第16話 入城
もともとイワノフ家の居城だったという城は、今は近衛兵たちの駐留地となっている。
城内に出入りができるのはアーリングとその配下だけで、独身の兵士たちは隣接した大きな建物で寝泊まりし、家族のいるものは少し離れた村から通っているとのこと。さらに領地の西の外れにも駐留地があったが、先の戦いでほとんど壊滅状態らしい。
この城にも戦いの深い爪痕は残っている。正門横の城壁は今も壊されたままで、修復しようしている気配すらなかった。
馬車は鉄製の大きな門をくぐり、前庭を通り、城のエントランスに到着した。
ややあって中から三人の男が姿を現す。ユーリィが馬車から降りると、それぞれがそれぞれらしい態度で再会を喜んでいた。
最初に話しかけたのはアルベルト・エヴァンスだ。浮かべられている爽やかな微笑みは以前と同じで、涼しげな空色の瞳や薄茶の髪とも相まっていて、好青年な雰囲気を作っている。だから彼が見た目ほど爽やかではないことなど、知らない者にはすぐには分からないだろう。
「お久しぶりです、ユーリィ君、いえ、侯爵とお呼びした方がいいですよね?」
「いいよ、ユーリィで」
「お元気そうでなによりです。ヴォルフ・グラハンスとも再会できたようで」
アルの視線は鋭く、馬から降りたヴォルフの顔を突き刺してくる。最後に会った時、かなり険悪なムードだったから、まだ根に持っているのだろう。狂気に囚われていたとはいえ、ヴォルフも気まずさを感じずにはいられなかった。
「そのことも含めて、アルに話したいことがあるから今日来たんだ……」
隣に立つジョルバンニを気にするような素振りで、ユーリィは言いにくそうに口ごもる。しかしそんなためらいなど気にすることなく、アルベルトの隣にいたチョビ髭の男がキーキーとわめき始めた。
「突然いらっしゃるなんてあんまりです、ユーリィ様。なぜ事前にご連絡していただけなかったのでしょう。色々と準備があるというのに!」
首の長い鳥を彷彿させる彼はシュウェルトと言う名で、年の頃は四十過ぎ。口やかましいが、人一倍この若き侯爵に親しんでいた。
「そんな気にすることないよ。僕は屋根があれば、それでいいんだから」
「ええと、つまり今夜はお泊まりになるってことでしょうか?」
「うん、たぶん」
「それは一大事です。このところ、奉公人の数がめっぽう減ってしまったので。ああ、こうしてはいられません。私、支度がありますので、先に戻らせていただきます!」
ばたばたと鳥が駆けてくようにシュウェルトが城へと戻っていく。少し唖然としてしばし見送った全員だったが、やがてユーリィが気を取り直すようにベイロンに顔を向けた。
「久しぶりだね、ベイロン。兵士たちの具合はどう?」
ベイロンはディンケル同様にアーリングの手駒であり、大柄で筋肉質な体格も同じ。兄弟だと言われたら、ああそうかと納得するほどよく似ている。違うところと言えば、ディンケルが立派な口髭の持ち主に対し、彼はあご髭派だということぐらいだ。
「お久しぶりです、侯爵。兵士はほとんどが完治しております」
「そう、それは良かった」
「ですが治らない怪我を負った兵士らはどうするか決めかねています。辞めると申し出た者はもちろん引き留めていませんが。できれば我々の今後について、どなたが決めていただけると嬉しいのですが……」
「あ、それは……」
今度は口ごもったのではなく、遮られたのだ。
「イワノフ領の管理権すべてを委託する書類に、さきほどライネスク侯爵がご署名されました。これがギルドで受理されれば、近衛兵の件も含めて侯爵がお決めになるでしょう」
遮ったのはもちろんジョルバンニ。当然のごとくユーリィに寄り添い、表情が薄いながらも、その声には嬉々とした雰囲気が感じられた。
「すると、イワノフ家の継承を!?」
「あ、その件については、中で話す」
ジョルバンニが答える前に、ユーリィが慌てた様子で返事をした。その視線は、馬を預かりに来た従者たちや、ヴォルフの横に控える御者に向けられている。確かに奉公人の噂話にされるには時期尚早だ。
険しい表情のまま、ユーリィは長いエントランス階段を上り始めた。
半時後、円卓のある部屋に六人が集まっていた。ユーリィ、ジョルバンニ、ふたりの指揮官、シュウェルト、そしてヴォルフだ。視線はすべてユーリィにある。彼はイワノフ家の未来について説明したばかりだった。
「ずいぶん複雑な……」
ベイロン指揮官がまず口を開いた。彼がそう言うのも無理はない。そもそも爵位とはその家系に対して与えられているわけではなく、ギルドの土地を実質支配できる権利がある者に与えられている。ちなみに総括して“イワノフ領”と呼ばれているが、細かく言えば爵位が付随した所領がいくつかある。ユーリィに与えられたライネスク侯爵領もそのひとつだ。他にも伯爵、男爵、子爵などの土地も含まれていて、公爵と呼ばれているのはその中で一番身分が高い爵位だからだった。
「手続きは確かに複雑になりますね。“イワノフ領”には七つの爵位があり、それぞれの管理についての書類を作成し、それぞれにご署名をしていただく必要がありますので」
「そのような複雑なことをなされず、侯爵がすべて継承なさればよろしいのでは? それともイワノフ公やギルドは、ユリアーナ様が継ぐことに何かご不満があるのでしょうか?」
「父やギルドじゃなく、僕が嫌だって言ったんだ」
「なぜでしょうか?」
ベイロンだけではなく、ディンケルも、そしてシュウェルトですら固唾を飲むような表情でユーリィの顔を見つめている。自分たちの未来がかかっているのだから仕方がない。ヴォルフ自身もまた、彼がなんと答えるか気になった。
“おまえたちのことなんて関係ない。僕は自由になりたいんだ”
本音を言えば、そう答えて欲しいとは思っている。以前はその結論をいくら待っても出してくれない彼に絶望を感じていたのだから。
けれど、それが言えないのがユーリィであり、その部分も含めて愛しているのだと気がついた。
それに最近ではユーリィが玉座に就くことが、至極当然のようなことに思えてきた。もちろんセグラス・ジョルバンニは油断ならない相手だし、ふたりの関係を知られれば邪魔される可能性も大いにある。というか、間違いなく邪魔をされるだろう。
(まあ、そうなったらそうなったで、普段は俺が姿を変えていればいいだけさ)
金の天使が青い狼魔を操っていることは、周知の事実だ。だから魔物に変化してそばにいても不自然ではない。
ただし、自分の意志で自在に変われるという前提付きだ。そう考えると、焦りのようなものがヴォルフの心中に生まれてきた。
「侯爵、お答えを」
「えっと、それは僕よりもっと相応しい者がいるかもしれないから……」
「それは侯爵のお子様だという意味ですか?」
ふたりの関係を知っているディンケルが、ヴォルフの方へと視線を動かしながらそう言った。
「あ、いや、それは……」
「まだ事態が流動的だからですよ。ギルドに関しても、明日にはどうなっているか不明であることはご存じですね、ディンケル指揮官」
ジョルバンニの奴、うまいこと切り返したなとヴォルフは感心した。
「それはまるで、アーリング士爵がなにか企んでいるような言われようだな?」
「士爵が英雄だからこそ、ご自分でできることを他に任せることをよしとするか、ということです。あの方がその気になれば、ソフィニアを統轄することなど造作もあるますまい?」
「確かにそうだが、士爵はライネスク侯爵のために働くことになんの異論もないとおっしゃっておいでだ。あの方は権力者ではなく軍人であるのだから」
「マインバーグ提督も元軍人でありましたな?」
「まるで士爵が反乱を起こすような言われようだな?」
ディンケルの激しい口調に、雰囲気は一瞬で悪くなった。身分が違うと嫌がるのを強引に着席させられたシュウェルトなどは、どうやって逃げようかと算段しているようで、居心地悪そうに身じろぎをした。
「そんなことは申していませんよ」
「言ってるであろう!?」
「ちょ、ちょっと待て、ディンケル。その反乱っていうのが、なにに対しての反乱? もしも民衆に仇なすようなことをするつもりならそうかもしれないけど、アーリングはそんな男じゃないだろ?」
「ええ……もちろん……」
振り上げた拳を下ろすように、ディンケルは肩の力を抜いた。
「それにさ、アーリングにその気があるなら、僕は邪魔になるだろ?」
「そんなことはございません」
「あるよ。アーリングの統率力が鈍る。それぐらい僕にだって分かるから。でも別にそれでもいいよ。僕が欲しいのは権力じゃないんだし」
瞬間、青い瞳が向けられ、ヴォルフの胸がキュンと締めつけられた。
そんなユーリィの視線に気づいたディンケルが口を開きかける。きっと苦言を呈しようとでも思ったのだろう。だがうまい具合にシュウェルトが喋り始めた。
「私は、誰がなんと言おうと侯爵の元で働かせていただきますから。なんだったらライネスク領に出向いてもいっこうにかまいません」
鼻息荒くそう言ったのを聞いて、ユーリィが照れたように下を向いたので、何となくその場の雰囲気は和んでいった。
それから小一時間、ユーリィが中心になって今後のことについて話し合った。
イワノフ城はしばらく現状維持をとユーリィに言われ、シュウェルトは喜んでいた。見た目ほどは奇抜な人間ではない男なので、大きな変化は望まないのだろう。
負傷兵についても、ユーリィの提案は司令官たちをおおいに納得させた。
彼の提案はこうだった。兵士たちが城を離れるのなら、領地内で暮らせる場所を提供した上で生涯無税とする。城に残るのなら、給金は今の二割増しを支払うというものだ。
やはりユーリィは支配者に向いているのだと、ヴォルフはつくづく思う。そばにいる者を忠臣に変えてしまう力を彼は間違いなく持っている。
ジョルバンニはほとんど発言しなかった。ギルドについて質問を受ければ、事務的に答えるのみ。さすがにイワノフ領についてのことで口を出すのは、お門違いだと分かっているようだ。けれど隣に座る少年の横顔を、眼鏡の奥にある瞳はずっと見ていた。心の中で次の策略でも練っているのか、それとも支配者となる自分を夢見ているのだろうか。
男の本心が見えればいいのにと、ヴォルフは男の無機質な表情を眺めていた。