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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第150話 下僕の欲望

15R指定により年齢に満たない方はご移動をお願いします。またBL要素を含みますので、苦手な方もお手数ですがブラウザバックをお願いします。




 宮殿に戻ったのは昼少し前だった。

 相変わらず衛兵や使用人たちは、俺を避けて通る。しかし昨日開き直ったせいか、今日はまったく気にならならなかった。

 この姿でユーリィに会いたい。

 それが今の願望、いや欲望だった。

 エントランスホールは、大広間や謁見室同様、数枚の肖像画と天井画とシャンデリアと彫刻が施された白い柱が数本というセットになっている。天井は見上げるほど高い。

 幼い頃に行ったセシャールの王城とはずいぶん違っていた。あそこはここまで華美な装飾もなく、大理石の柱すら数本しかなかった。

 ユーリィによればこれが“王宮様式”なんだそうだ。


『王族たちの横暴は本当に酷かったみたいだよ。ギルド革命が起こる前の年は、貴族からも平民からも、収入の八割を税金として徴集したらしいから』


 なるほど、圧政によって贅を尽くした結果がこの宮殿なのかと納得したものだった。


(さて、私室か、執務室か)


 無駄に広い階段を見上げて一瞬悩み、すぐに後者と決めた。二日連続で昼間まで寝てられるほど怠け者ではないだろう。

 問題はジョルバンニかその手下が一緒にいるという可能性と、昨日のアレが尾を引いているかもしれないという懸念。もちろんそんなものがあったとしても会うつもりだ。

 階段に敷かれた赤い絨毯を、一階から二階、二階から三階へとたどっていき、三階に付くと右手へ行く。衛兵の数からすると、この階にいることは間違いなさそうだった。

 少し先にはあのコレットが所在なさげにたたずんでいた。以前は髪型にしても立ち姿にしても田舎女の雰囲気しかなかった女だが、今はどことなく垢抜けいるように見える。それが本来の姿なのか、この煌びやかな場所に少しずつ毒されているのかは分からなかった。


「皇帝陛下はご公務中です」


 執務室の扉までたどり着くと、コレットが力のない声で話しかけてきた。もちろん俺の顔に視線はなく、わずかに右へと逸れている。彼女の隣、扉の両脇に立つ衛兵二人もほぼ同じ。声を掛けるほどの勇気が、コレットより薄かっただけだ。


「長居はしないさ」


 そう言って扉を開き、中を覗き込む。

 ジョルバンニ一族のふたりの姿が見えないことにホッとして、焦げ茶色の重厚な形をした机の前にいる少年を見た。

 彼もチラリとこちらに視線を投げて、だれが入ってきたかは確認したようだ。しかしそれ以上の反応はなく、机の上に散乱する羊皮紙から一枚拾い上げ、そこへと視線を落とす。俺もまたなにも言わず、机の横にある椅子へと腰を下ろした。


(こうなったら根比べだ)


 そう覚悟したのも束の間、ユーリィの方が先にあっさりと話しかけてきた。


「思って以上に残ってるみたいだ」


 なんのことかと机の上にある書類を横目で見ると、血色の指紋がついた紙面が目に飛び込んできた。


「――もしかして貴族たちのことか?」

「うん、そう。帰郷の許可を出したのに、三分の二が残ってる」

「アルベルトが言っていた例の件?」

「今残っている全員がそうだとは言わないけどね。どんな奴が残ってるのか、帰郷した連中が血判書を出しているかどうか、ジョルバンニのリストと照合してるんだけど……あ、バルターク子爵も残ってるみたいだ」

「――?」

「前にちょっとしたことで興味を持って、機会があったら会えるようにエルナに頼んでおいた人物」

「お、おう」


 どんな反応をしていいのか分からず曖昧に返事をすると、ユーリィはクスッと笑い、今日初めて俺の方へと顔を向けた。

 動いた金髪が、後ろにある窓ガラスから差し込む陽光を乱反射させ、粒となって周りに散る。青い瞳には怒りもなく、ためらいもなく、戸惑いもない。そればかりか、まるで餌を欲しがる猫の瞳に見えて、俺はその餌を与えるべく立ち上がり、顎を指先で剃って上げて、冷えた唇にキスをした。


 貪り求めようと思っていたわけでない。

 下僕として、許しと愛情を差し出しただけだ。

“どうか機嫌を直しください、ご主人様、我が身は永遠に貴方のものです”

 そんな気持ちで、猫の背を撫でるように。


 唇を離した時、ユーリィは目の下をほんのり赤く染め、眉をひそめた。


「お前はいつも唐突すぎる」

「別に唐突じゃないさ。常にこうしたいけれど実際にするかしないかだけの違いしか、俺にはないよ」

「また臭いこと言うし」


 昨日の怒鳴り声と比べ、そのなじりは胸に心地よく、俺はつい笑ってしまった。


「ええと、なにを話してたんだっけ?」

「なんとかという子爵のことだ」

「ああ、そうか」


 残念なことに彼はそっぽを向くようにして、机に散乱している書類へと視線を戻し、手早くそれらをまとめて、端に積まれている山へとポンと投げた。


「血判書をそんな扱いするのは、この大陸ではきっと君だけだろうな」

「僕は神なんて信じてない。それにもし信じてたら、お前と今みたいなことをしないだろ?」

「ま、そうだな」


 これ以上はまた機嫌を損なうだろうと、俺は大人しく椅子に戻り、主人の話を聞く体勢を作った。


「つまりさ、僕だって少しは味方が欲しいなって。全貴族を敵にしようとは思ってないわけだから。それだけのこと」

「へぇ」

「それにエルナのお姉さんの旦那の友達らしいし、僕は皇帝だし、向こうはきっとマヌハンヌス信者だろうし、っていうか同性だし、皆が皆、そういう感じになるわけじゃないし」


 きっとハーンのことを疑われたことを気にしているんだろう。必死に取り繕っている感じが可愛らしく、俺は内心ニヤニヤ笑いが止まらなかった。主人に気遣われて嬉しくない下僕などどこにもいないのだから。


「そんなこと思ってないさ」

「ホントに?」

「本当。それより、領地に戻して良かったのか? ククリどもが襲ってくるかもしれない。それ以前に留守を狙わなかったあいつらもマヌケだが」

「忘れたのか、ヴォルフ。ここ(ソフィニア)には三百人以上の捕虜がいるのを」


 ユーリィは血判書の束の下にあった紙を一枚引き出して、それに目を通し始める。治水という文字がいくつか並んでいた。敵も味方も治政までも一人で背負い込んで、いつか潰れてしまわないだろうか。彼はまだ“手を抜く”という小狡さを覚えていないから、それだけが心配だった。


「それに、そんなにいないみたいだよ」

「いないっていうのは?」

「捕虜以外にはもう五十人もいないんじゃないかって、シュランプ長老が言っていた。前にさ、エルフは繁殖力が弱いって言ったのを覚えてる?」

「ああ」

「子供を作れる時期が短いらしくて、女性も多くて二人しか産めないんだって。もともとククリは人間どころか他のエルフにも排他的で、しかも女系だから、近親相姦まではいかないまでも近親で子供を作っていった結果、子供が出来にくくなって、あの戦い直前は千人もいなかっただろうって」


 異母妹との間に子供を作ったククリの男を思い出して、なるほどと俺は頷いた。

 

「で、あんなことを起こしたのも、それを打開するためだったんじゃないかって長老が言ってた。だけど魔物襲撃からこっち、何度かあった戦いで五百人ほど死んで、しかも女子供の捕虜三百人がここにいるとなると……」

「起死回生するつもりが壊滅か」

「これ以上若い男が死んだら民族絶滅になってしまうから、(から)め手で攻めてきたんだろうって僕も思ってる」

「搦め手?」

「メチャレフ領をこっそり占拠しようとしたり、あと他にも」


 そういうことかと納得しかけて、俺はすぐにと首をひねった。

 排他的なククリ族はともかくとして、他のエルフも同じではないだろうか?

 それをユーリィに尋ねると、彼は書類を眺めながらもその答えを教えてくれた。


「ラシアールは他の種族とも交わるし、それに一夫多妻制なんだって」

「それで俺が理解すると思っているのなら大間違いだ」

「もし仮に一人の夫に対し二人の妻が二人ずつ子供を産んだとしたら、五十年後には一人増えたことになる」

「あ、そういう……。するとブルーの奴は近い将来、女を何人もはべらすのか。生意気な」

「もしかして羨ましいの?」


 パッと俺を見た青い瞳に責められているような気がして、


「あ……いや……ちが……べつにそういうことじゃ……」


 しどろもどろの言葉が口を衝く。


(なに言ってるんだ、俺。これじゃ逆効果だ)


 焦る自分がもどかしく身動ぎをしたが、幸か不幸かユーリィはすぐに視線を書類に落として、それ以上はなにも言わなかった。代わりに少し寂しげな声で、


「ブルーはずっとあの女性に付きっきりだよ……」

「刺された女か。見に行ったのか?」

「うん。犯人も彼女も、ブルーの幼なじみだったらしい。たぶん彼女のこと、好きなんじゃないかな、あいつ」


 表情が消えたのは、それだけ彼が心に強くなにかを思ったからだろう。

 俺は慰める言葉も見つからず、黙ってその様子を見守った。そう、まるで甘えた声で(主人)が鳴くのを待つかのように。

 しかし彼は思念の海へと沈み、しばらく口を開こうとはしない。またかとは思ったものの昨日のように無理やり浮上をさせるのは止めて、俺は静かに待ち続けた。

 ようやくその可憐な顔を上げた時、彼はどこか大人びた表情となっていた。俺を見た瞳の海が、深い青に変わっている。光の加減だと分かっていても、なにを言い出すのかと固唾を呑む。できることなら衝撃的な内容でないことを祈って。


「さっきククリが搦め手で攻めてきているって言っただろ?」

「ああ……」

「ブルーの話に寄れば、ククリが一人紛れ込んでいたんだそうだ。ミラン副官は言葉巧みなそいつの影響を受けたんだろうって。ブルー自身もなにかの術にかかっていたんじゃないかと言っていた」

「そのククリは?」

「それが見つからないんだ。ミランたちがなにか企んでいるって通報があって、その密告者というのがいたはずなのに、それも分からない。だれに聞いてもまるで伝言ゲームみたいに、“だれだれから報告があった”とそればかりで」

「ジョルバンニの二人が知ってるんじゃないのか?」


 ユーリィは厳しい表情で首を横に振り、それを否定した。


「バレクは下から報告があったと言い、その憲兵長も下から聞いたと言い、その部下は別の上司から耳打ちされたと言い……」

「つまりその元がたどれない」

「そういうこと。しかもジョルバンニは今回の検挙そのものも知らなかったと言っている。どうやらバレクの独自の判断だったらしい。バレクの言い訳によると、ジョルバンニの体調を考慮したとかなんとか」


 ジョルバンニが足元を掬われているのだとしたら少々小気味がいいなと思いつつ、俺は小さく頷いた。


「不穏な動きがあるのは分かる。それがどこまで広がっているのかは分からないけど。もし貴族にまで毒が回っているなら早い段階でなんとかしなくちゃ。だからさっき言ったバルターク子爵から始めようと思っているんだ。もちろんミューンビラー侯爵もどうにかするつもりだけど、侯爵の命運はそれほど残ってないかもしれない」

「どういう意味だ?」

「イワノフ公爵を殺した奴が、また仕事をするかもしれないって意味だよ」


 昨日の話の核心に触れたせいで、ユーリィは一瞬怯えたような表情をした。もし彼に猫の耳が付いていたなら、後ろに伏せられていたかもしれない。


(いっそ、その方が分かりやすいな。それに可愛い)


 妙な妄想が浮かんでは消える。

 俺自身も昨日の二の舞になりたくて、少々現実逃避をしたかった。


「タナトス・ハーンを探せ、ヴォルフ。きっとこの街のどこかにいる」

「あの男は、君のために動いているのか? なぜ?」


 質問に答えることを拒絶して、ユーリィは固く口を閉ざし、首を横に振った。

 しかし俺はその答えが本当は分かっていた、同じ者を愛する存在として。

 冷静になると色んなものが見えてくる。だからもう一つの事実にも気づいていた。

 それは____


(ユーリィはハーンに好意を抱いたことがある、もしくは抱いているのか)


 彼は一度好きになった相手を憎んだり嫌ったり出来ないという特異な性格の持ち主で、それがいいことか悪いことかは別として、ハーンにもその感情を持ったのだろう。


(マズい、早めに潰さなければ)


 政治的なことなどどうでもいい。その一点だけで俺の動機は決定する。


「わかった。だがもし俺があいつを()ることになったとしても、いいか?」

「ヴォルフがそう判断したならいいよ」


 けれどその顔にはして欲しくないという表情がはっきり浮かんでいて、俺は少々ショックを受けた。


「どうせ僕はしばらく動けないし、ここで色々探るしかない。本当はエルナに協力をしてもらえれば楽なんだろうけど。女性がいると違うだろ? でもブルーが言っていたんだけど、彼女 ――アーニャっていうらしい―― にミランやククリのことを探るように頼んでたんだって。だから余計に辛そうで。僕ももしエルナにそんなことを頼んで、もし彼女が危険な目に遭ったら、僕だってブルーと同じ気持ちになると思う」


 その瞬間、俺は刺された。

 間違いなく心を刺された。

 聖人になったつもりで“彼が皇帝として必要なら”と思っているが、俺はやはり魔物だ。穏やかな気分でいられるはずもなく、理性で抑える付けるのに苦労するだろう。

 だから今は魔物として欲望のままに行動しよう。俺の主人であるという確信するために。

 ふたたび立ち上がり、今度は容赦なく頭を抑えつけ、唇を奪った。

 許しを請うためではない接吻は、クチュクチュと淫靡な音が出るほど激しく深く。

 少年の鼻から漏れる喘いだ息は、それだけで魔物の俺を満足させた。



 その後、俺は艶のある目をした皇帝に、散々責め立てられたことは言うまでもない。


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