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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第八章 流星
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第191話 紅潮

「なんで飛ばないんだよ!」


 背中に乗るユーリィが苛ついた声で文句を言う。むろん彼のためだ。薬を飲んだとはいえ三日近くも眠っていた彼を乗せて飛ぶなど考えもしない。空は雲に埋め尽くされ、時折薄くなった切れ間から顔を出す朧おぼろな月が、上空の強風を伝えていた。


 うねるような丘陵が彼方まで続いている。風はまだ雨を孕んでいて、じっとりと肢体にまとわりつく。

 そんな闇夜を、俺はひたすら南へ進んでいた。

 雑草覆う大地を走り、摘み取られた綿畑を飛び超え、降りてはまた丘を駆け上がる。大地を蹴る後ろ脚が、ぬかるんだ泥を何度も跳ね上げた。


――大丈夫、もうすぐ追いつくさ。


「見えるの?」


――目ではまだ見えていないな。


 前方にある気配を捉えつつ返事をする。

 ブルーの使い魔は遊覧でもしているかのように、ジグザグに飛んでいた。


「僕はなんにも見えないや」


 どうやらそれが不満のようだ。たとえ危険があっても、彼は空を飛ぶのが好きだった。


――近づいたら上昇するから。


「クライスの持っていたあの薬が効いてて、いつもより力が出ている。ほら!」


 背中の体毛が力強く握りられた感覚があった。

 確かにいつもよりしっかり握っていられるようだ。腕力も握力もその年頃にしては弱く、いつもヒヤヒヤさせられていたので、僅かばかりではあるが安堵は生まれた。


「だからさ、今すぐ飛んでも――」


――不用意に近づくのは危ないぞ。どこから狙ってくるのか分からない。


 気配はブルーの使い魔だけではない。魔物が数体いる。敵か野生か分からないうちは空への逃げ道は残しておきたかった。


「僕が起きる前に出発したなら、もう随分行ってるね。間に合いそう?」


――輸送部隊がどこにいるかによるが、間に合うだろ。


 ファセド港までは馬車で五、六時間かかる。憲兵らが随行しているならさらに遅くなるだろう。全員分の馬を用意しているとは思えなかった。


 そうして小川を二本、高い丘を三つほど超えると、ブルーの気配はかなり近づいてきた。奴はジグザグに飛んでいるのではなく、何度も旋回しているらしいとユーリィに告げる。


「なにか探してるのかなぁ……?」


 彼は身を乗り出し、真っ暗な前方を凝視したようだ。そろそろ闇に目が慣れてくる頃とはいえ、魔物ほどに夜目が効くはずもない。見えないとブツブツ言っている声はあまりに子供っぽく、俺の恋慕を満足させた。と同時に、自ら戦いに出向く支配者は彼ぐらいだろうと思うと可笑しくなる。今まで何回こうして空を飛んだことだろう。そのたびに彼は強くなっていた。

 さっき感じた怒りが急速に静まっていく―――俺だけが信じてやればいいのだ。


「まだかな?」


――もうすぐ見えてくるはずだ、準備してろよ。


「分かった!」


 容姿のせいで少女のように見られる彼だが、その中身は戦いを好む武人だから、嬉々とした返事も然もありなん。さぞや勇ましい表情をしていることだろうと思うと、それが見られないのが残念に思えた。


「そうだ、フェンリル。僕がいいと言うまであいつには手を出すなよ」


――なぜ?


「僕とブルーの問題だからさ」


――まさかアーリングの時のように一騎打ちするつもりなのか?


「ブルー次第だけど、僕としてはあまりしたくない……」


――それは俺も同じだ。奴は闇使いだからな。


 エルフ族の中でも一番温厚だと言われるラシアールは、闇系魔法を操るという意味では一番厄介な種族だった。

 異界ほどではないがこの世界にも、世界が二つに分かれた今もまだ瘴気が散在している。それを集めて使うのが闇系魔法だ。その中でも吸収魔法が最悪だ。瘴気は魔物にとって生気とも呼べるものだが、それを吸収され動きを止められる。あの屋敷で俺が動けなくなったのは、寄生獣が原因だけではない。ブルーが使った吸収魔法のせいもあった。


 さらに奴らは結界を張って魔物を囲い、新たな瘴気()を得られないようにする。そうして魂を切り取り、使い魔にするのだ。ラシアールに比べれば光使いのククリなどなんてことはない。奴らがユーリィに対して強気になれるのも、魔物である俺に対抗できるという自信がそうさせているのだとしたら、本当に嫌な相手だった。


「ラシアールの魔法は精獣には効果がないっていうのはそういうことか。なら、ガーゴイルを残してきて正解だったね」


 俺の説明に対して、ユーリィは暢気な返事をした。


「ちなみに精獣の生気ってなに?」


――詳しくは知らないが、星の力を使っているらしい。


「星の力? それはどういう―――あっ、あそこ!」


 ようやくユーリィも気づいたようだ。俺はずいぶん前から、滞空してこちらの様子を窺っている魔物の姿を捉えていた。


「なんか僕たちを待ってるみたい」


 落ち始めた半月を背にした黒い影は、竜とは違う翼あるモノ、つまり猛禽類のそれだ。膜のように薄い雲の中で、両翼を羽ばたかせて滞空しているあのランガーは以前ククリに捕らえられ、今はブルーが操っている。しかし正確に言えば奴の使い魔ではない。ランガーの中にいる寄生獣が本当の使い魔で、その寄生獣を操ることによってランガーまでも制御している。かなり複雑で面倒な方法であるが、それだけブルーの魔力が強いという証拠だった。


――最後にもう一度聞くが、本気で行くのか?


「もちろん行くさ」


 一度決めてしまえば、もうだれにもユーリィを止められない。だから俺は彼に従って戦うのみ。あのエルフとどんな旅をし、どんな会話を交わしたかなど関係ない。必要とあらば俺が仕留める。ユーリィがこれ以上苦悩を抱え込まない為に。


――上昇するぞ、落ちるなよ。


「落ちるかよ」


 体毛を強く握られたのを確認し、大地を蹴った。

 空中を疾走するのに必要なのは僅かな魔力。なにもない空間を大地と同じように駆け上がり、やがて水と氷が混じる高さまで到達した。

 雲ではなく、薄い霧のような雲だから視界は悪くはない。だがたとえ小さな氷晶でも、ユーリィはダメージを受けるだろう。


――もう少し上がれば晴れるから、我慢してくれ。


「大丈夫!」


 しっかりとした口調は、やはりあの粉が効いているからだろうか。クライスを疑ったのは悪かったと思いつつさらに上昇すると、やや強い風が吹く雲の上に出た。

 ランガーは人の目でも目視できる位置にいる。月の光は雲に遮られることなく夜空を照らしていた。


「あ、来る!」


 少し下方にいた鳥型の魔物は、羽ばたきを繰り返して俺たちめがけて上昇してきた。

 鉤爪のような黄色い嘴が月光に光る。その背に乗るのは、青紫の軍服を着たエルフだ。白目のない双眸は、いつか見た笑顔を思い出すのも難しいほどに鋭く険しい。それらすべてを、この魔物の目は捉えていた。


――悪いがあいつが攻撃してきたら容赦はしないぞ。


「ダメだって。僕がいいって言うまで――」


――俺は君を守る為だけにここにいるんだ!


 俺はもう人ではない。

 罪悪感も正義心も捨て、ただ一人の為に。

 星を守る精霊に善も悪も聖もないと言うのなら俺も同じだ。


 真っ直ぐに向かってくる敵に炎を放つべく、俺は内にある魔を呼び覚ます。瘴気が作り出した灼熱の焔だ。狙いは右翼。ランカー程度の小物なら一瞬で片が付く。

 俺たちの距離は急速に縮まって、ユーリィの目にもブルーの表情が見えるだろう。憎しみを湛えたその表情を。

 だからこそ俺がやらなければならない。

 ユーリィのマントがパタパタと風に靡いているのが聞こえる。それでも引っ張られない彼に興奮して速度を上げた。


 勝てる!


 迫ってきたランガーに炎を吐き出そうとした。しかし――――


「フェンリル、避けろ。命令だ!!」


 怒号に体が無意識に従ってしまう。

 左を過ぎていくランガーを目で追いつつ、喉元まで出てきた炎を最奥へと収めて悔し紛れに咆哮をするも、まるで負け犬の遠吠えのようで虚しかった。

 だがまだ戦いは始まったばかりだ。急いで反転して顧みれば、向こうも翼を広げて旋回し、ふたたび迫ってこようとしていた。


 次こそは! 命令など従うものか!


 そう期待して正面から迎え撃とうと待ち構えるも、ランガーは距離が縮まる前に上昇し、俺の攻撃を回避した。


――くそっ!!


「フェンリル、また来るよ」


 暢気に言われるまでもなく急いで振り返るも、今度は下降して逃げていく。そのくせ旋回してはこちらに迫ってくるものだから、いったいなにがしたいのか分からない。もしユーリィがいなければ追いかけて、噛みつくなり体当たりなりの肉弾戦に持ち込めるが、さすがにそれは無理だと判断した。

 それに、険しかったブルーの表情も困惑が混じっている。


(もしかして後悔しているのか……?)


 振り上げた拳を下ろせずにいるのかもしれない。だとしても、こちらも剥き出した牙を収める気にもならず、十回ほど同じことを繰り返した。

 そうして十回目のすれ違いが終わった時、ユーリィが不安げに呟いた。


「あれ……なんか……変……」


――具合でも悪いのか!?


「そうじゃないけど……でも……これって……」


 背中の上でモゾモゾと身動ぎをしているのが感じ取れた。なにがあったのかは知らないが、緊急事態が発生していることは確かだ。やはりあの粉に問題があったのかと不安になり、その場から離脱しようと思った矢先、


「フェンリル、また来る!!」


 それまでずっと突っ込んで来なかったというのに、明らかにこちらに向かって真っ直ぐに近づく魔物を、俺は思わず罵った。


――クソッタレが!! 


 こうなったら一撃で仕留めるしかない。ブルーの後悔など知ったことか。ユーリィに拳を振り上げたことがそもそもの間違いだったのだから。

 迎撃などしてやるものか。闇を蹴って、こちらも正面から突っ込む。強風に吹き上げられて氷晶を肢体で切り裂き、焔を吐き出そうかとしたその瞬間、


「あっ!」


 体がフワッと軽くなるのを感じた。


(嘘だろ!?)


 必死になって自分の勢いを殺す。そのまま反転してユーリィ姿を見つけようにも、口からあふれ出た炎が辺りに散って、視界を完全に遮った。


――頼む、間に合ってくれ!


 あいつにはレネがいる。だからすぐに落下はしないはずだ。

 それを信じて下降しようとした俺の横を、黒い影が追い抜いていく。

 それがランガーだと気づいた時には、その背にいるエルフの右手がユーリィの腕をつかんでいた。




「陛下、お怪我は……?」


 ユーリィの横でそう尋ねた長身のエルフは、尋ねた相手を見ようともせずうつむき加減に佇んでいる。

 場所は平原のど真ん中。夜はまだ明けそうもなく、夜の闇が俺たちを囲っている。唯一の明かりはブルーが持っていたオイルランプだけだ。手のひらに収まるサイズそれは、筒型の陶器製で、蓋を開いて中の芯に火を灯す携帯用だ。一時間は保たないだろう。その前に俺はユーリィをこの場から早く連れ去りたかった。

 だから俺は魔物の姿のままだ。奴はユーリィを襲うかもしれないと。

 ブルーがユーリィの腕をつかんだまま、ランカーが地面に着地するまでは本当に生きた心地がしなかった。今もまだその不安が残り、本当はそんな気配はないと分かっていながらも、どこか信じられないでいた。

 しかしユーリィは焦ったふうでもなく、肩や腕を動かしつつ悠然とした面持ちでブルーの質問に答えた。


「うーん、ちょっと肩が痛いけど大丈夫みたい」

「あの陛下、俺……」


 そう言いながらユーリィに近づこうとするブルーに、俺は警戒を発した。


――動くな!


「フェンリル、ブルーはもうなにもしないよ。そうだろ?」

「もちろんそんなつもりは最初から……」

「そうじゃないかと思ったよ」


 ふふふと笑ったユーリィを見て、ブルーは本当に泣きそうな表情になった。

 別に俺だって奴のことを嫌っていたわけじゃない。俺にはない脳天気で明るい性格が羨ましいとさえ思っていた。

 ただしユーリィを傷つけるモノはすべて敵だ。


「それでさ……ブルーにちょっと聞きたいことがあって……」

「えっと、なにを?」

「色々話さなければならないこととか、急がなければならないことがあるのは分かってるるんだけど……ええと……ちょっと耳を貸せ」


 俺の方をチラチラと見ながらユーリィは自らブルーに歩み寄り、指を使って耳を近づけるようにと合図をした。

 人の気も知らないでと、はらわたが煮えるような思いで俺はそんな彼を睨む。反面、俺に知られたくないなにかがあるのだと分かって、少なからずショックを受けた。毎度のことながら空回りしている自分に嫌気が差したのは、魔物ではなく人間の方だ。


 とは言え、なにを話すのかは気になる。ブルーの耳元でボソボソ言っている声に聞き耳を立てれば、ガルガルという言葉だけがなんとか聞き取れた。


「え、ホントですか、それ?」


 目を見開いてブルーが驚く。


「う、うん……だからさっきちょっとビックリして……」


 薄闇ですらはっきり分かるほどその顔が真っ赤になったを見て、俺はどうにも耐えられなくなった。ランガーは少し離れた場所いるから大丈夫だ。

 急いで魔物から人へと変げして、二人の間に割って入る。


「いったいなんの話をしてるんだ!!」

「お、怒るなよ……ヴォルフには関係ないことだし……」

「あれ? そうですか? 関係大ありのように思いますが」

「余計なことを言うな、ブルー!」

「別に男子としては普通のことだから、恥ずかしがることはないと思います。もちろん初めてのご経験なので驚かれ――」

「だから黙れって!」


 いったい何の話をしているかは分からなかったが、とりあえず俺はブルーに掴みかかった。


「言え! じゃないと殺す!」

「ちょっ、待って下さいよ。だってご本人が知られたくないって……」

「そんなことは関係ない。俺は皇帝を守る為だけに生きてるんだ!」


 絶対に口を割らせる。

 たとえ命令に背いてでも。

 それが俺の使命なのだ。


「ヴォルフ、止めろ」

「その命令には従わない。君を守る為なら俺は――」


 言いかけた俺の言葉を、突風とユーリィの声が同時に遮った。



「だから! 僕の――――が! 暴れてるんだ!!」



 風のせいで肝心なところは聞き取れなかった。

 と言いたいところだがしっかり聞こえてしまった。

 呆然としてブルーの胸ぐらから手を離し、横にいるユーリィを見下ろせば、白い肌を耳まで赤くして下を向いていた。


 その後しばらく、ユーリィは口を開かなくなってしまった。


「ほら、いいじゃないですか。ええとお世継ぎの心配も……」

「あの粉の影響で一時的なことかもしれない」

「それはそれで困るんじゃないですか?」

「俺は別に困らない」

「そりゃ貴方はね。でも皇帝陛下としては」

「まあ、本人も気にしていたことではあるが……」


 ユーリィはそんな会話をしている俺たちを横目で睨み、顔を赤くしたまま唇を噛む。

 これはマズい。俺の立場も含めて。

 もうあの薬は二度と飲ませないと心に決めて、ユーリィが落ち着くまでじっと待った。


 やがて気持ちとそれ以外も収まったのか、ユーリィは大きな溜息を吐き出し、あえて作ったらしい真顔でブルーに向き直った。


「ブルー、今回の件について手早く話して」

「あ、はい。でも大丈夫ですか?」

「なにが?」

「ええと……」


 ブルーの見えない視線がユーリィの下半身に行く。途端、先ほど叫んだことを思い出したのか、またもや彼は頬を赤く染めた。男同士なら別にどういうこともない話でも、プライド高い皇帝の彼からすればかなり恥ずかしいだろう。


「もう蒸し返すなよ……だいぶ収まったし……。それに少し頭痛がしてきたから、もしかしたら例の発作があるかもしれない。だから早くソフィニアに帰りたいんだ」


 しかし、俺たちがすぐにソフィニアには戻れない状況にあると悟るのに、数分もかからなかった。



☆ ★ ☆


挿絵(By みてみん)

 キャラ:アルベルト・エヴァンス(オーライン伯爵)

 作画:夏水かなた様


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