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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第158話 切なき呪縛を口ずさみ

15R指定により年齢に満たない方はご移動をお願いします。またBL要素をかなり強く含みますので、苦手な方もお手数ですがブラウザバックをお願いします。

『この切なき呪縛を口ずさみ、我はひたすら地獄へと堕ちていこう――――』

            ――ムハ・ツィリル詩集『呪縛』より


 腕の中にある“光”が、欲しくて堪らなかった。

 血に飢えた獣のように、タナトスは耳へと唇を落とす。

 目眩を覚えるほどの芳しき香りがした。


「やめろ……」


 上擦った声が喘いでいるように聞こえる。欲情に火をつけるには十分なほどに。

 

「お前が欲しい、ユリアーナ」

「今すぐ離れろ。じゃないと……」

「じゃないと?」


 答えを聞くより前に、タナトスは滑らかな白肌を吸った。

 こんなにも欲しい理由をもう自覚している。

 しかし一握り残る嫌悪感が認めたくないと訴えた。


「やめろ!!」


 少年の怒声が風となって宙に飛ぶ。風音の連音が周囲に散り、見えない刃がタナトスの黒いシャツを切り裂いた。

 瞬間、背中と右腕に鋭い痛みが走る。

 その痛みが記憶を刺激して、忘れていた過去が蘇った。


 あれはいつだったろうか?

 壇上にいる司祭を眺めていた幼き日、いつものようにあくびをかみ殺し、礼拝のくだらない説教を聞いていた。


“我らを導く光ある者”


 司祭はそう言った。

 その言葉がタナトスの胸に刺さり、まったく興味がなかった『双世記』という経典を、変人の屋敷で夢中になって読んだ。

 しかし、古語で書かれた本など理解できるはずもなく。分かったのは“光ある者”を自分が求めているということ。だが、それすらもずっと忘れていた。


「受け入れてもらえないのは分かっている」

「分かってるなら! 放せよ!」

「今、殺せたはずだ。なぜそうしなかった?」

「ここでお前を殺す必要がないからだ。だけどこれ以上なにかするなら容赦しない」

「必要か……なるほど……」


 つまりこの命に価値もなく、この存在も無意味なのだ。

 憎まれることすらできない。

 それとも今ここで犯してしまえば、せめて憎まれることができようか?

 罪人を痛めつけた数々の道具に囲まれたこの場所で、“光ある者”を汚す妄想がタナトスの頭を過ぎる。それは少女の肉を貪ったある男と同じ、渇きを潤す腐った欲望だった。


「女を殺して食った男の話を知っているか?」


 ふと気まぐれに、タナトスはそう問いかけていた。

 それはあの屋敷で読んだ本の一つ。変人が薦めるままに読み始めたものの、はらわたを引き出した様子や、脳みそを噛んだ食感が鮮明に書いてあり、あまりに強烈な描写に子供だったタナトスは吐き気すら覚えたものだ。それなのに途中で投げ出すことができず、最後まで読んでしまった。

 たぶん魔物のように少女を欲した作者が、羨ましく思ったからだろう。あの頃からすでに、求めるものが何一つ見つからないこの世界のすべてが色あせて見えていた。

 そして今、腕の中にずっと求めていた者がいる。記憶にない過去に、たった一度だけ見た“光”がここに。だから憎悪でも恐怖でもいい。自分だけに向けられる感情が欲しかった。それ以上のものは、求めても得られることはないと分かっているから。

 それなのに、青い瞳は逃げもせず恐れもせず、タナトスを見上げている。


「知っているか?」


 黙っている少年にふたたび問いかける。

 すると、悲しみの色を滲ませた青い瞳がタナトスを見上げ、呟くようにこう言った。


「『我が殺意の考察』」

「さすがは皇帝陛下。なんでもご存知で」

「まさか僕を食べようって言いたいのか?」

「あの本の作者が最後にどうなったのかを知りたい」

「処刑されたはずだ」

「そうか……処刑されたか……」


 彼は満足して死ねたのだろうか?

 内に少女の肉を宿して。


「なら俺も、処刑される前にお前が欲しい」

「生肉は体に良くないぞ……」

「お気遣いどーも。たが食べるんじゃない、ここで犯すって意味だ。永遠に消えない汚れをつける。俺のことを忘れないためにな」


 今すぐにこの華奢な身体の奥に俺の汚れを流し込み、苦痛と快楽に酔った美しい顔を見てやろう。それが俺自身の生きた証になるはずだ。

 タナトスは、細い首を片手で締め上げ、身体ごと押し倒そうと試みた。だが、その華奢な身体から鋭い風が噴き出し、喉を掴むタナトスの手の甲を裂き、頬を切り、さらに後方へと数歩押し返した。


「あの短剣を返して欲しければ、大人しくしろ!」

「レネがいなくても、自分の身は守れるのは、もう分かっただろ?」

「なるほど、やはり“化け物”だな」

「そうさ。それにレネが僕のそばに居たいと思うなら、剣は必ず戻ってくるよ」

「はっ、大した自信だ。ならどうして殺さない? それとも俺が欲しくて、殺さないのか?」


 肩で息をしている少年に、タナトスは卑屈な笑みを浮かべてみせる。これから先は、だれよりも醜い人間として、抗えない快楽を与えてやろう。そうして俺を憎めばいい。

 しかし、青い瞳はひたすら悲しみの色が深まっていく。

 藻掻くような思いで、タナトスは話題を変えた。


「ジェイド・スティールという男を知っているか?」

「ジェイド……!?」

「あいつは俺の口車に乗って、ミューンビラーを殺しに行ったぜ。皇帝陛下のために、卑怯者にはならないそうだ」


 これで怒りを露わにして、本気で殺しに来るかもしれない。

 しかしタナトスの期待とは裏腹に、少年は静かに「そう……」と呟くだけ。悲しみの青はますます深くなり、感情の波は先ほどより凪いでいるようだ。それがタナトスを苛立たせた。

 憎まれればこそ、俺はこの感情をゴミの如く捨てられる。また認めたくないと心が抵抗を続けていた。


「あの魔物を待っているのなら無駄だ。俺が殺してやった」

「嘘だね」

「腹にでかい鉄板が刺さってる姿は面白かったぜ?」

「ヴォルフは死んでないよ。僕には分かる。だって僕はまだ絶望を感じてない」


 その言葉がタナトスを絶望させ、ヤケクソに襲いかかったものの、風が行く手を阻み、死に至らない傷を太ももに付けられた。


「俺は、死すら与える必要がない存在かよ!」


 憎しみをたぎらせて、タナトスは必死にすがりつこうと手を伸ばした。

 青い瞳には、惨めな男の姿が映っているだろう。ついさっき、狼魔を退治した猛者は消え去り、後ろに転がる雑魚と同じく、冷笑されて死に絶える。満足する死が迎えられないなら、せめて―――。


「危ない!」


 その声とともに、風がタナトスの横を過ぎていき、背後へと飛んで行く。


「うわぁああっ!!」


 悲鳴と派手な金属音に振り返れば、恐怖を顔に貼り付けたクズが、鎖の切れた鉄鞭を持って震えていた。


「わ、私は皇帝陛下を……お、お助けするために……あ、悪漢を……」


 男が必死に訴える。これで見逃されるかもしれないと期待しているのだろう。

 そんな態度に腹が立つのは、自分も泣きつけば許してもらえるのかと一瞬でも思ってしまったことだ。

 俺は許しが欲しいのではない。欲しいのは___。


「クソがっ!!」


 今度は容赦などせず、首元を狙って蹴りつける。

 うめき声とともになにかが折れる鈍い音がしたのち、仰向けになった男は口から泡を吹いて動かなくなった。


「ハーン……お前……」

「皇帝のゴミは俺が捨てると言ったはずだ!」

「僕はそんなに貧弱な支配者じゃないよ。現実を受け止めて、対処していくだけ」

「化け物と罵られてもか?」

「化け物であっても、人間以下じゃないってもう知っている。お前は僕を汚すと言ったが、どんな汚水にも僕はもう汚れないって知っている。それを全部教えてくれたのはヴォルフだ。玉座に付くのは僕の運命なんだ。いつか独裁者だと言われることになっても後悔はしない。僕は僕の道を進む」


 信念が風になり、光になり、タナトスは打ちひしがれるより他になかった。

 どんなことをしようとも、この魂は自分の物にはならないのだ。この世から消える寸前まで、ずっと輝き続けるだろう。たとえ肉を食らっても、この魂は絶対に手に入らない。


「昔、僕は“不幸を呼ぶ者”だと思ったことがある。お前を過去に飛ばしたのも、血に手を染めさえたのも、すごく辛い」

「だから殺さないのか?」

「この手でお前の命まで奪いたくないよ」

「甘いな……」


 胸ポケットからナイフを取り出し、ハンドルから刃を引き出した。

 幾人もの血を吸った刃先が、吊してあるランプの光に鈍く反射した。

 凶器に少し驚いた少年が一歩後退る。しかし美しいその顔に恐怖の色は一切なかった。


「もし最後に望むことがあるのなら、支配者ではない者に殺されたい。俺を永遠の安らぎへと(いざな)うために」


 手のひらが切れるのも構わず、それを握る。痛みを感じないほどに感情は高ぶっている。だから今なら何も考えずに逝けるような気がした。

 柄を少年に差し出すと、彼はためらいの表情を浮かべて動かない。だから一歩、そしてまた一歩と近づき、彼の手に押しつけた。


「握れ!」

「でも……」

「いいんだ、早く!」


 彼がゆるゆると握ったのを見定めて、その上から血に濡れた手をかぶせ、思い切り自分の胸を突き刺した。

 深く深くえぐられる。

 このまま惨めな者として、この世界から消えていこう。

 しがみついている理由は何一つなくなった。


「ハーン……」

「できれば……名前を呼んで欲しいね……」


 口から吹き出る血液は、錆びた鉄の匂いがした。


「タナトス、僕は……」


 できれば涙を流してはくれないだろうか。たった一筋でもいい。

 この世から消える哀れな男のために。

 そう願っても、青い瞳はだた悲しみに曇っているだけ。

 ならばと手を伸ばすと、血に染まった手を美しい顔に、金の髪になすりつけた。

 この世で一番汚いもので光を汚したから、消えそうな意識が震え出す。どうやら幸せな死が迎えられそうだと……。


「迎えが来た」


 目の前が暗くなり、いよいよと感じた瞬間、少年の声がした。


「僕はお前が嫌いじゃなかったよ。ヴォルフに会わなかったら、きっとお前を求めていた」


 その言葉が消えた時、柔らかい物が止めどなく血が滴る唇へと押しつけられた。

 痛みも、苦しさも、憎しみも、悲しみもすべて忘れ、夢中で貪る。甘くて苦い口づけが永遠に続けばいいと願いながら。


 やがて唇が離れ、ようやくこの感情を認める時がきたようだとタナトスは観念した。

 いつか読んだ詩が浮かんでは消えていく。

 だから俺も呪縛を口ずさもう。


『この切なき呪縛を口ずさみ、我はひたすら地獄へと堕ちていこう――――愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる……』


「……あ……い……して……る……」


 愛する者の美しき光が見えないことだけが、死にゆくタナトスにはもどかしかった。


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