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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第一章 地吹雪
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第21話 不得要領

 少し息を切らし、ラウロが隣を歩く。水をこぼさないようにと、バケツを持つ腕はピンと張っている。それでも水はちゃぷちゃぷと騒いでいた。


「侯爵はどうしてこんな朝早くに、こんな場所にいらっしゃったんですか?」


 ラウロは気遣うような表情で問いかけてきた。遠くではジェージェーと鳴く鳥がいる。たぶんカケスだろう。

 それらすべてが、非力で無力な自分を馬鹿にしている気がして、凹んだユーリィの気持ちをさらに悪化させた。


「別に……」


 言いかけてから、必死に気を取り直した。

 説明する気分じゃなかったけど、子供っぽいことは止めるべきだ。感情まかせに言葉を発して不愉快な思いはさせたくない。さっきまで本当に楽しかったから、今はそれをしちゃダメと自分に言い聞かせた。


「目が覚めたからさ」

「目が覚めて、森に?」

「昨日一日、頭が痛くて寝てたんだ。そしたら、寝過ぎたせいで変な時間に目が冴えちゃってさ。あんまり暇だったから、ちょっと冒険してみようかなって思っただけ」

「そうですか……」


 実はずっとヴォルフを待っていた。だけど彼が来てくれないから腹が立って、自棄になって飛び出した。自分がいなくなれば騒ぎになって、あいつも反省するんじゃないかなんて、バカなことも考えた。

 それに、ソフィニアに戻ったらどんなことが待っているのか、考えるのがイヤで逃げ出したかったのかもしれない。


「それは……」


 ラウロの視線が毛布へ落ちたので、彼が言いたいことがすぐに分かった。


「寒かったからね」

「上着は?」

「あんな貴族みたいな服、ホント嫌い」

「ですが、侯爵にはとてもお似合いだと思います」


 その言い方が気に入らなくて、バケツを持っている彼の腕を引っ張る。水が揺れ、縁から飛んでラウロのズボンを少し濡らしてしまった。


「な、なんですか!?」


 ラウロは目を丸くして驚いていた。顔が赤くなっているのは、怒ったせいかもしれない。

 またやってしまった。子供っぽいことはやめようと思った矢先にこれだ。こんなんだから、いつまで経っても心も体も成長できないのかもしれない。


「ごめん、冷たかった?」

「いえ、違います」

「でも……」

「本当に平気です」


 そう言ったわりに、バケツを下ろし、つかまれた場所を触っている。内心では呆れているんだろう。

 もう喋るのは止めた方がいいのかもしれない。

 ラウロから目を離し、ユーリィは視線を上げた。

 太陽は今日も我関せずと、遠いところで輝いている。風もなく、木の葉はちっとも揺れていない。もしも嵐になれば、ソフィニアには戻らないで済む気がするから、太陽の輝きがなんだか恨めしく思えてきた。けれどもう乾季に入っている。ひと月は雨が降ることはないだろう。それを喜んでいるのか、またカケスがジェージェーと鳴いていた。


「侯爵?」


 呼ばれたので、渋々と視線を地上に降ろす。


「なに?」


 思った以上に自分の声が冷たくて、嫌になった。

 気持ちがこうして出てしまうようになってから、余計なトラブルが増えた気がする。昔はどんな嫌なことでも、感情を殺して生きていられたのに、あの頃に比べて僕は退化しているんじゃないだろうか。そんな気がしてならなかった。


「俺、また気に障ることを言いましたか?」

「別にそんなことないよ」

「でも怒ってますよね?」

「怒ってないよ。侯爵って言われるのが嫌なだけ。できればユーリィって……」

「そ、それは無理です!」


 即答で拒絶された。

 本当の僕はそんな者じゃないのに。

 非力であることも、人との距離感がつかめないことも、欲しくない地位に甘んじていることも、どれもこれも気に入らないことばかりだ。たった一年前は、こうして森を行くのも自由だったのに、自分の真実なんて考えなくても良かったのに。

 一つ辛いことが減ると、また新しいことが現れて、いつまで経っても気が休まることがない。それが人生なんだって言われてしまえば、そうなのかもしれないけれど……。


「あ、あの、俺、孤児なんです。だから無理なんです」


 ラウロの言った意味が分からず、ユーリィは穴の開くほど彼を凝視した。


「だから?」

「つまり、孤児の俺が侯爵と話をすることすら、あり得ないことですから」

「なんで?」

「なんでって、だって身分が……」

「それを言ったら、僕もエルフとの混血だぜ?」

「それはそうですが」


 身分なんてクソ食らえだ。

 ここはギルドの世界であり、ギルドの下では貴族も領民も人間もエルフも平等だってギルド法に書いてあるじゃないか。そういう世界にしたいってずっと思ってるのに、何もかもが裏腹な方向に進んでいく。それがなんだか悲しかった。


「じゃあさ、もし僕が侯爵じゃなくなったら、名前で呼ぶ?」

「侯爵ではなくなるっていうのは?」

「いつか貴族じゃなくなってただのユーリィとして、世界中を旅するから」


 叶わない夢だってここ最近は実感しているけど、言うのは自由だ。


「そうですね……。もしそうなったら、お呼びするかもしれません」

「ホント? ならさ、一緒に旅する?」

「えっと……」


 ラウロは真っ赤になったまま、うつむいてしまった。気乗りしない提案だったんだろう。他人との距離感がイマイチ分からないし、相手の気持ちも読めない。困惑させるのはいつものこと。そればかりは、ユーリィもとっくの昔に諦めていた。

 仕方なく、ラウロの下ろしたバケツの取っ手をつかむ。もう一度試してみよう。非力だけはまだ諦めたくはない。

 しかし蔓を編んでできたそれは、手には優しいけれど弾力がありすぎて、持ち上げさせてはくれなかった。


「やっぱ、ダメか」

「気になさらないでください。俺の仕事ですから」

「でも男としてちょっと情けないだろ?」

「侯爵はお綺麗……」

「あ?」


 ものすごくイヤなことを言われそうになったので、強引に黙らせた。


「僕は男だ」

「ええ、まあ、そう……ですね」


 その曖昧な返事にふたたび傷つけられる。やっぱり自分はどこか足りないのかもしれないと、ラウロの濡れたズボンを覗き見た。


(それを脱いで、中身を確認させろっていう命令は有りかな?)


 身分身分ってほざくんなら、それくらいの理不尽な命令をしたって文句はないはずだ。自分が他と比べて普通かどうかなんて、確認しなきゃ分からない。もしかしたらヴォルフがスゴいだけで、自分は案外普通なのかもしれないし。

 とは思うものの、さすがにそこまでは人間としてもエルフとしてもどうかと思う。しかも昨日と同じく朝っぱら。


「あの、侯爵……」


 バケツを持ち上げながら、うつむき加減にラウロが言った。まだ耳まで赤い。だからきっと文句を言われるんだろうと覚悟して身構える。


「なに?」

「どんな未来でもいいので、俺を侯爵のおそばに置いてください」


 その声が囁くように小さいから、ユーリィはどう答えていいのか分からなかった。




 数時間後、ユーリィは例の馬車に乗っていた。馬車の前にディンケル、後ろにヴォルフとラウロが乗る馬が護衛をしているのは二日前と同じ。しかし車内にはジョルバンニの姿はなく、代わりにアルベルトとチョビ髭が乗っていた。

 シュウェルトはずっとおろおろしている。自分はあとで行くと言い張ったのを強引に連れてきたので落ち着かないのだろう。

 ソフィニアの街並みは目前にせまっていた。あそこでなにが待ち受けているのか、ユーリィ自身も内心落ち着かない気分になる。もっと抵抗すれば良かったのかもしれない。城を出てからずっと、そう思っていた。


「ソフィニアは久しぶりですから、懐かしいですね」


 空色の瞳を細め、アルベルトは要塞のような街を眺めて言った。


「アーリングは、本当にギルドの連中を捕まえたのかなぁ」

「疑ってるんですか?」

「疑ってるんじゃなくて期待だよ。アーリングが優れた統治者であって欲しいって期待さ」

「ああ、なるほど……」


 シュウェルトがいる手前、本心のすべてを晒せないから、ユーリィは“うん”とうなずいて済ませてしまった。それに、言わなくてもアルには理解できただろう。


「きっと僕が来ることなんでどうでも良くなってるよ」


 しかしユーリィの予想が大きく外れていたと分かるのは、数分とかからなかった。

 大きく開かれた西門に、出迎えらしき兵士が並んでいた。その数は騎馬も含めて百人あまり。その中にはアーリング士爵の姿がある。濃紺の軍服に黒いマント、左肩と胸を繋げている金色の飾り紐、さらに羽根が付いたシャコー帽という正装だ。彼を含めた五人の指揮官は先導のディンケルを巻き込んで、馬車の前で馬を整列させた。

 さらに背後には一部隊ほどの兵士が列を組む。彼らの装備した銀色の鎧が、天頂にある太陽に煌めいていた。


「なに……これ……」


 ユーリィは唖然としたまま呟いた。

 もしかしたら罠にはまったのだろうか。ギルドの連中と同じく、アーリングに捕らえられたということなのだろうか。

 その可能性は多分にある。というより、その可能性しか考えられなかった。


「しまった。やっぱりノコノコとソフィニアに来るんじゃなかった。これじゃ、簡単に逃げられそうもないや」

「出迎えに来たのでは?」


 しれっとした顔でアルベルトが言う。


「出迎え? なんで? どう見たって、これは逮捕だろ?」

「逮捕するのに、正装などするでしょうか?」

「大罪人だったら、あるんじゃないの?」

「貴方が大罪人?」

「邪魔な相手なら、なんとでも罪状は作れるさ」


 ユーリィは自戒のため息を吐き出した。ジョルバンニもアーリングも、そしてディンケルも信用しすぎていたのが甘かったのだ。


「地下牢はちょっとヤダなぁ、寒いから」


 そこでいったい何年暮らすことになるのだろうか。見納めになるなら、恨めしいと文句を言った太陽にも悪いことをしたかもしれない。窓の外を見上げると、抜けるような青空が一面に広がっていた。


「あ、あの、私も逮捕されてしまうんでしょうか!?」


 チョビ髭は今にも泣きそうだ。


「シュウェルトにはなんにも罪がないって言うよ。もちろんアルも」

「とんでもございません! 私はずっと侯爵とともに参りますでございます!」


 そういうわりには瞳があちこちにうろついて、顔からも血の気が引いている。今すぐにでも逃げ出したいと、引きつった口元が言っていた。


「ふたりは絶対に大丈夫だよ。アーリングはそこまで酷いやつじゃないだろ?」


 根拠はなかったが、慰めにユーリィは断言した。

 自分がすべてを被るのなら躊躇はない。だけど他を巻き込むなら断固とした態度を取るつもりだ。できることならヴォルフだって逃がしたい。こんなことで彼が苦しめられるのはやっぱり嫌だ。もちろん彼は嫌がるだろうし、逃げないだろうけれど。

 背後の小窓から外を見ると、ヴォルフとラウロが困惑の表情を浮かべたまま、馬車の後を付いてきている。逃げろと手で合図をしたが、彼らは全く分かってはくれなかった。


(まあいいさ。なるようにしかならないんだから)


 シュウェルトには、窓にある緋色のカーテンをすべて閉めろと命令をする。外の様子に反応し、怯えた鳥みたいで鬱陶しい。ユーリィ自身もあまり見たいとは思わなかった。

 連行されるのは果たして宮殿なのか、はたまたサロイド塔なのか。王宮時代に造られたその牢獄は、凍えるほど寒いだろう。


「アーリング士爵はユーリィ様を裏切られるおつもりなのでしょうか……」

「裏切るもなにも、僕はあの男に忠誠を誓われたことは一度もないから」


 今までは、ソフィニアを元の状態に戻すため、便宜上は協力してただけかもしれない。

 人間やエルフをどこまで信じていいのか、ユーリィには未だに分からなかった。


 しばらく走ったのち、馬車はどこかに到着した。車輪の音が消えて、鉄門が開かれるような音が聞こえてくる。冷静さを保っていたつもりでいても、動悸は抑えられなかった。


(騒ぎにはなってないみたいだけど……)


 サロイド塔ならヴォルフが黙っているはずがない。きっと宮殿だろう。走り出した車輪が小石を弾いている気配があった。前庭の敷かれている砂利かもしれない。


「閉じ込められるなら、宮殿の地下牢かな。あそこはまだマシかもしれない」

「私が外を確認しましょうか?」

「いいよ、すぐに分かるから」


 予告どおり馬車はほどなく停車して、御者が降り立った足音がした。遠くでは馬がブルブルと鼻を鳴らしている。

 何があろうとも、みっともない態度だけはプライドが許さないから、ユーリィは背筋を伸ばして身構えた。

 今着ているのはシュウェルトが選んだ白の上下。金糸の刺繍がふんだんに入り、ボタンもマントも当然のごとく金。これから罪人として扱われるのなら、この格好はあまりにも滑稽だ。きっと取り囲んだ兵士たちには、まるで国費を浪費した王族のように映るだろう。確かに自分も、王族ほどではないにしろ、過去に何度も無駄金を使ってきたから、これは天罰。

 と思うことにして、グッと唇を噛んでその時を待った。

 やがて御者の手によって、馬車の扉が開かれる。片手で扉を抑え、深く頭を垂れた彼は「到着いたしました」と報告をした。


「ふたりはしばらくここで待ってて」


 まずアーリングに訴えることは、彼らの解放だ。それが成功したら、あとは出たとこ任せ。ヴォルフと一緒に暴れるのも悪くない。腰に吊ったシミターの位置を、上着の上から確かめてから、ユーリィは腰を上げて、中腰のまま馬車のタラップに片足を下ろした。

 差し伸べられた御者の手を振り払い、さらに片足を白い砂利に下ろす。まだ拘束されるわけにはいかなかった。

 いざ出陣だと覚悟を決めて、やや緊張した体を起こした。

 刹那、目の前にある光景に愕然となる。

 場所は宮殿前。扇状の白いエントランス階段が上まで続く。両側には同じく白の柱が五本ずつ立っている。豪華さだけを目的とした意味がない王宮時代の装飾だ。

 その柱の前には、大勢がずらりと並んでいた。右側には召使いの女たちが数十人、コレットの姿も混じっている。反対側には黒服姿をした同じ数の奉公人がいて、皆一様に頭を垂れ、だれかを待っていた。


「なに……これ……」


 本日二度目のセリフ。


「お待ちしておりました、ライネスク侯爵」


 その声に驚いて、肩がビクッとなる。

 エントランスの横に、ジョルバンニと帽子を脱いだアーリングが立っていた。周りの様子に驚愕しすぎて気づけなかった。覚悟して馬車を降りたはずなのに、あまりにも間抜けだ。


「えっと……あの……」

「天子様に相応しき、出迎えをさせていただきました」

「出迎え……?」

「謀反者どもは一掃いたしましたので、今後は侯爵の護衛に努めさせていただきます」


 神妙な声でアーリングが言った。


「ちょ、ちょっと待て。僕は逮捕されるんじゃないの?」

「逮捕? なにをおっしゃっておいででしょう? 私は、あの椅子に座っていただきたいと申し上げたはずです」


 どうやらジョルバンニは、まだ人形の糸は切るつもりはないらしいとユーリィはようやく認識した。


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