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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第157話 悲しみよ、胸に沈め永遠に

 暗くて狭い場所だ。感じるのは水の匂い。

 判るのはそれだけ。

 意識の混濁が激しすぎる。そして酷く眠い。

 それでも始めるんだ、復讐という名のこの戦いを……。




 ミューンビラーの生誕会で、ユーリィはあえて酒を口にした。侯爵の娘二人になんだかんだと煩く話しかけられている間に、グラスに入った果実酒を数滴。飲酒した過去三回の経験から、自分の限界は知っているつもりだった。舐めるよりも少なく。それぐらいなら大丈夫なはずと。

 酔っ払ってグラスを落としたのはわざとだ。さてどうなるかと思っていたらエルナがやってきて、ミューンビラーが怒り狂った。すると酔いを覚ますという口実に、“密会の間”という怪しげな名前の部屋へとバルターク子爵に運ばれた。

 その部屋でいったいなにをするつもりなのかと内心警戒していたが、バルタークはすぐに立ち去ってしまった。付いてきていた兵士たちは部屋の外で待機。

 薄暗い部屋のソファにひとり寝かされ、最初に思ったことは、


(放置かよっ!!)


 さすがにこれはない。

 結局は、皇帝のことなんて貴族も兵士も無関心なのだ。

 皇帝とも思っていないのかもしれない。


(もしセシャール国王が倒れたら、パーティなんて中止になるだろうに。というかフォーエンベルガーの方がずっと大騒ぎだったし。つまりジョルバンニが言う“絶対君主”という者に、まだ僕はなってないってことだね)


 しかし、どうすればなれるのかという答えは未だに見つかっていない。

 いずれにせよ、“敵につけいらせる作戦”は失敗したようだ。生身の人間相手ならレネがいなくても、自分の魔力でなんとかなるだろうと決行に踏み切ったのだが、醜態を晒しただけで終わってしまった。


(面倒なことになるかもなぁ……)


 ミューンビラーを怒らせたのは少々マズい。機嫌取りになにか特権を与えるか、恐怖で抑えつけるか。もちろん恐怖という道具を使う支配者になりたいとは、決して思っているわけではないけれど。

 このまま何事もなく終わるらしい。だから適当な時間を見計らってから酔いが覚めたことにして、侯爵に謝ってから宮殿へ戻ろうと思った矢先だった。

 ゴトンという奇妙な音が部屋のどこかでした。

 それが異変の始まりである。寝たふりはやめにして起き上がろうか、それともギリギリまで粘ろうかと迷いつつ、ユーリィは薄目を開けた。

 怪しい気配は、爪先の方にある暖炉らしきところからしている。なにかが起きていることは間違いない。


(ネズミって可能性は……んー……ないね)


 いつでも魔法が使えるように神経を集中させ、薄いを頼りに目を凝らす。

 すると、見えてきたのは暖炉の中から這い出てきた人影だった。


(もしかして作戦成功かな?)


 アーリングを排除した今、次に立ちはだかるのはミューンビラー侯爵だ。絶対的権力を手に入れるためには、排除すべき障害に間違いない。

 あの人影がミューンビラーの手下なら、簡単に失脚させられる。そもそもこの生誕会そのものが罠かもしれないと疑っていたのだから。

 扉の向こうには護衛たちがいる。彼らの中にはジョルバンニの密偵もいるはずだ。


(もうちょっと粘ってみるか、言い訳ができないぐらいまで)


 不審者は、足音もなくそろそろと歩き出し、暖炉の前にある小さなテーブルの横を過ぎる。同時にテーブルにある蝋台のロウソクがその顔をわずかに映した。

 それを見た瞬間だった。


(あいつ……まさか……)


 噴き出してくる絶望的な恐怖。

 胸の奥の奥に押し込めていた記憶。


 あれは陰湿な乳母が去り、代わりに継母の体罰が始まった頃だ。異母兄からは言葉の暴力を受け、父やメイドたちは見て見ぬフリをした。

 そんな中、継母が新たなる恐怖を連れてきた。

 継母が開くサロンに集う若き貴族たち。“芸術の集い”という名目のそのサロンでは、芸術のことなど話されることはいっさいなかった。あるのは酒と情事。城のあちこちで空の酒瓶が転がり、メイドたちのあえぎ声が聞こえてきた。ちなみにその中の一人が、弟フィリップの実父であるのはのちのち知った。

 開かれるのはいつも父が不在中。異母兄は部屋に籠もって出てこない。だから咎める者もなく、若者たちは一晩やりたい放題だった。

 夜が更けてくると、酔っ払った継母が必ずこういうのだ。


『この城に、化け物が住んでいるわ!』


 部屋の片隅に座らされ、大人たちの狂乱を見せられていたユーリィにとって、それが恐怖の始まる合図だった。

 瞬く間に全裸にされて、汚物を頭から浴びせられる。さらに汚水を床にこぼして、舐めろと命令される。もし拒絶すれば鞭が飛んで来た。

 それを見て継母が笑う。

 男たちも笑う。

 そんな時は感情を殺して、されるがままになっていた。

 涙も恐怖も、胸の奥へとしまい込んで。

 だからアシュトの弟ミーシャと徒党を組んでいたと知った時に、思い出せなかったのはしかたがない。


(そうだ、バルターク……あいつは鞭を持ってたヤツだ)


 押し込めていた記憶の封印がすべて解けてしまった。

 なんどもなんども打ち付けられた鞭の痛みが、背中にうずく。


(殺してやる……)


 地位なんていらない。

 平和なんていらない。

 この地上にいる人間どもをすべて抹殺してやるんだ。バルタークだけではなく、この屋敷にいるすべての者を。

 復讐という名の殺意を魔力に込めて、風の刃を解き放とうとしたその時__。


“ユーリィ、君はそんな者じゃない!!”


 遠くから聞こえてきたヴォルフの声。

 なんどもなんども、黒い闇に堕ちそうになる自分を助けてくれた魂。

 だから今回は瞬時に理性を取り戻してくれた。


(……そうだね、ヴォルフ。僕はそういう者にはならないって誓ったんだった。忘れてた。けど復讐はするよ、支配者として)


 気づけば男はソファの前にいた。しばし無言でユーリィを見下ろし、やがてクククという小さな笑い声が聞こえてきた。

 驚いて目を開けると、刹那、口元を抑えつけられる。抵抗する間もなく、固い物が口の中に入れられて、そこから出てきた液体が喉を落ちていった。


「おまえ……これ……酒……」

「ゆっくりお休みになって頂こうと思いまして」

「外に……護衛が……」

「陛下はまだ酔いから覚めていないようですと、ご説明しましょう」

「でもおま……だんりょ……」


 呂律が回ってない。意識も混濁していく。それでも堕ちまいと必死に耐えたが、身体も言うことを効かなくなってきた。しかし毒ではなかったという確信はある。


(こいつ、また僕をいたぶろうとするつもりだ)


 それでもいい。

 もちろん、いたぶられることではなく。

 五歳だったあの頃と同じ状況に戻って、あそこからやり直すために。

 堕ちたと思ったのか、バルタークは相手が皇帝であることなど気にすることなく、乱暴に担ぎ上げた。

 それから部屋を横切り、暖炉の中を覗き込んだ。


(ああ、そうか、これ、地下通路に繋がってるんだ……)


 大昔、ソフィニアの治水管理に作られたそこは、この街に暮らすほとんどの者に忘れ去られていた。ユーリィが知ったのも、数日前に受け取った書類を見た時だ。


 だが意識はそこから途切れ途切れになっていく。

 短い昏睡と覚醒を繰り返す中で、どこにいるのか必死に探る。

 暗くて狭い場所だ。感じるのは水の匂い。

 判るのはそれだけ。

 意識の混濁が激しすぎる。そして酷く眠い。

 それでも始めるんだ、復讐という名のこの戦いを……。



 手首に強烈な痛みを感じて、ユーリィはハッと我に返った。

 この痛みは知っている。

 以前、手を縛られて吊された時と同じだ。だから目を開けて、自分の状態を知っても、狼狽するほど驚きはしなかった。ただし上着とシャツのボタンがすべて外されていることには目を見張ってしまった。

 けれどそれ以上に目を見張ったのは、辺りの様子だ。

 さほど広くもない空間に、所狭しと並んでいるのは、おぞましい拷問器具。太い針が無数に付いている椅子、檻、そしてベッド。首や頭を固定するための治具や、目の穴に棒が突き刺さった仮面もあった。それ以外にも、どうやって使うかは分からなくても、酷いことをするのだろうと分かる代物も大量にある。

 まさしくここは拷問部屋だった。


「どうやらお目覚めのようですね……」


 針だらけの檻の向こうから、バルタークが歩いてくる。その右手は、鞭のような物が握られていた。


「ずいぶん高尚な趣味だな……」

「ええ。昔、小さな化け物を痛めつけて以来、こういう物に興味を持ちまして」

「僕を見て、また始めたくなった?」

「それもありますが、ある人物から手紙をもらいましてね。ミーシャ・エジルバーク。ご存知ですよね、メチャレフ伯爵家の次男です。彼は一緒に楽しみたいと希望しているようでして、あの時のように。私自身も化け物に国を乗っ取られるのが少々気に入らないと思っていたところでした。それ以上の説明は不要ですね」

「僕に手を出したらどうなるか、お前、分かってるんだろうな?」

「貴方がどうなろうと気にする者がいるとでも? 少なくても貴族たちは化け物がいなくなれば万々歳。そうなればギルドなど早々に潰して、昔のソフィニアを取り戻すだけ」


 バルタークは手にした鎖をグルグルと回し始めた。

 その先端には鋭い刃が数枚付いている。

 革製だった鞭を鉄製に変えて、男はふたたび遊びを始めようとしている。


「もうあの時と同じことはさせない!」

「そんな状態で強がりを言えるとは、さすがは皇帝陛下だ」


 腐臭を感じるほどに、男のすべてが腐って見えた。


「さて、始めますか」


 そう言ってバルタークがにやりと笑った瞬間だ。扉が壊されるような音が聞こえてきた。


(ヴォルフ!?)


 期待を持って、バルタークの背後を見る。

 自分一人でできないわけじゃないけれど、彼と一緒ならもっと心強かった。

 だが___。


 その期待に反して入ってきたのは、黒髪の男。

 バルタークは慌てて鞭を男に向けたが、あっけなくかわされただけでなく、腹に強烈な蹴りを食らっていた。

 痛みにうずくまりながら、子爵は「どうして……」と呆然と呟く。


「地下通路から付けられているのに気づかないバカに、遊びと実戦の違いを教えてやるよ」

「どうやって屋敷に……」

「皆殺しって言葉、知ってるか?」

「うそだろ!?」


 バルタークが反応する前に、ユーリィが叫んでいた。


 自分を助けるために、この男はまた手を血に染めたというのか?

 本当にそれだけのために?

 これからもずっとそんなことを繰り返すというのか?


「嘘じゃない。あんたを手に入れるためなら、俺は何人でも殺す、永遠に」

「僕はそんなこと、望んでなんていない」

「そんな甘いことを言っているから、そのザマなんだよ。あんたは一人ではなにもできない。俺がゴミを取り除かない限りな」

「僕がなにもできないだって!?」


 全身から噴き出した怒りが風刃となって、両手を繋いでいた鎖を切り裂いた。

 レネがいなくても、この程度なら造作もない。

 なぜなら僕は、化け物なんだから。


「ハーン、その男に手を出すな!」

「あんたがやるのか?」

「やる? ああ、もちろん。ただしここではない。処刑台に乗せて首を落とすまでだ」


 ヒィと悲鳴を上げて、床に尻を突いたままバルタークが後退る。

 恐怖を感じた相手は、ただの雑魚だった。

 あの頃それを知ったなら、僕は違う道を歩んでいたのだろうか?


「この場で殺せば、処刑なんて面倒なことをしなくてもいいんだぜ?」

「僕がだれかを殺すとしても、ゴミのようには扱うつもりはない。その死を利用して、より強くなってやる。これは支配者になった僕の復讐だ。だから邪魔するな!!」


 叫ぶとともに、未だヒィヒィと泣いているバルタークを睨み、その上着を切り裂く。本当は服だけのつもりだったのに、まだ酔いがかなり残っていて狙いが狂ってしまった。


「うわぁあ、血が、血が……」


 切れた服に染み出した染みに驚き、バルタークはますます狂気じみた悲鳴を上げた。


「うるせぇ!!」


 ハーンがもう一度腹を蹴る。すると一瞬にしてバルタークは静かになった。


「静かになった。これでゆっくり話ができる」

「お前と話すことなんてない」

「だったら、俺も処刑台に乗せるか?」


 ゆっくりと近づいてくるハーンに怖くなって、ユーリィは少し後退った。


「それとも、その力を使って殺すか?」

「来るな!」

「早くやれよ」


 そうしようと思っても、魔力が出てこない。

 切り裂いてやると、本当に思っているはずなのに。

 

 迫ってくる相手から逃れようと、また数歩ユーリィが下がる。

 

「止めろ……」

「ほら、早く殺せ。もし殺さないんなら――」


 腕を掴まれ、引き寄せられた。

 ヴォルフでない胸に抱かれたというのになぜ逆らえないのか、自分でもよく分からない。

 きっとハーンがその名を呟くせいだ。


「ユリアーナユリアーナユリアーナユリアーナ……」


 化け物と罵られたことよりも、悲しみに満ちたその声がユーリィを辛くさせた。


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