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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第八章 流星
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第184話 復活の悪魔

 瞬く間に見えるすべてが歪んでいく。鉄格子が曲がり、床が波打ち、隣に立つマイベールですら人ではないモノになったかのように、グニャグニャと揺らいでいる。


「なに……これは……」


 俺を見ているマイベールの驚きの声を漏らす。きっと俺自身も揺れるなにかになっているのだろう。あらゆるモノが蜃気楼になったかのようだ。

 これはマズいと鉄柵に手を伸ばすも、あるはずの物が掴めない。二、三度試みて、すでに別の空間に引っ張られていることを悟った。


「クソッ!!」


 脳裏に浮かぶはただ一人。

 愛しき者から切り離される恐怖を抑えつつ、冷静にこの現状の理解に努めた。

 耳を塞がれたようになにも聞こえない。先ほどまであれほど感じていた異臭もまったく感じなかった。代わりに空気も薄くなったかのように息苦しい。隣にいる歪んだマイベールは、胸を抑えつつやや前屈みで荒い息をしていた。


(つまり……あっちか……)


 狭間にいるに違いない。

 異界との狭間だ。エルフですらただでは済まないだろう魔の世界、まして人間などは足を踏み入れた瞬間に、魔力に内臓が押しつぶされて即死する。その兆候がマイベールに現れていた。


「マイベール、動くなよ」

「苦しい……」

「分かってる」


 太い男の腕が、俺の右腕に絡みつく。

 振り払おうか迷った末、巻き込んだ罪悪感がそれを放置した。その代わりに先ほどまでいたはずの青い髪のエルフを探す。アレがいったいなんだったのか見極めなければならなかった。


「でてこい!!」


 あのエルフであるはずはない。あいつは間違いなく死んだんだ。

 歪み続ける世界に、視界が少しおかしくなっていた。あちこちに散らばっている小さな影が、まるで虫のように目の前を飛び交う。景色はますます歪んできて、思考すら壊れそうだ。


「いるんだろ、アロンソ!」


 死んだと思っているはずなのに、咄嗟に呼びかけたのはその名前。異界から魔物を呼び出し、人間の抹殺を企んだ張本人だ。

 そんな奴の口車に乗って、俺はユーリィを拘束した。

 俺だけのものにするために。

 彼を奪っていくこの世界から隔離するために。

 今だってそうしたいと願っている。けれどそうしてしまった瞬間から、彼は水が枯れた花のように、強さも美しさも失うだろう。

 俺が全身全霊をかけて守りたいと願っているのは、そんな者ではなかった。


「アロンソ!」


 二度目の呼びかけにようやく反応して、歪んだ世界の中へと見覚えある姿が現れ始める。まるで空間へとジワジワと染み出るように。

 やがて完全体になった若きエルフは、青い髪から足の先まで、浮かべる薄ら笑いすら以前のままだった。

 そうだ、こいつだ。虫唾が走るくらい嫌いだったあのエルフに間違いはない。


「ようこそ、ボクの世界へ」

「どこから来た、アロンソ」

「過去からピューッと」

「嘘を言うな!」

「どうして嘘だって思うのさ。ここは“時空の狭間”だよ。昨日殺したアナタが生きているんだから、ボクがいたっておかしくない。でもここはどこ?」


 本当に分からないと言うように、困惑の目でアロンソは歪んだ世界を見渡した。


(昨日殺したと信じているのは、あれ以降に起こった惨事を知らないのか? いや、もし俺を殺してすぐに飛んできたなら惨事は起こらず、現実も変わっているはず)


 こんな時ユーリィなら、きっとなにかを気付くだろうに。

 察しが悪い自分に苛立って、俺は歯ぎしりをする。すると赤い瞳を光らせて、アロンソはニヤニヤと余裕の笑みを浮かべ始めた。

 それはまさしく俺を刺した瞬間と同じ表情だった。


「獣爵……様……もう……だめ……」


 マイベールの声が聞こえた。チラリと見れば、とうとう耐えきれなくなったのか膝をついている。顔色はほとんどなく、いつ意識を失ってもおかしくない状態だった。


(数分保つかどうかだな。いっそ変げしてぶち破るか?)


 あの歪みが異世界との境界線なら、穴を開けてられなくはない。しかし異界からの瘴気が流れ出す可能性が怖かった。


 一か八かに賭けるべきか?


 刹那、エルフの瞳が鋭く光った。


(仕掛けてくるか!?)


 迷いは瞬時に吹き飛んで、俺はただちに瘴気を解き放った。

 青いオーラが体を包み、手足は四肢となり、体毛が全身を覆い、二本の牙が口からはみ出す。人から獣へ。その変げももどかしく、既に意識を失いかけたマイベールを庇いつつ炎を放った。

 だが炎が到達する寸前、信じられないことに黒いローブを纏ったエルフの体は、まるで煙のごとく飛散した。

 黒い粒が四方に散らばる。それを見た途端、飛び交っていた黒い影がアロンソの出現以後消えていたことに気がついた。


(クソッ、気づくのが遅すぎる!)


 自分の失態に腹を立てつつ、ふたたび現れるだろうエルフを予測して影たちの行方を目で追った。それらが集まり始めたのは左前方。本来なら壁であるその場所は、今はただ歪んだ空間に過ぎなかった。

 終結し始める影に再度火を放つべきか。やがて体の輪郭ができかけたその時、俺はすべてを悟った。

 きっかけは唐突に思い出したユーリィの言葉。


『で、レブっていうのは向こうの友達? なんかスゴい嫌な名前だけど』(※)


 彼が嫌だと言った意味をなぜ考えなかったのか?

 そこにすべての答えがあったというのに。


――貴様、レブか!!


 異界にいたウザい存在、俺のそばを飛び回っていた小さなモノたち。生き物に喩えるならば“虫の大群”であるが、間違いなくアレは一体の魔物だった。

 しかもユーリィが嫌な名前だと言った“レブ”もこの世界には存在する。人の魂を食らうという魔虫。だれも見たことがないその虫を、人々は伝説として語り、密かに恐れていた。

 人の記憶と、魔物の記憶。その二つが合わさった時、俺は真実をようやく手に入れた。


――すべてお前の仕業か!?


 体の左半分だけ出来上がったエルフがクスクスと笑う。残り半分は黒い粒がグニュグニュとうごめいていた。


「ヤットキヅイタカ?」


――どうしてお前がここにいる。


「ボクハ、ココニ、クイニクル。ニンゲンノタマシイヲ、クイニクル。ソシタラ、コノタマシイガ、ポトントオチタ。ジカンノアナから、ポトンとおちた。ボクはそれを食おうとした。けれど……」


 残り半分がエルフの半身を作り始める。それとともに辿々しい口調が、次第にアロンソのそれへと変化していった。


「助けてくれとここにいる連中がボクに言った。助けてくれたら自分の魂をくれると一人が言った。それを食ってまた一人が食ってくれと言った。それも食った。そうしているうちにお前が空を飛んでいるのが見えた。人と同化しているお前だ。ああ、なるほど、同化すればこちらの世界にも居られるんだと知ったんだ」


――つまりそのエルフと同化したというのか?


「同化するには時間がかかる。力もいる。だからここの連中を一人ずつ食べていったら、ある日突然、この姿に変げできるようになった。けれどこの魂は少し壊れていて、記憶があまり戻らない。だからアナタに尋ねればなにか分かると思って、ボクの世界に来てもらったんだ」


 最後は完全にアロンソそのものの口調になっている。

 レブとアロンソがほぼ同化しているのは明らかだった。


「でもこちらの世界と、アナタのことは少し思い出したよ。ボクはここに素晴らしい世界を作ろうとしていたんだよね。それをアナタとアナタの大切な魂が邪魔をした。そこにいるのが大切な魂?」


 違うと言いかけた俺は、慌てて心を閉ざした。

 ユーリィがきっかけでアロンソの記憶が戻るかもしれない。

 それを恐れた。


「アナタは凄く強いから今は戦わないよ。でもアナタを見たお陰で少しだけ記憶が戻った。ボクはたぶん父さんのところに行かなければいけないんだ」


――行かせるか!!


 エルフは黒い影の大群へ変げして、放った炎を避けて四方へ散った。炎は歪んだ境界線に吸い込まれる。それが消えると同時に、右前方にエルフが姿を現した。


「ボクは強いアナタに憧れていたんだ。どんな奴にも負けないアナタに。でもアナタはちっぽけなボクなんて相手にしなかったよね。戦う相手とも思ってくれなかった。だけどほら、今はアナタと同じようにこっちの体を手に入れたよ? 凄いでしょ?」


――レブ、お前は向こうの世界へ戻るんだ。


「嫌だよ。ボクもアナタと同じようにこちらの世界の覇者になるんだ。この魂もそうなりたいって言っている」


――お前はそんなモノにはなれない。


「違う。そこにいるアナタの主がジャマヲシナケレバ……アナタノ、ヌシガ……」


 言葉が終わる前にアロンソの体はレブへと戻っていた。

 無数の影が空間へと広がっていく。

 それらが境界まで到着したその時、歪んでいた世界が消えていくのを感じた。壁は壁として、鉄格子は鉄格子として、床は床としての役割を取り戻し、それと代わって満ちていた瘴気が消滅した。

 すべてが元に戻り、静かな独房内を黒い影がまるで羽虫のように飛び回っている。そんな虫たちを攻撃する手段を見失い、俺は呆然と立ち尽す。前脚の間では、正気を取り戻したマイベールがズリズリと這い出していた。




 その後どうなったか、本当のところ思い出したくもない。

 フラフラと立ち上がったマイベールとともに、虫を探して独房内を覗き込んだ時、そこで絶命していたククリたちのことを。

 レブが食らったのだと悟ったものの、それを説明する隙もなく、戻ってきた看守長に俺が皆殺しにしたと勘違いされたことを。

 騒ぎ立てる看守長に、傍らにいたクライスが毅然とした口調で“皇帝陛下のご命令”と説明したことを。


 クライスはだれにも言うなと看守長を口止めし、さらにククリの独房を封印させて、その鍵を自分のポケットにしまい込んだ。ただのナルシストだと思っていた男は、驚くほど臨機応変にその場を収め、まだ意識が朦朧としているマイベールと、人へと戻った俺を自分の馬車に押し込んで、サロイド塔をあとにした。

 その間俺が悩んでいたのは、ユーリィにどう伝えるべきかと言うことだった。

 あのアロンソが復活してしまった。

 しかも最悪な形で。

 それを止められなかった俺を、彼はどう思うだろうか?


 馬車の中ではマイベールがなぜかしがみついてきたが、それを振り払うことすら忘れるほど、俺は混乱の中にいた。

 それでも結論は一つしかない。ユーリィに黙っているわけにはいかなかった。


「やはり、皇帝にはできるだけ早くこのことを伝えなければ……」

「ダメですよ、獣爵閣下。先ほど宮殿の様子を見に行ってみましたが、現在、会議は難航しているようですから。ラシアールの将軍がいよいよ陛下と対面するようです」



☆ ★ ☆



挿絵(By みてみん)

作画:つばめじろ様

アロンソ・メッサ


※伏線として入れ忘れたので、174話のユーリィのセリフを加筆しています。

「で、レブっていうのは向こうの友達?」→「で、レブっていうのは向こうの友達? なんかスゴい嫌な名前だけど」

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