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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第七章 夜露
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第161話 闇に囚われ

 ソフィニアは朝から強風が吹き荒れていた。夏の終わりには必ず吹く風で、人も動物も草木もしばらくは耐えなければならない。一年を通して穏やかなソフィニアで一番不穏な時期だ。

 不穏なのは風のせいばかりではなかった。ガーゼプラジェ・メラ・ハイサンルラ―宮殿 ――通称ガーゼ宮殿はこの五日ばかり風と同じく騒がしい。

 昼夜関係なく出入りをする大勢の兵士や憲兵、慌ただしくやってくるギルドの連中、浮かない表情のラシアールたち、そして日に何度も到着する馬車。

 馬車から降りてくるのは大抵貴族たちだ。怯えた表情の彼らは、憲兵に連れられて宮殿内に入っていく。行き先は宮殿の地下だという。そこでディンケルらに取り調べが行われ、場合によっては収監された。

 一昨日は侯爵の一派の連中で、昨日はバタレーク子爵の親戚、今日はミューンビラー侯爵とその妻子が連れてこられた。侯爵の娘ふたりはこの世の終わりかのような様子で、歩くのもやっとな状態だった。

 皇帝暗殺未遂事件以来、俺はずっと宮殿の屋根からそんな下の様子を眺めていた。ユーリィはその言葉通りの政治を始めるようだ。もちろんそれに反対する理由は俺にはない。

 しかし、それでいいのだろうかという疑念と不安は確かにあった。


『おぬし、もう傷は癒えたのであろう?』


 声がした方へ視線を向けると、ゆらゆらと揺れる老人が立っている。実体がないくせに纏っているボロまでも風に煽られているようだ。相変わらず飄々としているが、不気味なその顔にはどこか険しさが滲んでいた。


『その姿でここに居座る必要はあるまいに、あの者に命令されたか?』


――命令ではない。彼らを威嚇するためにそうして欲しいと頼まれただけだ。


『おぬしにとっては、命令に等しいのぁ』


――なにが言いたい?


 地霊には珍しくユーリィを責めるような口調が気になり、四肢を折って寝そべっていた俺は、頭を上げて精霊を睨んだ。


『おぬしは利用されているのだろう』


――そんなことは承知している。俺が利用しろと言ったのだから。


『以前にも言ったと思うが、あの者に執着する“闇”がある』


――その闇なら死んだ。あいつが殺した。


『それも“闇”の一つであったろう。しかしこの世界には数え切れぬほどの“闇”がある』


――魔物ということか?


『いいや』


 精霊はまるで人間のように首を横に振り、俺の言葉を否定した。歪な双眸は遙か遠くを眺めている。数千年、ずっとこの世界を眺めていたその目にはいったいなにが映っているのだろうか。


『魂にある闇じゃ。この星に生まれ出た命は多かれ少なかれ、それを抱えてはおる。数億年前、遙か彼方から降ってきたモノがそれを増幅させ、星は世界を二つに分けることにより自らを守ったのじゃが……』


――魔物の俺がいた世界か。


『しかしこの世界にはまだ残っておる。もしかすると向こうよりももっと醜悪な闇かもしれないのぉ、それが時折この世界を壊そうと試みる』


――なんだ、それは?


『ワシにも分からぬ。言えるのは“光ある者”を闇に飲み込むほどの力、我が友を壊した力じゃな』


 その話は以前に聞いていた。

 五千年前、精霊の友であったエルフが、妻子を殺された恨みに囚われ、この星を壊そうと試みたのだという。永遠に草も木も生えないモルパス砂漠はその時の名残らしい。


『おぬしには、ワシと同じことをしては欲しくないのぉ』


 老人がなにを言わんとしているか、俺にはすぐに分かった。星から生まれし地の精霊として、星を守るために友を殺したことを言っているのだ。

 そして俺もその役割にあると言いたいのだ。


――俺はあいつを信じるし、もし闇に囚われたとしてもそれに従うのみだ。


 しかし精霊は、遠い空を眺めたまま静かに言った。


『ワシはこう考えておる。“狭間に住むモノ”がおぬしの存在を許したのも、ひょっとするとその力と関係があるのかもしれないと』


――どういう意味だ?


『いずれ来るかもしれない世界の終わりに、おぬしの力が必要かもしれないということだ。果たしてそんなものが来るかワシにも分からんが。それよりあと三日後にはまた親竜が来る。それまでにあの者とじっくり話すのじゃぞ。人の姿でな』




 夜半過ぎ、人の姿に戻った俺は皇帝の私室を訪れていた。

 部屋の前にいた二人の衛兵のうち、若い方立ちはだかったが、もう片方がそれを制して扉を開けた。俺の存在が認められたというわけではないことは、冷めた目が物語っている。


(それとも俺ではなく皇帝に対するものか?)


 つまらぬ考えが浮かんでは消えた。このところの不穏な空気がそんな懸念を呼び起こしたのだろう。だが有りもしないことだと一笑に付して、俺は室内に入った。


 入ってすぐのリビングは、明かりという明かりがすべてすべて灯されていた。天井から吊される小ぶりのシャンデリア、壁に付いた三つの楼台、二つのサイドテーブルと奥にあるダイニングテーブルにはランプがそれぞれ置かれ、それから中央のソファの前にある小さなテーブルの上にも楼台が一つ。まるで昼間のような明るさに目を丸くしつつ、俺はソファに座る少年へを歩み寄った。


「こんな遅くに、だれか来るのか?」


 ユーリィはなにか必死に書き物をしている。テーブルには書類が散乱していた。


「なんで?」


 俺の方を見ることなく、彼はインク壺にペンを突っ込んだまま動きを止める。


「明かりを全部点けてある」

「ああ、暗いと眠くなりそうだから」

「なんだ、てっきり……」


 精霊の言っていた“闇”を恐れているのかと思っていたことを口走りそうになり、俺は慌てて口を閉ざした。


「てっきり、なに?」

「夜が怖いのかと……」

「馬鹿にしてるの?」

「あ、いや……」

「ならいいけど」


 興味を失ったという様子で、ユーリィはふたたび仕事を再開した。俺はソファを回り込み、そんな彼の隣に腰を下ろす。言葉をかけるのもためらうほどの真剣な眼差しに、俺はただその横顔を眺めているしかなかった。


 二人の間にはどうしても埋まらない溝があり、だから同じことを繰り返してしまう。俺が魔物になり、彼が皇帝になり、その溝はますます深くなっていく。分かり合えたと思っても、次の日には心を隠されて。この先もそれをずっと繰り返していくのだろうか。


「――なに?」


 ずっと黙って見ていたせいだろう。さすがに気になったのか、ユーリィは体を起こして俺の方を見た。


「色々考えてね」

「色々って?」

「たとえば君の笑顔を最後に見たのはいつだろうか、とか」

「笑ってる暇なんてないよ」


 プイと横を向いたその顔に手を伸ばし、唇を近づける。

 しかし寸前のところで少年は俺の胸を押して、体を離した。


「ごめん、今そういう気分じゃないから……」


 うつむく顔にピンとくるものがあり、俺はなるべく穏やかな声で話しかけた。


「ハーンとなにかあったのか?」

「ないよ、あるわけが――」


 一度は言い淀んだユーリィは、しばらく自分の手のひらを見つめたのち、顔を上げる。その瞳には恐れとも哀しみともつかぬ色があり、俺を不安にさせた。


「死に際のあいつとキスをした」

「どうして?」

「たぶん好きだったから……」


 消え入りそうなその呟きを聞いた時、胸に痛みを感じていた。しかしそれ以上に辛かったのは、まるで怯えた子猫のように、ユーリィが苦しんでいることが分かったから、それを出すことはできなかった。


「あいつが好きだったから、俺とはキスができない?」

「違う! そうじゃない!」


 泣きそうな表情で叫び、それからなにかに耐えるかのように自分の親指を噛み始めた。


「ユーリィ?」

「僕は、どんな顔でどんな気持ちで抱き合えばいいのさ。だって裏切ったのに」

「まだあいつが好きなのか?」

「分からない……」


 きっぱりと否定して欲しかった俺は、その返事に少なからず傷ついた。

 まさか、もう失ってしまっているのだろうか?

 そんな俺の不安など知るよしもなく、ユーリィは指を噛んだまま、先を続ける。言わないまま溝を深めた過去を、必死に修復しようとしているのだと信じて、俺は耳を傾けた。


「でも殺したことは後悔していないよ。そうしないとあいつは止められなかったし、もう引き返せないところまで行っていたから」

「ディンケルからチラッと聞いたが、子爵邸で死んでた連中のほとんどは、入口に足を向けていたと。彼らを殺したのはハーンなんだな?」

「そうだとしても、僕の存在がそうさせたことに変わりはない」

「つまりハーンを庇うために自分が殺したことにして、やり方も変えたのか?」

「そんなつもりはないから。今まで甘すぎたって反省しただけだよ」


 きっとまだなにか隠しているらしい。指を口から離さない様子にそう感じ取ったが、あまりに警戒心が強すぎる。心の奥にあるものを吐き出させる為に、敢えて話を逸らすことにした。


(一年以上も一緒にいるんだ。俺も少しは学習したさ)


 ユーリィの秘密主義は、皇帝になったせいばかりじゃない。過去に受けた心の傷のせいで、本心を極力言わないようにして、身を守ろうとするその癖はこの先も治らないだろう。

 だから俺が利口にならなければならないのだ。

 裏切り行為に腹が立っていないわけではない。けれど、この程度のことで手放すなど思いもしないことだ。


「そういえば、俺が話した例のアジトはどうした?」

「調べさせたけど物置状態だったらしい」

「バレクの野郎、慌てて誤魔化したな」

「あれがあるかもしれないって思ったんだけど」

「あれとは?」


 するとユーリィは眉をひそめて口をつぐむ。


(いったいいくつ隠してるんだ。ったく……)


 強引に口を割らせようか考えた末、今は警戒心を解くのが先だと思い直した。


「ジョルバンニはなにも動かないのか? バレクが怪しいという情報は、あの男からもらったんだが」

「証拠がないから動けないって。でもバレクは監視するらしい。そもそも、ジョルバンニがなにを考えているのか分からない。前みたいに僕のやることにいちいち反対しないし」

「俺には、あいつが君に執着しているのは分かる」

「執着……」


 長い睫毛が伏せられて、ほんの少し緩んできた表情が強ばる。思い詰めたような青い瞳に、精霊が言っていた“闇”が見えたような気がした。


「ユーリィ?」

「僕はもうだれにも執着なんてさせない。この国を強くするのが僕の運命なら、賛美にも非難にも耳を塞ぎ、命令と強制と制裁を武器にしてやるべきことだけをする。それだけだ」


 決意の言葉とは裏腹に、若き皇帝の顔には哀しみが浮かんでは消えた。

 出会った頃より、中性的美しさがますます増している。金に光る髪、青白く透き通った肌、空と海が重なった青い瞳。決して少女ではないが、かといって少年と表現するのも少々違和感はある。本人は嫌がるだろうが、“神の生まれ変わり”であると思わせるなにかがあった。

 惹かれてしまうのもしかたがない。あのハーンですら、手に入れたくて藻掻いていたのだ。ジョルバンニもそうなのかもしれない。

 だからと言って“執着されるのは諦めろ”と、俺の口からは言えなかった。自分だけのものにしておきたいという希望は、まだどこかに残っているのだから。


「俺は執着し続けるぞ」

「でも僕はお前を裏切ったから……」

「盗られたわけじゃない。最後にヘマして絶望したことを考えれば、キスの一回や二回。三回目はダメが二回ならギリギリ許容範囲だ」

「なんだよ、そのギリギリのライン」


 寂しげだった口元が、わずかなほころんだ。

 そうやって微笑むなら、俺はなんでも耐えられる。

 それに精霊の言っていた“闇”などまやかしだ。彼は自分らしくしようとしているだけだと信じ、か細い肩を引き寄せた。パサリと書類が何枚か床へと滑り落ちる。

 溝を埋めるためにも、今夜は久しぶりに甘いひとときを過ごそう。そう思って、色気のある唇にふたたびキスをしようと試みた。

 だが____。


 突如、扉の向こうが騒がしくなった。苛立ったような女性の声と、それを制止するような衛兵たちの声がする。そのせいで寸前のところまで近づいた唇が、あっという間に離れていった。


(嘘だろ……)


 いつもこれだ。

 もう一度と試みるも、ユーリィの意識は完全に扉の外に行ってしまって、俺の手を払いのけると、床に落ちた書類を拾い上げる。それと同時に扉が大きく開け放たれ、少し取り乱したようなエルネスタ・リマンスキー嬢が飛び込んできた。


「皇帝陛下、夜中に失礼いたします。でもどうしてもお尋ねしたいことがありまして、無礼を承知で参りました。もし罰するとおっしゃるのなら、甘んじて受けますわ」


 彼女には珍しく怒っているようだ。質素な薄紅色のドレスの肩が激しく上下していた。


「エルナ、なにかあった?」

「ええ、ありましたとも。今日、私の姉の夫であるサガンティー男爵家嫡男ワーマルク氏が、領地から連行されてきたと聞きましたわ」

「ああ、そのことか……」

「彼になんの容疑があるというのですか? まさかバタレーク子爵と懇意にしていたからということではないですよね?」

「そうだよ」


 ユーリィがあっさり認めたことに絶句して、エルナは組んだ両手を震わせた。


「ですが、彼はあの事件の時は領地にいたのですよ。たとえ子爵と親しくても、なにかの罪に問われるとは思いません。つい先日、姉の懐妊が分かったばかりなのに、皇帝陛下に対して、反逆の意志があるとは思えません」

「あるかどうかは、今後の取り調べ次第。トーマ・バタレークの屋敷から、ミーシャ・エジルバークからの手紙が見つかった。皇帝の暗殺と、帝国の混乱を指示する内容だった」

「だからって……」

「十二年前ミーシャ・エジルバークを含めた数人が、僕に対して酷い仕打ちをした。手紙には“またあの頃の遊びを”と書かれてあったよ」

「つまり復讐ってことですの?」

「違うと言っても信じないだろうけれど。だけど今後、僕に少しでも刃向かう可能性がある者は排除するつもりだ。感傷も同情も考慮しない」

「だったらアシュト様も調べなければなりませんわね?」

「もちろんそうする。彼だけではなくベレーネクの三兄妹もだ。僕を侮辱し続ける長男カミルは極刑になるだろう」


 すると少女の顔からは怒りがスッと抜け落ちて、代わりに悲しみとも憐れむともつかぬ表情となった。そんな分かりやすい変化に、ユーリィは果たしてどんな反応を示すのか俺は気になって横目で見たが、その目はただ冷ややかに少女を見つめるばかり。


「私……貴方を信じたの、間違っていたのかしら……」

「信じて欲しいなんて頼んだ覚えはないよ」

「貴方は神にでもなったつもりなの?」

「神? そんな者になった覚えも、これからもなる予定はないさ。僕はこの帝国そのものになる、それだけのこと。さあ、まだ仕事があるから出ていってもらうよ。フェンリル、お前もだ」


 その後、追い出されるようにして、俺とエルネスタは部屋を出た。

 秘密主義などという生易しいものではない。思った以上にユーリィにこびりつく“闇”は深いのだ。

 精霊の懸念を楽観視していた自分が、いかにマヌケだったのかを思い知る。


「ああ、どうしたら、優しかった彼を取り戻せるの……?」


 そんな少女の嘆き声が俺の耳にこびり付き、風荒ぶ屋根の上で、俺は眠れぬ夜を過ごすことになってしまった。



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