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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第八章 流星
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第176話 陶酔とともに 後編

 まったりとした午後だった。数日前の上へ下への騒ぎは嘘のように、宮殿内は落ち着いている。廊下ですれ違ったメイドも兵士も平然として、どうやら秩序が保たれているようだとロズウェルは感じていた。


(結局は皇帝陛下頼みだ、この国は)


 もちろん齢十七にして皇帝になるのだから、最低限の才気も人望もあるのは当然だ。それが自分以上かどうか、ロズウェルには分からなかった。


(さすが眉目はいい。ボクと比べても引けを取らないね。ただ少々痩せすぎてるし、十七にしては幼く見えるから、男性的魅力ではボクの方が……ああ、でも戦闘力まで含めると五分五分ってところか。隣に立っているのが、あの狼魔の化身という噂の男だな。あいつもそこそこの容姿をしてる。ま、人間じゃないからどうでもいいか)


 皇帝の執務室にて、宛がわれたテーブルで、渡された書類を確認しつつも、ロズウェルはチラチラと皇帝を眺める。すると狼魔の男に睨み付けられ、慌てて机の上にある書類に視線を戻した。


(しっかし、あいつら遅いなぁ)


 今日はまだ一人である。他の者はロズウェルが到着直前に遅れると連絡が入った。本来なら全員揃わなければ中に入れてもらえないが、今日は皇帝が忙しいからと特別に先に入ることができたが、挨拶以外の会話は交わしていない。

 通常ならば、まずこちらが持参した書類を提出し、皇帝が用意した書類を受け取り、決められた場所でそれを通読し、疑問があれば質問をし、他の二人に渡された書類に目を通して、軽く話し合いを行ってから退出ということになる。

 すべては皇帝とギルド・貴族・陸軍・魔軍ラシアールの距離を同じにし、各組織の意思疎通とするという目的で、皇帝自身が決めた流れである。

 その後ロズウェルは議長に報告し、翌朝の執行部会議にて決議して、それを書類に書き留め、午後にはこの場所へと戻ってくるのだ。

 今日の書類には、ソフィニア地下にある水路の調査について書いてあった。


(皇帝の直筆だよな? 事細かに書いてある。ポンプの修理? なんのことだ? ああ、地下水を汲み上げている装置だな。それが壊れているのか)


 数日前まではただの武器商人だったロズウェルが、ソフィニアについてすべてを知らないのは当然のことだ。だから嘆く必要は一切ない。


(むしろ書類一枚で理解できるボクが有能。しかし、ご本人の見た目と違って、しっかりした文字を書くね。読みやすくていいけど)


 羊皮紙の書類はほとんど、専門の職人によって再生されたものである。昔はほぼ使い捨てだったが、昨今の事情により羊皮の値が上がってしまった。そこで保管用や機密書類以外は、表面をヤスリで削った再生紙を使っている。お陰で文字が滲んで見にくくなるという弊害が起きていた。


(だいたい読んだし質問あるけど、二人が来ないと尋ねられない雰囲気……)


 遅れている理由は想像がつく。昨日渡された書類でもめているのだろう。

“どの組織も同じ立ち位置で”

 それが皇帝の方針である。だからギルドも貴族も陸軍も新たな役職を決めて、上下関係も合わせろというお達し。つまり貴族院書記官はたとえ伯爵であろうと、ギルド議会書記官や陸軍書記官と同じ地位にするということだ。


(貴族の中には生物すべての頂点にいると勘違いしている奴もいるから、もめそうだ)


 陸軍の方は単に人材不足だろう。あの反乱で司令官レベルがかなり減った。まさか昨日までハンター崩れだった者を要職者にはできないだろう。王宮時代の名残で、軍隊司令官には貴族の親族が就く習わしも、廃止するには時間がかかるに違いない。


(ディンケル将軍は、廃絶したアンブロス子爵家の血筋だと議長が言ってたっけ。その辺のしがらみも、ギルドとして注意していく必要があるとか)


 ロズウェルは書類から目を離し、ふたたび皇帝を横目で眺めた。

 ぼんやりとして、心ここにあらずといった様子だ。時々ああして考え事をして、獣人やリマンスキー伯爵令嬢に呼び起こされる。どうやらあれは癖らしい。


(あの獣人、名前はなんて言ったっけ……? グラハンスか。元セシャール人だって言ってたな。明日からは“獣爵”いう称号が付くんだったね)


 正確には皇帝守護獣爵。新たに作られた勲爵位で、継承権はない。皇帝は狼魔の他に、精獣や精霊などの使い魔的モノを何体か持っているそうだ。それらを取りまとめる役目も含めた爵位である。

 明日の朝、ギルド会議中で簡単な叙爵式が行われる予定だ。その件で一昨日は皇帝と子爵令嬢が多少もめていた。皇帝としては、自らが叙爵したかったらしいが、慣例通りにギルドが行うべきだと令嬢は主張した。まだ体制が整っていない上に、憲法も完成してない今、特例を認めるべきではないと言うのが言い分だった。

 ロズウェルも意見を求められたが、議長に相談するとだけ答えてどちらかの肩を持つことは止めておいた。


(あのご令嬢は、相当気が強い。けど皇帝も腹を立てた様子はないし、皇后候補という噂も嘘ではないかも……)


 貴族の娘にしては珍しく、着飾ったりすることにはあまり興味がないらしい。そればかりか昨日からドレスではなく、男装のような学校をしてきてロズウェルを驚かせた。


(ああいう格好をする娘も悪くないなァ。でも所詮は女。あまり親しくして惚れられたら、皇帝の反感を買うかもしれないから気をつけないと。ボクが悪いわけじゃないけどね。そういう星の下に生まれたから辛い)


 ただ今日は前髪が決まらないから、その点だけは少し割り引かれるだろう。しかしこの前髪のせいでメイドの心を奪わずに済んだと思えば、気が軽くなる。毎日女を悩ませる罪は一日ぐらい減らしてもいいはずだと、ロズウェルは納得した。


(女だけじゃなく男もイケると思うんだよね。たとえば皇帝陛下……)


 美しき支配者は、ひじを突いた右手に顎をちょんと乗せて、青い瞳に埋め尽くされた双眸であらぬ場所を眺めている。まだ思考の海を泳いでいるようだ。窓から差し込む陽光が、金の髪を輝かせている。透き通る肌は、そこいらにいる娘では太刀打ちできないほど滑らかだろう。

 だが惜しむらくは、その性格はロズウェルが想像していたのとは少々違っていた。


(見た目と違って、案外男らしい方だった……)


 数日そばにいただけで分かってしまうぐらいに、女々しいところ何一つもない。命令は剛毅果断、決断は公平無私を信条にしているのではと思うほどの凜々しさだ。しかしロズウェルにすれば、多少の私利私欲は支配者にとって当然の権利だと思うのだが。


(今作ってる帝国法も各組織から草案を出させて、それをひとつひとつ吟味するって言ってたけど、そんなのは重要なところだけ決めて、あとの細かいところは皇帝ご自身がその時になってから命令すればいいと思うけどなァ……)


 他の国もきっとそんなものだ。“慣例に従って”もしくは“国王のご命令により”の二つがあれば、いちいち文書化する必要性は感じられない。

 だが皇帝は、百ページは超えるだろう法典を完成させると断言した。


『そうすれば、これからだれが皇帝になっても混乱することはないだろ?』


 皇帝の言葉に誰一人頷くことはできなかった。


 そんなことを考えているうちに時間はずいぶん経っていた。相変わらず皇帝はぼんやりして、ロズウェルの存在を忘れているようだ。その代わり獣人が絶えず睨み付けてくる。睨まれる理由が分からず、ロズウェルは心の中で首を傾げた。


(恨まれるようなことあったっけ? 知らぬ間にあいつの女を寝取った? もしくは皇帝陛下がボクに惚れるかもしれないから警戒している?)


 後者の方が可能性は高い。しかしそれだって自分せいではないとロズウェルは開き直った。すべては完全体として生まれてしまった不幸なのだ。この美しき容姿と素晴らしい頭脳は神が下さったものだとしたら恨む相手違うと、相手を睨み返した。


「なにか言いたいことがあるのか、ギルド情報書記官?」


 それがロズウェルに与えられた官職名である。ちなみにリマンスキー令嬢は貴族院情報書記官で、もう一人の筋肉男エトムントは陸軍情報書記官だった。


「なにかってなにがですか?」

「さっきからこちらをチラチラ見ているだろう?」

「あなたがボクを睨んでるからですよ」

「それは君が頻繁に陛下を盗み見ているからだ」

「盗み見るだなんて人聞きの悪い。陛下やボクのように美しい者に自然と視線が行ってしまうって、ありません?」

「ケッ」


 獣人らしく下品な笑いを見せた男を、ロズウェルは冷静に見返した。妬み深い男たちの反応には慣れていたので、どうという気持ちにもならなかった。


「ギルド情報書記官は、ずいぶん自惚れが強いようだな?」

「真実ではないという根拠が見つかりませんので」

「だからといって、自分で言うか?」

「ボクにしてみれば、赤い物を赤というぐらいのことですよ」

「それを自惚れが――」

「もういいよ、ヴォルフ」


 不毛な言い争いを止めたのは、意識を取り戻した皇帝だった。


「やっと目が覚めたか」

「寝てたわけじゃないぞ。それよりお前、面白いな……」


 青い瞳がこちらを見ているから、どうやら自分のことを言われているのだとロズウェルも理解した。しかも面白いという評価まで頂けるとは思ってもみなかった。


「ありがとうございます、皇帝陛下」

「礼を言われる理由はないぞ!?」

「ですが、とても新鮮な評価でしたから。今まで美しいや賢いや素敵と言われたことがあっても、面白いは初めてです。これを喜ばずになにを喜べと?」

「あ……うん……」


 一瞬、皇帝の目が泳ぐ。きっと面白いより美しいが正しかったと気付いたのだろう。しかしその間違いを指摘するほど、ロズウェルは不敬ではなかった。


「そういえば、あのお二人は遅いですね」

「もめてるんだろ。それより明日の叙爵式にボクが出席していいか、ジョルバンニに尋ねてくれた?」

「公式か非公式か、どちらになされるのかお伺いするよう、議長から言われています」

「非公式でいい。けれど情報官三人も一緒にいてもらう」

「御意」


 そうしているうちにようやくリマンスキー令嬢と、猛者エトムントが現れた。彼らと皇帝とのやりとりに耳を傾けつつも、ロズウェルは明日の叙爵式について考える。

 非公式であるならば、今よりも皇帝との距離が縮まるかもしれない。それもギルドの者ではなく、ロズウェル・クライス個人として。可能性は薄いが、無いとは言えない。そうなった時、自分に夢中になる皇帝の姿を妄想して楽しくなった。




 それから二時間後、ロズウェルは業務から解放された。皇帝執務室を退室したのち、ロズウェルはすぐにジョルバンニ議長の執務室へ行くはいつも通り。だが報告を済ませ書類を渡して、さて帰宅と思っていたところで、皇帝の叙爵式ご出席準備をするよう議長から言い渡されてしまった。

 デートの約束があったので少々焦ったが、大した相手ではないと思い直す。なにしろ半日の間に準備を終わらせなければのだ。


 まずは議会が開かれる西地区のギルド本部まで警護の手配。往路を憲兵が、復路を陸軍が担当するように憲兵長官とディンケル将軍へそれぞれ伝達した。もちろん“皇帝陛下のご意思により”と言う言葉も付け加える。無用な争いなどさせるつもりはなかった。

 叙爵式は通例通りに本部三階の大会議室で行われるが、その隣にある小部屋を皇帝のために整えさせ、式の時だけ扉を開いておくことにした。そこへ宮殿にある高価な肘掛け椅子を運ばせて、絨毯およびカーテンも取り替える。夕刻になる前にはほぼすべての手配が終わっていた。


(これだけ迅速に動けるのはボクしかいないと、議長もやっと理解したようだね)


 遅すぎる評価に苛立ちは感じるものの、しかたがないと諦めるしかない。嫉みを含む同姓からの評価は常にガッカリさせられるものだ。


 ようやく帰路につけた。馬車に乗り込んですぐ例の妄想を再開し、皇帝が潤んだ瞳で自分を見上げる姿を思い浮かべたちょうどその時、屋敷へと到着した。

 正面玄関の前にいたのは、あろうことか昼間見たドレスの怪物ドルテ・マルベールだ。その姿を見て、慌てて御者に命令をしようとしたロズウェルだったが、時既に遅し。怪物は馬車の窓を叩いては、通りにいる者が振り返るほどの声で叫んでいた。


「降りろ! 降りないと窓をぶち破るぞ!!」

「おまえ、その格好でそれはないだろ!?」

「ロズウェルのクソ野郎には、こっちの方が利くのは分かってる」

「分かったから怒鳴るなって……」


 ため息を吐き、馬車を降りる。馬車はすぐに屋敷裏の馬車小屋に向かって走り出したのを、ロズウェルは恨めしく見送った。


「まさか、ずっとここにいたのかよ……」


 そう言いつつも、言った本人は見ずに玄関扉だけを見つめる。宮殿と違って正門や前庭などはなく、エントランスの階段を数段上っただけでそこへは到達できるのだが、今は遙か遠くに感じられた。


「一度帰りましたわ、ロズウェルさん」

「怒鳴り声も腹が立つが、それも気持ち悪い」


 渋々と視線をドレスの怪人へ引き下ろし、もう一度ため息を吐いた。

 ドルテ・マルベール。数年来の友人である。いや、友人だった。変貌を遂げてからはまともに話してはいなかった。


「で、なんの用だ?」

「言わなくても分かるくせに。うちへの注文を取りやめたそうね?」

「ボクみたいな人間は、服を作りたいという仕立屋が引く手あまたなんだよ」

「嘘。どうせ私を避けるためでしょ?」

「そりゃ……」


 もともとは赤毛の大男である。

 それがある日突然ドレスを着るようになり、言葉遣いまで変わってしまった。本人曰く、幼い頃から服を仕立てる時の参考にと、親に着せられていたとのこと。初めの頃はイヤイヤだったらしいが、いつの頃からか着飾ることに快感を覚えたのだという。

 そしてとうとう二十歳を過ぎた時に、その快感を抑えられずに普段から女装をすることに決めたのだと女言葉で告白された。


(いや、絶対に違う。こいつはボクの魅力を抗えずに、誘惑しようとしているんだ)


 男でもいいとは思っているが、それは“皇帝のような”という条件が付く。だれが好き好んで、自分より背が高く体格がいい男を相手にするか。


「とにかく月一回は最低、うちから発注しなさい!」

「なんで命令……」

「じゃないと毎日ここに来て大声で叫ぶわよ」


 完璧すぎる自分が辛すぎる。

 完璧すぎて、とうとう友人まで道を踏み外させてしまった。そう思うと目眩と動機に襲われ、ロズウェルは少々よろめきつつ額に手を当てた。


「そんな悲劇役者みたいな演技しても、同情はできないわ」

「演技ではなく、これは……」

「で、どうするつもり」

「分かった、分かったから。月に一度でいいんだな?」

「二回でもいいわ」

「ぐっ……」


 完璧な人間にも、完璧な人間だからこそ天敵はいる。そう思うしかなかった。


「ところでイザーヤ姉様の話によると、宮殿に出入りしているらしいわね」

「おまえの姉ではない」

「そんなことどうでもいいわ。それで、陛下ってどんな方?」

「どんなって……」

「見た目通りに可憐なの?」

「可憐……? いや、どちらかというと男らしい」

「あら、それは残念」


 さもガッカリした声に驚いて、ロズウェルは自分の視界を塞いでいた手を離した。


「残念って、おまえ、男が好きなんじゃないのか!?」

「あら嫌だ。今も昔もお相手は女性がいいわ。乙女心が分からない男ね」


 わけの分からない化け物の乙女心に、ロズウェルの目眩はますます激しくなった。


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