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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第142話 君側の奸 中編

『貴方は僕を卑怯者だとお責めになりますが、貴方は偽善者ではありませんか、ロロット子爵夫人。自己防衛と自己満足では、どちらがより高尚なんでしょうね?』

          ――戯曲『ロロット子爵夫人』第四幕 ハルツァー男爵台詞より



 タナトスが指定された四つ角で待っていると、宮殿の方角から十数人の憲兵がやってきた。敬礼をすべきなのだろうかと一瞬悩んだ末、前を通り過ぎていく一行の最後尾に入る。すると、すぐ前にいる若い男がちらっと振り返った。なにか言われるだろうかと焦ったものの、結局それも杞憂に終わってしまった。

 憲兵たちは無言のまま、戒厳令の敷かれた夜の街を行進し続けた。ソフィニア人が大人しいのか、皇帝陛下の威光のせいなのか、命令違反を犯して街中を徘徊している者はいない。数日前の暴動を知らないタナトスなので、そんなふうに思ってしまうわけなのだが。

 しばらく行くと、やがて西地区の小さな繁華街に到着した。飲み屋が数軒、宿屋が数軒という閑散とした狭い裏通りで、当然ながらここにも人影はない。

 剣呑な雰囲気を漂わせてやってきた人間たちに驚いて、野良猫が一匹、慌てて路地裏の隙間へと逃げていった。


(どこも閑古鳥だろうな)


 あの惨劇のあとだから、この地へ旅行に来るような酔狂な者がいるはずもなく、戒厳令中に飲む歩く奴もいないだろう。そう思ってよくよく見れば、どの店からも営業中の明かりが漏れている。


「わりと繁盛してるのか……」


 意外に感じて、ついうっかり呟いてしまった。そんなタナトスに反応し、先ほど振り返った男がその答えを教えてくれた。


「この辺の宿屋には荷馬車の連中が泊まってますよ。ここは安い宿が集まってるから」

「配送ってエルフがしてるんじゃなかったっけか?」

「まさか。エルフ便なんて使ったら高く付くだけだし、平民の日用品なんて大抵は荷馬車で運んできてますよ」

「荷馬車の方がよっぽど金がかかりそうだけどな」

「エルフ便はギルド本部が直接運営してて、昔は幹部連中が上前をはねてたんだけど、今はどうなってるのかな……。あの議長はそういうことは厳しそうな気が――」

「おい、そこの飛び入り!」


 男の言葉を遮ってタナトスに声を掛けたのは、強面の中年男だった。金色のラインが入った制帽を被り、口ひげを綺麗に整えた、まさに隊長といった風情。話していた男も遠慮するように一歩下がって、相手に場所を譲った。


「さっき途中から入ってきた奴だな?」

「あそこで合流するように言われました」

「連絡は受けている。南地区は暇らしいな」

「宮殿と軍施設と教会しかありませんから……」


 追及された時に考えていた言い訳に納得したのか、男は軽くうなずいただけだった。ただし身分証を見せろと言う。言われたとおりバルクから受け取った銀のプレートを手渡すと、男は薄闇の中でプレートの文字を読み取ろうと目を細めた。

 名前と配属地区がきざまれ、ギルドの紋章である羽の生えた犬 ――ベルトラムという名称らしい―― を象った焼印が入っている、薄い鉄板を銀色に塗っただけの代物だ。


「名前はカイ・ルオスで間違いないな?」

「ええ、そうです」

「歳は?」

「二十九」

「出身は?」

「ガサリナの西ですね」

「旧ベレーネク領か?」

「ええ」


 あれこれと聞いてくるんだなとタナトスが思っていると、それを察したのか男は少々ばつの悪そうな顔をして、


「知ってるかもしれないが、最近、偽憲兵が重大事件を起こしたらしい。例の暴動に参加した奴らも少なからずいて、このプレートが配られることになったのもそのせいだ」

「ああ、なるほど」


 例の暴動?と思ったものの、男がなにを懸念しているのか理解して、タナトスは小さくうなずいた。


「これは今回の任務が終わるまで預かっておく。任務内容については聞いているか?」

「どこかの店の検挙だとしか……」

「場所はあの黒い看板が吊る下がった店だ」


 男はそう言って、通りの少し先を指さす。それからはタナトスだけではわけではなく、その場にいる全員に話し始めた。


「支部でも説明したが、南地区から助っ人が来てくれたので、ここでもう一度確認のために説明しておく。あそこはラシアールたちが来る店だが、最近不穏分子が集まっているという情報が入った。今、店にはその連中五人と店主しかいないはずだ」

「でも一人は密告者なんですよね?」


 さきほど話した若い男が言うと、隊長は面倒臭そうな表情で“そうだ”と答えた。


「だがそれは気にせず、一網打尽にしろ。抵抗するなら多少傷つけても問題ない」

「魔法を使われたら厄介ですね」

「我々が突入したと同時に、明かりを消す手筈になっている。狭い場所なので、暗闇では同士討ちを恐れて魔法は使わないだろうということだ」

「明かりを消すんですか!?」


 またもやあの若い男が驚きの声を上げる。さすがにタナトスも首を傾げずにはいられなかった。敵も見えないということは、こちらも見えないということ。しかも店内がどうなっているのかは向こうの方がずっと詳しいに違いないはずなのだが……。


「なぁに、相手はエルフ四人だ。魔法さえ封じ込めば、我々の方が有利にある」


 指揮官はかなりエルフを舐めているらしい。しかし任務が成功しようが失敗しようが、タナトスには関係ないことだった。


(さて、俺の出番がどこにあるのかな?)


 ただの助っ人ならば自分でなくてもいい。きっとどこかに落とし穴が用意され、落ちてくる獲物を仕留めるチャンスがあるはずだ。

 すると、その答えだと言わんばかりに隊長はタナトスの方へ向き直り、命令を下した。


「ルオス、お前には裏口の見張りを頼むことにする」

「了解です」


 どうやらこの男はバレク側にいるらしいとタナトスが悟った時、例の若い男がふたたび口を挟んできた。


「一人では危険ではないでしょうか?」

「またお前か。いちいち俺の命令に突っかかるのは、なにか不満でもあるのか?」

「そんなことはありません、隊長。ただ単独行動は極力避けるようにと支部長がおっしゃっていたので……」

「だったらお前も一緒にいろ」

「はい、分かりました」


 ずいぶん覇気のある若者のようだが、もちろんタナトスも隊長と同じ。面倒臭い奴だとしか思えない。だから押しつけられたその事実に、つい眉をひそめた。

 そんなタナトスの肩を叩き、指揮官はにこやかに言った。


「ま、よろしく頼むよ。次に南地区でなにかあった時は、喜んで協力するから」


 それに対して、タナトスはただ黙っているより他になかった。




 その少しあと、タナトスは若い男とともに繁華街の反対側の通りにいた。

 向こう側を表通りと言っていいか分からないが、少なくても今いる場所よりは道幅もあり、ゴミもそれほど落ちていなかった。それに比べてここは、壊れかけた木箱が積み上げられ、辺りには悪臭が漂っている、まさに路地裏と呼ぶに相応しい道だった。


「もうすぐ始まりますね」


 若い男は、すぐ脇にある古い扉に顔を寄せてそう囁いた。中からはまだなんの音もしない。それがかえって緊張感を高めていた。


「まあ、まもなくだろう」

「あの、なんかすみません」

「なにが?」

「ええと、その、色々と……」


 本人も自分の態度がどう受け取られたのかは気づいていたようだ。しかしタナトスにはもうどうでもいいことなので、軽く肩をすぼめて、気にしていないという態度を示した。


「自分でも少し焦っているのは分かってます」

「焦っている?」


 オウム返しに尋ねたものの、むろん意識には入って来ない。今はとにかく黙っていて欲しいだけだ。


「どうしても会いたくて、いえ、見返したくて……」

「ふぅん」

「どうせ卑怯者のオレなんか、無視されるって分かってるですけどね」


 卑屈に笑った声を聞いて、タナトスは改めて隣に立つ若者を見返した。もっとも家々から漏れる光だけの暗がりでは、相手の表情など見ることはできない。先ほど明かりの下でチラッと見た記憶では、まだ十代ではないかという印象だった。薄茶の髪と、奥まった目と、上を向いた低い鼻に、どこか子犬に似ていると思ったが、ただそれだけだ。どこにでもいる善良そうな青年である。


「その見返したい相手ってのは? もしや皇帝陛下とか?」

「まさか!」


 冗談で言った言葉を乱暴に否定した声がわずかに震えていて、なにかあるとタナトスに思わせる十分な気配があった。

 どんな因縁があるかは知らないが、これは面白いことになりそうだと暗がりに笑みを浮かべる。


「声がデカい」

「す、すみません」

「俺は卑怯な奴は嫌いじゃないぜ」

「あなたに好かれたところで……」

「だろうね」

「オレのことはどうでもいいんです。ちゃんと任務を…――!!」


 扉の向こうで怒号のような叫び声がした。直後、大勢の足音、ガラスの割れる音、椅子の倒れる音がして、騒然とした雰囲気が外まで漏れてきた。

 いよいよ始まったのだ。

 見えない相手と互いに顔を見合わせ、すぐに身構える。

 聞こえてきた“やめて”という女の声には聞き覚えがあった。


(そういえば、あの女がいた)


 彼らはいったいなにを自分に望んでいるか。ここに配置させたということは、単純に捕まえろというわけではないだろう。


(やっぱり殺せということか……)


 もちろんそれに異議があるわけではなく、一度血に染めた両手を拭えるはずもなく。

 単純に面白くないだけだ。

 何度でもこの存在を思い出させるためなら、どんなえげつないこともしてやる。

 たとえばあの女の___


 刹那、黄色い閃光が、扉の小窓と隙間からあふれ出て、薄暗かった路地を照らし、驚きの表情を浮かべる相棒の顔を映し出した。


「なっ!?」

「暗闇でも魔法は使えるってことだ」

「ど、どうしたら……」

「だれか来るぞ!」


 扉の向こうに気配を感じ、タナトスは青年の腕をひっぱり、積まれた木箱の裏に身を潜めた。木箱の割れた隙間からは、腐った豆がこぼれ落ちている。悪臭はゴミ箱であるこれが原因だった。


「あの、どうして――」

「シッ!」


 タナトスが青年の声を制したのと同時に扉が開く音がして、女の声が聞こえてきた。


「待って、ミラン。もうすぐブルーが帰ってくるから……」

「走れ、アーニャ!」

「でも……」

「走るんだ!!」


 飛び出そうとする青年の腕を必死に掴み、走って行く男女のエルフをやり過ごす。向こうも必死だったのが幸いした。


「どうして逃がしたんですか!?」


 責める青年を無視して、店内の様子を窺った。まだ騒然とした雰囲気は残っていて、例の隊長がなにか必死に怒鳴っている。


(きっと俺を煽ってるんだ)


 そう思った時には既に、タナトスは悪臭から逃れて、木箱の陰から飛び出していた。


「追うぞ」

「――え!?」

「もし他に仲間がいたら、大手柄になる。焦ってるんだろ、色々」


 足音を追いかけて、裏路地を走る。

 迷った分だけ遅れて、後から青年が付いてきていた。

 付いてくるならいいだろう、お前も利用してやると、差が開かないように注意しつつ、前の二人を追いかけた。

 しかし、いくつかの角を曲がり、数ブロック進んだ場所で、タナトスはふと走るのを止めてしまった。


「見失ったんですか?」

「奴らの行き先が分かったから、無駄な体力を使うのを止めただけだ」

「行き先?」


 こちらを撒いているつもりでも、あの建物へと徐々に近づいている。

 とんだマヌケだとタナトスは鼻で笑った。


「俺の勘はだいたい当たる」

「はぁ……」

「行くぞ」


 数万人が暮らしているというソフィニアの街は、新たなる悪夢が待ち受けていた。


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