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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第159話 月白に忍ぶ

15R指定により年齢に満たない方はご移動をお願いします。またBL要素をかなり強く含みますので、苦手な方もお手数ですがブラウザバックをお願いします。

「迎えが来た」


 彼がそう言った時、ユーリィは失ってしまう現実に耐えられなくなっていた。自分でも信じられないほど大胆に求め、消えゆく魂を引き留めたいと心から願った。

 朦朧としている男の首に手を回し、唇を合わせる。

 最後のキスは血の味がした。ヴォルフとは違う刹那の愛欲。力なく絡んでくる舌は、タナトスの魂そのものだ。

 やがて、息が止まりかけ、彼は消え入るような声で呟いた。


「……あ……い……して……る……」


 それが最後の言葉だった。

 崩れゆく男を抱き留め、二度と帰らないという現実を認められず必死に食い止める。もしかしたらまた立ち上がるような、そんな気がして……。

 しかし非力なユーリィには支えきれずに一緒に倒れてしまった。

 抱きしめられるように胸にある遺体はまだ温もりがあり、横を向いた顔を覗き込めば、口元にはあの皮肉めいた笑みが浮かんでいるようにも見える。


「お前ホント、馬鹿だな……」


 そう言って、ユーリィは頬をそっと撫でた。

 眉も鼻筋も太い無骨な顔は出会った頃のままで、無精髭がチクチクと手のひらに当たって痛い。だから今頃になって、彼を許してやるべきだったのかとわずかな後悔が生まれた。


「なんで僕なんかに執着した? 僕は命を賭けるほどの者だったか? 散々酷いことを言ったし、酷いこともしたぞ? あの夜、お前は僕に言ったじゃないか、“クソガキ”って。エルフが嫌いだって言ってたじゃないか。なんでずっとそう思ってなかったんだよ? そしたら僕はリカルドに手紙を書いて、故郷に送り返してやったのに。それが嫌でもお前はどこにだって行けた。きっとお前はだれかに愛され、だれかを愛せたのに。どうして……」


 気づけば一筋の涙がこぼれ落ちていく。同時に、悲しみの涙は二度とこぼさないいう禁則を簡単に破ってしまった自分に驚いた。


 ああ、そうか。

 僕はずっとヴォルフを裏切っていたんだ。

 だから辛かったんだ。


 認めてしまえば少しだけ楽になり、それと同じだけ自分を嫌悪した。

 けれど腕の中の男のために汚れよう。愛する者を裏切った醜い者らしく。


「タナトス、僕がそっちに逝ったとしても、お前には会わないよ。どんなに欲しがっても僕はお前のものにはなれないから。でも、今だけ、一度だけ僕をくれてやる」


 命を失った男の下から抜け出し、ユーリィは徐々に冷えていく遺体を仰向けにした。

 青紫色の冷えた口へ唇を寄せる。舌を使って乾き始めた血を舐め取り、耳から顎、そして首元にこびりをすべて綺麗にした。

 それから耳元へとふたたび唇を寄せると、小さな声で囁く。


「僕は、たぶんお前が好きだった」


 知られてはならない秘密を作ったのは、タナトスへの償い。もちろん自己満足の不義だということも分かっていた。それでもこんなおぞましい行為ができたのは、だれかに見られているはずはないと思っていたから。

 ところが、すぐ後から声が聞こえてきて、ユーリィは跳ね上がるほど飛び上がった。


『痛ましいのぉ……』

「――――!!」


 振り返らなくても分かったが、あえて顔を上げると、そこには薄汚いボロをまとった半透明の老人がゆらゆらと揺れていた。


「リュット、僕は……」

『言わずともよい。そなたにはそなたの事情がある。ワシはゲオニクスの様子を見に来ただけじゃ』

「ヴォルフがどこに居るか分からないんだ。怪我をしているらしいけど……」

『そうか。ならばワシが案内しよう』


 滑るように後退し始めた地の精霊を、ユーリィは慌てて引き留めた。


「待って! 場所は教えてくれたら僕が独りで行く。だから代わりに、この男の遺体をどこかに運んでもらえると助かる。僕には埋葬できないから……」

『ワシにそんなことができると思うか?』

「できないの?」


 どうしようと思いつつ、隣で眠る男を見下ろす。冷たい手も、黒いシャツも大量の血がまだ染まっていて、ここに残していくのは辛かった。


『そなたはワシを酷使しすぎる』

「うん、悪いと思ってる」

『しかたがない、そなたに従うのはワシが選んだのじゃ。どこへ運んで欲しいのじゃ?』

「どこへ……ええと……」


 タナトスに似合いそうな場所がどこなのか分からない。

 彼がなにを考え、なにを思って生きていたのかも、一つも知らなかった。

 知っているのはいつも苛ついていたこと、エルフが嫌いということ、育ての親とは疎遠だったということ、それから……。


「どこでもいいよ、でもソフィニアの近くに」

『なぜじゃ?』

「たぶん……僕のそばにいたいんじゃないかな……」


 すると、リュットの姿は闇に溶けてスゥーっと見えなくなった。


『ゲオニクスは、水の流れる地下におる』


 その言葉が聞こえて次に起こったのは驚くべきことだった。

 タナトスの体が、まるで砂に埋もれていく石のように、床の中へと次第に落ちていく。

 初めに足が、胴が、そして胸が吸い込まれる様子を見て、ユーリィは最後にもう一度だけ冷たい唇へキスをした。

 これが最後の別れ。

 そして二度とだれにも執着されないようにと心に決めて。


 男のすべてが吸い込まれたのち、ただの床に戻ったそこには、彼の血を吸った小さな折りたたみ式のナイフが落ちていた。

 ユーリィはそれを拾い上げると畳んで、ポケットに収めた。

 それから体に不具合がないか確認しつつ、ゆっくり立ち上がった。酔いは覚めているようだ。欲情によるあの不調も軽い頭痛のみ。服はひどい状態で、グレイの上着もその下のシャツもボタンがすべて外され、布にも肌にも黒く変色した血がたっぷり付着していた。しかもクラヴァットが見当たらない。見渡すと、近くにある檻の棘に刺さっていた。


(バルタークのやつ、最後は殺すつもりだったんだな)


 クラヴァットは証拠としてそのままにしておくことにした。手早くすべてのボタンを留めて、檻の上に立てられたロウソクを掴む。垂れた蝋に固定され、剥がすのに少々苦労した。

 もう一度室内を見渡し、所狭しと並んだ拷問具を眺める。これなら分はこちらにありそうだと確信して、タナトスが現れた扉の方へ歩いた。

 途中、倒れている男を冷ややかに見下ろす。目をむいた形相はまだ恐怖が貼り付いていたが、哀れとも思わなかった。


 死体から扉まではすぐだった。外の気配を窺ってから、ノブをソッと押し開けると、差し込こんだ光がロウソクの炎と重なった。

 暗がりに慣れた目が眩む。しかしそれも一瞬で、焦げ茶の絨毯がすぐに視界へ飛び込んできた。等間隔に壁に取り付けれたランプは、いかにも貴族屋敷らしい情景だ。だからこそ廊下に転がる男が、ユーリィには幻のように思えた。着ている軍服は、ソフィニア軍のものより明るい青。きっとバルターク家の衛兵だろう。うつ伏せの首筋には深い傷があり、タナトスが残したナイフの刃と同じほどの大きさだった。


(ここまで案内させて殺したのか……)


 扉の方に向く頭がそれを物語っている。正面の白壁には乾いた血が飛び散っていた。

 今は現実を受け止め、感情も押さえ込もう。どうすべきかはすべてを見てから考える。そう決めて、ユーリィは勘に頼って左手に歩き出した。

 それほど広い屋敷ではないだろうと予測した。案の定、廊下を曲がるとすぐにエントランスが見える。ただしその手前に二人倒れていた。どちらもメイド服の女で、投げ捨てられた人形のように、無残な姿で折り重なっていた。

 死体の周辺は、血の臭いが漂っていた。おびただしい量が出血したらしく、絨毯を靴で軽く踏んだだけでドロッとした液体がにじみ出てきた。

 倒れている片方はまだ若い娘で、恐怖で目を見開いたまま絶命した様子があまりにも可哀想で、ユーリィはその両目をそっと閉じてやった。

 エントランスホールへ入ると、今度は三つの死体が転がっていた。二人は衛兵、一人はまだ若い執事のようだ。


(どこかに隠れている者がいるかもしれない)


 そう思ってホールの端にある階段の上を覗いたが、見える範囲にはだれもいなかった。


(それにしても、あいつ、どうして……)


 どの死体もほぼ一撃でやられた形跡があった。もしもポケットにあるナイフ一本でそれができたのなら、タナトスは相当な手練れだ。二度や三度の魔法攻撃に屈するような男ではなかった。

 犯すと言って、それを本気で実行する気だったなら、自分は敵わなかったはずだとユーリィは思った。だとすれば、彼は諦めた、もしくは死にたかったのだ。


(お前、憎めって僕に言ったじゃないか)


 もしそんなことになっていたら、今の感情も自覚せず終わったに違いないし、きっとあの男を憎んでいたことだろう。


(僕を甘い甘いって言ってたくせに、お前の方が甘いよ)


 皇帝を救うためだったとはいえ、罪のない者まで惨殺したのは、極刑も致し方がない行為だ。けれど、このまま知らぬ存ぜぬを通して、彼にすべてを押しつけるような真似もしたくはなかった。


(やっぱり僕は甘いのかな……?)


 それでも進むしかない。どんな未来が待っていようと、答えは一つだ。

 帝国を一つにして、この大陸の覇者となる。僕はその礎を築き、だれにも飼い慣らされず生きていこう。それが僕の“野心”なのだと。

 決意を新たに、正面の扉を開く。

 忍ぶように外へと出たユーリィの足元を、月白色の光が照らしていた。


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