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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第七章 夜露
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第166話 葉風の囁き

 森の中は本当に真っ暗だった。渡された小さなランタンは、足元を照らすぐらいしか役には立たない。しかも先ほどと違って大小様々な岩が転がっていて、前を見る余裕などなく、ユーリィは絶えず足元を確認しなければならなかった。

 周りより少し草が少ない場所を辿れ(たど)と言われた。けれど森の中は苔と小さな草ばかりなので、それは筋と言ってもいいただの痕跡。これで本当に言われた場所に到着できるのか、小屋を出てものの数分で不安になった。


「方向音痴ではないけど、方向を確認するのは苦手だからなぁ……」

『それを方向音痴と言うのではないのかのぉ?』


 以前のようにフクロウの体に入ったリュットが、静かな羽音を闇に響かせ、枝から枝に飛び移る。口にこそ出さなかったが、今までで一番この精霊がそばにいることに安堵を覚えた。


「違うって! 方角さえ分かればちゃんと行けるよ。建物の中はみんな似たような感じだから分かんなくなるだけ。今は火山があるから、こっちに行けばいいって分かるし」

『ホーホー、そういうものかのぉ』


 そうだ、僕は間違ってなんていない。

 今までだってこれからだって。

 だからこのまま突き進めばいいんだ。


 そんな気持ちでずんずんと歩き続けた。火山を背に、下草の薄い場所をなるべく選んでしばらく行くと、木々の間に薄く煌めくなにかが見える。


「あれは……」


 なんとなく嫌な予感。

 今までと違って枝が激しく揺れているのも気になった。

 用心して歩みを緩める。が一歩遅かった。出した右足が宙に浮く。


「ヤバっ」


 慌てて右足を引っ込めたが、踏ん張った方の左がズルッと滑った。


「うわっ!」


 咄嗟にそばに生えている幹にしがみつく。お陰で落下は免れたが、腰骨を思い切り地面に打ちつけてしまった。


「痛……」


 痛みに少しボーッとして身動きができなくなった。それでも手を離したらマズいことは頭の片隅にあり、非力ながら必死に掴まっていた。幹が細かったのが幸いした。


 やっと痛みが治まった頃、自分の体勢を確認してみる。横向きに地面に倒れていて、伸ばした両腕で幹を掴んでいる。首を動かして足の方を見ると、垂直といってもいいほどの急な斜面に下半身があった。見下ろす爪先の背景は、陸へと打ち寄せる白波だ。


(危なかった)


 落ちなかったのは、まだ運は残っているから。

 そう思うことにして、ユーリィは慎重に体を引き上げた。打った腰がまだ痛い。

 なんとか体勢を整えてから、目の前に広がる夜の海を見渡すと、夜中だというのに空との境目がしっかり分かる。見上げれば未だ赤い月の左側が、わずかに欠けていた。


『ホーホー、やはり方角を見失ったようじゃのぉ』

「分かってたなら警告してくれたって――」


――あそこだ!!


 遮られた怒鳴り声に驚いて、息を呑んだ。

 次の瞬間なにかが岩に当たる音。さらに続けざまに二つ、同じく崖の下でパサッという小さな音。それらがなにを意味しているか分からないまま、ユーリィは数歩後退した。


「なんだろう……」

『下に大勢いるようじゃぞ』

「大勢……? ヴォルフが言っていた“連中”かな」


 その場に這いつくばり、肘を使って前進して崖の下を覗き込む。果たして、そこにはランタンらしき炎が五つ、その光に浮かぶ人影が十近く、崖の斜面にある細い道に(たむろ)していた。


「駄目だ。風で矢が押し戻される」


 さきほど聞こえていた音はそれだったらしい。よく見れば、すぐ下に矢羽根らしき黄色いものが風に煽られていた。


「まだ遠くには行っていないはずだ。森の中を明かりなしで歩けるわけがないからな」


(明かり……あっ……)


 持っていたはずのランタンが無くなっている。幹を掴む時、咄嗟に放り投げたのだ。それが飛ぶか転がるかして、連中の目に留まったのかもしれない。


「どんな奴か見たか?」

「ローブを着ていた。だよな?」

「ああ、オイラも見た」

「だとしたらエルフか」


 話している連中がいる道はほぼ真下だ。大人の身長三人分ほどだから、よじ登ればわけないだろう。けれど下手に動くのは得策ではない気がして、ユーリィはひたすら息をひそめ、男たちの会話を聞いていた。


「登ってみっか?」


 その言葉にドキリとしたが、別の奴がそれを止めた。


「いや待て。エルフなら魔法を使ってくるかもしんねぇ。よじ登ってる時に攻撃されら、どうすんだよ」

「でも五人もいるんだから、平気だろ」

「ならお前、最初に行くんか?」

「それは……」


 他の奴も同じ気持ちのようで、誰一人崖へと近づこうとはしなかった。

 突撃してくる奴がいないと分かって、少しだけ胸を撫で下ろす。

 しかし__


「おい、月を見ろよ!!」

「ずいぶん赤いな」

「それもあるけど、左下だ!」

「うわぁああ、なんだあれぇ!?」

「月が消えてんじゃねーか」


 月蝕を知らないのがここにもいた。

 確かに滅多にないことだし、庶民が知らないのはしかたがないことかもしれないが、次の会話でのんびり構えている場合ではないと理解した。


「まさかこれ、さっきのエルフのせいか?」

「有り得る」

「このまんまじゃ火山も爆発しちまうよ……」

「よし、俺が先に行く。おまえら、矢を構えとけ」


(ヤバっ、やっぱ逃げよう)


 寝そべったままジリジリと後退し、下から見えない位置まで来ると急いで立ち上がり、あとは回れ右。森の暗さに躊躇したものの、今は四の五の言っている場合でもなかった。

 なるべく枝の少ないところを選んで森へと入る。月明かりだけが頼りだった。


――居たぞ!!


(うわ、早っ!)


 あれだけ高さがあったら逃げ切れるはずと高をくくっていたのに、あっという間。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。


『こっちじゃ!』


 枝に留まっていたフクロウが頭上すれすれまで降りてきて、木と木の間を抜けていく。考えるまでもなく、ユーリィはその影を追った。

 前も後ろもほとんど見えない。とにかく大岩だけは避けようと注意して、羽音を頼りに森の奥へと突き進んだ。

 しばらく背後から追っ手の気配が続いていた。それがようやく消えた頃、ユーリィは上がり始めた息を整えるため足を止めた。

 辺りはどこもかしこも闇だらけ。わずかに差す月光に、薄らと木立の影が浮かんでいる。前後左右ほぼ同じ景色で、転がる岩も全部同じに見えた。

 自分がいったいどこにいるのかすらまったく分からない。方向音痴でなくたって、これでは帰ることも進むこともできないだろう。この状態を一言で表すなら“遭難”だった。


「どうしよう……」


 以前も森で迷ったことがあったが、あの時は簡単に諦められた。けれど今は、どうしても帰りたいと心から願う。

 ジュゼの期待に応えたい。

 ヴォルフの勝ち姿を見たい。

 皇帝で有りたい。

 変化というのならたぶんそれ。でもヴォルフがヴォルフでなくなったわけではないように、僕も僕でなくなったわけではない。

 辛くて哀しいのは、まだこの世界にいたいと思うから。けれどこのままでは自分自身すら認められない存在で終わってしまう。


『風に尋ねるがよい』

「風? でもレネが……」

『小さきモノが居なくとも力は使えると、そなた自身が言っていたではないか。己を信じることじゃ』

「分かった、やってみる」


 とは言うものの、なにをしていいのか分からない。いつものように精神を統一して、なにかが起こることをひたすら待った。


「……やっぱりダメっぽい」


 きっと突風でも吹くのだろうと、そんなふうに思っていたのに何一つ感じない。このまま夜が明けてもここでいるかもしれないという焦りだけが増えただけだった。


『耳を澄ませ。目を凝らせ。光あるモノよ。風とは空と雲と大気を司る。強く吹くだけが風ではないぞ、僅かな流れすら風の意志じゃ』


(流れ? 風の意志?)


 リュットの言葉を胸に、ユーリィは自分の願いを大気に染み込ませた。


 すると僅かに、本当に僅かに空気の流れが変わった。

 頬を撫でる微風、鼻をくすぐる土の香り、あちこちで囁く木の葉。それらがすべて語りかけている。


“あっちだよ”


 たぶん気のせい。

 そう思っても間違いとは言えないほど、本当に微かな変化だった。

 しかし、流れる風に一筋の白線が見えた時、ユーリィは歩き出していた。

 この感覚を信じよう。

 自分を信じるのと同じように、不安と期待を抱えて。

 この先にあるかもしれない絶望も今は忘れる。そうなった時に悲しめばいい。そう思えるほどに白線ははっきり見えていた。

 先ほどの連中の気配はなかった。風がこちらの気配を消してくれていると思うのは、都合よく考えすぎだろうか。


(でも、岩がある所は線が教えてくれるんだよなぁ)


 信じたいだけかもしれないけれど。

 けれど信じていても結局は裏切られて、道に迷って、なにもかも見失って……。


(そんなこと、今考えたってどうしようもないじゃないかっ!)


 ややもすれば囚われそうになる心を奮い立たせて、とにかく先を急いだ。

 先の見えない森の中を右へ左へと歩き続ける。少しずつ下っていることが分かり、さらに落ちている岩が火山岩だということも理解した。


(下草が少ないのは火山灰のせいかな。木も細いのが多いし……)


 昔読んだ植物学の本をなんとなく思い出しつつ、風を追う。

 やがて生える木々の密度が薄くなった頃、少し先に家らしき影が見えてきた。


「やった!」

『どうじゃ、ワシの言ったとおりじゃろう?』

「うん、まぁ、偶然かもしれないけど……」

『疑り深いやつじゃ』

「だって、本当に風をこの目で見たのか自信がないし。それがガンチって人の家かどうかも分からない。ジュゼは村はずれだって言ってたけど。あ、そうだ、リュット、あの家の先に村があるかどうかちょっと見てくれる?」

『しかたがないのぉ』


 フクロウは羽根を大きく広げ、旋回しつつ上昇し、すぐにまた同じように戻ってきて、近くの枝へぎこちなく留まった。


「どうだった!?」

『年寄りをこき使ったのだから、礼ぐらい申せ』

「精霊に年齢なんか関係ないだろ」

『ワシが入っているこのフクロウのことじゃ』

「あ、そう。ならありがとう、フクロウさん」

『そなたは……』

「いいから早く。村はあった?」

『少し下ったところに家が数軒、さらに下にまた数軒あったのぉ』


 だとしたら、やはりガンチ家である可能性は高い。

 見上げれば月はずいぶん欠けていて、満月とは言えない形になっている。もうあれこれ迷っている時間はなかった。

 意を決し家へと近づく。途中何度か立ち止まり、連中が来ていないことを確認した。

 そうして家の前まで来ると、古びた木製の扉を叩くべく拳を握る。ためらいを振り払うまでに数秒かかり、やっとの決意で三回ほどノックした。


 待たされる時間は永遠に思えた。たぶん数秒もなかったかもしれない。


「だれだ?」


 やっと聞こえてきた声は、敵を威嚇するかのように凄みがあった。


「あの、えっと、ジュゼから頼まれて……」

「ジュゼ?」


 言葉と同時に扉が少し開かれる。

 しかし中から光が漏れたと思った途端、音を立てて扉が閉じられた。


「帰れ! エルフなんかに用はない!」


 けんもほろろとはこのことだ。

 こうなったら身分を明かし、強引に薬を奪い取ろう。そうして引き返せば、竜が来るまで間に合うかもしれない。


(そうだ、そうしよう!)


 声高に命令を下そうとしたその時、ジュゼの声が頭を掠めた。


“皇帝ではなくユーリィとして行くんだよ?”


 だって、でも……。

 心で反論する。

 けれど脳裏に浮かぶジュゼが首を横に振り、それを許さなかった。


(……分かったよ、ジュゼ)


 どうしようかと考えた末、できるだけ丁寧な口調でもう一度頼むことにした。


「あのっ!」

「まだ居たのか!?」

「中に入れてもらえなくてもいいです。ただハイヤーさんのお婆さんが熱を出して、その薬が欲しいってジュゼが言ってるので、分けてもらえませんか?」

「婆さんが……?」

「それも駄目なら、この辺りに熱冷ましの薬草が生えている場所を教えて下さい。ラミン草か、ツァフィの根ならこの島でも採れるはずですから」


 返事はなかった。

 迷っているのか、それとも無視されたのか分からないままユーリィはしばらく待ち、そしてとうとう諦めた。


「やっぱエルフの扱いなんてそんなもんか……」

『諦めるのか?』

「最初から期待なんてしてなかったよ。僕が信じたのは風だけさ。でもどうしよう、そろそろあいつ、フェンリルになって竜と戦い始めるかも知れない」

「フェンリル!!」


 中から聞こえてきたのは、思いもよらない黄色い声。

 開かれた扉の向こうに、波打つ茶色の髪を肩に垂らした少女が立っていた。


「ルル!!」


 少女の背後で、先ほどの野太い声が怒鳴る。

 しかし少女は気にもせず、ユーリィに問いかけた。


「フェンリルさんが来ているの!?」


 不思議なことに彼女の瞳は、ユーリィではなく暗闇を見ている。むしろなにも見ていないと言うべきか。


(目が見えないのか……)


 歳は十二,三歳だろう。

 あどけない顔には、目の前にいるのが何者であるかという恐れは全くなかった。


「ねぇ、フェンリルさん、来てるの?」

「あ、うん。もうすぐ竜と戦う」

「また戦うの? あのおチビちゃんを守るんでしょ?」

「子竜を知ってるの?」

「うん、ジュゼさんに内緒で教えてもらったの。パパには秘密だって……」


 背後を気にするように、少女は耳を家の中へと傾けた。それと同時に中から頑丈そうな男が現れる。ハイヤーのような巨漢ではなかったが、いかにも農夫という手も足も浅黒く焼けていた。


「ルル、中に入ってなさい!」

「やだ……」


 なぜだか知らないが、少女はユーリィの腕にしがみついた。


「ルル!」

「パパ、お薬をあげて。お婆ちゃん、かわいそうだよ」

「あんた、本当にジュゼのところから来たのか?」

「ええ」

「分かった。薬はすぐ渡す。だからとっとと帰って――」


――見つけたぞ! やっぱりガンチんとこだ!!


 恐れていたことが起こってしまった。

 背後にする足音を聞けば振り返らなくても分かる。すぐに彼らに取り囲まれて、避けられない争いをする羽目になるだろう。


(でもあいつらが望んだことだ!)


 そう、相手が望んでいる。

 だから自分がどんな悪辣な手段を使おうとも、悪いのは奴らの方だ。

 意識を集中し、彼らを切り刻む風を呼び覚ます。

 少女の目が見えていないことが唯一の救いだった。


「頼むから、今すぐどこかに行って下さい」


 先ほどまで強気な態度だった男が、急にしおらしく懇願し始めた。


「娘を守りたいんだ!」


 そうやって自分の都合ばかり押しつけて、こっちの願いは無視したくせに!

 そう思うと腹が立ち、絶対にこの場から離れるものかとユーリィは意固地になった。


『月が半分消えておる。そろそろ始まるぞ』


 どこに隠れているのかフクロウは見えず、ただリュットの声が耳の奥に聞こえてきた。


「そんなこと言われたって、今は僕だっていっぱいいっぱいなんだ、分かるだろ!」

『風が怯えているぞ、聞こえぬか?』

「風? 意味が分からないよ!」

『そなたは自分を守りたいのか、世界を守りたいのか』

「そんなの……」


 暗い山道を、明かりを持った数人が駆け下りてくるのが見える。

 その頭上にある月は、リュットの言ったとおり半分が消えている。

 背後では驚愕している男の声がする。

 少女はまだローブにしがみついていた。


「あんた……まさか……皇帝陛下……」


 なにもかも混沌としすぎている。そんな中、なぜか風が怯えているというリュットの言葉通り、吹き抜ける風が悲鳴のように聞こえた。


 本当に彼らを切り捨てて逃げていいのだろうか?


 ユーリィの中にまだ迷いは残っていた。


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