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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第一章 地吹雪
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第20話 堕ちた心

 ラウロがイワノフ城に戻ってきたのは二ヶ月ぶり。孤児院以外の場所で生活をしたのはここが初めてだから、古巣に帰ったようで嬉しかった。

 怪我の状態が酷かった先輩たちはかなり回復していた。立てるようになった友とは肩を抱き合って喜んだ。少ししたら彼は故郷に戻るという。もう彼は二度と普通に歩くことは叶わないから、それも仕方がないだろう。

 まだ小鳥が起き始めたばかりの早朝。ラウロはバケツを持って城の裏までやってきていた。今日はソフィニアに戻るというので、ここにいる間はちょっとでも役に立てるのならと、買って出た仕事だ。

 城の裏には林と言ってもいい小さな森がある。その中ほどに地下水がしみ出る場所があった。城には井戸があるが、水は沸かしても飲むには勇気がいるほど濁っていて、ほとんど洗濯用に使っていた。それでも兵士たちは平気で飲んでいたが、さすがに貴族のご婦人や金の天子に出すわけにはいかないと、毎朝だれかが汲みに来るという。

 今日と昨日はその友の当番だったので、こうして来たというわけだった。


「今日は一段と冷えるなぁ」


 ソフィニアの冬は穏やかだと言われているが、それでも朝はかなり冷え込む。ラウロは空のバケツを両手で抱いて、少しでも寒さを凌ごうとした。

 森は鬱蒼とはしていない。木々の間からは朝の透き通った光が入ってくる。そんな清んだ景色が故郷を思い出させてくれた。

 故郷の歌を鼻で歌って、足取り軽く枯れ枝を踏んで、乾いた道を歩いていていると、前方の木陰に紫色のなにかがちらちらと見えてきた。

 こんな季節だから花ではない。というか、花にしては大きすぎる。

 まさか魔物かと一度足を止めたラウロは、息をひそめて目を凝らした。

 どうやら人間らしい。けれど魔物でなくて良かったとはちっとも思わない。城のそばをうろつく者など、たいていは不審者だ。


(困ったな。武器がない)


 バケツでいけるのか。

 投げてぶつけて、急所に当たり、上手い具合に一撃という夢のような幸運。


(うん、無理)


 さすがに神様にそこまで負担をかけさせるわけにはいかないし、ここは回れ右をして引き返した方が自分のためにもいいだろう。

 そう判断し、片足を引いたところで相手が少し動いた。

 朝日が差して髪が金色に輝くから、それがライネスク侯爵だと悟ることができた。


(ええっー!? なんでこんなところに!? なんでこんな時間に!?)


 答えを知りたければ本人に直接聞くのが手っ取り早い。だけどあの日以来、侯爵が自分に見せる表情を思い出し、とても気安く尋ねられる気がしなかった。


(とは言ってもなぁ)


 獣道のような細い跡がまっすぐに伸びて、侯爵がいる場所まで続いている。ラウロの目的地はその後ろにあった。


(隠れてやり過ごす? でもバレたらまた……)


 冷たい視線があれ以上冷たくなったら、自分はきっと凍え死ぬだろう。


(仕方がない。やっぱり普通に近づいて、普通に挨拶をして、普通に通り過ぎよう)


 と思いつつ、自覚ができるほど不自然な足取りで、ラウロはふたたび歩き始めた。

 やがて距離が半分になる頃、自分の足元がポキッと鳴った。見れば、道の真ん中に細い枯れ枝がトラップのように落ちていて、どうやらそれを踏んだようだ。

 響きに気づいて侯爵が振り返る。青い双眸は確実にラウロを捉えていた。

 花だと思ったのは、紫の毛布だ。まさか寝起きということなのか?

 足元を気にするふりをして、上目遣いにチラチラと様子を窺う。近づくにつれ、眉をひそめている表情までしっかり見えてきた。

 ああ、それにしてもなんとお美しい方なのだろう。もし侯爵が少年でなければ、間違いなく惚れていたに違いない。


(いや、少年でも……)


 思いかけて、ラウロは慌てて否定した。そんな背徳なことを考えるなんて、あり得ない。神マルハンヌスの教えに背くのは、ラウロにとって地獄に落ちることと同じことだった。

 やがて、叫ばなくても声が届くほどのそばに来た頃、ラウロはようやく決意して顔を上げた。

 さすがに無視して行くわけにはいかないから、なるべく爽やかに挨拶をしよう。従者として当たり前のことをするだけだ。

 抱えているバケツをさらに強く抱きしめ、ラウロは怖ず怖ずと挨拶をした。


「おはようございます」


 少し間があって、「おはよう」という返事。けれど、青い視線には避けられていた。

 さっきまで通り過ぎようと思ってたのに、なんだか悲しい気分になる。だからこのままにしておいてはダメなんだ。

 瞬間でそう感じ取った。


「あ、あの侯爵、この前は申し訳ありませんでした。俺、なんか言い過ぎたみたいで……」


 返事はない。視線も戻ってきてくれない。当たり前だ。

 あの時は気まぐれの相手にされただけなのだから。


「失礼します」


 そう言って横を通り過ぎようとすると、細やかな声が聞こえてきた。


「それ……」


 驚いて横を見る。毛布の中から細い指が、ラウロの胸の辺りを差していた。

 一瞬、何のことか分からなくて自分の体を見下ろすと、忘れていたバケツがそこにはあった。


「これは水を汲むために……」

「水?」

「この先に湧き水が出てる場所があるんです。竪穴の洞窟なんですけど」

「穴って、あれのことかな」

「あれ?」


 すると侯爵は首を巡らせて、ラウロの前方を横目で眺めた。


「すぐ先に穴っぽいのがあったんだけど、木が乗ってたぜ」

「木!?」

「うん、木。最近倒れたんじゃないかな?」

「えぇっ!!」


 そんなバカな。昨日はなにもなかったのに。

 驚いて、ラウロは小走りに先を急いだ。

 そして数十秒後、目の前の惨劇にバケツを落としそうになってしまった。

 本当に木が穴の上に乗っている。しかも大木だ。少し離れた場所には裂けた跡のある木株があるから、それが根元だと理解した。


「虫だね」


 すぐ後ろまで来ていた侯爵が、毛布に包まったままそう言った。


「虫……?」

「虫に食われて倒れたってこと」


 言われてみれば、そんな感じだ。

 それにしたって、よりにもよって今日、穴をふさがなくてもいいじゃないか。ただでさえ侯爵とふたりという状況に困惑しているのに、その上こんな仕打ちは酷すぎる。まさか先ほど禁忌を犯すようなことを考えたから、マルハンヌス様がお怒りになったとでも言うのだろうか。

 頭を抱えたい気分で、ラウロは呆然と立ち尽くした。

 それなのに、侯爵はラウロの気分などちっとも気にとめず、丸太から三分の一だけ見えている穴の縁を覗き込んでいた。


「この穴に水があるの?」

「冷たくて綺麗な水が流れてて……」

「水脈でもあるのかな」


 侯爵が覗き込んでいる間、ラウロは気を取り直して、巨木を退かす方法はないかと考えた。

 穴の周りには大きな岩が四つ置いてある。枯れ葉に隠されないよう目印代わりに、前後左右に穴を囲んでいた。木はそのうちの向かい合った二つを押しつぶすように乗っかっている。土が軟らかいせいか、どちらも半分以上埋まっていた。

 残りのふたつはそのままだから、巨木を固定しているような感じだ。だから、もし岩のどちらかを取り除いたら、上手い具合に転がすことができるんじゃないだろうか。


(うーん、でも枝があるから無理か。やっぱり城から斧を持ってこないと)


 想像以上に大仕事になりそうな予感がした。

 振り返って、木々の間にある城壁を見る。先輩たちを起こさなければならない。自分のせいじゃないけれど、なんだか怒られる気がして凹んでしまった。


「この岩を退けて、転がしたらいいんじゃないかなぁ」


 侯爵も同じことを考えたようだ。岩の片方に片足を乗せ、動くかどうか試している。


「俺もそれは考えたんですけど、木には枝がたくさん付いてるから、転がすには……」

「切ればいいじゃん」

「なにも切る物を持ってないし」

「僕、シミターを持ってきてるよ」


 毛布の中がモゾモゾとして、短い曲剣を握りしめた手が現れた。


「ほら」


 しかし倒木にワサワサと付いている枝は数十本もあり、半分以上はラウロの腕周りほどの太さがある。それを短剣で切り落とすにはかなりの時間が必要で、そんなことをするなら斧を取ってきた方がずっと早そうだ。


「やっぱり斧を……」

「大丈夫。でもこの岩が動かせるかが問題なんだよなぁ」


 確かに華奢な彼には無理だろう。ラウロだって自信はない。


「そうだ、いいこと思いついた」


 少年の綺麗な顔が、少女みたいに柔らかく微笑むから、ラウロはちょっとドキッとした。


「切った枝をテコみたいに使えばいいんじゃない?」

「……え?」

「“え?”じゃなくて。聞いてた?」

「あ、はい。ええと、テコ?」

「うん、そう。幹を支点にして、岩の下に先を突っ込んで、こうして……」


 彼は両手を使って、その方法を説明した。肩に掛かった毛布が落ちかける。しかしそんなことは意に介していないらしい。


「どう思う?」

「それなら動かせるかも」

「なら、まずは枝を切るよ」

「どうやって……?」

「見てれば分かる。危ないから下がってて」


 わけが分からないまま、言われたとおり数歩下がり、前に立つ侯爵の顔を覗き見る。さっきまで凍えるほど冷たかった表情が、なんだかキラキラしているから、ラウロもなぜかワクワクした気分になった。

 この感じは、孤児院で他愛もないいたずらをしようとした時によく似ている。友と共有の秘密を分け合うことが楽しくて仕方がなかったあの頃。神父様に怒られたことすら、懐かしい思い出だった。

 侯爵は短剣を握りしめたままで、倒木を睨んでいる。

 ピンと張り詰めた空気を察したように、小鳥が頭上を羽ばたいていった。

 やがて__

 肌で感じる気配がした。それが何なのか分からないうちに、侯爵が短剣で空を切る。

 たったそれだけで突風が吹いたような音がして、倒木に付いている葉がわさわさ揺れた。

 それから起こったのは、目を疑うようなことだった。まるで見えない斧に切られたかのように、枝が次々と落ちていく。

 その様子を呆然と見続けて、ほとんど枝が落ちた頃、ラウロははたと気づいた。


(……あっ、そうか、魔法だ)


 侯爵がエルフとの混血なのをすっかり忘れていた。青い瞳も白眼が少ないし、体格も同じ年頃の男に比べてずっと華奢なのに。


「あーちょっと残っちゃった。久しぶりに使ったから、力が鈍ったかな」


 侯爵は毛布を引きずったまま倒木へ歩み寄り、落ちなかった細い枝を踏みつけた。

 ポキッと木が折れる音。同時に「う……」と彼は小さく唸った。明るかった表情が、若干曇り気味だ。だからすぐにラウロにはピンときた。


「侯爵、今、足を枝で引っ掻きました?」


 途中で折れた細い枝の先端が、幹に残っていた。


「ちょっとだけね」

「本当に?」

「ホントだよ」


 彼は毛布とズボンをたくし上げる。案の定、白い足首に赤い痕があり、少々血がにじんでいた。


「ほら、大丈夫だろ?」

「血が出ています」

「大したことない」

「俺ひとりでも動かせますから、早く城に戻って手当をした方が……」

「ヤダ」


 鋭く(さえぎ)った侯爵は、完全にむくれ顔。まるで子供みたいだ。


「こんなアホみたいな理由で怪我したとか、笑われるからヤダ」


 そんな言い方と尖らせた口に、気品と優雅さが台なしとなっている。

 それなのに可愛いなぁとつい思ってしまう。


(何を考えてるんだ、アホは俺だよ)


 同性でも君主でもある相手に思うことではないと反省しつつ横目で見たら、やっぱり可愛かった。


「なんだよ?」

「な、なにがですか?」

「笑ってる」

「わ、笑ってません」


 ジト目で睨まれ、なんだか心を見透かされた気がして、心臓が跳ね上がる。不敬を責められている感じすらした。


「あ、あの、すみませんでした」

「なにが? あいかわらず変な奴。まあいいや。それより早く岩を動かそうぜ」

「はい……」


 それからふたりで侯爵が言ったとおりに枝を使って、岩を動かそうと試みた。

 最初はぴくりとも動かせず、そればかりか枝が負けて折れてしまった。

 しかし侯爵は諦めない。毛布を投げ捨て、一本目より太い枝を選ぶと、持ち上げようと両手で引っ張る。残念なことに彼は見た目どおりの非力さで、藻掻いているようにしか見えなくて、そんな姿ですらラウロの胸をキュンと締め付けた。


(やっぱり可愛い……)


 神に何を言われようとも、否定できない事実だ。


「重い……」

「俺がしますから」


 少し強引に枝を受け取ると、細い指が手に当たる。たったそれだけ。なのにドキドキが止まらなくて、ラウロは困惑するばかり。


「なに?」

「あ、いえ、なんでもありません」


 気を取り直し、枝を岩と地面の隙間に差し込む。幹を支点にして、端っこを下に押し始めると、すぐに侯爵が隣で手伝ってくれた。


(すごく近い、近すぎる……)


 目前で金色の髪が輝くから、その眩しさにラウロは頭がくらくらしてきた。

 そんなこんなで岩を動かし、倒木を転がして、穴の口を出した頃には心も体もすっかり疲れ切っていて、ラウロはその場にしゃがみ込んでいた。


(こんなの、あり得ない)


 今までもだれかにドキドキしたことは何度かある。

 でもその相手はいつも異性であり、身分違いを意識もしなかった。

 それなのに……。

 膝の間に頭を入れて、この感情を捨て去ろうと必死に心を落ち着かせる。

 

(これはただの気の迷い、間違いなく気の迷い)


 すると背後から小さな水音がして、振り返れば、ちょうど侯爵がバケツに付いていたロープを必死にたぐり寄せている。


「侯爵、なにをしてるんですか!?」

「見れば分かるだろ。水をををを!? ああっ、ヤバっ!」


 慌てて立ち上がったラウロは、ロープごと穴に引きずり込まれそうになった彼を両手で抑えた。


「ロープを俺に!」


 手を伸ばし、少年からそれを引ったくる。水の入ったバケツは流されてるが、引っ張られるほどでもないし、引き上げられないほどの重さもない。

 それほど彼は非力なのだ。そう、まるで少女みたいに……。

 綺麗な水がたっぷり入ったバケツを穴の縁に置く。フッと息を吐き出して顔を上げたラウロの目に、そばで座り込んでいる侯爵の姿が入ってきた。


「まさか怪我でもされました!?」

「いや、別に」

「でも……」


 さっきまであんなに暖かかった表情が、もう冷たくなっている。まさかこの感情に気づかれたのかと、ラウロは内心ハラハラしていた。


「怪我はしてないよ、ホントに。ただ……」

「ただ?」


 小さなため息を吐き出して、彼は本当に暗い声で先を続けた。


「僕は力がなさ過ぎる」


 その言い方が、表情があまりにも可愛くて、抱きしめたくなった。

 もう認めなくちゃならない。

 俺は侯爵に恋をしてしまったんだと。


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