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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第七章 夜露
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第169話 宿命

 海上から火竜が迫る。消えかけていた赤いオーラが巨体から噴き出し、燃えさかる炎の如く。その迫力たるや、この距離があってもひしひしと感じられた。フェンリルも阻止に動いたが、竜の勢いは止まらない。


――――グァアアアアアアアアッ!!


 天声というべきか遠吠えというべきか、二度三度と発せられたその声に、敵が捨て身であるとユーリィは感じ取った。

 すぐそばには娘の遺体にすがりつく夫婦がいる。後ろには数十人の島民が住む村もある。しかし竜はそんなことは一切お構いなしで、凄まじい速度で迫ってきていた。


「やれるもんならやってみろよ!!」


 この先の運命は今にかかっているのなら、自分の手で切り開きたい。

 たとえこの身が宿命に縛られたとしても。

 視線をわずかに上げれば、柔らかな光を放つ短剣が降りてきている。萌黄色の宝石の中で、精霊が――レネが力を貸してくれると言っているのだ。


 両翼を月光に濡らし、竜は森をかすめて迫りくる。葉を散らされる木々は怯えたように揺れていた。


「レネ! あいつを止めるぞ!」


 手に収まった剣を構え、ユーリィは竜だけを意識した。

 そう、自分の中に沈み込む時のように。


 竜の横から狼魔が突っ込む。

 しかし間に合わず、牙を剥きだし火竜は炎玉を吐いた。


――逃げろ!!


 ヴォルフの悲痛な叫びが遠くで聞こえる。むろん従う気はなく、ユーリィは全魔力を解き放った。


 現れる楕円の風。その颯声は雄叫びのようにあたりに広がる。さらにレネの力が加わると、風魔は翼あるモノに形を変え、炎めがけて飛翔した。

 真向から炎と風が激突し、力の均衡に息を呑む。


 僕は彼らを守れるのか。

 己の未来を守れるのか。

 ヴォルフの想いを守れるのか。


 長い長いその一瞬に歯を食いしばり、ユーリィはただ風を信じた。


「いけっ!」


 その命令が届いたか、次の瞬間、風魔は炎玉を切り裂いた。

 まるで花弁のように、炎が暗い夜空に散り咲いてゆく。森や大地へ火の粉が落ちる。そのすべてを、風魔から姿を戻した小さな旋風たちが消し去った。


 しかしまだ戦いは終わってはいない。狼魔を避けるように海上まで退いた竜が、ふたたびこちらへ向かって飛んできている。


「ヴォルフ、来い!!」


 叫ぶや否や、竜を追っていたフェンリルが旋回した。

 彼はきっと守ろうとしているに違いない。

 しかし今求めているのはそれでないから。


「一緒に戦うから乗せろ!」


 お前は盾じゃなく、剣になりたいと言ったじゃないか。


 駆けてくる色違いの双眸を見つめ、ユーリィは心で訴える。

 それが伝わったのか、フェンリルは竜よりも早く到着し、ユーリィの前で体を屈めた。その背中に飛び乗り、引き返してくる竜へと二人で飛び立つ。


「火を放て!」


 僕たちはこれからもずっと一緒に戦うんだ。


 激しい咆哮とともに、フェンリルが赤黒い炎を吐き出す。その炎へめがけて魔法を放つと、風と炎が渦となって迫った竜に直撃した。

 竜巻のごとく炎渦が敵を巻き込む。火竜は抜け出そうともがいたが、赤黒い炎そのまま遙か上空までさらっていった。

 半月が浮かぶ夜空にできた火柱は、遙か遠くまで見えただろう。


――――グァアッアッアッアッアアア!!


 ややあって竜の声が海原へと落ちてきた。今までとは違って激しさは微塵もなく、消えかけた断末魔のような叫び。それを聞いて、ユーリィは素直に感想を述べた。


「竜ってわりと貧相な鳴き声だよなぁ……」


――この場面で言うセリフかよ。むしろ勝利の雄叫びだろ!?


「ヤダよ、お前が吠えたらいいじゃん。それにまだ完全には勝ってないし」


 そうだ、まだ勝ったとは限らない。

 相手はこの世界で最強と言われる伝説の精獣だ。

 案の定、炎が消えた途端、翼を広げた影が半月と重なった。


「ほら」


――チッ、しぶとすぎるぜ!


 狼魔のぼやきをよそに、竜は戻っては来なかった。

 思念だけをユーリィに残し、月光を避けて暗い空に飛び去っていく。


“負けは認めよう。だが光あるモノよ、お前はいずれ星に消される運命だぞ、覚悟しろ”



 竜は去ったがやることは残っていた。

 まず森の延焼を食い止めなければならない。六カ所に火の手が上がっているのが上空から確認できた。

 その中の四つをフェンリルが消した。火を吐くわけにもいかないのですべて肉弾戦だったと、あとでヴォルフがぼやいていた。燃えている木を中心にして周辺の樹木を倒して飛び火を抑え、その後は体を使って火元を消し止めたのだそうだ。しかし一緒に行くと言ったユーリィの言葉は、一切聞き入れてもらえなかった。

 残り二カ所は、フェンリルの力ではどうにもできないほど燃え広がっていた。それを消したのは他ならぬリュットだった。

 戦闘中どこに隠れていたのか姿を見せなかったフクロウは、フェンリルと二人で火の始末を話している最中に現れて、大火はなんとかすると言い残して飛んでいった。


 それからしばらく経って、凄まじい地鳴りと大地が割れるばかりの地震があった。ガンチ家で待機していたユーリィもさすがにそれには驚いた。火山が噴火したのだろうかと家から飛び出したが、噴煙がやや増した程度。

 いったいなんだったのだろうと首を傾げていると、森の方から戻ってきたフクロウがその原因を教えてくれた。

 地盤を沈下させ、燃えている木々を埋め、ついでに温泉水が噴き出すように穴を開けたらしい。多少火が残っていたとしても、燃え広がることはないと地の精霊は断言した。

 ユーリィが礼を言うと、


『これでワシも、星に刃向かう側になってしまったかもしれないのぉ……』


 リュットは謎の言葉を残して飛び去ってしまった。


 火が消えたことを確認して、ユーリィは娘を失って半ば放心状態のガンチ夫婦を、ジュゼたちの小屋に一時避難させるべく強引に連れ出した。

 娘の遺体を抱える父親が痛々しく、まともに見ることもできない。母親はずっとすすり泣いて、ユーリィの罪悪感をさらに激しくさせた。


 そんな三人が夜の森を歩いていると、途中でハイヤーに遭遇した。うたた寝のせいで事情を知らなかったらしい彼だったが、例の地震で飛び起きて、ジュゼを探して彷徨っていた途中だったらしい。

 ガンチの腕の中で眠る少女に気づいたハイヤーは、獣のように泣きわめいた。

 巨漢を必死になだめ、ふたたび森を行進する。空は明るんでいて、姿を取り戻した月を、今度は陽光が消し去ろうとしていた。森は焦げた匂いが漂うばかりで、獣の気配はまったくない。小鳥すらどこか遠くへ行ってしまったようだ。

 見る影もない森の中を、絶望と悲しみに暮れる者たちとともに、ユーリィはただ黙々と歩いていた。

 まだやるべきことは残っている。もしこの雰囲気に飲まれたら、冷静な判断ができなくなると自分に言い聞かせて。


 小屋に到着すると、ちょうど戻ってきたばかりのジュゼと出会(でくわ)した。

 少女の死を知ったジュゼは、酷く動揺し、らしからぬ暗い顔でうつむいてしまった。ユーリィが一番辛かったのは、ジュゼが自分自身を責める言葉を吐いた時だ。


「アタシがユーリィに余計なことを言わなければよかったんだ。だからルルは、アタシが殺したようなもんだ……」


 その言葉を聞いて、ハイヤーが叫ぶ。


「ジュゼが悪いんじゃないよォ!! オイラが寝てたから悪いんだよォ!! オイラが、オイラが薬を取りに行ってればよかったんだよォ!! ルル、許してくれよォオオオ」


 そう言って巨漢は少女の遺体にすがって泣いた。

 さらにもう一人、少女の死を悲しむモノがいた。鎮火作業をして戻ってきたヴォルフ――いや、フェンリルだ。

 現れた魔物に怯えるガンチ夫妻に遠慮することなく近づいて、狼魔は鼻先で少女の頬を何度も撫でた。

 そうすることで、彼女が生き返るとでもいうように。

 もちろん失われた魂は二度と戻ることはなかった。

 少女との間にどんな交流があったか、ユーリィは聞いていない。けれどフェンリルの様子を見ただけで、口からはみ出す二本の牙も色違いの鋭い双眸も、盲目の少女を恐怖させなかったのだと想像できた。


 彼らの中に立ちつつも、ユーリィだけは蚊帳の外にいた。

 少女を知らなかっただけに、彼らほどの悲しみはない。

 あるのは虚しさすら覚えるほどの罪悪感。

 災いをもたらすと罵られたこの身が、また不幸を作ってしまった。

 たぶん、これは宿命。

 運命は変えられても、宿命はどうしても変えられないと絶望する。


「フェンリル、後始末をしに行くよ」


 それでも先に進まなければならないんだと自分に言い聞かせ、ユーリィは狼魔の背中を優しく撫でた。




 数分後、フェンリルとともにユーリィは村へと向かっていた。到着する直前に港から出て行く一隻の船を見えた。朝日輝く海上を進むその船が向かっているのは大陸方面。だから答えはすぐに出てきた。


(フォーエンベルガー家の役人か……)


 けれどその始末は後でもいい。まずはこちらが先だと下を眺める。

 建物の外には島民たちが大勢たむろしていたが、魔物の姿を見た途端、全員が家の中へと逃げ込んでいく。その様子がユーリィの虚しさをますます助長させた。

 この島を守ったのは他ならぬフェンリルだというのに。


「あの広場みたいなところに降りて」


 命令通りにだれもいないその空き地へ、フェンリルはゆっくり降り立った。周囲には何軒か家があり、軒先にいる茶色の猫だけが剣呑な目でこちらを見ている。

 その猫を見つめ、ユーリィは声を張り上げた。


「今すぐここに集まらないと、村ごと焼くぞ!!」


 その声は猫だけには届いたようで、慌てた様子で逃げていった。


「二十数えている間にだれか出てこい! 一! 二! 三! 四!」


 きっとだれか聞いているはず。

 家々の窓を眺め回し、ユーリィは数を数え続けた。


「十五! 十六! 十七! じゅう―――」

「お待ちください!!」


 一軒の家から飛び出してきたのは、見覚えのある男。昨夜、武器を手にしてユーリィを取り囲んだ連中の一人だ。


「い、今、村長や他の連中を連れてきますから、どうか……お願いします……」


 強気だった昨夜とは違い、怯えたその様子はまるで別人のようだ。男は転がるようにして広場を横切り、反対側にある道へと駆けていった。

 その姿が家の陰に隠れて見えなくなると、ユーリィは何気なく男の出てきた家に視線を戻した。

 わずかに開いた扉から、年端のいかない少年が顔を出している。だがすぐに、内にいるだれかの手に引っ張られ、扉も閉ざされた。

 見なかったことにしよう。それが大人の対応だ。

 そう思って顔を背ける。けれど暗い気持ちになってしまったことは確かだった。


 かなり待たされて、青空に小鳥の群れが戻り始めた頃、ようやく先ほどの男が十数人の者たちを伴って戻ってきた。一様に表情は暗く硬い。

 彼らの中央にいる年配の男は村長だろう。ぼろ切れより少しマシな服を着ている他の連中と違って、服装はそれなりである。しかし露出した肌の黒さを見れば、彼も他の連中と同じく猟を生業にしていることはすぐに分かった。


「こ、このたびは皇帝陛下にはまことにもって、御無礼を――」

「ルルは死んだぞ、僕の身代わりになって」


 仰々しい言葉を遮って、ユーリィはフェンリルの上から冷たく言い放った。


「え……あ……」

「謝るべきはあの娘だろう」

「あんな時に出てくるのが悪いんだ!!」


 叫んだのは村長ではなく、彼の真後ろにいた男だ。よく見れば両側から仲間に拘束されて身動きができないでいる。その男が矢を放った相手だということを、その声を聞いて初めて気づいた。


(暗かったし、全員似たような感じだからな)


 だれが実行犯などということは関係なく、全員を問い詰めようと思っていたユーリィだったが、村民たちは実行犯のみに罪を着せて欲しいと願っているようだった。


「それに苦労して生きるより、死んだ方が良かったと、村長、あんたも言ってたよな!?」


 男の言葉を聞いて、村長は眉間に皺を寄せただけで、なにも答えなかった。

 きっとそれも大人として正しい対応だ。

 そう、きっと……。


「ハイヤーと嫁のエルフを捕まえろと言ったのもアンタだろう!! どうせ役人たちに金でも渡されたんだろ!!」

「そんなことはない」

「それからエルフはこの島にはいらないって、アンタ言ってただろ!!」

「いや、だからそれは……」

「エルフなんかに統治されたくないとも言ったよな!? それはつまり皇帝のことだろ」

「だからフォーエンベルガーの領民としてだな……」



 ユーリィはそのやりとりを、冷静な気持ちで眺めていた。不思議なことにミューンビラーに悪態をつかれた時より腹は立たない。それはたぶん、彼らがこの世界に生き残る道を彷徨っているせいだ。


「もう止めろ」


 感情を殺した声で、ユーリィは永遠に続きそうな会話を停止させた。


「ルルを殺害した罪を問えるのは、僕ではなくフォーエルンベルガー伯爵だ。ここは彼の領地だからね」


 安堵のためか後ろで叫いていた男が安堵のため息を吐くのが見えた。

 だが許したわけではないと、ユーリィはさらに続ける。


「そのフォーエンベルガーを裁ける者は、この皇帝ユリアーナただ独り。伯爵がお前たちを使って僕の暗殺を命じたかどうか、僕が知りたいのはそれだけだ」

「め、滅相もございません……」

「滅相もないかどうか直接本人に尋ねよう。仮に伯爵が首謀者なら、きっとお前たちに罪をすべてなすりつけて知らぬ存ぜぬを貫くだろうさ。でももし彼が僕に刃向かうというのなら、十日のうちにこの島を魔物率いるエルフ軍に占領させる。どちらに転ぶかは知らないけど、今のうちにせいぜい戦の準備でもおけ」


 言い切った瞬間、ある者は膝を折り、ある者はうつむいて嗚咽を漏らした。

 しかし一同の顔に浮かんでいるのはすべて絶望。ユーリィが過去に何度も見せつけられた表情だった。


「わ、分かりました、正直に申し上げます。彼らを捕らえろと命令されたのは事実です」


 やっと観念し、村長が重い口を開いた。


「けれど本当に金など受け取ってはいません。彼らと引き換えに、小麦の取引を以前の量に戻すと言われただけです。なにしろこの島の者はみな漁だけで暮らしていて、それを売った金で本土から小麦を買い付けるしかないのですから」

「だけどそいつらは、武器で僕を襲ってきたぞ?」

「だ、だって、そんなローブを着ていたから、エルフだと思って……」


 最初に出会った男が、半べそでそう言った。


「黙れ、ギダン」

「でも村長……」

「彼らはみな親族をあの悲劇で失い、エルフに恨みを持っていたのでしかたがないのです。どうぞ分かってください」

「その理屈なら、人間に恨みを抱くエルフはお前たちを殺しても良いことになる」

「それは……」


 一言言わずにはいられなかった。しかしそれ以上は虚しくなるだけ。だから彼らが正直に話したということだけを評価しようと、ユーリィは切り替える。


「素直に話したことに免じて、島を占領するのは保留にする。だけどフォーエンベルガーとは今日にでも話し合わなければならない。その結果がどうなるか約束はできないよ」

「どうか、どうかお願いします。我々をお助けください」


 村長はその場で膝を折り、両手を組み合わせて懇願する。それに習って他の者たちも同じくしゃがみ込んだ。


「悪いようにするつもりはないよ。この島は精霊たちにとった大切な島だから。特にリュットは今回島のために尽力してくれた」

「リュット様が!? しかしそこにいる魔物が……」

「どうやらお前たちの目は、味方と敵が分からないほど節穴みたいだね。そんな視力で捕まえる魚なんて、ちっとも美味しくないだろうさ」


 言わずにはいられない嫌味を吐き、ユーリィは狼魔の首を叩いた。

 もうここには用はないし、この先彼らがどうなろうと興味もない。

 この世界にいるすべてを気遣えるほど、僕は神でも勇者でもないのだから。

 命令に従って、フェンリルはゆっくりと上昇を開始した。

 あんな戦いのあとだ。本当はゆっくり休ませたい。しかし、ヴォルフとともにベッドに潜り込むのは、まだまだ先のようだと諦めてユーリィは空を見上げた。

 太陽はずいぶん高くに昇っている。皇帝が戻ってこないソフィニアはいったいどうなっているだろうか。オーライン伯爵やリマンスキー令嬢が謀反を起こしている可能性もあった。

 しかし、リカルドとはタナトスのことで彼と決着を付けなければならないだろう。


「とにかくジュゼのところへ戻ろう」

 

 言われたとおりフェンリルは小屋に向けて森の上を駆けていたのだが、なにを思ったのか急に降下すると地表へと着地した。


――下へ降りてくれ。


 どうしたのだろうと怪訝に思いつつ、狼魔の背から飛び降りる。するとたちまち魔物の体は青白い光を放って、人へと姿を変えた。


「どうした? 疲れた?」


 木立から差し込む黄色い陽光が眩しくて、目を細めてヴォルフを見上げる。ずっと一緒だったというのに、ずいぶん久しぶりに会った気がした。


「この姿で一度君と話したくてね」

「なんで?」

「魔物ばかり美味しい思いをさせたくないからな」

「ふぅん」


 そう言われてしまえば、ブルーグレーの狼魔とブルーグレーの髪をした男が同じ魂であることが不思議に思えてきた。


「それと、最後に君が言ったセリフが、いかにも君らしいと言いたかった」

「なんだよ、それ」

「褒め言葉だよ。君が君らしいことを喜んでいるんだ」


 差し出された手を掴もうとして、ユーリィはすぐに手を引っ込め、そして首を振った。

 今そんなことをするのは、死んだあの少女に申し訳ないような気がして。


「それはソフィニアに戻ってから……」

「そうだな」


 一度は引っ込めようとした手で、ヴォルフはユーリィの頭をポンポンと叩く。馬鹿野郎と言わなくなた代わりに、彼はそうやって慰めることを決めたようだ。

 だからこの不安を正直に見せようと決めて、ユーリィを陽光に輝く魔身を見つめた。


「ねぇ、ヴォルフ。僕はまだ僕の道を進んでいる?」

「どういう意味だ?」

「時々、僕の道じゃない闇を歩くたくなるからさ」


 大丈夫だと即答して欲しかったけれど、ヴォルフは眉をひそめて黙ってしまった。

 やはり僕は迷っているんだろうか?

 そんな不安を抱いて、ヴォルフの返事をひたすら待った。

 やがて口を開いた彼は曖昧な笑みを浮かべて、


「君がどこへ行こうと付いていくと言っただろ?」

「だけど……」

「俺は人間じゃなくて魔物だよ、君」

「え?」


 なにを言いいたいのだろうと思いつつ、聞き覚えのあるそのセリフに戸惑った。


「ま・も・の」


 曖昧な笑みがはっきりとした微笑みとなり、その瞬間ユーリィは彼が求めている返事を理解した。


「大丈夫、発音は正しいから。訛りもないから、安心して良いよ」


 懐かしさと恥ずかしさに、自分でも気づかぬうちに笑みが漏れる。

 まだ覚えていることが嬉しかった。


「笑顔」

「え?」

「あの時とは違って笑えるようになったのは、きっと君の道を前に進んでいる証拠だよ」


 その言葉で今はもう十分だから、ユーリィは愛しき者から森の奥へと視線を移した。


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