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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第八章 流星
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第190話 杞憂あれども

 まったく!

 とんでもないことになってしまったもんだ!

 

 宮殿を出てからずっと、ロズウェルは何度も溜息を吐き出していた。

 ドルテが死んだら寝覚めが悪いと、例の件を獣爵に話しに行ったらこれだ。ひとえに自分の運の良さが恨めしい。


「もし皇帝が起きなければこんな厄介な……」


 だが皇帝が死んだ場合を想像して、ロズウェルは小さく首を振った。


「いや、運が良いのは素晴らしい。さすがボク」


 いつもの決め言葉もなんとなく気持ちが入らない。だから皇帝がいなくなればもっと不愉快な未来があるのだと自分に言い聞かせた。


「なんでみんな、適当に生きようと思わないんだろ?」


 ロズウェルとしては適度に女と遊べて、五日に一度服が廃棄できるぐらいの小金持ちで、二日に一度美味いものが食べられるような人生が理想だった。立身出世など望まない。まして身を粉にして働くなどなんの意味があるのか。頭脳と顔は楽して生きていく為にしか使うつもりはなかった。


「それはともかくとして、本当にあれをお飲みになるとは」


 ガルガルの効果は抜群だ。だから鉄を鍛錬する時には必ず飲む職人がいて、作業速度が倍になる。ただしロズウェルの父親はあまり良い顔はしなかった。


「反動というか副作用というか、あれさえなければね……」


 皇帝もそれが出る可能性は高い。そのことを考えて益々気が重くなり、また一つ溜息を吐いた。


「あっ、けど皇帝がたとえそうなっても、困るのは獣爵ぐらいで……ってそんなに困らないか、たぶん困らな―――ウガァッ!!」


 突如入った後頭部に痛みに振り返れば、そこに立っていたのは巨漢のオカマ――――ではなくてロズウェルより少しだけ背の低い女と、ロズウェルより少しだけ背の高い中年の男。薄汚いシャツとズボン姿の二人は太い眉毛が良く似ていた。


「玄関先でなにをブツブツ言っているのよ、ローズル(マヌケ犬)

「その呼び方はやめろ、イザル(泥虫)!」

「あら、発音が間違ってるわ。私の名前はイザーヤよ」

「先に言ったのはそっちだ、姉さん。そもそも叩かなくたっていいだろ」

「あなたがそんなところに突っ立って通行の邪魔をしているのが悪いの」

「ドルテの奴がボクに乱暴を働くのはやっぱり姉さんの――」

「二人ともいい加減にしろ、みっともねぇ。ロズウェル、あとで俺の部屋に来い!」


 姉弟を押し退けて玄関へと向かって行く父親の背中は、ドルテとは比べものにならないほど逞しく、その逞しい男とこれから話さなければならないと思うと、ロズウェルの気はさらに重くなっていった。




「皇帝陛下はお目覚めになったんだな?」

「そうです、父さん」

「どうりで兵士が徘徊し始めたわけだ。しかし外出禁止令まで敷かれたのはどうしたわけだ?」

「ええと、それは色々ありまして、今は言えないんですが」

「ふむ……」


 組んだ二の腕はロズウェルの三倍ぐらいはありそうだった。

 もともとロズウェルの父親はただの鍛冶屋で、一目惚れしたという母親に押し切られてクライス家の婿養子に入った。それでも祖父が生きているうちは剣や槍を作り続けていたが、祖父が亡くなると渋々ながらクライス家当主の仕事に就いた。


 クライス家は鍛冶屋ではなく武器商人だ。下請けの鍛冶屋は何十人かいて、そこから買い取っては売り捌くだけ。特注があれば鍜冶屋のだれかに作らせる。つまり剣を鍛える必要はない。しかし父は注文が入れば自分で作りたくなるものだから、祖父の代に比べて商売は傾きかけた。母親ものほほんとした人だから危機感がまったくない。そんな両親の様子を見るに見兼ねて、去年ロズウェルは家業を継いだ。


 こんな早くに跡を取ろうとは思っていなかったロズウェルだが、商売の素質はあった。しかも頭脳明晰、容姿もすこぶる良く、人当たりも悪くはない。少なくても常に仏頂面の父親よりは何百倍もマシだ。

 父親は息子を自分と同じ鍛冶屋にしたかったようだ。だが灼熱の工房を毛嫌いし、代わりに娘が興味を持ってしまったのだから、父も内心ガッカリしているだろうなとロズウェルは思っていた。


(あんな暑くて臭くて汚い所にいたら、数分で死ぬ)


 それでも期待に応えられなかった罪悪感は微妙にあって、ギルドの幹部にでもなれば少しは喜ぶかと思ったが、それもどうやら父には気に入らないことのようだった。


「外はまるで戦争でも始まるようじゃねぇか。どうせギルドか貴族が原因なんだろ? 他人の上前を撥ねる連中にろくな奴はいねぇからな」


 それが父のギルドと貴族に対する評価だ。もっともそれが幸いして、上層部やイワノフ家との癒着を避けられ、変な疑いをかけられずに済んだ。


(父さんがクライス家を守ったことだね。ま、結果論だけど)


 色々言いたいことはあるが、父として敬愛していないわけではなかった。


「それでどうなんだ、ロズウェル」

「どうって?」

「皇帝陛下のご体調だ」

「あ、全然平気ですよ。平気すぎて変な命令受けましたが」

「変な命令ってなんだ!?」


 口が滑ったとは正にこのことを言う。父親に言うか言うまいか迷って、やはり言わないでおこうと考えていただけに、この失態は痛い。


(ボクとしたことが……)


 どうにか誤魔化せないだろうかと思ったものの、自分と同じ髪色をした男の眼光に射貫かれる。書斎とは名ばかりの部屋中にある工具類にすら責められているようだ。皇帝よりもジョルバンニよりもドルテよりも、ロズウェルにとって最強の相手だった。

 嫌々ながら皇帝の勅令を伝える。すると父はまず息子を怒鳴りつけた。


「なぜ早くそれを言わねぇんだ!!」


 怒りの表情を浮かべているものの、内心大喜びしていることをロズウェルは知っている。父親の鍛冶屋魂に火がついたのだ。


「ったく、これだから(にわか)兵士どもは! ハンターの方がずっと武器を大事にしてたぞ」

「ボクに言われたって……」

「いいから早く支度をしろ、出かけるぞ!」

「だけど外出禁止令が……」

「陛下のご命令なんだろ!?」

「ええまあ……」


 それからがまた大変だった。

 ロズウェル自身は支度などほとんどない。せいぜい服に着替えるぐらいだが、それも今夜は虚しく感じられた。

 父親はというと、麻袋に部屋中にあった工具を詰め込んでいる。中でも長い金槌は柄が口から飛び出して、目立つことこの上ない。あんな物を持って外出禁止令が出ている街中を歩けば、一瞬で兵士たちに取り囲まれそうだった。


「父さん、金槌はいらないんじゃないですか?」

「なにを言う。これは俺の武器だ」


 だから困るんだよ。

 そんな言葉を抑えたせいで、唇の右端がピクピクと痙攣した。


「槌で叩くにも金床もないことですし……」

「じゃあそれも持っていくか」

「一人では持ち運べないですよ」

「ならお前が――」


 そう言ってロズウェルを見た父親は、息子の細い腕を眺めて、袋から金槌を引っ張り出した。


「仕方がねぇな」

「不甲斐なくて済みません」

「しかしこれだけの道具じゃ、せいぜい微調整するぐらいで――――おおっ、良いことを思いついたぞ。イザーヤ!! イザーヤ!!」


 父親の重低音が家中に響いたとはいえ、姉が室内に入ってきたタイミングは明らかに変だった。


(イザルめ、盗み聞きしてたな)


 案の定、父親が説明を始めた直後から、姉の瞳はキラキラと輝いていた。


「――で俺らは軍本部の在庫品を見に行くから、お前は若い連中を集めて工房に行け」

「ちょ、ちょっと待って下さい、父さん、姉さん。さっきから何度も言ってますけど、外出禁止令が――」

「だったらあなたが一筆書いてくれればいいじゃないの。なんの為のギルド幹部?」

「一筆ってなにを!?」

「勅令の件を書けばいいでしょ。バカなの?」

「ボクに向かってバカとは……」

「ゴチャゴチャ言ってないで早く書いて!」


 逆らえない敵がもう一人いたことを思い出したところで、ロズウェルにはどうすることも出来なかった。


「クライス家の工房で武器の修理をしているとも書くんだぞ」

「なんでもいいですよ、もう」


 そうしてロズウェルは、部屋にあった羊皮紙とペンで一筆したためさせられた。紙が汚く、安っぽいインクが滲むことなどこの際どうでもいい。皇帝陛下の勅令であること、ディンケル将軍も承知している部分だけは丁寧に書き、あとはそれなり。


「ほら、名前も! ギルド情報書記官っていうのもちゃんと書くのよ」

「あーはいはい」


 言われたとおり、最後に一番適当な字で署名をすると、まだインクも乾かないというのに姉はそれを引ったくった。それなのにロズウェルの部分が滲んでローズルと読めると笑う姉。


「でもあなたの名前がマヌケ犬でもだれも気にしないと思うわ」

「ボクが気にするから」

「兵士に止められたら、これを見せればいいわよね、父さん?」

「無視かよ!」

「止められなくても見せて回れ」

「分かった、そうするわ!」


 ローズル(マヌケ犬)と書かれた紙を大勢に見せ歩くと聞いて、ロズウェルは慌てて書き直すと宣言するも、そんなことを聞く二人ではなく。


(なんかここ最近ボクのキャラが崩壊している気がする……)


 ドルテといい、父といい、姉といい、天才への尊敬の念が欠片もない。ここ最近の褒め言葉は皇帝の“面白い”という言葉だけだ。


「さぁて、俺らも行くぞ!」


 父親の命令は絶対だ。

 なにしろ敬愛の念を抱いている――――はずだから。



 西地区にあるクライス邸から宮殿まで、大人の足で半刻ほどかかる。やはりと言うべきか、途中で兵士に何度も止められた。しかしロズウェルが金に輝く身分証のプレートを見せ、クライス家が無料で武具の修理を行うと父が言えばそれ以上はなにも言われなかった。


「宮殿に出入りするギルド幹部はさすが違うねぇ」

「嫌味ですか、父さん?」

「昔マイベールのオヤジと、息子を交換しようと冗談を言い合ったことがあってな。向こうは鍛冶屋に相応しい体格のいい息子、こっちは服のことしか頭にない痩せっぽち。跡継ぎにするにはお互い不満だらけだ」

「済みませんね、痩せっぽちで……」

「けど、お前はクライスを守るのに頑張っているみてぇだし、マイベールの息子は変な趣味に目覚めたようだし、ま、これで良かったと最近は思うようになってきたな」


 隣を歩く父親を横目で見る。珍しく褒められてこそばゆく思ったロズウェルだが、その父も珍しく褒めて気恥ずかしいのか

 髪の色以外は似たところがない父である。昔は怖い存在だったが、最近はそうでもない。ただし子供の頃と同じく鬱陶しいとは思う。無理やり金槌を握らされなくなった分、少しは楽になっただけだ。


「だが、もしもお前がドレスを着ると言い出したら、ぶっ殺す!」

「言いませんよ!」



 そんなこんなで陸軍本部には小一時間ほどかかってしまった。最初は渋々だったロズウェルも、魔軍将軍の使い魔が飛び去っていくのを目撃した時から少しだけ気持ちを入れ替えた。


(たまにはボクの予想が外れても良かったんだけれど)


 その時ばかりはさすがに自分の才気が素晴らしいとは思わなかった。


 陸軍本部は宮殿の西隣にある。もともと宮殿の敷地はソフィニアの南地区ほぼ全部といっても過言ではないほどの広さがあった。その一部である西側の庭を軍施設として切り離し、陸軍本部を建築した。完成したのはここ最近で、それ以外にも夜勤の兵士の為に仮眠施設も建設予定だが、今のところ予算が間に合っていないらしい。なので未だに兵士たちは二つある見張り台の下にある狭い部屋と、西庭にテントを張って寝泊まりをしていた。しかし兵士の数は日々増え続けている。今のところ二万人近くいるらしいが、最終的には三万まで増やすのだそうだ。


(兵隊だらけの街になっちゃいそうだな……)


 そうなったとしても、もしラシアールと全面戦争となれば足りないかもしれない。賄賂やら癒着より色々問題はあったけれど、少なくても未来に不安を感じて生きてはいなかった。だから今より良い時代に思えてしまうのは困ったものだ。


(ま、なんとかなるさ)


 生粋のソフィニア人であるロズウェルも、他の人間同様にそんなふうに思って自分を騙すより他になかった。


 本部に到着するとまずは陸軍将軍に挨拶をしようと、ロズウェルたちは最上階にある三階の執務室を訪れた。嫌われているのは分かっていたが、礼儀は礼儀だ。

 ロズウェルの顔を見るや否や、ディンケルは露骨に嫌な顔をしたが、父親を紹介するとなぜか表情を緩めた。


「これはまた意外な……」

「意外とはどういう――」

「鷹がトンビを産んだようだ」


 その意味を尋ねようにも、息子を押し退け父親が話し始めたので叶わなかった。


「将軍、なんでも軍の武具がガタついていると息子から聞きましたが?」

「多少不具合があるものがあることはあるな」

「ならばちょっくら修繕させて頂きますよ。鍛冶屋としてそんなもんを使っているのは、ちょっと我慢ができねぇですからね」


 普段より若干丁寧な口調で話してはいるが、職人言葉はまるで隠せていない。ロズウェルにしてみれば恥ずかしいことこの上ない様子だったが、ディンケルは気にしていないようだった。

 そればかりか意気投合といった様子であれこれ話し始めるものだから、口を挟むことも出来ず、まるで木偶の坊のようにロズウェルはその場に佇んでいた。


(あ、そっか、同族ってやつか)


 ディンケルは軍人と言うよりも職人という雰囲気もあるから、どうやら鍛冶屋のオヤジである父を気に入ったらしい。自分の父親がそんな人間であることに少々気恥ずかしさを感じていたロズウェルは、なんとも言えない気持ちでそんな二人を見守っていた。


「最低限の道具しか持ってこなかったので、どうにもならない物は集めてうちで面倒を見ますよ。ここに来る前にもうちで武器の修繕をすると兵士に行って回ったんですが、良かったでしたかねぇ?」

「それはありがたい」

「武器商人は売るだけ売って、あとは放りっぱなしですからねぇ」


 嫌味な父の視線がロズウェルの首筋に直撃した。


「では武器庫に案内しよう」


 それから三人で二階にある武器庫に行ったが、ロズウェルは相変わらず手持ち無沙汰だった。武器を扱う商売だから、武器の不具合を見ることはできる。昔父親にさんざん叩き込まれた知識もある。だがそれを直せるかどうかは別の話だ。ネジ一つまともに回したことがないのだから、下手に手を出せば不器用だのなんだのと言われるに決まっていた。


(興味がないんだからしかたがないさ)


 しかし陸軍将軍は興味があるようで、武具の調整について説明する父の話に、目を輝かせて聞いている。


「お忙しいのに、なんか話し込んで済みませんねぇ」


 さすがの父も少しは気にしたらしい。


「たとえ逞兵であっても武器は大事だ。自分も新兵の頃に先輩から色々教わったが所詮素人の説明だったから、知らなかったことが多くて驚いている。時間は気にしなくてもいい。ここにいることは伝えてあるから、なにかあれば報告に来るだろう」

「そうですか! なら弓の調整をもうちょっと詳しく説明しましょう!」

「父さん、そんなことより修繕を……」


 もちろんロズウェルの言葉など二人の耳には届かなかった。

 すっかり手持ち無沙汰となった上に、カビとサビの混じった匂いにも辟易としたロズウェルは、宮殿に用事があると告げてその場を退散した。

 しかし用事などあるわけがない。そもそも執務室さえ与えてもらっていないのだ。


(さて、どうしよう)


 こんな時いつもなら宮殿にいる美人メイドとイチャイチャしようと思うのだが、今日はそんな気分にもなれなかった。


(ドルテの奴、今頃どうしてるんだか)


 天敵ではあるけれど、幼なじみという呪縛は死ぬまでついてまわるに違いない。むしろ死なれてしまったら、ドルテの幽霊に始終ついてまわられるかもしれない。それはそれでゾッとする話だ。


(宮殿に用ないし、あそこに戻るのも嫌だな。他にどこか……)


 途端にピンと閃く。

 きっかけは魔将軍を思い出したことからだった。


(離宮に行ってみよう。確かリマンスキー子爵令嬢もいるはず)


 それで親しくなれれば、この状況も不幸中の幸いだったとあとで思えるかもれない。お妃候補とどうこうなろうという冒険をするつもりはなかったが、同じ情報書記官として親しくなるのも正しい処世術だと思った。


(それにしたって、まさか本当に将軍自ら行くとは。だれかの陰謀かな?)


 穿(うが)ち過ぎと思う反面、引っかかるものが間違いなく心のどこかにある。

 けれどそれがなにか考えるのを拒絶して、ロズウェルは薄暗い宮殿の庭先を東の方へと歩いていった。



☆★☆



挿絵(By みてみん)

 キャラ:ロズウェル・クライス

 イラスト:鴉月様

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