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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第七章 夜露
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第167話 魔物の身にてこの地を守り

 ジュゼは軽やかな足取りで森の中を進んでいく。まるでこれから始まることが、楽しい余興であるとでも言うように。魔物に戻った俺は、そんなエルフの後を付いていった。

 彼女の左手には拳ほどの大きさの光の球が一つ。光源は水晶。彼女の作り出した明かりは仄かに、しかし確実に森の中を照らしていた。


「ユーリィが心配かい?」


 先ほどように嘲るような口調ではなく、やや沈んだ声で彼女はそう尋ねてきた。

 だが返事はしなかった。そんなことは言わなくても分かるだろうという意志を込めて。


「心配だろうね。こう見えてもアタシだって心配してるんだよ、本当は」


 どうだか。

 そう思いつつ女から顔を背ける。鬱蒼とした森の中には、人には見えない精霊たちが綿毛のように漂っていた。


「試したことは認めるよ。あの子があの子である前に皇帝になってしまっていたら、もうアタシにしてやれることはなにもない」


――リュットは“闇”に囚われ始めていると言っていたな……。


「“闇”ねぇ。ま、そんな感じの暗い顔をしてたかな。でもアタシには迷ってるように見えただけだった」


――迷ってるとは?


「立場とか感情とか理想とかプライドとか、どれを優先したらいいのか分からなくて迷ってる。あの子は優しすぎるほど優しくて、しかも負けず嫌いだから。そうだよね?」


 以前にこのエルフがユーリィの母親のようだと思ったことがあったが、正しくそんな言葉だった。


「でもどう決着をつけるか、それはあの子しか決められないよ。なにしろ頑固だから」


 ふふふと笑う声に反応するように、精霊たちがゆるゆると揺れた。

 恐らくこの森にいるモノたちすべてが、彼の行く末を気にしているのだ。

 心地良い音楽が、耳障りな音に成りはしないかと。

 けれど俺自身はそんなことを気にしていない。

 ただ、この先もユーリィがユーリィであってくれればそれでいい。


「でもアタシはアタシ自身を信じてるよ」


――!?


「あの子を信じるアタシ自身を、あの子が可愛いと思ったアタシ自身を。ねえ、知ってるかい? ユーリィは嬉しい時楽しい時、視線を右に寄せて、口の端をほんの少し上げるんだ。照れてるんだろうねぇ。それを初めて見たのは、古着の黄色いシャツを渡した時さ。雨で着ていた服がビショビショで、いかにも寒そうだったから。ま、渡したのはただの興味本位だったけどね」


 ジュゼは立ち止まると、光玉ごと左手を高く上げた。

 少しだけ光の届く範囲が広くなる。すると、先の方で数本の枝から葉がすべて落とされている木が見えた。

 この島の樹木はあまり高く伸びないが、代わりに枝が真横に張り出している。葉は丸みを帯びた楕円で、本土と違って色も浅かった。

 ユーリィなら名前を知っているだろう。

 そしてこんな木の名ですら彼の口から聞いた瞬間から、俺には宝の隠し場所を聞いたと同じほど、心に残る言葉となってしまうのだ。


「あ、子竜は別に移したよ。リュット様が少し飛べるようにして翼を広げるもんだから、あの(うろ)は狭くてね。ほら、あそこ」


 指さされた先には、俺の頭を優に超える大岩が、巨木と巨木の間に挟まっていた。両側の太い幹は岩を避けるように歪んでいて、この岩が遙か昔に火山から飛んできたことが窺い知れる。岩の上には無数の精霊たちが舞っていた。


「向こう側が大きくえぐれていて、下に子竜はいるよ」


 そう言ったものの、彼女はそこから動くことなく、木々の間に見える夜空を見上げた。

 頭上には三分の一が欠けた赤い月がある。一度欠け始めてからは、溶けるが如くその姿を消す速度が増しているようだ。竜が来るのも時間の問題だろう。


――それで、手伝うってなにをするつもりだ?


「んー、あんまり考えてはいなかったけど……」


――ふざけてるのか!?


「ふざけてなんてないさ。なにか計画したって、その通りになるとは限らないからね。それに戦うのは竜とあんただ」


 当てにしていたわけではない。こんなちっぽけな体で竜になど立ち向かえるものか。ユーリィほどの機才があるとも思えなかった。


「どうせバカにしたこと考えてるんだろうね、あんたのことだから。戦うならユーリィの方が良かったとか思ってるんでしょ。ま、いいさ。それより来たみたいだよ」


 大岩の上で舞う精霊たちの動きが、にわかに激しくなっていた。前回のように甲高く()く子竜の声はない。親が甘えられぬ存在だと知ったためか。怯えるような波動が岩の向こうから、わずかに流れてきた。


「フェンリル、上!!」


 見上げれば、半分より少し小さくなった月に重なって、黒い影が一つ。いよいよ来たかと覚悟を決めて、俺は宙を駆けて森から抜け出した。

 火山から下りてくる風が程なくして強くなり、全身の体毛が乱される。このまま一気にと思ったものの、どうしても下界を見ずにはいられなかった。

 ユーリィを探し、風にざわめく黒い森へと視線を移す。残念なことだが、人間のものである左目にはなにも映らない。しかし上昇する毎に人と(おぼ)しきいくつもの影が、森の先にあることを右目が捉えた。

 驚くほどに、なにもかもがはっきり見える。弓を、鍬を、鎌を手にしている男たち、その中心にいるローブ姿の少年、彼の後ろに立つ盲目の少女、少女をかばう男。


――クソッ!! リュットのヤツ、いったいなにをやってるんだ!!


 俺は子竜を守るためにこの世界にいるわけではない。本当に守らなければならない者を守れないのなら、意味がないではないか。


 迫り来る竜を無視して、俺は降下を開始した。

 すぐに背後に殺気を感じ、瞬時に左へと軌道を変える。

 ほぼ同時に赤いなにかが右の脇腹を掠め落ちていった。

 長い尾の先にある鉤爪が泳ぐように揺れている。二枚の翼を持つ赤き竜だ。

 次の瞬間、その翼が大きく広がり落下を止める。それも束の間、二度三度羽ばたくと、地上の木々が突風に煽られ、大量の葉が辺りに散った。

 舞い散る葉の中を、淡い月光を浴び、長い首を伸ばして赤い肢体が空へと昇っていく。やがて広がった翼が夜をなぞるように弧を描き、竜は反転した。

 頭が下を向くと同時に、俺の方へ一気に突っ込んでくる。

 その間わずか数十秒。

 竜の前脚は四つ脚のものとは明らかに違い、手と言っても過言ではなく、その先にある四つの爪が鋭く伸びている。闇に光る赤い双眸、開いた口に四本の牙、そのどれもが俺を怯ませようと威嚇していた。


――残念だな! 俺はそんな雑魚じゃない!


 迎撃など考えも及ばす、まして避けるなどあり得ない。真っ向勝負なら望むところだと、俺は躰を垂直にして駆け上がった。

 敵の揚力は二枚の翼。一方俺は魔力にて、上下だろうが左右だろうが動くことができる。小回りが効くこちらに分があるのは、過去二回の高いで学んでいた。


 やがて距離は半分に縮まった。厳つい顔にへばりつく鱗が見える。四本の牙の奥に赤い炎が渦巻いていて、ならばこちらもと灼熱の力を内から引き出した。

 ほぼ同時に二つ熱線が夜を焼く。一つは煌々たる火炎、もう一つは赤黒い邪炎。それらが中央で触れと、刹那繋がり、しかし混じり合えない異質のほむらは互いに反発して左右に分かれる。

 敵は聖、俺は邪。

 数万年前にこの世界が割れたと同じく、衝突した二つの力が空間を歪ませ、唸るような轟きが夜空に響いた。

 それを嫌ってか、竜は軌道を変えて左へと旋回。俺は構わず突進したが、気流を捉えた翼竜が早すぎる。追いかけ回すことしばし、森近くまで下降した竜は、上昇気流に乗って見上げるほどの高さまで舞い上がった。

 そこからふたたび下降しつつ炎を吐き、下から俺も駆け上がって(ほむら)を放つ。


 同じことを三度繰り返した。ユーリィへと向かう隙などどこにもない。前回とは違い、敵は子竜ではなく明らかに俺に狙いを定めているのだ。


――いい加減、手間取らせるなっ!


 短時間でケリがつくと思っていた。

 前回と同じ轍を踏まず、急所である首の付け根だけを狙えば勝てる。実際、最後は俺の方が優位にあった。

 だが、竜は一切俺を近づけようとはしない。


(最初の一撃で決めれば良かったのか……)


 後悔先に立たず。

 竜が旋回している一瞬に下を覗くと、ユーリィに対峙している者たちは呆けた顔でこちらを眺めている。ユーリィはというと、無表情のまま小首を傾げて俺を見ていた。


“カッコイイ姿見せるんじゃなかったっけ?”


 そんな声が聞こえてきそうな面持ちだ。


(評価が厳しいご主人様だからな)


 有言実行しなければならない。

 それに、あの状況なら慌てて守る必要はないだろう。よしんば奴らが我に返ったとしても、今の彼なら風刃の一撃ですべてを終わらせられる。


 俺は上空へと意識を戻した。

 例の如く落下する竜の全身から、赤いオーラが噴き出している。ならばこちらもと、体毛のすべてを逆立て青白き光を夜空に放つ。

 視界の端にある月は線のように細い。不思議なことにその月から、さらに細い光線が地上へと降りていた。むろんそれがなにを意味するか考える余裕などあるはずもなく。


 次の瞬間、月が消えかけた夜を、赤い炎が切り裂いた。


(対抗しても結果は同じか!)


 ならば迫り来る火炎の中へ、青の光を(まと)って自ら飛び込む。


 炎なら負けるはずなど絶対にない!


 しかし信じがたいことに、全身が焼き尽くされるほどに強烈な熱さを感じると同時に、炎に弾かれ躰ごと吹き飛ばされた。


 この俺がっ?!


 内なる魔物が驚愕した。

 この身は炎から生まれ出たはずだ。


 なぜだ?!


 吹き飛ばされた躰が火山の頂へと激突し、その衝撃に意識がやや霞み、積もった灰土が、煙のように噴き上がって視界を潰す。


(ぐっ……)


 だか竜の気配を五感に伝わり、やにわに立ち上がって宙へと逃れた。

 直後、火の粉を散らす炎の渦が尾の先を掠め来る。


 間一髪。


 その破壊力は凄まじかった。爆音が轟き渡り、地響きとともに火口の一部が一瞬にして崩れゆく。火山そのものも揺すぶられ、真っ赤な溶岩が火柱のように噴き上がった。

 幸い量は大したことはなく、火口からわずかに出ただけで、ふたたび底へと落ちていった。

 昨日、小規模な噴火が起こったらしいことは、上る噴煙で気づいていた。しかし珍しいことではない。火口から溶岩湖まで距離があり、小さな噴火は日常茶飯事だとひと月の滞在でも十分分かる。

 だがこの先も日常でいられるのか? 

 黒い煙を吐き出していられる崩れた火口を眺めて、俺は不安を覚えた。

 ところが竜の方はそんな懸念など持ってはおらず、火口の横に滞空する俺に新たな火炎を噴射する。火山の状態などお構いなしだ。炎はまたも火口の縁を破壊した。

 空を蹴って上昇しつつ、込み上げてきた怒りが抑えきれない。


――貴様は精獣なんだろ!!


 人の声で怒鳴る代わりに、俺は激しく咆哮した。

 奴は聖、俺は邪。

 奴はこの世界を守る側で、俺は壊す側ではなかったのか? 島を、獣を、人を、エルフを、そしてなにより愛する者を守ろうと考えるのは、なぜ俺の方なんだ?!

 その答えは見つからなかったが、別の答えが見つかった。


(そうか! 聖と邪か!)


 竜の炎に弾かれたのはそのせいだ。聖なる力が増したに違いにない。

 追撃から逃れて駆け上がれば、月があった場所には黒よりも黒い深淵。その周りには霞のようなものが取り囲む。まるで月が巨大な穴へと落ちたかのようだ。


 が、それ以上考える余裕が俺には一切なかった。赤いオーラを纏う竜の勢いは、比べものにならないほど早く激しくなっている。晩夏の風をも味方に、空中を縦横無尽に飛び、聖なる炎と聖なる爪が何度も何度も執拗に襲ってくる。月が消えた今を狙って終わらせようとしているのだ。

 上へ下へと翻弄させられ、カッコイイ姿を見せるどころではない。反撃しようにも聖炎によって遮られ、近づこうにも風が敵を連れ去った。

 こっちは火山を気にして近づけず、森への延焼を恐れて容易に下降もできずにいるというのに。完全に動きを縛られている状態だ。


(月蝕ってのは、いったいどれほど続くんだ!)


 今を耐え忍べれば、反撃の余地はある。

 月光さえ戻ってくれれば……。

 しかしそれすら徐々に自信を失ってきた。聖炎を避ければ、尾先の鉤爪に狙われる。それをかわして炎を吐くも、下降されて追い打ちの炎を食らう。回り込んで弱点である首の付け根を狙おうにも、風が標的を連れ去って追いつけない。火山と森の方向に聖炎がいけば、邪炎でそれを防ぐ。このまま島の上空に時空のゆがみを作り続けるのは非常にマズい。ならばと海上へと誘おうにも、敵の素早くすぎ、何度も炎の直撃を食らって吹き飛ばされた。

 山に激突するたびに、木々をなぎ倒し地表へ叩きつけられるたびに、体力が激しく消耗した。無駄に吐いた炎も、体内の魔力を削っていく。全身あらゆる箇所に傷ができ、体液が滴り、風に飛ばされた。


(こうなったら、山も森も気にせず戦ってやる)


 そうは思ったものの、ジュゼたちにもしものことがあれば、悲しみに暮れるユーリィの顔がちらついて決行できない。反撃する体力もあまり残ってはいなかった。


“まったく、見てらんないねぇ”


 突如、耳の奥に聞こえてきた呆れ声。

 それがジュゼのものだと分かったのは、鉤爪の先が背中を掠めた時だ。言葉の意味など考える隙もなく上昇して逃げる。追ってきた聖炎を避けたが、その炎よりも早い速度で移動した竜が、俺の目前に迫っていた。


“月光は集めておいたよ”


 月光!?


 疑問符を脳裏に浮かべた刹那、森から上がる光玉が右前方に見えた。

 真っ直ぐに上へ。

 やがて薄い雲の流れる上空まで昇ると、ピタリ留まる。

 星彩だけになっていた夜を、まるで消えた月のように仄かに確実に、薄い赤が彩った。

 

――――グァアアッ!!


 珍しく竜が()く。

 その肢体からは赤いオーラがすっかり消えていた。


“この声が届いているかは知らないけど、あとは自力でなんとかしな”


 言われるまでもなく。

 すると、今まで吹いていた風がなぜかぴたりと収まった。

 気流を失った竜の翼が激しく動く。


(今か!)


 竜をめがけて宙を後ろ脚で蹴った。

 聖炎が襲ってきたが、勢いも太さも先ほどとは比べものにならないほど弱い。一か八かで飛び込むも弾かれることなく火炎が裂けていく。こちらの瘴が勝ったのだ。

 

(やれる!)


 確信を得て、炎を辿って竜の懐に突っ込んだ。狙いは首の付け根。急所であるそこに一息で噛みつく。さすがに鱗に覆われた装甲は厚かったが、二本の牙は猛然と食い込んでいった。


――――グァアアアアアアッ!!


 竜の悲鳴がにわかに広がるが、まだ断末魔ではなかった。

 俺を引き剥がそうと両手の爪が、脇腹に刺さって激痛が走るが、それすらも俺には心地よい刺激となっていた。

 やがて抵抗を止めた竜を咥えたまま夜空を飛ぶ。なんにせよ島を傷つけすぎた。

 あちこち痛いが気分だけは上々、まるで戦利品を咥えた犬のように。


 どうだ、見たか!


 ユーリィに向けて、咆哮一つ。少々調子に乗りすぎていたのは事実だ。だから島から海へ差し掛かる頃、突如暴れ始めた竜に少々焦った。

 八つの爪が深く食い込んでくる。動きを止めていた両翼がふたたび動き出し、さらに尾がのたうち回り、すっかり存在を忘れていた鉤爪で俺を狙い始めた。

 さすがにこれは無理だと急所を噛みちぎる。

 すかさず敵は反撃を中止して、俺から放れていった。


“ならば! 最後に見届けようぞ、この地にいる光あるモノが真であるか!”


 竜は鱗の破片を胸にだらりと下げたまま、未だ鋭く光る双眸を島の東へと向ける。

 夜空では月が、徐々にその姿を取り戻し始めていた。

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