第22話 天子の希望
ガーゼ宮殿にこれほど多くの使用人や召使いがいるのは、おそらく二百年ぶりではないだろうか。ユーリィにはコレットを含めて四人の世話係が付いている。ベレーネクの遺児たちには三人、アーリングに二人、それ以外にも百以上ある部屋の清掃係が十人、シーツなどを洗う洗濯係が五人、料理人は三人から六人に増やされた。さらに庭師、馬丁、灯火係など、本当に王宮時代が戻ってきたようだ。彼らは皆、ギルドに雇われた者だが、全指揮はイワノフ城から連れてきたシュウェルトが当たっている。
ソフィニアに戻って以来十日あまり、ユーリィが行くところすべて、護衛や召使いが付き従っていた。ヴォルフも気軽に話しかけられなくなり、もちろん夜這いも難しい。何しろ、真夜中ですら彼の部屋の前には兵士が警護しているのだから。
ヴォルフの焦りは日を追うごとに増していった。自分は策略家でないことは分かっている。父親譲りの性格が災いしたのだろう。
グラハンス家はもともと平民出身の家柄であった。それをあのギルド戦争において“セシャールの英雄”と呼ばれるほどの活躍をした先祖が爵位を賜った。その後、軍事宰相として陛下のそばには必ずグラハンスがいた時代もあったのだが、祖父の頃から徐々にその力は衰えた。
父はイワノフのせいだと恨んでいるが、そればかりが原因ではない。結局はセシャール国内での政略戦に負けたというだけの話だ。
放蕩者だった祖父、その祖父とは真逆な直情的で軍人気質の父、そして少年に懸想を抱いた自分。たった三代でグラハンス家が潰れかかっていることを、英雄カール・グラハンスは草葉の陰でさぞ嘆いていることだろう。
先日、父の後妻が子どもを産んだと手紙が来た。残念なことに生まれたのは二人目の妹で、グラハンス家の受難はまだまだ続きそうだ。
そろそろ例の計画を実行すべき時が来たのかもしれない。このままではユーリィからどんどん引き離されて、近づくことすら叶わなくなる。
いつになったら、この魂と魔物の魂が同化できるんだろう。未だに変化している時の記憶はない。ハンスの話では、狼魔はひたすら水辺で座っていて、微動たりともしないという。
(もしかしたら、主のユーリィがそばにいないからなのか?)
一か八か、彼の前で試してみるという手も考えなかったわけではない。けれど、またユーリィの前であの姿になった時は、ぜひ自分の意志で、彼を乗せて夜空を飛び回りたいという夢がある。それが愛しき者への誕生日プレゼントだ。
そして、その誕生日はいよいよ二十日後に迫っていた。
今日は珍しく、会議室に来いというユーリィからの伝令があった。ここ二日ばかり話をしていなかった嬉しさはあるものの、彼が遠くに行ったという実感してしまいそうで怖い。
彼を独占したいという、あの感情が蘇るかもしれない。だれかを傷つけてでも連れ去りたいという気持ちは、まだ心のどこかにある気がした。
会議室には大きな円卓が置いてある。王宮時代はそこで王族が集い、反逆者たちへの罪状について話し合ったという。そんなことを思い出し、まるで自分も罪人になったような気分で、ヴォルフは会議室の大きな扉の前に立った。
警護兵がノックをすると、すぐに顔を出したのはディンケルだ。彼の鋭い視線が、遠慮もなくヴォルフを突き刺した。
怖ず怖ずと中に入る。
「やあ、ヴォルフ」
扉から一番遠い席に座っていたユーリィが、優しい表情で挨拶をしてくれた。
彼の今日の着衣は、長い立て襟の深い緑色をした上着だ。襟、前身ごろの両縁、折り返された袖口には見事な金の刺繍が入っている。きっとシュウェルトが作らせた一着なのだろう。あの男はユーリィになにが似合うのかよく分かっているようだ。去年まで貰い物の安っぽい服を着ていたなど、想像すらできないほど今の少年は気品に満ちていた。
ユーリィの右隣にはジョルバンニが、反対側にはアーリングが座っている。どちらも愛想が良いとは言いがたい表情でヴォルフを見た。
そのふたりが揃っているだけで、なんだか場違いな所に来た気持ちになる。まだ自分の立ち位置がどこにあるのか分かっていないせいだろう。セシャール人ということも居心地の悪さを助長させてくれた。
ヴォルフはやや首をすくめるようにして、ふたりの視線をやり過ごし、サッと室内を見渡した。
円卓にいるのは、ユーリィたち三人の他に六人の男たちだ。三人はギルドのメンバーだろう。年の頃はジョルバンニとさほど変わらない。上着にはギルドの紋章である車輪を象った胸章が付いていた。
アーリングの左隣にはアルベルトがいる。彼は先日、伯爵位を正式にギルドから授爵して、今はオーライン伯爵と呼ばれる身分となっていた。
そのオーライン伯爵の隣には、ラシアールの長老シュランプと長身のブルー。彼らはヴォルフが入ってきても振り返ることなく、背を向けていた。
円卓を囲む者たち以外にも、壁際に三人の男が立っている。ディンケル以外は見知らぬ顔だが、きっとアーリングの側近だろう。たくましい体格、髭を生やした厳めしい顔立ちはディンケルと全く同じ。赤毛の英雄は、髭と筋肉がないと部下とは認めないのかもしれないなどと、うがった見方をしたくなるほど三人の雰囲気はよく似ていた。
さて自分はどこに行くべきかと、ヴォルフは思案した。まさか円卓に着くわけにもいくまい。ユーリィの側近として知られてはいるが、なんの地位も権限もないのだから。となると、あの眼球鋭いディンケルの隣に……。
(それは止めておくか)
ディンケルには以前、ユーリィとのキスを目撃され、あまつさえセシャールに帰れとまで言われたことがある。あのことを忘れてるとは、これっぽっちも思えないから、彼の視線が痛く感じるのだ。
瞳だけを動かして、もう一度室内を眺める。すると誰も居ない角に居場所を見出だした。
あそこしかない。そう思って歩き始めた矢先だ。ユーリィが「あれ!?」と素っ頓狂な声を出した。
ギョッとなって少年へと顧みる。彼は明らかに驚いた表情でヴォルフを見つめていた。
「ヴォルフ、どこに行くんだよ!?」
「どこにって、邪魔にならないところに……」
「今日はヴォルフとも話があるらしいから、着席して」
「え、俺!?」
意外なことを言われて、思考が停止。
呆然とした面持ちで自分に注目する面々を見る。ラシアールたちも今度は振り返り、ヴォルフを眺めていた。どの顔にも表情というものは浮かんでいないため、いったい自分についての話とはなんなのか、予想すらできない。せめてディンケルのような明確な嫌悪感が滲んでいるのなら、身構えることもできるだろうに。それともこんな時ですら、頭の冴える者ならなにかを察することができるのだろうか。わけの分からないまま、ヴォルフはユーリィが無言で指さした席へと移動した。
隣にはブルーがいる。物言いたげな表情をした彼だったが、すぐに斜向かいのユーリィへと視線を戻してしまった。
「では、話を戻しましょう。明日から行われる裁判についてです」
仕切り直しという口調で、ジョルバンニが話し始めた。
アーリングが捕まえたギルドの上層部は八名。すべてが貴族らと癒着して、本来ならギルド資金となる金で私腹を肥やしていた連中だそうだ。その八人の裁判が明日から始まる。もっとも罪状は確定しており、あとは量刑を決めるだけとのことらしい。
「先ほども述べたましたが、一人を極刑、二人を禁固刑、二人を追放、残り三人には全財産の没収を行うとギルド内で決定されています。ですが、ライネスク侯爵はご反対のようですな?」
「彼らを罰するなら、貴族にも罰を与えなければ示しがつかないと思う」
ジョルバンニは軽く首を横に振ると、指先で眼鏡を押し上げた。
「今回はあくまでもギルド資金の着服に対する罪状ですから、貴族との癒着は切り離してお考えください。これは、いわゆる見せしめですので」
「見せしめ……?」
「彼ら以外にも、証拠がないものの疑いがあるものが若干名おります。その者たちへの警告の意味が含まれているのですよ」
するとユーリィは目を細めて、なにかを考え始めた。あの表情の時、彼の頭はフル稼働をしている。狡猾なジョルバンニを言い負かすつもりなのだろうか。
時として、ユーリィは偉ぶった者たちがぐうの音もでない言動をするから、ヴォルフはワクワクとした気分で彼の言葉を待った。
しかし__。
「でも横領は慣例だったんじゃないの? その前の世代についてはどうするつもり?」
わりと普通の、しかも質問だった。なんだか少々肩すかしを食らい、ヴォルフはジョルバンニへと視線を向ける。眼鏡の奥にある琥珀の瞳は、なんらダメージを負った様子もなく、冷たく光っていた。
「先代を罰したところで、あまり意味がありませんので。それに大半は親を失うほどの年齢に達しております」
「なるほどね」
ユーリィには珍しく、納得したように小さくうなずいた。
「ではご同意ということでよろしいですか?」
「極刑および禁固刑には同意しない」
「証拠があってもですか?」
「処刑や禁固が“見せしめ”ではなく“口封じ”じゃないかって、僕が想像しないとでも思ってるのか? 自分たちの都合が悪い証拠を隠していても、僕には探しようがないからね、ジョルバンニ」
まさに痛恨の一撃だった。
ジョルバンニの動きが止まり、彼の横にいる三人の男たちは互いに顔を見合わせて、動揺を露わにしている。ユーリィの指摘が正解だったのだと、アーリングやラシアールたちに思わせるほどの狼狽ぶりだった。
「なるほど、そういう見解もできるでしょうな……」
曖昧に語尾を濁し、ジョルバンニが取りつくろう。膝にあった右腕を円卓の上に乗せると、人差し指で卓上を叩き始めた。反論でも探しているのだろうか。ヴォルフと同じくそれを感じ取ったらしいユーリィは、さらに追撃した。
「百歩譲って僕がおまえたちを信じたとしても、貴族たちがどう思うだろうね? この先また今回のようなことあると思われたまま、関係を保てると思うか? アーリングはどう思う?」
和やかな表情で、ユーリィは隣に座る赤毛の男に同意を求めた。
アーリングは険しい表情のまま、同意とも否定とも取れる小さなうなり声で反応をする。彼の意志がどこにあるのか、その様子だけではヴォルフには分からなかった。
「いずれにしてもまだ隠されていることもあるかもしれない。調べた時間があまりにも短すぎる。だから僕は極刑も禁固刑も同意はしない。それを実行するのなら、僕はあくまでも反対の立場にあるという態度を明確にするつもりだから」
最後は脅しとも言える口調でユーリィが締めくくった。
「分かりました。その件に関しては再考しましょう。ただ今のご意見で、こちらからもご質問があるのですが、ライネスク侯爵」
「なに?」
「貴方は、ギルド中心の国 ――国とあえて申し上げさせていただきます―― を創りたいとおっしゃっていましたが、違いますか?」
ジョルバンニは反撃に移るつもりなのだろう。眼鏡の奥にある瞳が、先ほどよりも強く光っている。周りにいる者たちもそれを感じ取ったのか、息をひそめるようにしてふたりを見つめていた。
「ああ、言ったよ」
警戒するように、ユーリィは無愛想な態度で返事をした。
「では、なにゆえに貴族の目を気になされるのですか?」
「気にしているわけじゃないさ。彼らはソフィニアの資源とも言える作物や家畜を管理しているから、こちらがなにかする前に警戒されたら困ると思っているだけ」
「ええ、そうですね。今すぐに貴族を廃絶しようとすれば、それこそソフィニアに大混乱を招くことになります。残念ながら我が国は、民衆の教養がそれほど高いとは言えません。彼らの半数は字すら読めないのが現状です」
「だから?」
「時期尚早なのですよ、侯爵。まずは国としての形を整え、そこから改革を始めなければなりません」
「それは、分かっている。だからギルドを……」
動かしていた人差し指を止め、ジョルバンニは手を広げた。それから勢いよく、五指だけで卓上を叩く。乾いた音が、室内に妙な緊張感を生み出した。
「結局のところ、貴方のお望みは一体なんなのでしょうか、侯爵?」
「なにって……」
「平和でしょうか? 改革でしょうか? 自由でしょうか? しょく罪でしょうか? まさか我々に何もかも押しつけようと、卑怯なことを思っていらっしゃるのではないでしょうな?」
「卑怯なことなんて……」
ユーリィは今までにない狼狽を見せ、言い淀んだ。論破するつもりのはずが、完全に言い負かされ、さらに痛いところを突かれている。ヴォルフにはそのことがよく分かった。
彼は優しい。いや、優しすぎる。
そして自己否定で生きてきた名残なのか、強く何かを欲することをいつも躊躇っている、そんな気がしていた。この一年と数ヶ月ユーリィと過ごしてきた時間の中で、彼が強く望んだことはたった二つ。
『死にたくない』
『離れたくない』
ただ、それだけ。あとは流れに身を任せるように、常にもがいている。
今だって、俺と一緒にいたいと思いながら、ソフィニアも爵位も母親も捨てられない。
彼は優しすぎる。
本当は憎まれることを恐れているのではないだろうか。ずっと消えない傷が、彼の心をまだ支配しているのだと、ヴォルフはそう思っていた。
「極刑および禁固刑の件は、もう一度考えましょう。ですが、同じ結論となる可能性は大いにあります。ご了承ください」
「……分かった」
「それと……」
ジョルバンニはユーリィから視線を離し、斜め前にいるヴォルフを見た。
「今日この場にお呼び立てしたのは、貴方のお立場についての話をするからなのですよ、グラハンス殿」
「俺の立場?」
「ライネスク侯爵は、貴方に深い信頼を寄せていらっしゃることは存じています」
途端、アーリングがわざとらしく小さな咳払いをした。事情を知っている者であれば、その意味をたちまち理解しただろう。果たしてジョルバンニも知っているのだろうか。眉一つ動かさない彼の表情からはなにも読み取れず、ヴォルフは困惑したまま、黙って男の言葉を待った。
「この際、正式にセシャール国王から、大使としての任をいただいてはいかがでしょうか?」
「大使として……?」
「グラハンス家はその昔、ギルドと勇敢に戦ったカール大将など、すばらしい戦士を輩出した名家です。そのグラハンス家の貴方が大使となれば、ソフィニアとセシャールの親睦には申し分がない絆となるでしょう」
「ヴォルフを……グラハンスを利用するのは止めろ!」
聞く者によっては、悲鳴ともとれる声でユーリィが叫んだ。
しかしそんな侯爵の言葉など無視し、ジョルバンニが言葉を繋げる。
「これは提案なのですが、一度帰国され、陛下の任をお受けになって……」
「グラハンスを僕から遠ざけようって魂胆なら、僕もこんな場所から出て行ってやる!」
怒りを露わにし、ユーリィは立ち上がっていた。
恋人として、心が震えるほど喜びを感じずにはいられない。
反面、彼の立場を考えると、少し感情を見せすぎている心配がある。案の定、アーリングと壁際のディンケルは、はっきりと分かるほど顔をしかめてユーリィを眺めていた。
「落ち着いてください、侯爵」
「イヤだ」
「なら、こうしてはいかがでしょう。貴方もセシャール国王に謁見されるのですよ」
思わぬ提案だったのか、ユーリィは怒りの表情を収めないまま、目を丸くした。
「……僕が?」
「先日、そうされるべきだと申し上げましたことですし、良い機会ではないでしょうか? この一連の裁判が終わり次第、早速支度をさせましょう」
さすがのヴォルフもこの提案には驚いていた。
ユーリィがセシャールに行くとして、そのまま彼が戻ってこないという懸念を、この男は抱かないのだろうか。それとも、こちらが考えつかない策略を持っているのか。
その答えが見つからないまま、簡単に返事などできるはずはない。
助けを求めるように、斜め前にいる友へと視線を向けたヴォルフだったが、残念ながらオーライン伯爵はうつむいていて、なんの役にも立ってはくれなかった。
「それはともかく、貴方のお望みの一つを理解しましたよ、ライネスク侯爵」
狐のような男は意味深に眉を少し上げ、未だ立ち尽くしているユーリィへと冷たい視線を投げつけた。




