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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第九章 冬の月
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第199話 ある女使用人の手記 その1

                 ――「ライサ・エルランド日記」より


『おはようございます。今朝は今年一番寒い朝です。昨日は沢山の蟲が街を襲ってきて、驚きました。私は見てないけど、ユハ――若いメイド――は水汲みに行っていて、とても怖かったと言っています。でも皇帝陛下とあの大きな狼が来て、とても神々しかったと言っています』



 ああっ、こんな書き出しでは駄目ね。けれど最近は羊皮紙が高いから、違う紙に書き直せない。ええと、なにから書いたら良いのかしら? 自己紹介?



『私はライサ・エルランドと申します。とある子爵家の使用人をしています。メイドや従僕たちをまとめる、とても重要な役目に就いています。家政婦長と呼ばれています。今でこそ使用人として働いていますが、エルランド家は元貴族の家系です。ですからとても信用されています』



 どこか変かしら? 初めてだからとても難しいわ。でもまだ書き慣れていないだけで、きっと慣れてくるでしょう。上手になったら、あとで清書した方がいいわね。



『年齢は、』



 これは書かなくてもいいわ。



『家政婦長をしているのは、子爵家に三代仕えているからでもあります。祖母が若い頃にエルランド家が潰れてしまいました。不憫に思ったその時の子爵様が祖母を引き取って下さいました。けれど祖母は子爵家の養女にならず、子爵様や奥様の身の回りのお世話をするようになりました。そうして家政婦長になったのです。

 それからしばらくして祖母は身ごもって母が生まれました。祖父がだれか私は知りません。母も知らないと言っていました。祖母は最期まで教えてくれなかったそうですが、母は“きっとリマンスキー家の当主様よ”と言っていました。なぜなら先々代のリマンスキー子爵が城に来ると、いつも幼い母に話しかけてきたそうです。使用人の娘に他家の当主が話しかけるのは滅多にないですので、母はそう思ったのでしょう。

 でも私はちょっと疑わしいと思っています。それに小さい時に先々代のアールステット子爵にこっそり尋ねたら、笑って違うと言われてしまいました』



 あら、子爵家の名前を書いてしまったわ。でも書き直すからいいわね。



『母も祖母の後を継いで家政婦長になりました。そして私が生まれました。私の父はリマスンキー家の近衛兵だったそうです。アールステットとリマンスキーの両家は遠い親戚ですが、昔から仲が良かったそうです。特に先々代のリマンスキー子爵と先々代のアールステット子爵は、月に一度狩猟に行くほどの仲でした。そんなことでリマンスキー子爵はお城にお泊まりになっていたそうです。そこで父と母が知り合いました。

 母はすぐに私を身ごもってしまい、大変な騒ぎになったそうです。なにしろ結婚もしていなかったのですから。ですが先々代は親切に結婚式をして下さると約束したそうです。けれど父は、式の四日前に流行病で死んでしまいました。人生で一番哀しい日だったと母はよく言っていました』



 ちょっと書きすぎね。結婚式前に私を身ごもった話は消してしまいましょう。私がフシダラ(綴り違い)に思われてしまう。



『そして母のあとを継いで私も家政婦長になりました。メイドたちはもちろん、執事も私の指示に従わなくてはなりません。私は使用人の中で一番偉い立場にいます。だから、』



 若様がお出かけのようだわ。続きはまた夜に。





 すっかり遅くなってしまったわ。明日も早いので少しだけ書いて寝ましょう。

 どうしてこれを書き始めたのかについて、少しだけ書くわ。



『これを書こうと思ったきっかけは、昨日の蟲のことがあったからです。いえ、以前にもそう思ったことがありました。昨年あったあの恐ろしい出来事の時です。沢山の魔物が現れて、大勢の人が亡くなりました。聞くところによると二百万人、』



 二十万だったかしら? それとも二万人?

 あとでどなたかに尋ねましょう。若様ならご存知かしら?



『アールステットのご領地にはほとんど被害がありませんでしたが、国中で沢山の人が死んだと聞いて、本当に身の毛がよだつ思いでした。リマンスキー子爵もお亡くなりになりました。とても立派な紳士でしたし、幼馴染みだった旦那様(先代のアールステッド子爵)も悲しんでいました。そして私自身もいつ死ぬか分からないと思いました。

 三年前に母が亡くなってから、私は天涯孤独です。そんな私が死んでも、だれも私のことを覚えていないでしょう。それはとても寂しいと思いました。

 けれどあの時は、国中が大変なことになっていて、新しいペンも紙も手に入りませんでした。

 そしてまた魔物が襲ってきて、何十人かが死んだそうです。なのでイチダイケッシン(綴り違い)でこれを書くことに決めました。

 思いついたのは、数年前に奥様に連れて行っていただいたロロット子爵夫人の舞台を見たからです。あのお話は、実際にいたロロット子爵夫人の手記を元に、戯曲用の台本が作られたそうです。私の手記もそんなことになったら、とても素敵だと思いました。

 幸いにも私は読み書きができます。祖母はきちんとした教育を受けた者でしたし、その祖母から母も習いました。母は領内にある学校に私を行かせなさいと旦那様に言われたそうですが、そうしませんでした。

 国中にある小さな学校は、ギルドに加入している者なら低額で子供を通わせることができます。けれど簡単な読み書きと計算しか教えてもらえません。

 由緒あるエルランド家の娘はもっと高い知性と礼儀が必要だと、母は断ったそうです。

 そうして私は母に厳しく育てられたました。そのことについて、私は深く母に感謝しています。以前アールステット家の執事だった方には、“まるでどこかのご令嬢のようだ”とおっしゃって頂きました。とても素敵な方でしたが、若いメイドに騙されて結婚してしまいましたけれど。彼女たちのような者は、知性がない代わりに生きる術を知っているようです。もちろん感心できることではありません』



 少し話が逸れてしまったかしら? けれどあの小憎たらしかったカテーナのことをもっと書いても良いと思うわ。その時はベーレンズがとても苦労していることも書いてしまいましょう。あとで忘れないように。きっと後世でこの手記を読んだ殿方のよい教訓話になるでしょうから。べーレンズは誠実な人だったけど、少し考えが浅い部分があったわ。私のように思慮深い女ではなく、カテーナのようになにも考えてない娘と一緒になったら、当然苦労するに決まっているのに。ああ、でも私の助言を受け入れなかったあの執事も、結局は誠実ではなかったということですわね。



『そうしてこの手記を書くことに決めたのですが、最初はなにを書いたらいいか分かりませんでした。アールステット城で育ち、お仕事をして、今は帝都にいます。ずっと慎ましく暮らしていたので、これといって書くことがないと思いました。

 ですが思い出したのです。

 その昔、母から聞いたアールステット子爵家の秘密を』



 だんだん良くなってきた気がするわ。もっと上手に書けるように頑張りましょう。もし戯曲になるようなことが起こった時に、きちんと伝わるようにするのが私の役目ですものね。



『アールステット子爵家の話を少し書きます。

 ご領地はソフィニアから少し北西にいった場所にあります。大きいとは言えない土地ですが、領民はとても勤勉で、毎年沢山の綿花を収穫しています。

 先代のご当主はジャニス様といい、私は“旦那様”と呼ばせて頂いています。十五年ほど前に奥様がお亡くなりになっても、その後再婚もせずに一人息子である若様をお育てになりました。

 若様のお名前はイリスとおっしゃいます。ご年齢は二十五。とても無口な方で、感情を表に出すこともあまりなさらない方です。幼い頃から大人しい方でしたので、なにか特別な理由があるわけではないと思います』



 いやだわ、若様のことになると、どこまで書いていいのか分からなくなってしまう。色違いの瞳のことは書いた方がいいのかしらね? あの瞳については、子爵家では口にすることも禁物となっている感じだから、なにを書いたらいいか分からないわ。

 そういえば昔、母様があの瞳のことで少し騒動があったって言ってましたっけ。なんだったかしら、思い出せない。

 今夜はもう寝ましょう。若様もやっとお帰りになったことですし。これから遅くなる日が続くのかしら。それも困るわ。

 それにしてもなぜ若様が宮殿に呼ばれたのか分からないわね。だってまだ貴族院の総務長に就任なされて日が浅いし、あの蟲事件になにか関係しているとは思えないですもの。でもたぶん悪いことが起こったわけではなさそう。ご機嫌は悪くなかったようですから。

 ああ、宮殿でのことが分からないのはもどかしい。





 今朝は少し曇り空。もうしばらく雨はいらないわ。昨夜はついつい遅くまで書いてしまったので、とても眠い。それに昨夜ベッドの中でずっと考えていたから。でも母様から聞いた話を思い出せたわ。それを清書に書くべきかは、少し考える必要がありそう。

 あれは私が十かそれぐらいの歳に、旦那様と奥様と若様がイワノフ公爵家の舞踏会に招かれた時の話だったわ。その時は母様も付いていって、奥様と若様のお世話をすることになったのよ。あの頃から奥様のご体調が宜しくなかったので、旦那様もご心配なされたのだと母様は言っていたわ。

 若様を連れて行ったのは、公爵夫人が特別に望まれたからだったそう。病弱なご長男が若様と同い年なので、ぜひ話し相手にと言われたとか。

 でも連れていかなければ良かったと、あとで旦那様は後悔なされていたと母様が言っていたわね。あの瞳を見た公爵家のご長男が“気持ち悪い化け物”と言ったそうだから。それがショックで奥様のご病気が悪化されたと母様も思っていたみたい。

 けれどその話を聞いた私は、そう言われてしまうのはしかたがないって思った覚えがある。

 まあ! 私ったらとても酷いことを書いているわ!

 ええと、清書する部分はどこまで書いたかしら?



『数ヶ月前、突然旦那様がご引退なされ、家督を若様にお譲りになりました。正直に申し上げれば、とても驚く決断でした。なぜなら旦那様はまだ五十代で、これといったご病気もありませんから。旦那様の話では、新しく国ができたのだから、子爵家も新しい時代を迎えるべきだという気持ちに至ったと。ご立派なお考えだと思います。

 最近は新設された貴族院総務長という役職に、若様がお就きになられました。旦那様はずっとご領地にいらっしゃるのでしばらくお会いしていませんが、きっとお喜ばれになったことでしょう。私もお祝いを申し上げたく思いました。なにしろ旦那様にはずっと妹のように可愛がっていただきましたので』



 堅苦しい文章って疲れるのね。日記のように書く方が楽だわ。

 そういえば若様が総務長になったのはリマンスキー子爵令嬢のご推薦があったと、執事から聞いたけど本当かしら。

 べーレンズのあとに執事になったあの男、嫌いだわ。私を小馬鹿にしたような目で見るのよ。私の方が長く務めているのに。若様の秘書みたいなことをしているから、情報もあの人の方が詳しいのがちょっと悔しい。

 でもいいわ。もう少し優しく接して、色々聞き出しましょう。

 若様は今朝、ずいぶん早くにお出かけになったわ。また宮殿にいらっしゃるみたい。なにか問題でもあったのかしらね。それともあの秘密のことで……?





 お昼にあの執事から、少し情報を聞き出せたわ。若様が総務長になれたのは、リマンスキー子爵令嬢の他に、貴族院の仮議長を務めているオーライン伯爵のご推薦もあったからみたい。今のオーライン伯爵はもともとローズ家のご出身で、アールステット家とはとても近しい親戚なんですって。

 それを聞いて私、心の中で“そういうことか”って思ったわ。もちろんあの執事に教える義理もないので、“まあ、そうだったんですね!”と感心するふりをしておいたの。これであの執事は色々な情報をペラペラ喋るに違いないわ。

 そういうことかって思ったのは、もちろんあの秘密のこと。きっとオーライン伯爵はご存知で、だから若様を取り立てたに違いないわ。

 皇帝陛下もそのおつもりなのかしら……。

 陛下のお姿は二度ほど見たことがあるけれど、確かに美しく聡明そうだったわ。ソフィニアの住人の半分以上は神の子だって崇拝しているみたい。

 けれど不義の子で、しかもエルフの血が入っているということに、私は少し不安を持っている。もちろんだれにも言わないけれど。それにあの方が皇帝になられてから、ソフィニアは落ち着かないことばかり。戒厳令と外出禁止令が何度出たか覚えてないぐらいよ。だからきっと忌み嫌っている人達もいると思うわ。

 もしも若様があの秘密のことで選ばれたのなら、ますます嫌なことが起こるかもしれないわね。私も本当はお城に戻りたいのだけれど……。

 若様は無口で大人しいと書いたけど、本当はとても冷たい方じゃないかしら。昔、お庭にいる小鳥を何羽も矢で撃ち殺していたのを見たことがあるもの。旦那様は良い腕前だって感心していらっしゃったけど、私はゾッとしたわ。旦那様自身も狩猟などがお好きで、剣の腕前も貴族とは思えないほど素晴らしいと、リマンスキー子爵がお褒めになっていたことがあったわね。

 それからお城にあるあの花壇。あそこは立ち入り禁止で、私ですら近づくことが許されない。あの花壇専用の庭師もなんだか怖くて。

 今日は手記を書く気が起こらないわ。堅苦しい文章はとても難しい。きっと寝不足のせいね。明日からもうちょっと頑張りましょう。

 アールステット家の秘密をどうやって書くかをギンミ(綴り違い)しなくてはならないでしょうし。

 でも未だに私は信じられない。だってあのお優しい旦那様を見たらとてもそんなふうに見えないもの。それにもう百年以上も前の話だから、もしかしたら今は普通の貴族かもしれないわよね?

 ああ、なんだか不安になってきたわ。

 もし本当にアールステット家が、昔の王族に仕えていた暗殺者の家系だとしたら、若様はそういうお仕事をなされるおつもりなのかしら……。


(なお本文に書かれている清書は発見されていない)


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