表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第八章 流星
189/208

第189話 漆黒の皇帝

 皇帝が目覚めた宮殿は忽ち大騒ぎとなった。その中でも一番騒いだのは、チョビ髭ことシュウェルトだ。街中の医者を徴収しそうな勢いをユーリィに制止され、ならばせめて薬を飲んでくれと必死に懇願した彼は、宮殿にある薬草だけではなくディンケル・クライス・エルナ三人にも協力を強要した。

 集まった薬は四種類。宮殿にあったのは高価なヤテの実、軍の備蓄は安価なラカ豆の根。どちらも煎じて飲む滋養強壮薬だ。エルナが持っていたターナ茶で、疲れを取れると貴族には人気がある。しかしクライスが自宅から持ってこさせたガルガルという名の白い粉だけは、如何にも怪しげだった。

 そうして俺たちは、皇帝の私室である居間の真ん中で、テーブルに置かれた四つの袋を囲み、好き勝手に話し始めた。


「ガルガルを飲むと力が半日ぐらい増すんですよ。うちは鍛冶屋もしているので、剣を鍛える時に職人たちに飲ませます。わざわざフェンロンから取り寄せて――」

「絶対に飲ませるなよ、シュウェルト」

「もちろんですとも、獣爵様」

「ラカ豆の根だけで十分ではないのか?」

「ターナ茶は美味しいですわ、将軍」

「ガルガルだって変な薬ではないです。ボクも何度か飲みましたから」

「余計に信用できなくなった」

「獣爵、言っておきますがガルガルはヤテの実より高級品ですよ。なにしろその小袋一つで金貨七枚分ですからね」

「薬は値段じゃないぞ、ギルドの小僧。ラカ豆は大昔からある煎じ薬だ。効果があるからこそ重宝がられて国中で育てている」

「でも将軍、ラカ豆は雑草のように増えて始末に負えなくなってしまうんです。私の領地でも、牧草地のそばに絶対に植えないよう厳しく言ってあります」

「つまり無駄に沢山採れるから安いと?」

「そういうことでは……」

「そんなことよりガルガルを――」

「いや、それは却下だと――」

「ターナ茶は香りがとても良くて――」


 喧々囂々と話している俺たちの様子を、ユーリィは少し離れた場所で眺めていた。身なりはまだ白い寝具のまま。その表情はどこか寂しげで、まるで大人達にのけ者にされた幼児のようだった。

 しかし俺と視線が合った途端、彼は表情を引き締め冷たい声でこう告げた。


「シュウェルト、全部混ぜろ。これは命令だ」


 その後シュウェルトが煎じて作った物は、薬とは思えないドス黒い液体だった。湯気に混じった匂いは、異臭に近いものがある。


「やっぱりお止めになった方がよろしいかと」


 さすがのチョビ髭も、そのカップを皇帝へ手渡すのをためらっている。


「どうして?」

「どう見てもお体に毒……」

「いいから渡せって」


 半ば強引にシュウェルトからカップを奪い取ると、ユーリィは顔を歪めることすらせず全部飲み干した。初めて出会った時、煎じ薬をあんなに嫌がった彼とはまるで別人のようだ。出会った頃に比べて、彼が遥かに大人になった証拠かもしれない。

 俺にはそれが少々寂しく思えた。


「お体になにか異変はありませんか?」


 シュウェルトが心配そうに皇帝を覗き込む。クライス以外の二人も緊張した面持ちで皇帝を眺めていた。


「異変? あ、少し体が温かくなってきたかも」


 確かに頬の辺りに赤みが差している。さっきまでは倒れそうな顔色だっただけに、その変化は顕著に表れていた。


「お薬が効いてきたのですね! では早速お食事を運ばせましょう!」


 少ししてメイドが山羊ミルクの麦粥を持ってきた。嫌いと言ってはばからないそれを前にして、ユーリィは子供のように口を尖らせる。


「シュウェルト……お前……」

「陛下がお嫌いなのは存じておりますが、これは病後にはとても良いですから、どうぞ我慢してお召し上がり下さい」


 ユーリィは渋々といった様子でスプーンを手にし、一口毎に顔をしかめる。そんな姿が俺は嬉しかった。


「ヴォルフ、なんか楽しそうだよな?」


 そのジト目が可愛くて、俺は隠しきれない笑顔が零れる。


「なんか変なこと考えてるだろ?」

「変なことですと!?」


 俺より先に反応をしたのはディンケルだった。なぜ皇帝の具合が悪くなったのか薄々感づいているだろう将軍は、ドタドタとやってきて俺とユーリィの間に立った。


「皇帝陛下がお許しになっていても、自分は貴殿を認めてなどいませんから」

「そんなことは言われなくても、俺に矢を向けた時点で気づいている」

「当然です。我々は陛下の為に――」

「ディンケル、獣爵の行動はすべて僕が命令だ。それ以上でもそれ以下でもない。獣爵に刃向かうのは僕に刃向かうことだと心得ろ」

「しかし陛下」


 もういいと言うようにユーリィは人差し指を立てた左手を上げ、残りの麦粥を黙々と食べきった。こうやってユーリィがユーリィらしい部分を奪っていき、皇帝らしからんとコイツらは強要する。先ほど思っていた怒りが俺の中で沸々と再燃焼し始めた。


「さて……」


 スプーンを置いた皇帝は静かに立ち上がる。全員の視線がその一挙手一投足を見守っていた。ディンケルやエルナはきっと寝室に戻ると思っていたかもしれない。白い寝間着のせいで、俺ですら本気で出かけるという話に疑念を感じていた。

 しかし___


「着替える。シュウェルト、胸当てと、それから頭に付けるやつも出してきて」

「サークレットのことですか?」

「そう、それ。防具としてあんまり役に立ちそうもないけど」

「額の青水晶は魔力を高める効果……えっ!? ちょっ!? お出かけになる!?」


 長い首をさらに長くしてシュウェルトは驚きを表現した。ディンケルもエルナもほぼ同じように目を丸くしている。しかし先に将軍が我に返って皇帝に詰め寄った。


「皇帝陛下、ご冗談はお止めください」

「冗談ではないよ」

「まさかと思いますが戦いを予定なされているのではないでしょうね?」

「うん、そのつもり」


 その瞬間、ディンケルは半身振り返って後ろにいたクライスを殴りかかった。だが寸前のところで相手が避けて、握り拳は宙を切る。


「避けるな!!」

「い、いきなりなんですか、将軍!?」

「貴様が皇帝陛下になにか言ったからに決まっている!」

「でもお決めになったのは陛下ですから」

「ぬぁんだとォオオ!」


 周りを気にせずに巨漢へと優男に突進するものだから、テーブルが動いて皿が鳴り、椅子が一つ派手な音を立てて横倒しとなった。


「止めろ、ディンケル!」

「しかし!!」

「いいから止めろ! 命令だ!!」


 動きを止めたディンケルは、居間の真ん中で大きく息を吐いて肩を落とす。クライスは扉の近くまで逃げている。エルナとシュウェルトはどうして良いか分からない様子で、そんな二人と皇帝を順番に眺めていた。


「あいつの言うとおり、僕が自分で決めたことだ」

「だれと戦うおつもりですか!?」

「むろん僕に刃向かう奴。それが誰になるか今は分からない。戦いになるかどうかすらね。知っているのは僕に刃向かおうとしている連中がいるということだけ。だから行って、自分の目で確かめる」

「せめて我々もご同行を――」

「足手まとい」


 刹那ディンケルの表情が険しくなった。見る間に目の周りが赤くなったのも、怒りを感じているせいだと見て取れる。しかしユーリィはそんな将軍に目もくれずエルナへと向き直った。


「エルナ、君に頼みたいことがあるんだ。しばらく離宮にいるエルフのそばに付いていてくれない?」

「分かりましたわ」


 次に彼は、扉のそばに立つ優男に、軍所有の武具すべての点検調整という無理難題を押しつける。


「無理ですよ! 何万個あると思ってるんですか!」

「使い物にならないのだけ選んでクライス家所有の物と交換し、それ以外は調整でいい。地下になんて隠れる暇はないからな」


 憮然とした表情を作ったクライスに、俺の溜飲は少しだけ下がった。ユーリィを甘く見たツケをせいぜい払うがいい。皇帝を自分の都合で動かせると思ったら大間違いだ。

そんな思いで俺はユーリィを見たが、彼はなんの表情もなく俺をチラッと見ただけですぐに将軍へと向き直った。


「ディンケル、万が一に備えて陸軍は街の防衛強化を。外壁門はすべて封鎖。西地区と東地区の住民は僕が帰ってくるまで外出禁止。大通りには検問を置け。西地区にはガーゴイルにも警戒をさせる。雨は降ってる?」

「先ほど降り止んだようです」

「なんだ。あ、でも僕が寝ている間ずっと降っていたなら市民も貯水しているはず。だから水屋も許可するまで営業停止だとジョルバンニに伝えろ、クライス」

「わ、分かりました」

「それと僕が出かけることは他言無用。絶対だぞ。じゃ、解散」


 その言葉を聞いて、真っ先に出ていったのはクライスで、シュウェルトがその後に続く。宝物庫から皇帝の胸当てなどを出してくるのだろう。

 エルナはなにか言いたそうにユーリィを凝視していたが、目を合わせようとしない皇帝に諦めて静かに立ち去っていった。

 ディンケルだけはまだ顔を少し上気させたままその場に留まっている。四角いテーブルは不自然に曲がっているせいで、倒れた椅子だけではなく、他の四客も行き場をなくしたように曲がっていた。

 着替えに行くためか、ユーリィは将軍をその場に残して寝室の方へと歩き掛けた。俺は僅かに迷ったものの、そんな彼のあとを追う。不機嫌な猛獣と一緒になど居たくなかった。


「お待ち下さい、皇帝陛下」


 将軍の問いかけに、皇帝は半身だけ振り返る。その顔にはなんの表情も浮かんでおらず、それが俺を少々不安にさせた。


「先ほど、陸軍を足手まといだとおっしゃいましたな?」

「それがなに?」

「我々は信用していないのかと思ったものですから」

「そんなことはない」

「では陸軍がこのまま街を占拠し、宮殿を乗っ取ると申し上げたら?」

「刃向かう者は容赦しないと言ったはずだ。陸軍であろうと殲滅する」

「それが皇帝ユリアーナのやり方だと?」


 ユーリィは返事をしなかった。

 しばらく皇帝と将軍は無言で見つめ合う。それぞれがなにを考えていたのか俺にはさっぱり分からなかった。

 やがて将軍は鳩尾(みぞおち)に腕を当て一礼をして部屋を出て行く。皇帝はそれを目で追う事もなく寝室へと向かって行った。


「ユーリィ」


 中に入ろうとする彼を呼び止める。


「ん?」


 首だけ巡らせて俺を見た顔は、どこか寂しげに見えた。


「ディンケルとのやり取りはいったいなんだったんだ?」

「どういう意味?」

「君は陸軍を一番信用していると思ったが。それともああいうことを言って、将軍の真意を確かめたのか?」

「別にそんなつもりはなかったよ」

「本当に?」

「うん。ただ――」


 寂しそうな表情のまま、フッと彼は下を向く。


「ジョルバンニの言う“共通の敵”が僕であってもいいかなって思ったことが、言葉に出ちゃったのかもね」

「はぁ!?」

「うそだよ、冗談だって。それよりお前、軍服と軍帽はまだ持っているよね? 僕が着替えている間に持ってきて、上着だけでいいから」

「それを着て行けと?」

「なに言ってるの。お前は魔物に変げするんだろ? いいから持って来いって」


 寝室に入っていくユーリィの後ろ姿に、俺は不安をどうしても隠しきれなかった。




 半刻後、出発の準備は整った。俺の前に立つ皇帝ユリアーナは、黒の軍服、銀の胸当て、銀のサークレット、そして漆黒のマントを付けた完璧な貴公子へと様変わりをしている。


「さて、行こうか……」

「分かった」

「ちょっと待って。ここから飛び立つわけじゃない」


 変げを始めた俺をユーリィは慌てて止めて、テーブルの上に投げてあった俺の軍服をサッと羽織った。


「ぶっかぶか。コートみたいだ」


 ユーリィは両手を広げて、その姿を俺に見せつける。マントと胸当てを付けているにもかかわらず、確かに彼には大きすぎた。


「この格好で南門まで行くよ」

「直接飛んだ方が早いだろ?」

「僕が出かけることを知られたくないんだ。特にラシアールには」

「本当にブルーは来ると思うか?」


 分からないと首を振って、ユーリィは軍帽を頭に乗せた。


「さて出発。ちょっとワクワクするね?」


 少しもワクワクとした気持ちにならない俺は、釈然としないままユーリィのあとに付いていくより他になかった。


 宮殿から正門までは五人の衛兵達が付いてきた。正門にたどり着くと門兵たちが目を白黒させてユーリィを眺めたが、開けろという命令には黙って従った。大通りは兵士たちが行き交っている。外出禁止令は即座に発令されたようで、市民はだれも歩いていなかった。

 夜ではあったが、俺の隣を歩くのがだれかは大勢の兵士たちが気づいたようだった。しかしそのたびに俺が睨み付けて目を逸らさせる。

 ようやく南門近くまで来た時に、巡回している兵士たちが一斉に空を眺めた。

 両翼の魔物が暗い夜空に飛んでいく。魔将軍の使い魔であることはこの街の住民なら知らない者はいないだろう。だから皆、平然と見上げているのだ。


「急ごう、ヴォルフ」

「そういえばガーゴイルを出すと言ってなかったか?」

「あいつにはもう頼んである。僕がこの街から出たら動き始めるはずだ」

「いったいいつ!?」

「離れていたってあいつは僕の心をちゃんと読めるのさ。お前も早く僕の心をちゃんと読めるようになれよ」


 フフンと鼻を鳴らし、彼は笑みを浮かべる。

 目覚めてから数時間でいったいいくつ、彼の表情を見たことだろう。まるでクルクルと変わる猫の目のようだ。けれど彼の言うとおり俺はどれ一つ、その表情に隠された気持ちを読み取れていない。

 そんな俺の心を読んだかのようにユーリィは軽く肩をすくめ、すでに皇帝の姿を見とがめている南門の門兵たちへと近づくと「開けろ」と小声で言った。

 やがて蝶番が軋む通用門が開かれる。

 街の外は、雨水に濡れた暗い世界が広がっていた。空にはまだ星がない。雲はしつこく夜空を埋め尽くしていた。

 先に出た俺がまずは様子を窺い、大丈夫だと背後にいるユーリィに頷くと、彼はサッと軍帽と軍服を取り去り、兵士の一人に投げ渡した。


 瞬時に現れたのは、金の髪をした漆黒の皇帝。


「行くぞ、フェンリル! あいつを追いかけろ!」


 街の明かりを背にしたその姿には、毅然たる美しさがある。

 だが俺は、未だ彼の心を読み解くことはできずにいた。




☆ ★ ☆


挿絵(By みてみん)

 作画:鷹澤水希様

 将軍ラウロ・ロベル・アーリング(士爵)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ