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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第143話 君側の奸 後編

『もう私には残された道は一つしかなかった。少女を切り裂き、全ての肉片を我が物とするより他に。血の臭いが食欲をそそった。しかし、あれが愛情だったというほど私は愚かではない。あれは私の内にある欲情である』

                        ――奇書『我が殺意の考察』より



 塔のある建物の前に来て、タナトスは思わぬ困難に直面していた。

 鉄格子の門の前に立っている衛兵に見覚えがあった。最初にここへ来た時に話した男だ。あの時は配送部配属の憲兵に扮していて、なるべく顔は見られないようにしていたけれど、直後にあの騒ぎでは、こちらが思う以上に記憶に残っているかもしれない。これぞまさしく身から出た錆びというやつだが、正直笑えなかった。

 それ以外の問題としては、例の身分証を預けてあることだ。あれを所持してなくても中に入れてくれるかどうかが分からない。

 どうしたものかと考えつつ、隣に立つ青年をのぞき見た。

 彼は通りの反対側にあるその建物を一心に睨んでいる。エルフたちの居場所が分かったせいかと思ったが、それにしては陰鬱な表情をしていた。


「身分証を持っているか?」


 その問いかけに初めは気づかなかった彼は、“おい”と言われてようやくタナトスの方を向く。泣いているのではないかと思うほどに、目が血走っていた。


「あの、ええと……?」

「身分証を持っているのかと聞いたんだ」

「あ、はい」

「つまり俺のだけ取り上げたのか……」


 なにかある。

 そう直感したが、今はそれを探る手段はなかった。


「悪いが、衛兵には君の身分証を見せて、適当にごまかしてくれ」

「あの中に入るんですか……」


 暗い目をして青年がぽつりと呟く。彼にもなにかあるらしい。

 もちろん、今はそれを追及する暇も興味もなかった。


「入る口実は――」

「定期巡回だと言えばたぶん入れますよ。あそこもうちの地区の担当ですから」

「なら、そう説明してくれ」

「入るんですか……」

「中にだれがいるかも尋ねるんだぞ」

「はぁ」


 ため息交じりに返事をした青年は、肩を落としてノロノロと歩き出した。その後ろをタナトスも付いていく。正面の衛兵はとっくの昔に気づいていて、二人の動向を見守っていた。


「やあ、こんばんは」


 やがてそばまで来た二人に、衛兵は以前と同じように愛想良く声をかけてきた。


「こ、こんばんは。あ、あの、定期巡回なんですが……」

「もうそんな時間か。おや、いつもの二人じゃないのかい?」


 あの時と同じセリフを吐かれて、タナトスは内心ヒヤッとした。

 幸いなことに衛兵はひと月前のことなど思い出すこともなく、青年が差し出したプレートを受け取ると、


「歳のせいか、最近だんだん目が悪くなってきてねぇ」


 本人の言葉通り、プレートを近づけたり遠のけたりして、きざまれた文字を読み取るのにかなり苦労しているようだ。


「まあいいさ、こんなもんを真似て作るヤツなんていないだろう。ほらよ」


 そう言って返されたプレートに青年が手を伸ばした時、衛兵の視線がおもむろにタナトスの方へと移動した。


「そっちのにいちゃんは……」


 少々焦って身じろぎをしたタナトスなど気にも留めず、衛兵は直ぐに続けた。


「まぁ、いいか。どうせ渡されてもなにも読めないんだから。あ、このことは上には内緒にしててくれよ」


 こちらにしてみれば願ったり叶ったりなので即座にうなずくと、相手は満足そうににやりと笑い、門の片方を解放した。


「あの、えっと、中にだれかいますか?」

「例の如く、配送部の爺さんがいるなぁ。あの人はここの主みたいなもんだから。それとさっき、副官たちが来た。もうすぐ将軍がお戻りになるんで、準備でもあるんだろう」

「それだけ?」

「さあね。だれが残ってるかなんて、いちいち調べやしないよ。知りたきゃ、中に入って点呼すればいいさ」

「そ、そうですよね」


 ぎくしゃくとした会話ながら知りたいことを聞き出した青年を引っ張るようにして、タナトスは門をくぐり、そのまま建物の正面玄関へと歩き出した。

 しかし、薄茶の両開き扉の前まで来たところで、建物の外壁に沿って右へと曲がった。


「え!? いったいどこに……」

「裏だ」


 最初の仕事で、この建物の構造は頭に叩き込んでいた。とは言っても、叩き込まなければならないほど複雑な構造はしていない。荷物の集積所と、魔軍のエルフどもが集まる場所と、大部屋はその二つだけで、あとは将軍の執務室や、配送係の待機部屋など、小部屋が三つか四つあるだけだ。

 この建物で一番の特徴は、屋根から生えたキノコのように、細い塔がその中央部にあることぐらいだろう。そこは将軍だけが唯一登れる場所で、使い魔の離着陸に使用している。配送部はもっぱら建物の裏にある小さな庭に魔物を呼び寄せて、そこから各方面へ飛んで行くことになっていた。


(もしこの街から逃げるつもりなら、あそこに使い魔を呼び寄せるはずだ)


 塔の可能性も捨てきれないが、逃げ場のないあの狭い螺旋階段を女と登るぐらいなら、安易な方を選ぶだろうと考えた。

 手入れが行き届いているとは言い難い敷地を抜けて裏庭へと向かう。しかし三日月の光では頼りなく、足元はほとんど見えなかった。

 建物の壁を左手で探り、右手は腰の剣に当て、そろそろと進んでいく。風はなく、虫の声が絶え間なくあちらこちらから聞こえてきていた。それに紛れて、背後にいる青年が漠然とした声でぽそっと呟く。


「やっぱりなにも残ってないのか……」


 この場所にもなにか因縁があるらしいことは、ここに入る直前に気づいていた。けれど、それを尋ねるほどに優しさも余裕もタナトスは持ってはいない。

 だれかと協調も同調もまっぴらゴメン。

 この世界を独りさまよい歩く、それが俺だ。

 それなのに___


 たった一人に執着してしまう。

 欲しいという気持ちが胸を埋め尽くす。


(クソ忌々しい!)


 例の苛つきに侵食されかけた心に吐き捨てる。その刹那、薄闇の先から女の声が聞こえてきた。


「どうしてそんなことを思うの!?」


 まるでタナトスの心を責めるような言葉だった。

 背後にいる若者の息を呑む。ここで余計なことをされては叶わないと、タナトスは片手を上げてそれを制した。


「ねえ、ミラン、聞いて。この国を創るために、人間もエルフも協力しなくちゃならないの。皇帝陛下もそれをお望みのはずよ。だから敵も味方もないの」


(まさか女に諭されて改心なんて、クソつまらない展開になるんじゃねーだろうな?)


 女に答えて相手のくぐもった声はしたが、残念なことに何を言っているかまでは聞き取ることができなかった。


「もしかして、ベーグを待ってるの、ミラン?」

「……――――……――――」

「彼はククリよ、もう気づいているんでしょ? だからそんなものを着てるんでしょ? でも、私たちはラシアールなのよ」

「……――――……――――」

「何言ってるの!? ブルーはそんなヒトじゃないって、あなただって分かってるでしょ? 私たち、ずっと一緒だったじゃない」


 女の説得はさらに続く。

 タナトスにしてみれば、幼なじみなどという希薄な関係にしがみつく彼らの気持ちが理解不能だった。


「尻尾を振るなんて、そんな言い方はやめて。ブルーにも立場もあるんだから」

「……―――……――?」

「ちょ、ちょっと待ってよ。なんでそうなるの!? 私、ブルーのことはなんとも思ってないわよ」


(結局、男女のもめごとかよ)


 いっそ二人まとめて始末するなりして、さっさと切り上げようかと考え始めた時、青年がそっと呟いた。


「ブルーさん、あの戦いで活躍したからなぁ……」

「魔将軍に会ったことがあるのか?」

「ええ、まあ、色々とあったんで……」

「皇帝陛下ともその時に?」

「皇帝陛下とも……ええ……そうですね、お目にかかりました」


 一瞬にして暗く落ち込んだ声が、因縁の深さを物語る。


(こいつも魔性にあてられた口か)


 有り得ないことではない。あの魔物も、孤児院にいた男も、そしてこの俺すらも、思考を吸い取られた。だからきっとこいつもそうなのだろう。

 苛つきが増す。

 それを抑え、タナトスはあざけるように青年に言った。


「良い匂いがするからな、皇帝陛下は」

「匂い?」

「まるで女がつける香水のような甘い匂いだ」

「あれ? おかしいな……それ、消えたはずですけど……」

「消えた?」


 エルフたちのいる薄闇から目を離し、背後へと振り返る。

 自分にとって良くない情報だと感じてはいたものの、尋ねずにはいられなかった。


「昔、皇帝陛下は惚れ薬みたいな呪いにかかっていたんです」

「匂いの呪いなのか?」

「それも含めて。でも解いてもらったはずです」

「解けなかったんじゃないのか?」

「オレは感じたことがないから分からないですけど、それはないと聞きました」


 ではあの匂いはいったい……?

 魔法ではないとすると、つまりどういうことだ?


「もしかして、ルオスさん。皇帝陛下がす――」

「黙れ!!」


 声が荒げるのも気にせず、タナトスは強く遮った。

 絶対に認めるものか。

 俺はあのクソガキの魔法にやられているんだと。


「だ、だれ!?」


 悲鳴と言っていい女の金切り声がした。男の方もなにか怒鳴っている。

 バレたらしかたがないと、タナトスは青年から離れて彼らの方へと歩いていった。

 踏みしめる雑草が足首をくすぐる。先ほどまで騒いでいた虫たちがいつの間にか黙り込んでいた。


「まさか……ジェス……?」


 タナトスの顔を見て、その偽名を軍服の女が口にした。

 そう、それでいい。

 俺の真実などだれも知らなくていい。


「どうだ、泥船の乗り心地は?」

「説得するって言ったのに、どうして待ってくれなかったの?」

「そんなことは初めから期待してなかったさ」

「お前はだれだ!?」


 黒いローブをまとった背の低い男 ――と言ってもエルフの背丈はだいたいあんなものだが―― が、タナトスと女を見比べて、驚きと怒りが混じった声でふたたび怒鳴った。


「そこの彼女とは以前、一緒に仕事をした仲だよ、ミラン副官。彼女は皇帝陛下とギルドのために尽力してくれた」

「アーニャ、どういうことだ!?」

「ち、違うの、ミラン」

「あんたが反逆者だってことも教えてくれたぜ。ブルー将軍もさぞお喜びだろう」

「アーニャ……やっぱり君は……」

「ミラン、お願いだから聞いて。私は――」

「もういい!!」


 次の瞬間、男の周りに激しい閃光が広がった。

 咄嗟に腕で目を覆ったものの、視界を奪われて、身動きができなくなる。手探りで剣を抜き、敵との距離を縮めようと地面を蹴った。

 だが急速に小さくなった光は、やがて豆粒ほどの大きさになり、矢のような勢いで夜空へと昇っていく。

 その光が星と混じり合った時、黒い影が天空から駆け下りてきた。

 翼のある双頭の馬だ。どちらの頭にも一角があり、口からは泡のように炎が溢れていた。

 一瞬にして間近に迫ってきた魔物を見て、タナトスはそばにいた女の手を掴み、自分の方へと引き寄せた。

 彼女がいるかぎり、この男は攻撃をしてこないはずだ。

 案の定チッという舌打ちが聞こえただけで、攻撃命令は下されることなく、魔物は向きを変えた。

 魔物に気を取られている隙に、男はかなり後方まで下がっていた。

 魔物は(あるじ)の元へと急接近すると、小柄なその男をすくい上げるようにして背中に乗せる。


「ミラン、駄目!!」


 必死な声で叫んだ女を無視し、魔物は滑るようにして夜空へと駆けていった。


「彼、ソフィニアを壊すって……どうしよう、どうしたらいいの……」


 手が震えている。

 頬には一筋の涙が伝っている。

 それを見て、タナトスは心が急速に冷えくのを感じていた。


(愛情だの友情だのと、くだらないものを信じるのが悪いのさ)


 この世界は情欲と強欲でできている。

 不安と恐怖でできている。

 あらゆる存在が不安定で、ここにいる意味などなにもない。

 そして、そのすべての原因は魔物とエルフどもだ。


 物心がつく前から感じていた思念が、胸の内から噴き出してきた。


「心配することはない。あいつはきっと、皇帝陛下とブルー将軍が殺してくれるさ」

「そんなことさせない! 絶対に私が止めさせるわ!」

「無理だな」

「やってみなければ分からないじゃないの」

「君には無理だって言ったんだ」


 そう言った時には、すでに胸ポケットからナイフを出していた。

 鋭い刃が星光に映える。

 殺せと心に眠る悪魔が命令した。


「どうして……」

「口封じだよ」

「いや、やめて!!」


 ナイフに気づいた女が叫ぶ。

 同時に、黄色い光が彼女の身体から溢れ始めた。

 狙いを定めて振り下ろした手元が少々狂う。胸の急所よりやや上に、ナイフの刃は抵抗なくスブッを突き刺さった。


「あぁ……」


 いっさいの力を失った女の体を地面に横たえる。

 返り血は浴びなかったが、抜き取ったナイフから闇に染まった液体が、手首の方へとしたたり落ちていた。

 血の臭いが辺りに漂っていく。

 

(いつかこの臭いを、あのクソガキになすりつけてやる)


 袖口でナイフを拭いて、タナトスはゆっくりと踵を返した。

少し離れた場所には、あの青年が呆然とたたずんでいる。


「皇帝陛下に伝えろよ。俺のことを忘れるなって」


 伝わるか伝わらないかはどうでもいい。

 ただそう言い捨てたかっただけだ。

 そんな自分の馬鹿さ加減に呆れつつ、タナトスはゆっくりと正門の方へと走り出した。

 夜虫がふたたび鳴き始めている。

 その声が、自分をあざ笑っているように感じていた。


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