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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第146話 人と魔物の狭間にて

 皇帝の寝室は、ずいぶんと明るくなっていた。弱く灯したランプの炎も目をこらさないと見えないほど、もう朝とは呼べない時間になっている。

 足音を立てないように俺は窓辺へと歩み寄ると、厚いカーテンをしっかり重ね合わせて、ふたたびベッドへと戻った。

 天蓋から垂れ下がるレースを退けて中を覗き込む。穏やかな寝息が聞こえてきて、ようやく肩の力が抜けた。

 本当に、いつまで経っても自分のことを疎かにする子どもだ。自分を一番大切にするという、二年前に交わした約束も覚えていないに違いない。そればかりか日に日に弱くなっているような気がして、心配で堪らなかった。

 だから青白い頬を触り、ちゃんと命はそこにあるのかと確かめたかった。

 感じた温もりに安堵し、あの男が舐め回した首筋へと指をゆっくり滑らせる。


(あの野郎……)


 あいつが地の精霊が言っていた“執着する闇”だろう。


(次に会ったら絶対にただじゃ済まさない)


 けれど、ある不安が胸にあった。

 あの男が朝霧の中へと消え去ってしばらく、ユーリィはぼんやりとしていた。俺がこの姿になってもなお、心ここにあらずという表情をして、嫌悪しているという様子も一切なかった。

 まさか、すでに心を奪われかけているのか?


(いや、疲れていたんだ。もしくはこれからのことを考えていたとか)


 悪い方向に考えるのは、俺の悪い癖。

 どんなことがあろうとも守っていくと決めたんだから。

 そう自分に言い聞かせても、押し寄せる波のような不安を防ぐことができない。

 俺が魔身になってしまったということ。

 ユーリィがだれも憎めないということ。

 そして、互いの知らない時間が互いにあるということ。


 ベッドの縁に腰を下ろし、少し苦しそうに見える首元の黒いクラヴァットを緩め、ついでに黒いシャツのボタンも二つほど外した。

 透き通る白肌が薄闇に浮かぶ。

 撫で回したいという欲求を抑えるのが、思った以上に大変だった。

 あの男もそう思っているとしたら、いずれ決着を付ける日が来るだろう。

 もちろんユーリィの心が離れていなければ……。


(そんなことがあるか!)


 嫌な想像を頭から飛ばして、深い眠りについている少年の顔をじっくりと眺めた。

 あれから二年。

 確かに彼は成長をした。迷うことも、悩むことも、卑下することも少なくなった。


(無茶なことをするのは相変わらずだが)


 横柄な態度も、あの頃は生意気でしかなかったけれど今は分相応だ。それとも本人もこうなる運命を感じていて、だから出会った時からずっと一貫して偉そうなのか。


(誤解される原因だと分かっているくせに、プライドが高いというかなんというか)


 そのプライドこそが、彼の鉄の鎧。悲しみや苦しみから身を守るために、無くてはならなかったもの。

 そんなものを身につけなくても、優しく強く美しくいられるように、一緒にいると決めたのだ。もしも必要とあれば、彼が子孫を残す道を選んだとしても、受け入れようとも考えている。


(けど、あいつだけはダメだ)


 あの男が薄暗い世界にいることは分かっている。その中にユーリィを堕とそうとしていることも。


「なのにどうして怒らない? 君がなにを考え、なにを思っているのか教えてくれ……」


 手のひらを白い肌に宛がい、そっと囁いた。

 また痩せてしまったかもしれない。本人の意に反して、彼はますます男らしさからかけ離れ、中性的になっていく。俺の居ない間にずいぶん無理をしたんだろう思うと、目覚める気配のない少年が哀れに思えた。

 しかしまだ目覚めて欲しくはない。

 あの伝言を告げた時、彼がどんな表情をするのか考えると、まだためらいが心にあった。



 朝靄の中へあの男が消え去ったあと、嫌がる皇帝を無理やり宮殿へと連れ帰った。

 新たな緊急事態に、ディンケル将軍とジョルバンニ議長の代理だという男が各方面に指揮を執っていたよううだった。宮殿内は騒然としていたが、皇帝が敵を倒したと告げると多少の落ち着きを取り戻した。

 けれど、それでも怒りの矛先を収められない者が二人いた。

 一人は、屋敷を壊されたミューンビラー侯爵である。その怒りは激しく、まるで噴火した火山のように罵詈雑言の噴石を辺りにまき散らした。


「魔軍など解散していただきたい! いや、ラシアールを含めてすべてのエルフは街から追い出すべきでしょう! それにしたって、なぜ討伐軍から貴方お一人でお戻りになったのか!? その上、このような事態にギルド議長がいないとは、なんたることだ!!」


 皇帝はそんなミューンビラーの激しい苦言を、虚ろな眼差しで聞いていた。

 セシャールではたとえどんなことがあろうと国王に文句を言うなど考えられないことなので、ユーリィの立場もまだまだ危ういなと思っていると、もう一人の怒れる男ディンケル将軍が、ミューンビラーを抑えつけた。


「侯爵、今そのようなことをくどくど言われても、どうすることもできない。いずれにしても、陛下にそのような悪態をつくとは、不敬にもほどがある!!」


 将軍ディンケルの勢いに、さすがのミューンビラーもたじたじとなった。

 不満が露わになった顔で侯爵が出ていき、司令室に使っていた“剣の間”が静かになったのも束の間、ディンケルは皇帝に向き直って文句を言い始めた。

 不敬と言った舌の根も乾かないうちにではあるが、ディンケルはユリアーナ教に入信していると言っても良いほどユーリィに心酔しているので、ミューンビラーとはまったく真逆な文句だった。


「金輪際、陛下自ら、戦いにお出になることはお辞めいただきたい」

「討伐軍のことなら大丈夫だ。ちゃんとベイロンには……」

「そのようなことを申し上げているのではございません。万が一のことを申し上げているのです。陛下にもしものことがあれば、この国はおしまいですぞ」

「僕は大丈夫だ」

「ネズミはどこにでも入り込むし、反逆者もどんな場所にも居るということは、今回のことでお分かりになったでしょう。とにかく今はベッドにお入りください。後処理は我々がいたします。お怪我はありませんか? お眠りになる前には必ずお食事を。すぐにミルク粥を用意させます」


 まるで幼児を寝かしつける母親のようだ。しかし心配されているということは伝わったらしく、山羊乳の麦粥はユーリィの最も嫌いなものであるが、その時ばかりはなにも言わず、眉間に皺を寄せただけだった。

 部屋に戻る際、ユーリィはジョルバンニがいないことを気にかけた。バレクという名の代理の男によると、彼は少々具合が悪いらしい。


「大丈夫なのか? 医者は?」


 嫌いな相手を気遣うのは、いかにもユーリィらしい。しかしそのことを知ってあの眼鏡が喜ぶなんてことは、俺には想像もできない。


「明日の朝には回復していると思います」


 バレクの言葉に、皇帝が安堵の表情を浮かべることはなかった。

 その直後、入室したブルー将軍は普段の明るい様子とは打って変わり、やつれ果て、足元もおぼつかないほど見る影もない姿だった。

 目の周りを赤く腫らし、「首謀者は死亡しました」と言った時は、さすがに殺した本人である俺は、直視することはできなかった。

 彼は将軍職を降りたいと申し出たが、皇帝はそれを許さず、半日の休養を申しつけた。

 ブルーがそれに従うかは分からない。一度二人で旅をした者としては、早く立ち直って欲しいと願うばかりだ。


 さて、いよいよ皇帝が部屋に引き上げるとなった時、アルベルト・オーライン伯爵が現れた。彼は夫人が無事だということを皇帝に知らせに来たという。

 母親が無事かどうかなど気にしてはいなかっただろうユーリィだが、作り笑顔を浮かべて、なにか不便があるようなら言ってくれとアルベルトに言った。

 そんな報告など伝言で済ませられるだろうに、律儀な奴だと感心していた俺に、アルベルトは数日中に話がしたいと耳打ちをした。どうやらそれが目的だったらしい。

 いったいなんの用がこの俺にあるのか首を傾げたが、考えたところで分かるわけがない。あいつの考えることなど昔から分かった試しは一度もなかった。

 考えてもしかたがないと、皇帝とともに彼の私室へと付いていくと、そこには第二の母親とも言えるチョビ髭男シュウェルトが待ち受けていた。

 チョビ髭は、皇帝の服やら食事やら薬やら、あらゆることを気にかけて、甲斐甲斐しく世話をする。そんなチョビ髭にユーリィは、諦めたのか慣れたのか、文句も言わずに素直に従っていた。


 そうこうしているうちに、バレクとディンケルによって近況報告がもたらされた。

 街の被害はユーリィが懸念していたほど最悪ではなかった。東地区にある貴族の屋敷は二十二軒、北地区の住宅は四十軒の破壊が確認されたとのこと。ガーゴイルのお陰か、延焼したのは荷馬車三台と、市場にある建物の一部だけだったそうだ。負傷者は多数いたが、不幸中の幸いで死者はいなかった。

 皇帝は安堵のため息を漏らし、それから報告に来たディンケルとバルクへ次々と指示を出した。


「ギルドで怪我人の手当を率先してやって欲しい。医者のギルドがあったよね? それから空いた住居があるかどうか早急に調べて、家を破壊された者が移れるようにして。それもギルドの方で頼む。建物については追々考えるけど、貴族の屋敷だけはこちらで修復すると通達を。ついでに明後日から領地への帰還の許可を出す。その際、護衛が欲しいなら、一人につき百人ほどの兵士を付ける。ああ、それから今日中に戒厳令を解くように」


 まだ早いのではと言うディンケルに、ユーリィはマズそうに粥を口に頬張りながら、


「人々を安心させることが先決だよ。ただし街の警備は倍に増やせ」


 疲れていようがそういうことには気が回るのは、やはり資質以外にないとしか言いようがなかった。

 俺自身のことと言えば、皇帝のそばにいることに以前ほど厳しい目は向けられなかった。

 魔身となったのが原因なのかもしれない。人間ではないという現実を改めて突きつけられ、少々もの悲しかった。

 それについてはユーリィも同じ気持ちであるような気がして、実際にそう思えるようなことも言われてしまった。


「お前、凄く強かったよなぁ」


 褒めているという口調ではなく、どこか突き放すような物言いだった。


「本当にフェンリルと融合したんだ」


 実のところ、少しずつヴォルフ・グラハンスだった頃の感情が蘇っているのだが、そばにディンケルらがいる手前そのことは言えず、“そうだ”と答えるしかなかった。


 その後、皇帝がチョビ髭男の命令でベッドに押し込められたのを待って、俺は部屋を出た。もちろん残っていたかった気持ちはあった。けれど今日はゆっくり寝かせたかったので、遠慮することにした。

 すると、部屋を出た途端、意外な人物に声をかけられた。議長代理だというあの男だ。ジョルバンニに似ている気配があり、顔立ちもどこか似ている。違うところと言えば、ジョルバンニより年上らしいと、浅黒い肌と、眼鏡をかけてないところぐらいか。冷淡な口調と馬鹿丁寧な言葉遣いも、あの眼鏡男を真似しているとしか思えなかった。


「貴方にどうしても会っていただきたい人物がいるのですよ」


 男は眉一つ動かさずにそういった。

 なぜ、俺に?

 そんな疑念と警戒はあったものの、いざとなれば魔身になれるという強みもあって、興味本位に案内されるまま付いていくと、そこは宮殿の地下牢だった。

 よどんだ空気の匂いを嗅ぐと、ある人物のことを思い出してしまう。それはあまり良い想い出とは言えず、少々胸が痛んだ。

 今頃彼はどうしているのだろうか。

 そんなことを考えていると、檻の向こうに居るその青年の前へと案内されて、息が詰まるほど驚いた。

 バレクの説明によれば、彼は今回の事件の共犯者と思われる人物と一緒に居たのだという。ギルドの憲兵隊に所属していたのだが、入って間もなくだった為、人物の保証はしかねるという回答が隊長から戻ってきたそうだ。

 すると青年は、皇帝陛下の側近と知り合いだと告げたので、俺が呼び出されたワケだった。


「でも彼女、あのエルフを止めようとしてたんですよ」


 彼が言うには、犯人を止めようとして刺されたらしい。


「刺したのは犯人のエルフか?」

「いえ、違います。北地区の憲兵で、名前はええと“カイ・ルオス”とか……」

「その話は私も聞きました。しかし北地区にはそういう名前の憲兵が配属されては居ないとのこと」

「でもあの人の身分証は、副隊長が持っているはずです」

「ええ、それはありました」

「偽物だったんですか?」

「本物でした」

「それはどういうことです?」

「どういうことかは、今後調べる必要があるでしょう。それよりもこの男が、ちゃんとした人物か言っていただけると助かります。なにしろ彼を見た数人が、以前皇帝陛下に刃を向けた男に似ていると言っていましたので」


 それは事実である。

 けれどユーリィがその件については忘れようとしているのは分かっていたので、気のせいだと返事をした。


「彼はリマンスキー子爵家の領民ですよ。子爵令嬢も名前を聞けば、きっと証人になってくれるでしょう」

「そうですか。それならば問題ないようですね」

「ええと、あの女性は……?」


 少々気後れした表情で彼はバルクを見る。


「まだ意識不明です。回復するかも分かりません」

「そうですか……」


 それがあまりに気落ちした様子だったので、バルクの疑念がふたたび膨らんだようだ。端で見ていても分かるほど鋭い瞳で青年を見て、


「やはり知った人物だったのですか?」

「本当に知りませんよ。でもあの場所で恋人が死んで、その時はオレ、なんにもできなかったから、彼女は助かって欲しいなと思って」

「なるほど、だから必死に止血していたのですか。あそこは魔法学園があった場所ですね。つまり君はあそこの学生だったと?」

「ええ……」


 そのことで彼はユーリィを逆恨みして殺しに来た。

 生まれて初めてできた友達にそんな仕打ちをされたユーリィのことを考えると、俺は同情する気にもなれなかった。

 最後に会った時、殴り返したユーリィの顔を彼は覚えているだろうか。

 それでもきっと心の中では、今も友達だと思っていることだろう。


「分かりました。君が信用に足る人物であることは理解したので、解放しましょう」


 言葉通りに青年を檻から出して、バルクは俺へと向き直った。


「セシャールの使者に貴方のお父上がいらっしゃるようですね、グラハンスさん」

「ああ、親父が来てるのか。忘れてた」

「貴方がお戻りになったら是非会いたいとおっしゃっていたので、本日昼過ぎに予定しておいて下さい。明日にはセシャールに戻られるそうなので、もうあまり時間がありませんから」


 ソフィニア軍の軍服姿の息子を、父がどう見るのか、想像しただけで少々怖い。しかも人間ではないと知ったとしたら……。親不孝ばかりしてきたので、今さらそれに上乗せしたところで、どうということはないのかもしれないが。


 宮殿を出て、青年にこれからどうするのかと尋ねてみると、彼は知り合いのところに行くと告げた。


「そういえばヴォルフさん、あの偽物の憲兵はユ……皇帝陛下のことを知っているようでしたよ。俺を忘れるなと伝えろと言われましたから」

「どんな奴だ?」

「背が高くて、目が鋭くて、眉が濃かったとぐらいしか。あ、髪は黒でした」


 その説明で思い出せる人物は、ただ一人しかいない。

 胸騒ぎが俺の中で激しくなって、どうにかしてユーリィに問いただす方法はないものか考えた。


「――それから、できればでいいんですが、俺のことも伝えて下さい。元気でやってるって。それと友達だったということは、どうか忘れて下さいと」



 そうして俺は、皇帝の寝室へと戻ってきていた。

 静かに眠る少年の顔をもう一度見下ろすと、愛おしさが込み上げて、その額にそっと唇を寄せる。

 彼の伝言を告げるべきかどうかは、まだ迷っていた。



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