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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第145話 狼魔、無双

 ブルーは分かっているんだろうか?

 エルフにとって同族殺しが、掟破りの大罪であることを。

 だからそんなことはさせまいと命じたのに、聞き分けのない彼はどうしても付いてきた。


「僕は、ブルーにはブルーでいて欲しいんだよ、ヴォルフ。分かるだろ?」


 青い体毛に夜風をはらませて、ユーリィは星空を飛ぶ狼魔に語りかける。しかし返事が戻ってくることは一切なかった。融合を疑ってしまうほどに。


「お前、全然喋んないよね? 前みたいに心に話しかければいいじゃないか。リュットだってそうしてるんだし」


 だけど、聞こえるのはヒューヒューと泣き叫ぶような風の音だけだった。

 支配者だなんて偉そうなことを口にしているけれど、命令に背く奴ばかり。前に進んでいるような気がちっともしない。このまま干からびるまで僕はなにかと戦って生きていかなければならないのかと思うと、ユーリィの心は重くなっていった。

 やや後方を飛ぶブルーの方へと視線を走らせる。暗すぎて彼の表情は見えない。でもきっと泣きそうな顔をしているに違いない。


(だから来るなって言ったのに)


 友達を失う哀しみは自分もよく知っている。

 それでも非情にならなければならない苦しさも知っていた。

 だからもし万が一の事があったら、彼にはトドメを刺させてはならないと思う。掟のことよりも、友を傷つける姿をユーリィ自身が見たくなかった。


「やっぱり僕がやるしかない。だからヴォルフ、頼むよ」


 反応がない狼魔に話しかける。その名前で呼びかけたのは、友達を失う悲しみはフェンリルよりも彼の方が知っているだろうと思ったから。



 しばらくして、ソフィニアの街が間近に迫ってきた。隙間なくくっついて、街を丸くぐるりと囲む高い建物は、街の防御壁となっている。その中にも住民がいて、無数の窓からは明かりが漏れていた。

 真夜中であることを考えれば、その数は多い。確かに街に異変あったのだと感じさせるなにかがあった。

 ヴォルフに指示を出し、ついでに後方のブルーに手で合図をして、進行方向を変えた。

 街の周りをぐるりと巡る。東門の周りにある窓が一番多く光っているので、敵は近い場所で暴れている可能性が強いと思った。

 正面から行くか、横から行くか、わずかに考える。

 その結論として、ユーリィは天空を見上げ、「雲の上まで上昇!」と指示を出す。即座にフェンリルは反応し、薄い雲が点在する空へと顔を上げた。

 あそこから奇襲をかければ敵の虚を突けるかもしれない。もしも気付かれても、敵の動きが止められるはず。

 体中が悲鳴を上げていた。

 駆け上がる角度はそれほど急ではないし、風の精霊が向かい風を散らしてくれるお陰で、後ろに押されることもない。それなのに体を支えるのに必死になる。

 アーリングとの戦いで思った以上に体力を失ったらしい。しかも上昇すればするほど寒さが増していく。どこまで保つか自分でも分からず、ユーリィは不安を感じていた。


(早く終わればいいんだけど。それにしたってなんで東?)


 宮殿や教会の他に軍とギルドの施設は南にある。北と西には住民の多くが住んでいて、市場などもそこに集中していた。けれどエルフのほとんどが西に住んでいることもあって、狙われるなら南か北だろう。そう考えていたのだが……。


(そうか、貴族か!)


 そう、東側には貴族たちの別邸がある。

 これはちょっと面倒なことになりそうだ。


(また、あのミューンビラーを相手にするのか)


 大勢の前に立ち、偉そうな態度で、偉そうなこと言うのはひどく疲れる。それでも必死に虚勢を張るのは不安があるから。弱気になった途端、きっとなにかに飲み込まれてしまうだろうと。


(ダメだ。余計なことは考えないで、今はとにかく街を守らないと)


 唇を噛み、天空を睨む。

 やがて煙のような雲が漂い始めて、気温がぐっと下がり、体力がますます減退した。


「なにかが燃えてます!」


 あとから来たブルーが眼下に見える街を指さしている。


「あそこは東地区だ。貴族の別邸がやられてるのかも」

「俺、行きます。行って止めないと」

「同族殺しになるんだぞ!」

「だからって、貴方にあいつを殺してくれなんて頼めるもんですか!」


 その言葉を残して、ブルーの使い魔は頭を下にして落ちていた。


「フェンリル、追うんだ!」


 しかし獣の四つ脚を持つ巨大な鳥は、まるで海に飛び込む水取りのごとく、容易に追いつけるような速度ではない。その上フェンリルの速度はいつになく遅かった。


「早く!!」


 刹那、頭の中にフェンリルの声なき声がした。


――主を守るのが、我が使命。体力が限界なのは分かっている。


「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」


 苛立ちを抑えきれず、ユーリィは狼魔の背中を叩く。それでも速度は上がらない。

 真下では、赤い炎と青い光が無数に飛び交っていた。破壊音が幾度となく、そのたびに閃光に映った煙が闇の中に浮かび上がる。

 もう一刻の猶予もないというのに。


「早く行けよ!!」


 焦りをひたすらフェンリルにぶつけ続け、やっと見えてきた景色は想像以上に酷かった。

 整備された道が多い東地区なのに、その面影がない。あちこちで石畳が割られ、貴族の屋敷が壊され、その瓦礫(がれき)が散らばっている。人々はあちらこちらで逃げ惑い、弓を構える兵士たちは、飛び回る魔物へ向けて、狙い定まらない矢をおろおろと動かしていた。


(くそっ! 派手にやってくれたな!)


 心配なのは、上へ下へと飛び回って戦う二体が、次第にその戦闘範囲を広げていることだ。北地区へ視線を走らせると、ランタンと思われる大量の光が、路上をさまよっている。


(このままじゃ他も危ない)


 恐怖に怯えた民衆が暴徒化したら、それはこの街が滅ぶ時__。


「ヴォルフ、グズグズしてるなら飛び降りるぞ!」


 今はまだ、運命に負けるわけにはいかないから、あらん限りの怒りを込めてユーリィは叫んでいた。

 その思いが届いて、ようやく狼魔の速度を上げる。向かう先は、二つの頭を持つ馬もどき。その背には黒いローブを着たエルフが跨がっていた。


(もう一回アレをやってみるか)


 斜め上という位置も悪くない。使い魔が攻撃態勢に入っているからなのか、(あるじ)自ら魔法を使う気配はなかった。

 これならアーリングの時よりも、もっと上手くやれるはずだ。

 短剣を取り出し、斜め下にいる敵を狙う。相手もこちらの動きに気づいていて駆け上がってきた。

 双頭の馬は相棒に任せ、ユーリィは黒いローブに狙いを定めた。

 だがその刹那、四枚の翼を忙しなく動かす魔物が、視界の中へと飛び込んできた。鷹の頭を持つそれは、ユーリィに長い羽毛の尻尾を向け、迫り来る敵と対峙する。その背中にはむろんブルーが跨がっていた。


「ミラン、いい加減に諦めろ!! フェンリルが来たからにはお前の負けだ!!」

「うるせぇー!! 人間の犬なんかに負けるかよ!!」


 敵の使い魔は二つある片方の馬首はめいっぱい伸ばし、もう一方は炎のつぶてを無数に吐き出す。応戦したブルーの使い魔も、青い光線を敵へと放つ。

 しかしどちらも狙いが外れ、一方は街中へ、一方は夜空の彼方へ飛んでいった。

 ほどなく、なにかが破壊された音が下から聞きこえ、ユーリィの焦りはいよいよ限界に達してしまった。


(これ以上ソフィニアを壊されて堪るもんか!)


 魔力を呼び覚まそうと意識を集中したその時だ。

 激しい目眩のようなものに襲われた。視界が急に狭まり、星の光も薄れゆく。


(うっ……)


 混濁はあっという間。

 全身から力が抜けて、短剣が手の中から滑り落ちる。上半身が横倒しになるのを感じたが、抗うことすらできない。

 やがて意識すら闇に堕ちていき、視界から青灰色の体毛がスッと消えていった。




 だれかに話しかけられた気がして、ユーリィが次第に正気付いた。

 初めはザワザワとした雑音に過ぎず、その音にゆっくりと自分を取り戻す。

 目を開ければ、暗い天空には星が数百瞬いている。頬を撫でる風は遠慮がちに、焼けたなにかの匂いを運んでいた。


――大丈夫か?


 黄色と茶色の瞳が心配げに自分を覗き込んでいる。それがフェンリルだと思い出すのに数秒かかり、無意識に手を伸ばして鼻面に触れた。


「どこ、ここ?」


 不安定な場所に寝ているのが分かる。上半身を起こそうとして、体ごとが足の方へややずり落ちた。


――動かない方がいい。


 そう言われて、手のひらで触るものが石瓦(いしがわら)だと気づいた。

 それでもなんとか半身を越すことに成功し、はっきりしてきた視野で、闇の中にぼんやりと立ち並ぶ屋根を眺める。すると記憶が徐々に蘇ってきた。


「あ……そうだ……」


 前方にガーゼ宮殿らしき輪郭が見える。ということは、見ている方向は街の南側。

 さっきまで戦っていた東へと顔を向け、二体の魔物の姿を探したが見つからない。天上を眺めてもその影は見つからず、まさかと思いつつも体をひねる。

 すると、息を呑むような光景が目に飛び込んできた。

 四本の白い煙が、まだ暗い夜空へと立ち上っていた。その上空には、蠅のように飛び回る二つの影。


「ヤバい!」


 東地区より十倍は多い北地区が壊滅したら、本当におしまいだ。


「行かなくちゃ……」


 けれど立ち上がるにも、手にも足にも力が入らない。そればかりか屋根から落ちないように体を支えるもやっとだ。その上、気を失う寸前の最悪な事態まで思い出してしまった。


「剣を落としたんだ」


 絶望と呼ぶに相応しい状況だった。

 それでもなんとか気持ちを奮い立たせて、藻掻くように立ち上がろうとした時、忘れかけていた存在が、その鼻先でそっと肩を押してきた。


――俺が行く。


 フェンリルではなくヴォルフが言っているのだ。


「なら僕も行く」


 しかし魔身はそれに同意はしなかった。


――俺だけで十分だ。ただし容赦はしない。


 言うや否や狼魔の肢体は浮き上がり、顔をゆっくりと北へと向けた。

 煙のような青白い光が包み始める。

 次の瞬間、狼魔はまるで彗星のごとく、夜空を青く切り裂いて駆け上った。向かっている先は戦闘と続ける二体の魔物。その片方へと狙いを定めた青き光は、相手が逃げる間も与えず、襲いかかった。

 双頭の片方に食らいついたようだ。その衝撃に乗っていた者が、弾き飛ばされる。

 三日月が黒い人型の影を照らし、やがて落下していく様子を見て、ユーリィは息を呑んだ。ブルーが乗っている魔物がそれを追いかけていったが、多分間に合わなかっただろう。

 その間にも狼魔の攻撃は続いていた。

 黒い塊が魔物の体から離れ、落ちていくのが見えた。それが双頭の片方だと気づいた頃には、もう片方の頭を咥えたまま、街の上空から離れていった。


 あまりにあっけない幕切れに、ユーリィはただ呆然として、青白い光が小さくなっていくのを眺めていた。


「なんなんだよ、あの強さ……」


 フェンリルはあんなに強かっただろうか?

 いや、確かに強かったけれど、今夜ほどそれを実感することはなかった。

 あの島でなにがあったのだろう。ヴォルフと融合を果たしたのち、よほど激しい戦いをしたのだろう。


(そういえば僕のことばかりで、ヴォルフからなにも聞いてなかった)


 竜の件はまだ解決していないと彼は言った。それがどういうことなのか問いただすことも忘れていた。

 命をかけて守ってくれているというのに、まったく冷たい(あるじ)だ。


(あるじ)か……)


 ヴォルフが人間ではなくなったのだと今さらながら感じ、急に寂しさが増していった。

 過去にあった幾多の過去に思いを馳せる。しかし思考の海へと沈み込もうとした時に、ハッと我に返った。


(今はそんなことを考えている場合じゃない!)


 けれど、レネがいなければここからは自力ではどうやっても降りられそうもない。

 身動きができない自分に焦りと苛立ちを感じ、なにかできることがないか必死に考えた。


(そうだ、ガーゴイル!)


 思うや否や思念を飛ばし、精獣を呼び寄せる。

 ほどなくして黒い翼を広げた醜き使い魔が、ユーリィの元へと飛んで来た。


「ガーゴイル、燃えている場所があったら鎮火してくれ」


 自分も連れて行ってもらおうと思ったが、邪魔になるような気がしてそれは断念した。

 もう少しすればフェンリルが戻ってくる。それからでも遅くはない。

 飛び去った精獣を見送り、これからこの事態にどう対処しようかと考え始めた頃、なにかの気配を感じて、顔を上げた。

 どこにでもある石瓦に覆われた建物の屋根。三階建てか四階建てかは分からないが、かなりの高さがあった。ソフィニアの特徴の一つである共同住居らしく、左右に長い。その一番端に座るユーリィの元へ、反対側から人らしき影が徐々に近づいてきている。


「だれだ!?」


 一言も話さないその相手が、助けに来た者だとはまったく思わなかった。

 暴漢か刺客か。

 どちらにしても、危険が迫っているのに間違いない。ガーゴイルに連れて行ってももらえば良かったと後悔し、今ならまだ間に合うかもしれないと思った瞬間__


「これはこれは皇帝陛下。妙な場所においでですね」


 聞き覚えのある嫌みを含んだ低い声。

 三日月を背景に、その男が屋根の上に立っていた。


「ハーン!? なんでここに!?」

「ご活躍を期待して下から眺めていたんですよ」

「お前、公爵をやっただろ?」

「さて、なんのことか」


 動揺のない声色がユーリィを確信させた。


「いったいお前の目的はなんだ?」

「言ったでしょう、貴方が欲しいって。そうそう、面白いものを手に入れました」


 ハーンが胸元から取り出したそれを見て、ユーリィは咄嗟に手を伸ばす。

 月光に光るそれは、紛れもなくレネの眠る短剣だった。


「なんでお前が……」

「落とされるのを見まして、拾っておきました。貴方が持ってないと、あの光る虫は出て来られないようですね」

「返せ!」

「さてどうしましょう?」


 唇をゆがめて笑いながら、ハーンは剣身を頬に当てて、二三度擦ってみせた。


「やめろ! 返せ!」


 取り返そうと無我夢中だった。

 自分がどんな状態なのか、どんな場所にいるかもすっかり忘れて。

 瓦の角度に負けて足が滑る。

 落ちていく自分を感じて、もうダメだと思ったその瞬間、手首を掴まれていた。

 見上げれば、ハーンの顔がそこにある。瞳にある光があまりに悲しげで、一瞬言葉を失ってしまった。


「――なんで僕に執着する、ハーン?」

「匂いが俺を縛りつける」

「匂い……?」

「貴方が発してるその匂いですよ」

「それは消えてるはずだ」

「なら、きっとその体に染みついてるんでしょう」


 同じことがまた繰り返されている。

 どうして僕は、だれかの気持ちを翻弄してしまうのだろう。

 この顔も、この体も決して望んでいるわけではないというのに。


「世の中に女はいっぱいいるじゃないか……」

「それでも貴方が欲しいんですよ。今すぐにでも喘ぐ声が聞きたいんです」


 悲しみに満ちていた瞳が、劣情を発する色へと変化した。


「やめろ!」


 怒鳴りつけ、体をよじって抵抗した。


「助けて欲しいと泣いてくれれば、剣は返しますよ」

「ふざけんな!」

「あいかわらずプライドだけは高い」

「そんなに僕のことが憎いなら、今すぐ手を放せいいだろ!」


 こんな場所でこの男になにかされるなら、死んだ方がマシだ。


「ええ、憎くてしかたがない」


 ハーンの手に力が入る。

 落とされるのかと覚悟したユーリィだったが、フワッと体が浮き上がるような感覚があり、気づけば男の腕の中へと収まっていた。

 首筋に、濡れた唇が触れる。

 すぐに痛みすら感じるほどに吸い付かれ、ゾクゾクとするなにかが背中を這いずった。


「やめろ、放せ!」


 こんな奴の好き放題にされて溜まるかと、足をばたつかせるもまったく動じない。体も手もキツく抱かれて、自由は完全に奪われていた。


 とその時、



“グァァアアアアアアアアアアアア!!!”



 遙か頭上から、激しく吠える獣の声が聞こえてきた。


(フェンリルだ!)


 それでもなお、男はユーリィの首筋を舐め続ける。


「逃げるなら今のうちだぞ、ハーン」

「お気遣いどうも」


 やがて獣の気配が間近に感じられる頃、ユーリィを解放したハーンは、数歩飛び跳ねて現れた方へと後退した。

 辺りには朝靄が漂っている。もう朝が近いようだ。


「俺を憎め。殺したくなるほど憎め。それまで剣は預かっておく」

 

 いったいどうしたら彼を救えるのだろう。

 降りてきたフェンリルを感じつつ、朝霧に沈んでいく男の姿をユーリィはひたすら見つめていた。


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