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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第149話 彷徨える魔物

 皇帝の私室を出た直後、俺は激しい目眩を感じた。その場にしゃがみ込みたいのを我慢して、衛兵たちの前を通り過ぎる。平然としたふりをしていたが、心では嵐が吹き荒れていた。


 またやってしまった――――。


 最後のは完全に余計な言葉だった。

 ユーリィにはユーリィの正義があるし、皇帝としての立場もある。それでもあいつを一番に信じてやらなければならないのは俺だ。互いに想い合っているのだから、こんな繰り返しはいい加減に終わらせなければ。

 そうは思ったものの、一つだけ引っかかったことがあった。


(あいつ、ハーンの名前を出した時、妙な顔をしたな……)


 なにかを隠そうとする気配が感じられた。ハーンのことなのか、それとも別のことなのかまでは分からないにしても、酷く動揺していたようにも思える。


『そういえば最近、陛下は色っぽくなりましたね』


 今朝方、アルベルトから言われた言葉だ。

 同性に対してそれはないだろうと言うと、彼は舞台俳優顔負けの表情で驚いてみせて、『まさか貴方には心当たりがないんですか?』などと、俺の心を引っかき回してくれた。


(やっぱりなにかあったのか?)


 しかしそれを聞くのが怖い。人としての意識が戻れば戻るほど、この世界と隔たりを感じ、たとえば今、階下から上がってくる交代の衛兵たちが俺の姿を見た途端、階段の端へと避けて、視線すら合わせないというような、そういったことだ。


 宮殿内は妙に静かだった。滞在していた貴族が半分ほど領地へ戻ったせいだろう。昨日までは大勢の召使いたちがウロウロしていたが、今日はどこか閑散としていた。

 そうこうしているうちに、皇帝の私室がある四階から二階まで降りてきた。東棟の私室に戻るか、それとも街に出るをしばし悩む。東棟は住み込みの使用人たちが主に使っていて、俺の部屋もそこにあった。

 皇帝の側近だの言われているが結局扱いはそんなものだ。しかもハーンの部屋だった物置は四つ隣。あの男の待遇は酷かったが、要するにあいつと大して変わらない扱いであることが気に入らない。

 人の心を取り戻すとともに、どんどん卑屈になっていくなと苦笑いを浮かべていると、東棟に通じる通路を二人のメイドがこちらに向かってくるのが見えた。

 一人が俺に気づき、肘で隣の女を突く。二人ともその場で足を止めて、ひそひそと囁き合った。声は聞こえなかったが、なにを話したのか分かったのは、最初に気づいた女の表情がまるで森の中で魔物に出会ったようだからである。


(やっぱり魔物扱いか)


 腹立ち紛れに睨み付けると、女たちはヒィと小さな悲鳴を上げて、東棟へと走り去ってしまった。

 こんなことは一度や二度ではない。メチャレフ伯爵らの葬儀以来、俺が魔物だということが徐々に知れ渡り、島から戻ってからは周知の事実になってしまった。お陰で宮殿を徘徊する野良猫のごとく、どこに行くにも咎められることがなくなったが、どこに行っても避けられた。

 最初の頃は気にならなかったことが、人としての意識が強くなってくるにつれて徐々に寂しく感じた。一方で魔物の自分がくだらないとあざ笑う。

 故郷(セシャール)にも興味を失った今、俺とこの世界を繋ぎ止める唯一の存在はユーリィだけだ。それを失ったとしたら、向かう先はもう一つの故郷しかない。荒れ果てた荒野が広がるあの世界で、永遠に食って寝て戦うだけの日々を――…


「どうされました?」

「――――!?」


 すぐ近くで声がして、俺は一瞬にしてこの世界に引き戻された。


「こんな場所で呆けるのは、まるで皇帝陛下のようですなぁ」


 前で愛想笑いをしているのはチョビ髭の男。この男だけはなぜか俺を恐れず、朝夕の挨拶もしてくれた。


「俺を見てメイドたちが逃げていったんで、睨み付けてたんだ」

「食い殺されると思ったのでしょう」


 口をすぼめてそう言った男自身はやはり恐れている様子はない。それは何故かと尋ねると、シュウェルトはしたり顔で「陛下が一番信用なされている側近の方ですから」と返答した。


(そういえばこの男もディンケルと同じくユリアーナ教の信者だったな。いや、どっちかというと口うるさい母親か)


 チョビ髭はそのまま立ち去ろうとしたが、突然素っ頓狂な声を出して振り返った。


「あっ! そうでした、そうでした」

「――?」

「すっかり忘れていました。ちょっとここでお待ち下さい」


 東棟へと引き返すチョビ髭を見送ってしばし。物の数秒でパタパタと戻ってきた彼は、俺の鼻先に黒い服を突き出した。


「これをお渡しするのを忘れていました」

「――服?」


 受け取るのもためらって首を傾げると、シュウェルトはなにやら楽しげに説明を始めた。


「セシャール人であるグラハンス殿は、ソフィニア軍の軍服はお似合いにならないからと別な服を作ってくれと、陛下から頼まれまして」

「陛下が俺に……?」


 受け取ったのは青みがかった黒い上着。その昔、親父に無理やり着せられていた旧セシャール軍の軍服と良く似ていて、懐かしいやらこそばゆいやらの気分にさせられた。立て襟と袖口にある銀色の縁取りが唯一違う点だ。


「それにしても、陛下は普段ご自分の服には無頓着ですのに、この服には細かな指示をなされましてね」

「そうか……」

「さあさあ、サイズが合うかどうか、早く袖を通してみてください―――、ああ、良かった、ピッタリですね。すぐにセシャールの方々との謁見の議が始まりますよ。お父上にご挨拶をなされるのでしょう?」

「そうだな、そうするか」


 さっきまで凹んでいた気持ちが薄らいでいく。大丈夫、あいつは俺をこの世界に繋ぎ止めようとしてくれていると。だから今すぐ戻って、あいつに謝ろうと心から思った。

 しかし___


「貴方が戻ってきて良かったですよ。あの男が消えてから、陛下はどことなく不機嫌でしたからね」

「あの男って?」

「ハーンさんですよ。隠れん坊の時、陛下に馴れ馴れしくて、つい文句を言ってしまったのですが、考えたら陛下も嫌がっているご様子ではなかったので、余計なことを言ってしまったかと心配しておりました。あの後すぐ、彼は宮殿を去ってしまったので」


 薄らいだと思った気持ちが急速に戻ってきて、パタパタと羽根を動かすようにして去って行くシュウェルトを、ふて腐れた気分で見送った。


(謁見の議か、あんまり出たくないな……)


 ユーリィに謝りに行こうという気分でもなくなってしまった。かといって命令通りにベルベ島に戻るにも、次の新月までにはまだ間がある。俺が早く行ってしまうと、森の中で隠れ暮らしている奴らにとって食い扶持が増えるだけで良いことだとは言えないし、今は精霊とハイヤーに任せるしかない。それに命令だからと大人しく帰るのも癪に障った。


(そういえば、ジェイドのことは本当のところどうなんだろう?)


 言い過ぎではあるけれど、半分は本気だった。

 前にユーリィとエルナがやり合ったことを思い出す。あの時、支配者になれば時には非情になる必要があるとユーリィは確かに言った。事実、アーリングとの一騎打ちで彼は以前にはない冷静さで英雄を仕留めた。

 別にそれを止めようとは思わない。

 ただあいつが後悔するようなことにならなければ。


(ジェイドにもう一度会ってみるか……)


 とは言っても今、彼がどこにいるのか分からない。今朝はハーンのことで頭に血が上ってほとんど話をしなかったので、憲兵は辞めて知り合いのところに身を寄せるというようなことを言っていたと、うろ覚えがあるだけだ。


(あの男なら知ってるかもしれないな)


 会いたいと思う相手ではないが、この際しかたがない。尋ねる言い訳として、リマンスキー子爵令嬢の名前を出そうと決めて、俺は西棟に行くことにした。



 宮殿の西棟にはギルド執行部がある。ジョルバンニの執務室は三階で、本館二階から繋がる通路を使って移動して、さらに階段を一つ上がればすぐだった。

 皇帝や貴族たちの居住区がある本館ほどではないが、ここにもやはり衛兵が徘徊している。もちろん彼らも見て見ぬふりをするために、俺から顔を背けた。

 考えたら、ユーリィは俺と出会う前の十五年間、ずっとこんな者たちのそばで暮らしていた。存在を認めてくれたのは虐め抜かれたあの兄だけ。幼き彼が毎日どんな気持ちで過ごしていたのかと、今さらながら実感した。

 それはともかく、置物と化した衛兵たちの前を通り過ぎ、議長の執務室まで来た時、ちょうどその扉が開く。出てきたのはジョルバンニとその子分であるバレク。二人とも正装をしているところを見ると、どうやら謁見の議というのに出席するのだろう。さすがに彼らは俺を無視できないようで、出てきた場所で足を止めた。


「これは珍しい服を着ておいでだ」


 最初にそう言ったのはジョルバンニだ。相変わらず飄々として、昨日具合が悪かったとはまったく感じなかった。


「ソフィニアの軍服は似合わないんでね」

「なるほど。で、こんなところでどうかしましたか?」

「ラシアールのあの女と一緒にいた憲兵の居場所を教えてもらいたい」


 ジョルバンニなんかと話し込むつもりもないので、俺は口早にそう言った。しかし相手からの反応はなく、眉間に皺を寄せて俺の顔を凝視するばかり。


「居場所は聞いてないのか?」

「居場所もなにも、そんな話を今始めて知りました」

「後ろのヤツが知ってるはずだが」


 俺に見せた表情のままジョルバンニは後ろを振り返った。


「どういうことですか、ニコ? すべて報告と言ったはずです」

「ああ、申し訳ない。業務が重なって、言い忘れていました」

「注意して下さい」


 向き直ったジョルバンニは、鋭い視線で俺に説明を求める。面倒だったが、俺は昨日の件を話し、その憲兵に会いたいと告げた。


「なぜ会いたいのです?」

「彼の両親が知人でね。近況を知りたいのさ、あの事件のあとどうしてるか心配なので」

「リマンスキー子爵令嬢に尋ねれば良いのでは?」

「領民のことを領主に尋ねるのも遠慮がある。それに皇帝も彼らとは昵懇にしていたので知りたがっている」

「政治的なことではないでしょうね?」

「彼らはただの農夫、そんなわけがない。だから知ってるのか知らないのか教えてくれ」

「どうなんです、ニコ?」


 ジョルバンニがふたたび振り返ると、小さく頷いたニコ・バレクは北地区にある共同住宅を教えてくれた。

 それさえ知ればこいつらのそばにいる必要はない。そそくさとその場を離れようとした俺を、ジョルバンニが呼び止めた。


「謁見の議には出席されないのですか?」

「父とはもう別れの挨拶を済ませたんでね」


 その方がお前たちにとって都合がいいんだろうと思ったが、もちろん口にはしなかった。




 謁見の議で慌ただしくなった宮殿をあとにして、俺は教えられた地区へ行ってみた。破壊された場所とは少し離れているので、剣呑な雰囲気はほとんどない。時折、荷馬車がものすごいスピードで通り過ぎて、道行く人間たちを驚かせる。


「やっと戒厳令が解かれたんで、車屋も張り切ってんなァ」


 俺と同じく道の端に避けて隣に立っていた男が、そう呟く。ディンケルは反対したが、結局はユーリィの判断は正しかったようだ。

 それから散々迷って、その建物を見つけることに成功した。中から出てきた若い男によれば、ジェイドは今し方出ていったばかりで、帰ってくる時間は分からないと言う。戻るまで待っててもいいかと尋ねると、素っ気ない態度であっさり断られた。

 ならば外で待っていようとしたが、通行人にじろじろと眺められる。真新しい ――しかも上質な―― 服を着ていれば当たり前だ。ただでさえ、俺の髪色はソフィニアではかなり目立つ。


(夜、また来るか……)


万が一だれかの耳に入って勘ぐられたら、またユーリィの迷惑になるかもしれないという配慮ぐらいは俺にもあった。                                                  



 しかし宮殿に戻ったら戻ったで、今度は衛兵に加えて、大勢の兵士たちが玄関前にウロウロしていた。ちょうど謁見の議が終わった直後で、これからセシャール人たちを港まで護衛するということらしい。

 ならば親父の見送りでもするかと思ったが、先に出てきたディンケルに見とがめられ、冷たい口調でこう言われた。


「兵士たちが困惑しますので、できればここから離れて下さい」


 さらに親という存在を知らない片割れも心の中で面倒だと主張して、俺は大人しく引き下がることにした。

 宮殿の中に入ったら入ったで、今度はエントランスホールでミューンビラーら貴族に出くわした。こいつらは露骨なほど嫌悪感たっぷりに俺を見る。腹は立つが、その気になれば一咬みで殺せるような奴らを相手にするほど馬鹿ではない。なるべく視線に入れないために、避けるようにして自室に戻ろうとしたところ、貴族たちの最後尾にいたアルベルトに袖を掴まれた。


「こちらへ」


 引っ張られるままに、何本かある白い柱の陰へと連れて行かれる。巨大なシャンデリアの光も届かず、壁に掛けられた肖像画の男だけが見下ろすそんな場所で、俺たちはこそこそと話を始めた。


「どこに行っていたんですか?」

「どこに行ってようと俺の勝手だ」

「おや、ずいぶんと機嫌が悪いですね。さては皇帝陛下と喧嘩でもしましたか?」

「なっ!?」


 この男の洞察力には、昔から舌を巻くことが多い。今も空色の瞳に笑みを湛えて、楽しげに微笑んでいた。


「けれど貴方がいなかったせいで、彼はアグレムというセシャール人にイヤミを言われていましたね」

「皇帝にイヤミ? どんなことを?」

「“セシャールの者を仕えて下さっているのは大変嬉しく思いますが、父親が帰国をするという時に、この場に出席させないのは、なにか理由があるのでしょうか?”」

「ムカつく野郎だな」

「それを取りなして、息子とはもう別れの挨拶を済ませたとグラハンス子爵が言ったのですが、アグレム氏は“まさか檻に入れているわけではないでしょうな?”と」

「チッ」


 故郷(セシャール)での父親の立場が思いやられるが、そればっかりは俺がどうすることも出来ない。せいぜい頑固な態度を取って、周りを困らせればいいさと気楽に考える。実際のところ、父親に対する愛情は、片割れと同化したおかげで昔の半分も残っていなかった。


「本当に喧嘩したのですか?」

「俺が余計なことを言ったせいで、ベルベ島へ帰れと命令された」

「帰るんですか?」

「昔ほど俺は馬鹿じゃない」

「それなら安心しました。皇帝も貴方が来ないことを気に掛けていたようですから」

「あいつが? まさか……」

「他の人が分からなくても、私には分かりますよ。そうでしょ?」


 軽く片目を瞑った様子がキザで、この男のこういうところがイラッとさせられる。

 そんな挑発に乗って堪るかと、俺はプイと横を向いた。


「ふふふ、どうやら本当にヴォルフ・グラハンスが戻ってきたようですね」

「なにを笑ってる?」

「素直に嬉しいと思っただけです。変わってしまった友を見るのは、誰にとっても悲しいものですよ」

「そうか……」


 ユーリィとジェイドのことを思い出し、彼らもそんなふうに思っているだろうかと想像した。すると急に素直な気持ちになって、ユーリィとのやりとりの顛末を話す気になった。

 俺はセシャール人たちが現れないのを確認し、かなり端折って友人に話して聞かせた。それでも勘のいい彼は理解したようで、“そうですか”と言って黙り込んだ。

 その時、ホール全体がざわつくのを感じ、柱の陰からそっと顔を出した。二階へと続く絨毯敷きの広い階段を、皇帝とセシャール人三人が降りてくるのが見える。彼らの後ろにはディンケルとジョルバンニが控えていた。

 ホールの両端には衛兵たちが整列し、儀式用の軍刀を構えていた。その前には三、四十人の貴族たちが、頭を垂れ、膝をやや曲げ、左手を腹部に当てたソフィニア式の立礼体勢のまま並んでいる。自分たちがだれに尻尾を振れば良いか、彼らは本当によくわきまえているようだ。ユーリィだけの時にはほとんどやらないその送礼に呆れていると、アルベルトはさらに奥まった場所へと俺を引っ張り込んだ。

 柱と衛兵らに隠れて、向こうからもこちらからも姿は見えない。ただしセシャールなまりのある男の声だけが、やけにはっきりと耳に届いた。


「戴冠式にまたお目にかかることを楽しみにしておりますよ、皇帝陛下」


 ユーリィがなにか返事をしたようだがほとんど聞こえなかった。


「ええ、もちろん。水晶鉱山の件は、国王に必ず伝えておきます。採掘協力の要請については、こちらで吟味して、後日ご連絡いたします。たぶん数人の技術者が来ることになるでしょうな」

「――――?」

「むろん、むろん、その約束ですから。議長ともその点は何度も協議して、皇帝陛下のために金の採石量を増やす予定ですよ、皇帝陛下のためにね」


 男が二度も“皇帝陛下のために”と言った意味は俺には分からなかったが、きっとなにか策略的なものがあるのだろうことは理解した。

 本当にこの世界は嫌な連中ばかりだ。向こうにいる魔物と大した違いはない。肉に食らいつくか精神に食らいつくか、それだけの違いだ。

 ユーリィも毎日神経を磨り減らしているのだろうと今さらながら気づかされる。

 そんなあいつに、俺がしてやれることは__


「ジェイド君のことは心配ですが、それよりもヴォルフ・グラハンス、貴方には今すぐに出来ることがありますよ。皇帝陛下、いえ、ユーリィ君のためにね」


 まるで俺の内面を読んだかのように、隣にいるアルベルトが耳元で囁く。

 俺に出来ることと言えば、心配して、疑って、戦って、そして守るだけだ。それ以外に出来ることなどあるわけがない。


「それにしても兵士三百人の護衛をしてくださるのは、恐れ入ります」


 ふたたびセシャール人の声が聞こえてきた。


「このひと月ばかり様子を見てきた限りでは、ソフィニアス帝国は不安定で安心できませんからなぁ。そんな状況で三百人もの兵を我々に使って下さる陛下には、感謝のしようがありませんよ。我が国の兵力にして三万人規模の人数ですから」


 謝礼かと思ったら、完全にイヤミだった。

 ユーリィがどんな気持ちになっているか、そばにいる親父がどんな表情をしているかと想像して、いつの間にか俺は握り拳を作っていた。


「分かりましたか、ヴォルフ・グラハンス?」

「なにが?」

「貴方は徘徊する魔物なのではなく、皇帝陛下の使い魔なんですよ?」

「つまり……」

「三万人規模の兵士に匹敵するほどのね」


 アルベルト・オーラインが言った意味をようやく理解した。

 それをすべきかどうか一瞬悩み、そして決意する。

 そう、俺には皇帝ユリアーナの使い魔だ。彼を守るためではなく、剣となってともに戦う使い魔だった。


「お前の言いたいことは分かった」

「ですが、貴方自身もいずれ権力闘争に巻き込まれる可能性があることをお忘れなく」

「ソフィニア貴族やギルドなんか、相手にするかよ」

「そこではなく貴方の故郷の方です」


 その意味すらも理解できるほど、頭は冴え渡っている。

 俺にしては上出来だった。


「いいさ、一緒に戦うと決めたんだから」


 皇帝たちがエントランスホールから出ていき、貴族と衛兵もそれに続く。

 俺はその最後に付いて、タイミングを見計らった。

 長いスロープの階段下には、豪華な飾りがついた四頭引きの馬車が止まっている。その後ろに騎馬兵が数十人、さらに直立不動の歩兵が長い列を作っていた。

 セシャール人が最後に皇帝と一言二言会話を交わし、馬車へと乗り込もうとした時、俺は衛兵らの後ろを移動して、両脇に立つ白い柱の陰から飛び出した。

 もちろん人の姿から魔物へと変化して。

 兵士たちがざわめく。

 馬がいななく。

 ディンケルが俺に向かって怒声を上げていた。

 降り立った先は、馬車のすぐ前。親父を含めた三人のセシャール人も、引きつった顔で馬車に乗り込むのを止めて硬直している。皇帝だけが表情を殺したままだ。


「ど、どういうことですか、皇帝陛下!!」


 襲われると思ったのか、悲鳴に近い声でセシャールの男が叫ぶ。

 歩兵たちはどうしていいのか分からず、姿勢を崩してオロオロしていた。


「まさか我々を……」


 ユーリィはまっすぐ俺の顔を眺めている。

 そんな彼を、俺は自分の意思を伝えるべく直視した。

 ほんの少し間があって、ユーリィの口元にわずかにほころぶ。俺から目を離した彼は、セシャール人たちへと視線を移した。


「三百人では不安なので、三万人規模の護衛を加えようと思っただけが、なにか問題でも?」

「ご、護衛とは……」

「父親の警護をしたいらしいですよ、彼は」


 俺たちはまだちゃんと繋がっていた。

 それが嬉しくて一声吠えると、ユーリィの厳しい声が飛んできた。


「フェンリル、やり過ぎだ!!」




 その後、港まで俺は三百人の部隊と一緒にセシャール人の護衛をした。彼らがその護衛を喜んだのかは定かではない。ただし親父だけは喜んでいたと、そう思うことにした。



 夜半近くソフィニアに戻ってきた俺は、ジェイドがいるはずのアパートに戻ってみたが、結局彼は帰っては来なかった。



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