第144話 赦す者、赦される者
アーリング敗北の後、ゲルルショールフォンベルボルト城では事後処理が行われた。
五千人いたはずの反乱軍は、司令官たちを含めて三千五百人ほどに減っていた。つまり一五〇〇人が消え去っていたことになる。
彼らがどこに行ったのは定かではない。こっそり街に逃げ帰ったのか、それとも故郷へ戻ったのか。多くはソフィニア出身だったが、難民として逃げてきた者もいた。
問題になったのは、残った雑兵たちの処分である。大抵の者はソフィニアを守ろうと思って入隊したわけではなく、食料を確保するためというのがその動機だった。公爵家の私軍だった頃からいた者は、五十人もいなかったのではないだろうか。
だから多くの雑兵はアーリングとともに城に来たのも命令に従っただけで、国家転覆を考えていたわけではない。
そう皇帝に訴えたのは、アーリングに従ったヘルギルスという司令官だった。
だから自分たちが処分されるのはしかたがないとしても、兵士たちにはどうかお咎め無きようにと、彼は涙ながらに訴えた。
ライトブラウンの髪と青い瞳の彼は、いかにも貴族の子弟といった雰囲気である。アーリングの部下に珍しく、筋肉隆々といったタイプでもない。
そんなヘルギルスの訴えに、他四人の司令官たちは同調しなかった。
「我々も、まさかアーリング士爵が反乱を起こすとは思ってもみませんでした」
残り三人も同じ気持ちらしく、鎖に両手を縛られたまま皇帝の前で大きくうなずいた。
皇帝がこの事態をいったいどう処理するのか、ブルーはすこぶる興味を持った。彼の性格を考えれば、雑兵のことを気にかけたヘルギルスを許すのではないだろうかと想像した。しかし若き皇帝は、「全員まとめて軍事裁判にかける」と、感情を殺した声で言っただけだった。
城の謁見室から五人が地下牢へと連れていかれるのを見送って、彼は一言ぽつりと呟く。
「あいつらより、僕はアーリングの方が好きだよ」
“英傑は英傑を知る”という諺があることを、ブルーはふと思い出していた。
それから彼は、反乱軍に荷担した兵士たちには、二つの選択肢を強要した。
一つは陸軍に戻ってくる道。ただし皇帝への誓約書に血判を押すという条件付き。
マヌハンヌス教徒である人間が血判を重視している感覚が、ラシアールのブルーにはよく分からない。たぶん使い魔の“束縛の名”を教えるほどのことなんだろうと想像するぐらいだ。
そしてもう一つは、軍部からの脱退し自由の身となる道。しかしソフィニアの街には二度と戻れないという厳しい処分も付加されていた。
「腕に焼き印を必ず入れろ。それがある限り、二度とソフィニアの四門は通させない」
その命令を受けて、ベイロンはやや引きつった顔で小さくうなずいた。
結局、ほぼ大半の者は誓約書に血を滴らせることになった。だが、腕が腫れ上がるほどの焼き印を押され、故郷へと戻った者も四百人近くはいたらしい。
「僕をヒドい奴だと思ってくれてもいいよ、ブルー」
ユーリィという少年だった彼の口調は、本当に冷淡だった。その背後にいるブルーグレーの髪をした男も、どこか寂しそうな表情を浮かべている。
(ああ、あの人も同じ気持ちか……)
しかたがないと思っても、モヤモヤとした感情がブルーもあった。けれど、数百の矢に射られそうになったことを考えれば、軽い処分だと思い直す。皇帝という立場では易々と、寛容な態度は見せられないのだろう。
それをブルーが体感したのは、その数日あとのことである。
その知らせが届いたのは、伐軍の一部がゲルルショールフォンベルボルト城から、駐屯した町へと戻った直後のことだった。
城には司令官一名、兵士五十名、ラシアール一名を残し、代わりに反乱軍だった兵士約三千を加えての凱旋である。瀕死のアーリング士爵も馬車で連れてきて、町医者に手当をさせることとなっていた。
正規軍より多い元反乱軍の兵士たちがなにか起こすのはないかと心配していたブルーをよそに、その行進はかなり順調で、数時間で町に着いてしまった。
到着したのは夜だったが、雨が降っていた前日とは違い、空には無数の星が輝いていた。
アーリング士爵のこともあり、部隊の編制もしなければならないとのことで、その夜は町に駐屯しようという話になった。
ブルー以下ラシアールの六人も、疲れを癒やせると分かって大いに喜んだ。使い魔を操るのはかなり疲労する。まして体力の少ないエルフには、連日の遠征は負担だった。
そうして全てが上手く落ち着いて、総括室として使っていた町役場から、隣にある宿屋へとブルーが移動しようとした矢先のことだった。
ギルドから早駆けの馬が来たという。大抵の場合、それは変事を知らせる為に使われる。その時もソフィニアの街に起こった変事を、皇帝に知らせに来たのだった。
「まさか……嘘だろ……」
伝令の話に、ブルーは耳を疑った。
魔物が一体、ソフィニアで暴れているのだという。あちこちで破壊を繰り返し、街中が大騒ぎになっているそうだ。
そして、その魔物にはエルフが乗っていて、ラシアールではないかと話だった。
「そんなはずはない!」
辛辣な表情を浮かべる人間たちを見て、ブルーは思わず叫んでいた。
「ブルー、落ち着け」
「しかし皇帝陛下、仲間が、ラシアールがソフィニアを破壊しようとするなんて、俺は信じられません!」
もう二百年以上も、ラシアールはあの街とともにある。当然ブルーもあそこで生まれ、年老いた両親も暮らしている。
五百名ほどしかいないラシアールではあるが、差別のある他所と違って、あの街はずっと暖かかった。
そんな故郷とも言える街を破壊しようとする仲間がいるとはおよそ信じられず、ブルーは若い伝令に詰め寄った。
「本当にラシアールなのか!? 使い魔を操れるエルフはラシアールの他にだっている。あのククリもそうだ」
「背に乗っているのは、黒いローブを着ている者でした」
「だったら……」
「ただ使い魔を見て、ラシアールの長老が仲間に間違いないと議長に証言したそうです」
「どんな使い魔だ!?」
「双頭の馬です」
「な……に……」
吐き気が覚えるほどのショックに、ブルーの体はぐらりと揺れた。
そばにあった椅子の背に手を乗せ、体を支える。そんなはずはないと心で思うものの、頭がその明白な答えを肯定していた。
(まさか、ミランのやつが!?)
怒りに歪んだ親友の顔が浮かんでは消える。
そこまで彼の憎悪は強かったのかと驚き、なにも対処しなかった自分を恨んだ。
「ブルー、大丈夫か?」
「ええ……」
「お前と親しい仲なのか、双頭の馬を操る奴は?」
「たぶん俺の副官の一人です。彼は幼なじみで親友。いえ、親友でした」
つい過去形にしてしまった自分に腹が立ち、掴んでいた椅子の背を力任せになぎ倒した。
「ブルー、落ち着けって言っただろ!」
「皇帝陛下、どうか俺に行かせて下さい」
「行ってどうする?」
「俺があいつを絶対に止めます」
自分がしなければならない。
それが友である証であるのだと。
しかし___
「他のラシアールたちはどうしてる?」
先ほど以上に冷淡な声で、皇帝は伝令へと向き直った。
「議長が、ラシアールには応戦することを禁じました」
「なぜ?」
「共謀されたら困るからとのことです」
「なっ!!」
一瞬にしてブルーの頭に血が上った。
他の仲間にまで疑いをかけられるほど、俺たちは信用されていなかったのか?
ミランの言うとおり、人間は結局エルフなど信じていなかったのか?
「今回ばかりはジョルバンニは良い判断をしたよ」
両手に拳を作り、怒りを抑えているブルーを眺めつつ、皇帝がさらに追い打ちかけるようにそう言った。
なにかが心の中で崩れていくような感覚とともに、怒りに熱せられた血が全身を駆け巡り、口の中はからからに乾いていく。さっきまで信じていたを、全て失ってしまったのだとそう思っていた。
「分かりました、皇帝陛下。だったら俺は将軍なんて辞めて、友達としてあいつを止めに行きます」
扉に向かって歩き出したブルーの腕が、次の瞬間、皇帝の細い指によって捕まれていた。
「お前は行かなくていい、僕が行くから。ベイロン、お前はここで待機して、もしもの時に備えてろ。ヴォルフ、来い」
皇帝の意図が分からずに動けなくなったブルーの横を、名前を呼ばれた男が通り過ぎていく。ベイロンは皇帝が動く必要はないというようなことを訴えていたが、彼はその助言を無視して、総括室から出て行ってしまった。
我に返ったブルーは慌てて部屋を飛び出す。
一階に繋がる広い階段を、黒に身を包んだ少年がゆっくりと降りていくのが見えた。
「待って下さい、皇帝陛下」
しかし彼は止まらない。
もう耐えられず、ブルーはもう一度彼を呼んだ。
「ユーリィ、待てって!」
少年はようやく振り向き、階下からブルーを見上げる。
不敬だと怒り出すのだろうかと待っていると、彼はほんの少し哀しみをにじませた声で、ブルーに言った。
「お前が行って、友達を殺れるのか?」
「……え?」
「もしも市民に死者が出ていたなら、反乱軍の司令官や兵士への処罰以上のことをしなくちゃならない。逮捕が出来なければ、殺す以外に方法がないかもしれない。それをお前ができる?」
「俺は……」
「他のラシアールたちも同じだ。だからジョルバンニの判断は正しかった」
そう言って背を向けた細い体に、ブルーはまだ信じ切れない気持ちをさらにぶつけた。
「貴方ならできるって言うんですか!?」
「僕はこの国の支配者だ。国を守るためなら、恨みも買うし、非情なこともするし、唯一赦される者だ」
「赦されるってだれに!?」
ふと振り返った皇帝は、壁際で揺れるランプの光をまとって、フッと破顔した。
「苦しみと哀しみに」
「え?」
「じゃあ行くよ。お前はここにいるラシアールたちを守ってればいい」
一階ホールには事情を知らない兵士たちが数人いて、突如現れた皇帝に驚き、立ち尽くしていた。そんな彼らに、少年は正面玄関の扉を開けるように指示を出す。
開いた扉からは、冷えた夜風が建物の中に流れ込んできた。
皇帝の横にいた男は、先に外に出て、全身を青白く光らせる。
球体になったその光の中で、彼は人からブルーグレーの狼魔へと変化していった。
その時になって、やっとブルーの頭が動き出した。
(そうか、俺にミランを殺させないために、俺が苦しまないために……)
それが彼の優しさだってことは知っていたはずなのに、まったく気づかなかった自分が情けなかった。
同時に、友を殺れるのは自分しかいないと改めて思う。
苦しみと悲しみに赦される者なんて、この世界にはどこにもいない。だれにも逃れられない魔物なのなら、だれかにおしつけていいはずがない。
狼魔の背に乗った少年の元へ、ブルーは一気に駆け下りていった。
「皇帝陛下、やっぱり俺も連れてって下さい」
「だから……」
「どっちにしても、俺は後悔するでしょうから、それなら自分の手で片を付けたい。それに俺はそんなに卑怯者じゃないっすよ?」
以前のように少し戯けて言ってみると、ユーリィは寂しそうな笑みを浮かべたのだった。