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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第八章 流星
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第173話 空を駆け、海に馳せ

 抜けるような青空が広がり、水平線もくっきり見える。風は昨日よりも穏やかで、白波もほとんど立っていなかった。

 前方の海面に船が見える。帆柱一本、船底に片側七本の櫂が出ている古いタイプの帆船だ。早朝に島から逃げ出したフォーエンベルガーのものに間違いない。すべての櫂が動いているものの、風が弱すぎて推進はかなり悪いようだ。


「良かった、追いついた」


 フェンリルの右耳が動いたのを見て、ユーリィは尋ねられる前に説明した。


「奇襲をしたいからさ」


――奇襲ねぇ。


「そんな無茶なことはしないよ」


――どうだか……。


 また危ない橋を渡ると責められたようで、藍鼠色の体毛を握りしめる。こんな姿にしてしまった罪悪感は、心のどこかにあった。


――で、奇襲の作戦は?


「ええと……ない……」


――ないのか!


「毎回毎回、僕がなにか考えていると思うなよ」


――なら俺がなんとかする。


「なんとかって……?」


 けれどフェンリルは答えることなく、船に後方から近づいて、甲板にいた十数人の兵士に一声吠えて威嚇した。

 男たちは恐怖におののいて、弓を持っていることも忘れて甲板を逃げ惑い、やがて船内に降りる狭い階段へと、我先に向かっていった。

 フェンリルはそれ以上深追いをすることなく、上空へと駆け上がる。ユーリィが振り返った時にはもうだれも甲板に残ってはいなかった。


――ついでに帆柱も折っておくか?


「そこまでしなくてもいいよ。どうせ僕たちの方が先に着くんだから」


――それもそうか。ま、フォーエンベルガーの近衛兵が雑魚で良かった。


「良かったって?」


――早く帰れそうだってことだ。


「あのさ、ヴォルフ……」


――少し急ぐぞ。ソフィニアに早く戻らないとダメなんだろ?


「うん、でも……」


――君と一緒だと一生飽きることはなさそうだな。どんなことが始まるか、毎回ワクワクするようになってきたよ。


 その言葉通り、フェンリルは水面すれすれを力強く駆け始めた。風圧が強くなり、ユーリィは慌てて狼魔にしがみついた。細波が左右に広がっていく。驚いた魚たちがピョンピョンと水面から飛び出して、陽光に輝いた。

 これが自由な旅だったなら、どんなに爽快な気分だろうか。しかし目指すは北東、リカルドのいるフォーエンベルガー城だ。


(疲れたって言ってくれても良かったんだけどなぁ……)


 一晩中戦わせたあとにまたフェンリル、いや、ヴォルフに負担をかけるのかと思うと気が重くなる。自分の立場やソフィニアのことなんて気にせずに休ませるべきだ。

 というのは半分言い訳。

 本当のところ一睡もしていない疲れがユーリィにもあった。

 上半身を狼魔の背中に預け、ぼんやりと右手の海を眺める。海と空しかない景色は睡魔を呼び覚まし、瞼がどんどん重くなっていった。


――寝てもいいが落ちるなよ。


「寝てないよ……」


 薄目ではあるけれどちゃんと景色は見えている。

 なんとなく見えている。

 たぶん見えている。


(初めて乗った船が一番楽しかったなぁ……あの時ヴォルフと……)


 夢うつつに眺める海に、ぼんやりと思いを馳せた。


(島かな……? 地の精霊を探しに行くんだっけ?)


 きっとこのあとに悲しみがやってくる。

 この世界から消えたいと心から願ったあの時が――。


――見えてきたぞ。


「お前……凄い勘違いしてるんだよ……」


――なにが!?


「唇を噛んだのはさ、キス以上のこともしたいって思ったけど、船じゃ無理って思って、それで我慢してさ……」


――はぁ!? なんで今それをぶちまける!?


「今って……?」


――その嬉しい告白はあとで聞く。今はフォーエンベルガーだろ?


「あっ!!」


 一瞬にして現実に引き戻された。

 さらに言えば、一生言うまいと思っていた秘密も喋ってしまった。

 顔から火が出るとはこのことだろう。ユーリィは慌てて体を起こし、取り繕う言葉を探して景色を眺めた。

 海へと突き出す岬の先端の、切り立った崖の上にフォーエンベルガー城が建っている。太陽はまだ天頂にいて、穏やかな光で四つの塔を照らしていた。島からは帆船で半日以上はかかるその距離を、フェンリルは半時あまりで到着したようだ。


「よ、よくあんな場所に建てたよね。あそこじゃなきゃ、この地を治める城主が身の安全を確保できないって思ったのかな? そう考えたのなら同情するけど、でもフェンリル相手じゃ意味が……」


――誤魔化したって無駄だぞ。あとでじっくり聞くから。


「誤魔化してなんてないから。それよりどうやって入るつもりだよ?」


――テンションも上がったことだし、君に倣って正面から正々堂々と行くさ。


「正面から!?」


 城の正門は崖とは正反対にある。わざわざ回り込むのなら、城壁を飛び越えて中庭へ直接降りるだろうと予想していたので、ヴォルフの言葉にユーリィは少々驚いた。


――しっかり掴まってろよ!


 途端に狼魔は速度を上げて、左へと旋回を開始した。細波は白波となり、風圧がいっそう強くなる。言われたとおり狼魔にしがみついていたユーリィだが、何度か振り落とされそうになってヒヤヒヤとした。


「お前、テンション上がりすぎ!」


 しかしフェンリルの動きは止まらない。岸壁に近づくと今度は急上昇。細い塔が四本ある城を右に見下ろしつつ、反対側へと回り込む。塔を繋ぐ城壁にいた兵士らが数人、驚いた様子で見上げていた。


――どうやら弓兵の心配はなさそうだ。


「だったらもうちょっと僕に気をつかって飛べよ、いつもみたいに」


 と文句を言いつつも、危険と隣り合わせの状況に心が躍る。それすらも今のヴォルフにはバレてしまった。


――楽しくてしかたがないって声だな?


 もちろん楽しくてしかたがない。それを共有できるのはヴォルフだけだ。

 その通りだと言わんばかりに、狼魔は急旋回して城へと対峙する。正面には焦げ茶色の大きな二枚扉が見えていた。


――あれならいけそうだ。体は伏せてろよ。俺は君の防具ではなく剣だから、自分の身は自分で守れ。


「分かった!」


 滞空していた狼魔は、放たれた矢のごとく城へと駆ける。風圧が厳しい。レネの風が抑えていてくれなかったら、木の葉のように飛ばされていたことだろう。顔すらあげられず、ひたすらヴォルフを信じてユーリィはその背中にしがみついていた。

 やがて激しい衝撃が、狼魔の体を通して全身に伝わった。木の裂けるような爆発した破壊音が、鼓膜をつんざく。ワーワーという叫び声があちこちから聞こえてきた。

 展開が早すぎて、なにが起こったのか考える隙もない。すべての音が消え、狼魔が着地したのを感じた時、ユーリィの思考はようやく回復した。

 振り返れば城門の二枚扉が大きく開かれている。裂けた閂の先端が、両扉の真ん中でこちら側を向いていた。


「ったく、無茶すぎる。木だったから良かったけど、もし銅製だったら……」


 言えた義理ではないが、呆れて呟く。一か八かの賭けにしてはリスクが大きすぎだ。


――君に倣ってと俺は言ったぜ。さあ、ここからは君の番だ。


「了解」


 背筋を伸ばして顎を上げ、遠巻きに(たたず)む兵士たちを、ユーリィはくまなく睥睨した。


「ソフィニアス帝国皇帝ユリアーナが到着したからすぐに出迎えるようにと、リカルド・フォーエンベルガー伯爵にすぐに伝えろ!」


 顔に恐怖を貼り付けたまま、しばらく動かなかった兵士たちを睨み、赤いマントを持ってくる気が利いた者がいないことを、ユーリィは内心残念に思っていた。




「まさかグラハンス先生が魔物とは……」


 兵士たちほどではないにしても、その表情に恐怖を滲ませたリカルド・フォーエンベルガーが、数分後ユーリィの前に立っていた。

 さすがに中庭ではマズいと思ったのか案内されるままに城内に入ったが、その際咎められないことをいいことにフェンリルも一緒に連れて来た。むろん咎められたところで留まらせるつもりも一切なかった。

 海が見下ろせる大広間に通され、リカルドが現れたその瞬間、フェンリルから姿を変えたヴォルフを見て、リカルドは呆然とそう呟いた。


「いったいどうして……?」


 不思議がるのも無理はないが、ユーリィはその言葉を聞き流した。


「リカルド・フォーエンベルガー伯爵。お前は僕をまた殺そうとしたな?」

「殺……!?」

「ベルベ島の住人に、僕の暗殺を命令したのはお前だろ?」

「ちょっ! まっ! ちがっ!」


 ヴォルフの正体を知った衝撃から立ち直れないのか、いつもの余裕の欠片もなかった。

 しかし領主よりも先に立ち直ったのは、彼の両側に居並ぶ側近たちだ。


「伯爵、ベルベ島は我が領地ですぞ! そこへ土足で踏み込むものがあれば、排除されても文句を言われる筋合いはないと仰って下さい!」

「その通り! しっかりなされよ、リカルド様」


 最初にリカルドを叱咤したのは、以前ユーリィに喧嘩を売ってきたスタキースという初老の男だ。それ以外もほとんどが老境にさしかかっているのは、先代から仕えているせいだろう。だから彼らの中にいるリカルドは、老師たちに取り囲まれた若い学生のように見えてなんとも滑稽だった。


(リカルドは案外気が弱いからなぁ……)


 そう考えるとなんだか彼が可哀相に思えてきて、ユーリィは作戦を少々変更することにした。


「フォーエンベルガーでは、たとえ皇帝であろうとも侵入者は有無を言わさず殺害するということか?」

「なにか間違ってますかな?」


 リカルドの代わりに答えたスタキースに一瞥をくれてから、ユーリィはリカルドをふたたび睨み付けた。


「婚礼の時にセシャール国王を怒らせたくないのなら、お前は少し側近の調教をした方がいいぞ、リカルド。ま、そうなったら、一応僕が取りなしてやるけどね」

「なんですと!?」


 ざわつく男たちを無視してユーリィはさらに続ける。


「つい先日セシャールから使者が来て、帝国とセシャール王国の間で新たな交易をしたいと申出があった。フォーエンベルガーの小麦とは比べものにならないほど大きな取引で、王国もかなり乗り気だ。だから多少の温情をもらえるとは思うけど、僕にだって限度がある」


 どうやらリカルドはすべてを理解したらしく、小さなため息で諦めた気持ちを表したが、隣にいる男は理解できないのか、それともしたくないのか顔をゆがめて怒りを露わにした。


「な、なにが言いたい!?」

「セシャール国王は、帝国とフォーエンベルガーを天秤に掛けるほど愚かではないと言っている。お前たちが帝国に逆らってセシャールに付きたいと願ったところで、一理の望みもないと言っている」

「うぐっ……」


 敗北を認めたくない男は顔をゆがめたまま、ようやく口を噤んだ。

 それを確認し、ユーリィは改めてリカルドへと視線を戻す。


「そういえばタナトス・ハーンは死んだよ」

「死んだ?」

「正確には僕が殺した」

「つまり恨まれたから、あの賭けに勝ったと言いたい?」

「恨まれて殺したわけじゃないよ。僕への愛情が……」


 言いかけてから、隣に立っているヴォルフを感じて言葉を変えた。


「僕への忠義心が強すぎて、帝国を壊しかけた。だから皇帝として見過ごすことができなかった。それだけだ。お前も、履き違えた忠義心で領地を壊すなよ」


 リカルドならすべてを理解しただろう。

 だからこれ以上は彼が決めることだ。


「ソフィニアス帝国皇帝として、フォーエンベルガー家ならびにセシャール王国ベネスフォード家の婚儀日程は、戴冠式後に変更を申しつける。もし逆らうつもりなら容赦はしない」


 腰にある剣に指先で触れる。

 巻き起こった風に髪が乱れ、天井のシャンデリアが大きく揺れた。

 恐れをなした側近たちがリカルドを残して壁際へと退いた時、短いこの逃避行が終わりを告げたのだとユーリィは実感した。


「ヴォルフ、帰るぞ、ソフィニアに!」


 果たして帝都がどうなっているのか。

 大きな窓ガラスから見える空に、まだ太陽は残っていた。


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