

「そうか、それは良かった」

「ただしその幼さとは違う一面もあることも存じてますよ。つまり侯爵と貴方のご関係です」

「脅すつもりか?」

「さあ、どうでしょう?」


 ジョルバンニの後ろには真鍮の飾り窓がある。そこから黄金の太陽が下半分だけ顔を覗かせて、彼を淡く照射していた。


「いずれにせよ、侯爵にとって貴方が最大の障害物であることは間違いなさそうです」

「悪いが、俺は彼と離れるつもりはないぜ」

「そうでしょうな。ところで、いかに侯爵の前から障害物を処理するかが私の仕事なのですが?」


 太陽に雲がかかる。薄闇を纏うようにジョルバンニの全身が暗くなった。




 数時間後、ヴォルフは宮殿の屋根にいた。半月前にユーリィが座っていた場所だ。そこで彼がなにを見ていたのか考えながら、同じように街を見た。

 太陽は西へと落ち始めている。風はあの時よりずっと冷たくて、心まで染み込んでくるようだ。

 乱れた髪をかき上げて、ヴォルフはざわつく気持ちをどうにか取り押さえた。

 ユーリィのことだけが本当に心配だった。他のことなんてどうでもいい。あの男がなにをしようと考えているかなんて、知ったこっちゃない。

 ただひたすら、愛しき者が立ち上がる瞬間を待ちわびている。

 そのために俺はなにをすべきなのか。必死に考え、出た結論はやはりアレしかなかった。


(まだ無理かもしれないけど……)


 狼魔になろう。

 しかし変化しても自分ではコントロールが効かないし、人間に戻る時間もあやふやで危なっかしい。それだけならまだしも、魔獣の姿をしている時は完全に意識を失ってしまう。

 それでも、彼を奮い立たせるにはもうこれ以外方法が見つからなかった。

 もう一度、強く輝く少年を見てみたい。

 父親に再会した時よりももっと激しく。

 戦火に燃える町で立ち上がった時のように雄々しく。

 彼こそがユリアーナ・ライネスクだと、俺が命を賭けて惚れた者だと誇れるほどに。

 あの狼魔ならユーリィの力にはなってくれるはずだ。

 絶対に彼は蘇る、そう信じていた。

 眼下には宮殿の前庭が広がっている。正門からまっすぐ伸びる道に、警護の騎馬三頭を引き連れた一台の馬車が走っていた。あれはメチャレフ伯爵だろう。


(ユーリィ、どうか目覚めてくれ)


 そう思いながら、ヴォルフは右目に手を当てた。


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