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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第152話 罠

 タナトス捜索を頼んでから三日、ヴォルフはほとんど顔を出さなくなった。二度ほど顔を見せに来たが、タイミング悪くだれかが室内にいた。彼は一言も発することなく首を横に振り、そして出ていく。それを見て、ユーリィは現状を悟っただなけだった。

 無茶なことを頼んでしまった。 この広いソフィニアで たった一人を そうやすやすと 探せないことぐらい考えなくても分かったはずだ。まして ヴォルフは セシャール出身だから、 手がかりを 見つけることすら 難しいだろう。

 本当は、タナトスとはなんでもないことを見せたくて、その証として頼んだことはユーリィ自身も気づいていた。だから時が経つにつれ、そんな酷い理由でヴォルフを動かしている自分が段々嫌になり、正直にすべてを話そうと心に決めた。

 タナトスがあの時の子供だということ、レネを盗られたこと、執着されていること、キスをされたこと、それに応えたこと、体が反応してしまったこと、そしてあの男を嫌いになれないこと。なにもかもぶちまけて、それでも自分にはヴォルフしかいないと熱を込めて話したい。


(夜なら空いてるのに。一日ぐらい具合が悪くなってもなんとかするし、ヴォルフを遠ざけようって動きもないし)


 今二人に必要なことは話し合うこと、そして確かめ合うこと。それが許されざる行為かどうかはまた別の話だ。しかしヴォルフが現れるはいつも昼間で、ユーリィのそばには必ずだれかがいた。特にこの二三日は忙しく、目を通さなければならない書類が大量にあり、ほとんどがギルド関係だからジョルバンニかバレクがそばに張り付いている。それからディンケル将軍らと軍部の再編について協議する必要があったり、未だ落ち込んでいるブルーの代わりにシュランプ長老と話し合う必要があった。


 ラシアールについてはかなり深刻だ。たった一体でも使い魔が暴れればどんなことになるか、人々は実感しただろう。ユーリィはもちろん分かっていたが、信用の上で彼らを使ってきた。しかし信頼関係だけでは駄目だと知った今、やはり使い魔に付ける“束縛の名”を提出してもらわなければ。それさえあれば(ぬし)以外でも使い魔を制御ができる。

 もちろんシュランプ長老は首を縦に振るはずもなく、まだまだ解決まで長引きそうだ。


(せめてブルーが立ち直ってくれればいいんだけど……)


 あの女性が回復するまでは無理だろうか?

 しかし医者は奇跡でもない限り無理だと言っている。今は白魔法で命を繋いでいるだけだ。もし彼女が亡くなった時、犯人がタナトスであることをブルーに知らせるか悩みどころ。彼はきっとその理由を知りたがるだろう。真実を知った時、ブルーがどう思うか……。


「――陛下?」


 呼び起こされて、ユーリィは思考の海から現実へと浮上した。

 意識の外にあった景色が、視界に入る。薄いブルーの壁紙と、アイボリー色のカーテンと、焦げ茶色の本棚。それからコーナーあるサイドテーブルに置いてある花瓶に活けられた紫と白い花花々。ユーリィの一見華やかに見えて実際は味も素っ気もない部屋とは大違いだ。もっとも旧王族の王女が使っていたと聞いて、カーテンや調度品を地味なものに取り返させたところ、小花柄の壁紙とチグハグな感じになってしまっただけなのだが。


 目の前には白い小さな丸テーブルがある。その上に色とりどりの花が描かれたカップが三つあり、その中の薄茶の液体からはまだ湯気が立ち上がっていた。つまり長らく呆けていたわけではなさそうだ。

 テーブルを挟んだ向こう側に二人の人物が座っていた。その片方が思考の海から引き戻してくれた、エルネスタ·リマンスキー子爵令嬢だつた。


 エルナは困り顔でユーリィを見ている。会談の途中で沈んでしまったのだから、そんな目で見られても当然だろう。しかし、なんとか男爵がどうしただの、なんとか子爵夫人がなにを言っただの、伯爵令嬢がだれかと婚約しただの、どうにも興味が持てない。本当はそういう話を聞いて、貴族たちの繋がりや動きを探らなければならないのは分かっていたけれど。


「ごめんない、二人で話してしまって……」


 申し訳なさそうな声でエルナが言った。


「いいよ。全然気にしてない」

「陛下は噂話がお好きではないんですね」


 エルナに代わってそう言ったのは、三十代前半の男。ダークブラウンの髪をざっくり整え、無精髭のような顎髭を生やしている。さらにラフな薄グレーのシャツに濃紺の上着、ズボンは普段着らしき黒で、靴も普段使いだろう。およそ皇帝と謁見するような格好ではないが、ユーリィ自身がそうするようにエルナを通じて頼んでおいた。

 この一見無害そうな男、バルターク子爵との面談は完全に非公式なものだ。皇帝が友人であるリマンスキー子爵令嬢を訪ねたら、たまたま姉の夫の友人である子爵がいたという設定である。面倒なことだが、そういう体面を作らないと煩い奴らがここには大勢いた。


「好き嫌いじゃなく興味がないんだ。ずっと貴族社会に居なかったからね」

「長いこと旅をなされていたとか」

「長くはないよ。二年ぐらいかな」

「私してみれば十分長いですよ。ずっとお一人で?」

「一人の時もあったし、そうじゃない時も……」

「ではあの使い魔とご一緒に? ほら、元セシャール人の」

「あ、まあ、そういう時もあった」


 ヴォルフのことを出されてユーリィは無意識に身構えた。皮肉の一つでも言われようものないすぐに立ち去るつもりでもいた。所詮貴族は貴族だと。

 しかしバルタークは他意のなさそうな笑顔を浮かべている。ユーリィの表情の変化も気づいていないのか、


「さぞや心強かったことでしょう」


 と無邪気に言った。


「最初から使い魔だったわけじゃないよ」

「陛下をお守りする為、魔物に身をやつしたのですよね」

「そんなところかな……」


 八割ぐらいの事実を端折れば、だいたい合っている。だから否定する必要もなく、それよりなによりヴォルフのことが世間ではそう認識されているのだと初めて知り、ユーリィは内心驚いた。


「狼魔に跨り、魔物どもを追って天を翔ける陛下のお美しいお姿は、今でも人々の語り草ですよ。私もぜひ拝見したかった。あなたもそう思いますよね、エルネスタさん?」

「ええ」


 男の雰囲気に合わせて、エルナもにこやかに返事をした。

 やはりエルナに同席してもらったのは正解だった。本当は彼女を利用したくはないけれど、穏やかな会話というのがイマイチ分からないユーリィにとって、場の雰囲気を作ってくれる進行役は必要である。今もこれ以上触れて欲しくないというユーリィの気持ちを感じ取ったのか、彼女はさっと話題を変えてくれた。


「そういえば先日姉から懐妊したと知らせを受けたのですが、子爵はご存知ですか?」

「ええ、私にもワーマルクから自慢げな手紙が届きましたよ。これでサガンティー男爵家も安泰ですね」

「まだ男子とは限りませんわ」

「子供ができることが分かったですから、それだけで十分ですよ。ワーマルクの奴、ずいぶん悩んでましたから」

「やっばり姉のことでお義兄様にはご心配かけていたんですね……」


 そう言ってエルナがうつむくと、自分の失言に気づいたらしいバルターク子爵は慌てて取り繕った。


「あ、ええと、きっと若い頃悪さばかりしていたワーマルクに天罰が下っていたのでしょう」

「まあ、お義兄様が悪さを? そうは見えませんわ」

「彼だけでなく私もね。若気の至りですよ」


 その時なぜか意味深な流し目で自分を見たバルタークの視線を、ユーリィは見逃さなかった。

 

(なにか言いたいことがあるのかな? 若気の至りって、つまり今の僕を責めてる?)


 しかしそんな様子は感じられない。というより全体的に掴みどころがない男だ。これといって特長がない薄茶の瞳。やや奥目で細面なところも、ソフィニア貴族にはよくある顔立ちだ。

 しかし記憶の奥底にあるなにかが引っかかる。

 それを思い出そうとして、記憶にない男の顔をユーリィは食い入るように眺めていた。その間にもエルナと子爵の話は続く。


「エルネスタさんは、ワーマルクのお父上、サガンティー男爵にはお会いになりましたか? まだソフィニアにいらっしゃいますよ」

「ご挨拶はしました。でも姉の舅である方とそれほど話すこともありませんわ。ほら、私がなにか余計なことでも言ってしまったら、姉に迷惑がかかるかもしれないでしょ?」

「あなたならそんなことはないと思いますが。それに男爵はとても気さくな方ですよ。ミューンビラー侯爵とも親しかったはず」


 ユーリィもサガンティー男爵と会ったことはあるが、気さくとはおよそかけ離れた仏頂面の老人だった。しかもよりにもよってミューンビラーと親しいとは!

 貴族の間には色々しがらみがあって、それはエルナであっても逃れられないのは知っていても、ユーリィはなんだか興ざめした。


「ははは、皇帝陛下は侯爵がお嫌いなようですなぁ」

「子爵、そのようなことをおっしゃっては……」

「ですがエルネスタさん、陛下のお顔に書いてある」


 無邪気なのかなにも考えていないのか、バルタークが明るく言う。するとエルナはますます焦った様子で、「もうやめましょう」とたしなめた。だがバルタークはエルナの困惑など気にも止めず、


「きっと陛下も侯爵もお互いに遠慮があるのですよ」

「そ、そうかしら……」

「お二人とも誤解を受けやすいタイプですからなぁ」

「バルターク子爵、それはあまりに失礼――」

「いいよ、エルナ」


 少し苛立ちを見せ始めた彼女を遮って、ユーリィは子爵に向き直った。


「僕が誤解されやすいってどういう意味?」

「陛下はお強そうに見えて、とても繊細な方ですから」

「へぇ、まるで僕のことを良く知ってるような口振りだ」

「良くは存じませんが、私には人を見抜く力がありますから」


 自信満々に言い切ったバルタークに言葉が詰まる。ジョルバンニともアシュトとも違う胡散臭さが、子爵からそこはかとなくにじみ出ていた。


「見抜く力ねぇ。じゃあミューンビラー侯爵は?」

「彼も強そうに見えて繊細な人ですよ。つまりお二人は似たもの同士。腹を割ってお話になれば、きっと分かり合える間柄になりますよ」


 それはないと思ったものの、こう自信たっぷりに言われては否定する根拠が見つからず、ユーリィは黙って相手が言うに任せていた。


「もし侯爵が陛下を軽んじていたなら、今頃ご利用地へ戻られているはずですよ。そうでしょう、エルネスタさん?」


 同意を求められてエルナは返事に窮している様子だった。しかしバルタークはそれすら気にせず、


「ああ、そうだ。明日侯爵がソフィニアのお屋敷で五十五歳の生誕会を開かれるそうです」

「こんな時に生誕会なんて……」

「ただの生誕会ならそうでしょう。ですが五十五歳となるとまた別ですよ」


 五十五という歳は、マルハンヌス教徒にとって特別なものだということはユーリィも知っていた。五十五歳を超えてあの世に逝った者は、それだけで神の家臣の末席に座れるのだとか。だとしたら五十四で死んだアーリングはさぞや悔しがっていることだろう。

 それはともかく、そういう理由ならユーリィもとやかく言うつもりはなかった。しかしバルタークは想像を遙か斜め上の提案をしてきたのだ。


「それでこうされてはいかがでしょう。エルネスタさんからサガンティー男爵に、皇帝陛下もご出席されたいとおっしゃっているとお伝えするのです」

「僕が!?」

「私が!?」


 叫んだのはほぼ同時。

 エルナと視線を合わせ、互いの驚愕を確かめ合った。


「いけませんか? 和解する良いチャンスだと思ったのですが……」

「僕が行くと言っても、侯爵が嫌がるだろう?」

「では侯爵がぜひとおっしゃれば、ご出席なされるのですね?」

「それは……」

「私も男爵にわざわざ言いに行く口実が見つかりませんわ」

「口実なら、姉上のご懐妊のお祝いとすればよろしいのでは? なにしろ男爵にとっては初孫ですからね」


 お気楽そうなバルターク子爵のペースに嵌って、ユーリィもエルナも反論する余地すら失っていた。

 しかしユーリィは内心、それもいいかなと思い始めていた。ミューンビラーとはいずれ和解する必要があるとは思っていた。それが予想より早まったところで悪いことなどないはずだと。


 秘密の会談はそれから大した話題もなくお開きとなった。

 バルタークが出ていってすぐ、エルナは泣きそうな顔でユーリィに謝罪をした。バルタークの妙な提案以後、彼女の口数が減り、表情も暗くなったのは気づいていたユーリィだが、なぜ謝られたのか分からず首を傾げた。


「エルナがなんで謝るんだよ?」

「子爵があんな方だって分かっていれば、貴方に会わせなかったのにって思って。きっと不愉快な思いをさせてしまったわね。本当にごめんなさい。それからもし姉と縁を切れとおっしゃるなら、喜んでそうするわ。私自身はサガンティー男爵とはなんの繋がりもないけれど、でもそれが原因で貴方に遠ざけられたら、とても辛いから……」

「別に僕はエルナを疑ってないよ」

「でも男爵がミューンビラー侯爵と親しいって聞いた時、がっかりした顔をなされたでしょ?」


 相変わらずエルナはなにもかもお見通しだ。

 だれかに気持ちを見透かされるのは、嬉しい反面怖いとも思った。それにヴォルフのように互いに手探りなのも不安である反面嫌いじゃなかった。


「気にし過ぎだよ。それにバルタークの提案、乗ってもいいかなって思ってる。もしエルナが嫌じゃなければ」

「私はかまわないけど、でも本当にいいの?」

「出席するかどうかはミューンビラー次第さ。それに侯爵は敵じゃないからね、今のところは」


 今後どうなるかはユーリィも知る由がない。

 しかし未来に暗雲が立ち込めていられるらしいと感じ取ったのは、エルナの部屋を出てすぐだった。

 また退屈な仕事を熟す為、警護兵や付き人たちと執務室に戻ろうと階段を上がり始めた矢先、背後から呼び止められた。


「陛下、陛下、ちょっとお待ちを!」


 アシュトだ。しかし能天気な彼の登場は、先ほどまで一緒だった能天気そうな男とは違い、少しだけユーリィの心を軽くした。


「やあ、久しぶりだね」

「なにをおっしゃっておいでか。一昨日もお会いしましたぞ!」

「そうだっけか?」

「ジークリットさんと一緒に廊下でご挨拶いたしました」

「あーそういえば。ジークリットしか見てなかったけど」

「なんと!」

「幼女を連れ回す男の姿が目に痛くて……」

「彼女はすっかり私に心を開いてくれましてねぇ」


 ユーリィの嫌味など物ともせず得意気になるアシュトは、さすがとしか言いようがなかった。


「そういえばなんの用?」

「いえ、用ということは。ただ……」


 アシュトには珍しく周りを気にして声をひそめると、


「先ほどトーマ・バルタークがリマンスキー子爵令嬢の部屋から出て来て、今陛下も出てこられたのを見たものですから」

「あ、うん、たまたまね」

「そうですか……。ですがバルタークにはご注意なされた方がよろしいかもしれませんぞ」

「なんで?」

「彼は一時期、弟のミーシャと徒党を組んでたことがありましてね……」


 自分は罠に嵌りつつあるのかもしれない。

 ただし簡単に捕まるものか。

 立ち去っていくアシュトを見送って、立ち込め始めた暗雲を振り払おうとマントを翻した。

  

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