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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第八章 流星
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第198話 朝が来るたびに

 もうすぐ夜が明ける。

 東の方から空がゆっくりと白み、闇に侵されていた大地が色を取り戻し始めている。駆ける狼魔は、行きよりも早い速度でその東に向かって脇目も振らず走り続けている。丘陵の所々には白い煙を上らせた家々があり、麻畑を飛び越えるたびに視界から過ぎていく。


 朝が来る。

 彼らの平穏な日常が始まる。

 そして僕の日常はこれかと、ユーリィは狼魔の背でぼんやり考えていた。

 平穏とはおよそかけ離れた場所に生きてきて、これからもそうだろう。

 なんて不幸な人生だ。そう思っていた時期もあった。けれど想像していたよりも他人が幸せではないと分かってからは、悲劇的に考えることはなくなった。もちろん満足するほどには幸せでもない。


 受け入れるだけだ。

 死ぬことを諦めたあの時からずっとそう思っている。それに以前ほど朝が嫌いではなかった。

 幼い頃はまた苦痛に満ちた一日が始まるのだと思うと、朝陽に絶望しか感じなかった。でも今は朝が来ることになんの戸惑いもない。それがいつからかユーリィは分かっていた。


 あの瞬間。

 死ぬことを諦めて、彼の手を掴んだ瞬間からすべての運命が決まっていて、こうして彼と新しい朝を迎える。それが繰り返されるのなら、朝が来ることが嬉しかった。



――マズいな。


 緊張した声に気づいて、ユーリィは意識とともに正面に視線を戻した。


「ソフィニア?」


――レブが暴れている。


「レブって蟲だっけ?」


 無意識に顔をしかめて返事をしたユーリィだったが、狼魔はお構いなしに付け足した。


――蟲の集合体だな。厄介な相手だよ。


「蟲がいっぱいいるのか……」


 ユーリィにとっては別の意味で厄介な相手である。生理的に受け付けない相手とどう対峙するか、悩ましいところだ。

 そんな懸念をようやく感じ取ったのか、狼魔は速度を緩めた。


――なんなら俺独りで行こうぞ?


「いいさ。それにガーゴイルが心配だし。どうしてるか分かる?」


――精霊の類いは無理だ。


「あ、そうか」


 とはいえ魔物と精霊の違いがユーリィにはいまいち分からない。人間とエルフほどには違わないような気がしていた。


「レブって強いの?」


――単体では大した力は無い。下等な連中の餌になる程度だ。


「だったら……」


――単体なら、だ。


 狼魔は小高い丘を駆け上がっていた。てっぺんの雑木林は、昇ってきた朝陽に淡く濡れている。風は凍えるほど冷たいのに、なぜだか優しく頬を撫でていく。少し離れた場所に小さな家があって、その煙突も白い煙を吐き出している。

 今日はずいぶんと素敵な朝だと感じるのは睡魔のせいだろうか。少しぼんやりとした頭で、ユーリィは暢気な気分とは裏腹な狼魔の説明を聞いていた。

 フェンリルによれば、集合体であるレブは餌となって数を減らすたびに、こちらの世界への穴を開けて人の魂を喰いに来ていたそうだ。そうすれば分裂して数が増える。ただし穴が開いている時間が短いので一つか二つ喰うのがやっとだったらしい。一つの魂でせいぜい倍程度になるだけなので、つまり大量増殖するはなかったそうだ。


――だが、こっちに来てしまったら喰い放題だ。


「なんで向こうに戻る必要がある? 人間の魂を食べれば強くなるんだろ?」


――向こうの連中は長時間こっちにはいられない。下等な連中は丸一日も居れば干からびて死ぬ。俺ですら一年がせいぜいだ。


「でも……」


――俺がここに居られるのは、人と融合しているからだぜ。そしてレブは……。


 アロンソと融合してしまったと言いたいのだろう。

 なるほど、そういうことかとユーリィは納得した。あの襲撃で向こうからやってきた魔物たちが、人やエルフの魂を取り込んだのもそれが理由だったのだ。


「あっ! そしたら、こっちに来た蟲はどんどん増えていくよね?」


――そういうことだ。


 狼魔が“厄介だ”と言った理由がユーリィにもようやく分かった。際限なく増えていく蟲。どんな未来が待ち受けているかは、だれだって悟れる話だ。


「蟲がいっぱいになるか……」


 ユーリィがそう呟いた刹那、狼魔は雑木林の間を駆け抜けた。

 開いた視界の遙か先に、朝陽の薄紅に染まった街が、蜃気楼のように見える。しかしさすがに遠すぎてその細部までは分からなかったが、狼魔にはどうやらはっきり見えているようで、もう一度“マズいな”と言って立ち止まった。


「レブって奴、見える?」


――上空を飛び回っているのが見えないか?


「いや全然……あ、でも……ガーゴイルが危ない」


 蟲に追いかけられて苦しんでいる姿が見える。想像かもしれないこれが真実だと思えるなにかがユーリィの中にはあった。


――やはり君はここで待っていろ。


 主人を下ろそうとして伏せた狼魔の背で必死に考える。

 何か手があるはずだ。あんなモノに襲われたら、フェンリルだってどうにか出来るような気がしない。それよりなにより街が危なかった。


 その時、ふたたび冷たく優しい風がユーリィの頬を撫でた。さらに高くなった斜陽が瞳を刺激して、その眩しさに手をかざす。ゆっくりと振り返れば、雑木林の上にはまだ煌めく光があり、林の向こうには立ち上る煙が見える。力があらゆるところに満ち溢れていた。


(そうか……)


 神と呼ばれ、悪魔と囁かれたマヌハンヌスという男にも、こうした瞬間があっただろうか。だれかを、なにかを守る為、星の意志というモノに逆らって、この力を手に入れようとした瞬間が。

 今、自分もその場所に立っている。

 そしてその男と同じように、神だか悪魔だか分からない得体の知れないモノになろうとしているのかもしれない。

 それでも構わないと思った。

 素敵だと思える朝を迎えたいだけだ。

 瞳にかざしていた右手を挙げて、人差し指を立てる。


“我に従え!”


 唱えた瞬間、大地から空から、小さき光が溢れ出てきた。

 最後に愛しき魔物に命令を下す。


「行くぞ、フェンリル!」


 僕は神でも悪魔でもない――ただ守りたいモノを守るモノだ。




 その日の昼前には、事件はあらかた片が付いていた。被害は思ったよりも多くはなかった。死者は三十人あまり。外出禁止令が功を奏したのか、ほとんどが街中を徘徊する浮浪者だった。

 けれど、すべての蟲たちを消し去ったとユーリィは思っていなかった。いずれアロンソの魂とともに襲ってくるだろう。疲れ切った表情で報告に来たクライスの話からもそれが分かったが、とにかく今は眠りたい。


「悪いけど僕は寝るよ。その間にお前がなんとかといて、クライス」

「なんとかって、なにを!?」

「大人しくしてさせておけってこと。多少無理を言ってもいい。僕が許す」


 これ以上なにか聞いたところで、正しい判断ができそうもないほど睡魔は強敵だ。

 だが、そのやんわりとした命令に、珍しくクライスは露骨に嫌な顔をした。一晩中蟲と対峙していたと得意げにした報告していたから、彼も疲れているのだろう。それにエルネスタを守ってくれたことは、心から感謝していた。


「ならいい、だれかに頼むから。お前以外の適任者はなかなか思いつかないけど」


 自尊心を刺激するようにそう言うと、クライスは渋々ながら引き受けた。実際のところ、多少鼻持ちならない部分はあるものの、最初よりもクライスは信用できるのかもしれないとユーリィは思い始めていた。


「お目覚めになったら、直ちに皆を呼び寄せます。いいですね?」

「皆って?」

「お分かりでしょう。今回の件で関わりがありそうな方々ですよ」

「その中で一番疑わしい奴は?」

「全員ですよ。ボク以外の全員。ボクから見れば、軍部もギルドも貴族もラシアールも、誰一人信用できませんね」


 普段なら厳しい言動は避けたがる男がこうまで言うのだから、よほど腹に据えかねることがあったのだろう。

 同情はできる。しかしずっと自分はそんな場所に立っているのだと思うと、ざまあみろという気持ちになった。


「最初にオーライン伯爵をお呼びします。それとリマンスキー子爵令嬢も」

「いいけど、なぜ?」

「アールステット子爵が、非常に怪しいからですよ」


 非常にを強調して、クライスは顔をしかめる。


「だって助けに来たんだろ? さっき言ってたじゃん」

「それでも怪しいんです。そもそもなぜ彼が総務長に就任したのか、その経緯をオーライン伯爵からじっくり聞いた方がいいと思いますよ。アールステット家になにか秘密でもあるのかもしれませんから」

「秘密って?」


 クライス自身も知らないのか、口を尖らせたまま小さく首を横に振った。


「分かった。アル……オーライン伯爵にちゃんと聞く」

「それからディンケル将軍にはあの兵士を離宮に配属した経緯と、それからアルカレス副議長とミューンビラー伯爵、それとラシアールの……」

「分かった分かった、ちゃんと聞くよ。でも僕が寝ている間にクライスが先に連中に話を聞いておいてもいいよ。あとニコ・バレクの所在確認も。ま、どうせ全員があの男にすべての責任を押しつけるだろうけど。バレクの目的がなんだったのか知る必要があるからね。ジョルバンニにも探りを入れるのを忘れるな」

「なんか色々押しつけられているような気がしますが……」

「クライス、今のところお前は信用しているよ、四番目ぐらいに」


 ずいぶん高い評価をしたにもかかわらず、鼻白んだ表情でクライスは皇帝の私室から立ち去っていった。


 それからユーリィはベッドに潜り込んで、泥のように眠った。一度だれかが起こしに来たような気がしたが、聞こえないフリをした。あとで聞いたところによれば、シュウェルトが食事を持ってきたらしい。だが彼を含めて全員、ヴォルフが皇帝への謁見を阻止したらしい。

 深い眠りと浅い眠りを繰り返し、何度か取り留めのない夢を見た。二度と会えない者や、この世を去っていった者と会話をしていたような気がする。それとも過去を眺めていただけだろうか。それすら思い出せないまま体を起こすと、赤い斜陽が綺麗さっぱり夢魔を消し去ってしまった。

 夕方だろうかと窓を眺める。

 だが太陽の位置が真逆で、どうやら丸一日寝ていたのだと理解した。


「起きたか?」


 声がした方に顔を向ける。まだ夜の暗さが残る部屋の片隅だ。そこにはヴォルフが静かに座っていた。レースのカーテン越し見えるその姿は、陰鬱な表情で背筋を伸ばし、まるで訓戒を受けている告解者のようだ。


「ずっとそこにいたの?」

「皇帝の安眠を妨げる者を追い出すのも、俺の役目だよ」

「邪魔なんてしないさ。僕がいなければどうなるか思い知っただろうから」

「クライスもそんなことを言っていたな」


 ロズウェル・クライスは存外真面目な男で、言いつけ通りに各方面に指示を出したらしい。もっとも“皇帝陛下がお目覚めになるまでは動くな”というような指示だったそうだが。


「ミューンビラーもアルカレスもずいぶん殊勝な態度だったらしいぜ。むしろ皇帝がいつ起きるのか、また蟲は来るのかと青くなっていたそうだ。自分たちの身の危険を感じて、やっと君を認めるとは馬鹿な連中だ」

「ふぅん。まあ、いいけど」

「君の言っていたとおり、無断配送についてはすべてニコ・バレクが勝手にやったことだと言っていたらしい」

「ま、そう言うだろうね。で、そのバレクは?」

「街にはいない。そればかりか商売もこっそり畳んでいたらしい」

「あいつ、いったいなにが目的だったんだろう。てっきりジョルバンニの地位を狙っているとばかり思っていたんだけど……」


 ネズミだと思っていた男は、実は手強い魔物だったのか、それともやはりネズミだったのか、今のところユーリィには分からなかった。


「いいさ、クライスがなにか探り出しているかもしれないし、ジョルバンニがなにか知っているかもしれないし」

「知っていても、あの男がすんなり口を割るとは思えないけどな」

「そうかもね。でも刃向かいたければ好きにすればいい。そんなことをすれば自滅の道を歩むだけだ。どうせ僕以外、この国を治められる奴はいないんだから」


 自意識過剰になっているのは分かっていたが、どうにも止められない。精霊たちを操ったということがこれほど醜い自信に繋がっているのだとユーリィ自身も驚いていた。

 すると、ヴォルフはおもむろに立ち上がり、朝陽に染まった室内を歩んできた。天蓋から吊されたレースを捲り入ってきた男の眉間には、深い皺が刻まれている。

 そんな浮かない表情に、どうしたのだろうとユーリィは心配になった。


「お前、すごく疲れてるみたいだぞ。ずっと起きてたんだろ?」


 しかしそれには返事をせず、ヴォルフは右手の指先でユーリィの頬に触れてきた。


「星に逆らう者か」

「そんなの……」


 気にするなと言おうとしたけれど、頬に触れた指が唇をなぞって言葉が続かなかった。


「疲れてはいないよ。君の寝顔をずっと見ていられたから」

「変なことしなかっただろうな?」

「さて、どうだろう?」


 そう言って、ヴォルフはニヤリと笑った。

 ようやく見られた優しい表情に嬉しくなり、ユーリィは伸ばした腕をその首に絡ませる。まだあの薬の効果が残っていればいいなぁと期待して、色違いの双眸を見つめた。


「少しだけだぞ?」

「なんだよ。まるで僕が欲し……んぅっ」


 唇を塞がれて、もうなにも言うことができなくなった。


 神でも悪魔でもいい。

 こうして素敵な朝が来るならそれでいい。

 そして朝が来るたびに、僕は少しずつ強くなっていこう。


 そんな想いを胸に、ユーリィは魔身となった男の愛撫を受け入れた。



☆★☆

挿絵(By みてみん)

作画:夏水かなた様

キャラ:アルベルト・オーライン伯爵


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